F.U.C.K.
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牡丹雪の肩口に降りるを払うこと
三杯酢をきっちりとレシピどおりの分量で作ったら砂糖の量がパねえ。お酢で健康を目指すにも他のアプローチが良いようだ。つうかあれはコーラ以上に砂糖多くないだろうか。恐ろしいことです。
お裁縫スキルはまったく身につかないので、コートのボタンが取れると大事であります。そして面倒くさくて嫌になりますね。近代なんだからよう、もうちょと良い工夫があってもよくないかい、ボタン。ボタンがだめなら、って、ジップアップのコートは洒落おつカテゴリを着こなせる人じゃないとちょっとね。洒落おつじゃないジップアップはなんかな。あーダッフルコートにすりゃいいのかー。おっさんでございます、というスーツの時以外でもいけるものなー。いやいや、おっさんスーツにダッフルコートて。
まあファッショナブルなもんに縁がないですね、ということで。ボタンあけて着こなすのもこの樽体型じゃよーんっとによーーーーーー。
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盾で殴れば
身内の不幸もあり、一枚だけ届いた年賀状、当然のように当たらず。下二桁だけでもいいから掠れやあ。
最近詫びることが多い。自分の失態なら致し方ない。仲間や部下のためも仕方ない。ただ、これ以上のやりとりが面倒くさいから頭を下げる、これがよろしくないが、これで場を収めるのも人が積み上げた歴史、習慣であります。これでひとまずは済むというところが素晴らしいというか。海外でのトラブル対処マニュアルに「安易に謝罪しない」というのがあって、それは自分の過失を認めることになるからだと説明されますな。自分のほうが悪いですと表明してはいかんと。
日本においてとりあえず頭を下げる、というのは、ひとまずは害意のないことの「おおやけ」な表明であるわけなんですな、きっと。それを受けて、頭を下げられたほうとしても、「それはわかりました。」と許した上で、さらに今後どうするのか、という段階の話になるのだな。曖昧であり、巧妙でもあるように見える。いやいやわざとじゃないんですよ、という表明が効果があるというのは、「どこかで相手の過ちを許す」という発想、常識が伴っていないと成り立たないものだろう。そしてそこには、いつか自分が「そう」なったときも許してもらえる筈だという期待がある。社会に対する信頼というやつかと思う。この国にはそれがあると強く感じる場面がある。
「お互い様」である。人生はいつもトラブルの連続で、思うようにはいかないもの。あの人の姿が、いつかの私の姿。広く広く世界を見つめ、生きてゆきましょう。
などと。いうようなことを考えるとき、いつでも、いつだって911のテロが思い浮かぶ。もっともっと身近に、秋葉原の通り魔が思い浮かぶ。昨夜のアルジェリアの事件が、アメリカで恒例になってしまった銃のぶっぱなしが、思い浮かぶ。それですらお互い様であると思う。世の中が変われば俺だって、誰だって、銃を撃つ側になるんだろう。それが許してもらえるかはわからないけんどもね。
わかるでしょう?
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やたら壊れる
IT調理器の調子がおかしい。ビックリするほどの異音を発するようになった。置き場所が少々傾斜していたので平坦な向きに90°変えてみたところ、収まった。別に火が出ているわけじゃないので、スイッチの類が横向きにあっても困らんもんんだなー。根本的な原因にはすでにあたりがついているので、まあ、いずれ解決を試みるということになるだろう。
包丁が折れた。こいつは少々驚いた。横向きにちょっと力を入れてしまったらパキンと折れた。一枚の削り出しタイプだったから、とか関係あるだろうか?100円ショップじゃねえんだからしっかりしろや。新しいのを買ったが、まだ何も切ってない。肉!肉を切りたい!!肉屋のようにどどどどど
鍋の蓋が割れた。アツアツの状態でステンレスの台に置いたら割れた。ガラスの蓋が細かく砕け散った。事故った車のフロントガラスみたいにばらばらになった。さすがにこれは掃除機で吸った。流し台に掃除機かけたのは初めてよのう。原因はアツアツの蓋と接した部分の温度差的なものだと思うのだが、真冬とはいえども東京の屋内の気温で割れてしまってはダメなんじゃ。これもしょうがないから新しいのかったらサイズが一回り小さくて煮物のストックなどができない。
もう一回りでかいのかうのだった。
クソがクソが。罵ること限りなし。ああ満足の行く人生ははるかに遠い。幸福と満足は別物かと。
一冊興味深い本を読了したが、別のところに書くとします。インターネットもクソですね。
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今月の現金支出を一円単位で計算しようの試み、月末にいろいろあったせいで完全に意味不明になってしまったが、数百円ぐらいの誤差に収めたと思う。それ以外の支出は明確に額面が残るため算出可能・・・現金支出+クレジットカード+家賃が総支出。で、計算した結果、赤字になった。親に次の法要の分の交通費も援助してもらってまあその分黒字ではあるけどさ。
びんぼう過ぎる。
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人生の分岐がもう死ぬかどうかしか残されていない