F.U.C.K.
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カゴメのトマトジュースが残念
トマト厨であります。定期的に買っております、カゴメのトマトジュースまたは野菜ジュース(ダンボール箱買い)なんですが、最近買ったものはどうも味がよろしくない。いつもの、でろでろどろっとした感じではなく、さらりとした感じのジュースになってしまった。ストレート果汁とか言うらしい。で、こちらもまあストレートに言うと、美味しくない。遺憾のイーを表明させていただきます。あのでろでろどろりが美味いんだよ!!!
でもコンビニ行ったら通常のも売ってた。
amazonのレビューを見ると、このストレートが飲みたいのに濃縮還元が届いたというクレームがあった。俺のと交換しませんか・・・・・・。
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電気はたいせつに
電気代の請求がずいぶんと安くなっていた。冬に8000円近い一人ぐらし男性としてはありえない消費っぷりに寒がりの俺が悪いんじゃない築●●年のこの部屋が悪いのだそうじゃそうじゃと呪っていたころから比べますともはや偉業とも呼べる3200円という請求額、それでも高いと呼ぶなかれ俺は希望の灯火にPCのつけっぱを選んだのである誰が聖火を罵ろうか、燃えろ燃えろ、象徴としての炎、猿より一歩前で見つめる力が我々には
ってガス代の請求だった。全然安くない。死ぬ。
電気代値上げしますというチラシも入っていた。死ね。
市民税の通知で冷静になる。死にたくない。
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春風の諭吉さんを地下に辱め濡らすこと
春は名のみの、風の寒さや雨の酷さやうへ傘壊れたあばばばたたたたタクシー!
コートは要るまいと休日出勤、一駅歩く余裕など見せながら登場、しかし担当業務はわりとあばばばば、まあ時間通りに終わりまして、今度は自社業務に移動しなくては、というところで外に出ると嵐だった。時間に余裕があるし、天気も良いし、なんて思ってたんだけど、まあタクシー拾って移動するよねこれは。自社での書類作成的な仕事を終えると、雨は止んでいた。書店で読み始めた漫画を買う。
闇金ウシジマ君というタイトルは何かで知ってたんだけど、読んだことなかったので、つい、と古本屋で1-3巻まで買ったのだけどまあこれが面白い。先日買ったバスタードの27巻が今年度ワーストの買い物候補筆頭になるほどアレだったのに比べるとなんと素晴らしいことでしょうか。出勤前、出勤後、帰宅前、あらゆる場所で買い足して手元には8巻までありますが、残り全部買ってこようそうしよう。
という、出費の予定でハタと手が止まる
びんぼう常識人。まな板欲しい、ジップロック買うか、麦茶用ピッチャーって100円ショップにあるかしら、あああ。迷う閾値が安すぎる、そんな俺にはやっぱし、闇金ウシジマ君はリアリティあって面白い。タクシーから降りるときに財布を落としてしまい、諭吉さん(ソロ)が雨水に濡れた。数年前にこの辺で財布を落とした。そのへんうろついてるホームレスががめたんだろう。だったらこちらの顔はばれている。何か手がかりでも掴めないかと道行くホームレスにガンとばしていたのがもはや懐かしい。会社の近所に定住しているあいつだったりしねえかな。このまま雨に流されてしまへ。
去年のこの時期は被災した実家に帰る算段をつけていたところで、高速バスが復旧したとか聞いて空いてる便がないか大慌てで探したもんだった。幸いスカスカでちょっとコケた。今年は落ち着いて春を受け入れたいが、このブログを書いてて野菜スープがちょっと焦げた。ダメだこりゃ。
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こんな日に地震
そろそろ避難袋のアップデート、今日当たり頃合い、なんて思ってたら起きて早々に直下型。震源富士山の近くっていよいよもうダメだーの予感。具体的にどうしたら良いのかまでは考えていない。漠然と「安全そうな所へ移動する」ぐらいしか考えていない。これではダメダメだー。
そうして改めて地図など見ても、どう考えても付近住民を吸収できるほどのスペースがない広域避難場所だとかそんな感じであーあ。
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おすすめのごほんは?
知人におすすめの本を訊くなら自分も挙げねばなるまいて、しかし自分は読書家でもなくなってしまった、ということで。→にバナーも貼ってるけど、アンソニー・ボーデインの「キッチン・コンフィデンシャル」が最近は面白かった。そこそこ古い本だけどね。
あとは過去に読んだ本の印象など、インターネットで全部吹き飛んでしまった。捨ててしまったからかも知れない。本棚には中谷美紀のインド旅行のエッセイ(しかも一巻だけ)とその「キッチン・コンフィデンシャル」があるだけ。伊勢物語は退屈で風呂で十分ぐらいでやめてしまった。何度かいろんなとこで書いてるけど、心にぐっと来る物は本棚からはなくなってしまった。世間の書店にもまだあるだろけど何でか何年も足が向かないね。
媒体が変わった、というだけで俺の好きなものは世に溢れている。失望することもないさね。
あー語ることもないわー。うんこうんこー。
もともとエッセイとか旅行記、ルポタージュ風の手記とかが好きなんだけど、そういうのってそれこそインターネットのものになったし、そりゃ本も読まないわ。
あのねえ、こうまでして本を読まない正当化理由を書き連ねるということは、読まないことに何か後ろめたいものがあるのだよ。例えば本を読むことがインテリなら、インテリに思われたければ本を読むだろうさ。人間は感情豊かであるべきだと思うし、心の有り様でとらえる世界の渕こそ美しけれとも思うし、だけど情報はインターネットにあり、知性はインターネットにあり、感情の紬もインターネットにあり、これ事実でしょう。
インターネットの無い環境なら読むか?読むだろうけどそんなお膳立てありなら猿だって興味を示すだろう。
また、読むことにも後ろめたい何かがある。どうしても書籍というか文庫本小説?とインターネットのfacebookやらtwitterやらそこらのブログとの間に、両方選んではいけないような壁を感じる。提供の容態が違うだけじゃないか。なんで本を手に取ることも、捨てることも共に後ろめたい??
ここに破壊の意志が本に対して向けられることとなる。これが本を書く人間や、読む人間への敵意ではなければよいのだが。年に一度か二度、手書きで縦書きという「本来」のフォーマットで文章を書く機会がある。文字は恐ろしく下手くそで、そこに心の篭もる余地は無い。ああ、後ろめたいのはこれかあ・・・。クソが。
じゃあインターネット上でおすすめなのって言われてもなー。でもま、ま、例のいとやなぎさんhttp://itkz.blogspot.com/は天才だとおもう。この意見はインターネッのみではなく、一般的な社会人(俺とか)たちの間でも支持される意見です。特に読書や書籍が好きな人。