タイトル欄には日付でも入れりゃ良いと気づいたり
そろそろ食わないと、と野菜貯蔵ダンボールからりんごを取り上げたら下半分がすでにぎゃああああ!な感じになっていて廃棄した。自分の部屋は窓を開ければ眼下には狭いながらも植物の生えた地面があり、こういうものって土に棄てるのが正解なんじゃないかなー、と思いつつ、燃えないごみの袋に入れた。そーいえば生ごみを土にする機構が売られているよな。なんかでかいゴミ箱みたいのに放り込んでおくと土になるって。
人間が断ち切ってしまった感のある地球システムとの連結が、こんな風に復活していくことを、技術の発展ではなく、地球の執念であると見たい。粘菌がシャーレの中で伸びて行くように、地球の意思と生命の意思が縒り合わさったと見たい。人間や動物だけが心を持っているなどという思い込み、心を弄ぶゆえの驕りであり、りんごは自ら地球に還ろうとして、地面を目指したのだ。プリンキピアのばか。
科学の足並みが揃ったらどういうことが起こるのだろう。軍事に心血を注いだら人間が破滅するだけの兵器ができてしまった。これらは現存する・・・んでしょ?よくわからないけど。宇宙開発でもエコロジーでも良いけど、まあガチで人間が同じ目的に邁進することができれば、それはそれは明るい、希望に満ちた。
ホームレスがゴミ箱から残飯を漁っているのを、たまに、見た。夜更けに町に出ることなど何年もないから、今はわからない。彼らは土は食えない。腐りかけのりんごなら食えるだろう。腐ってないものも食うだろう。
あなたが10リットルの水を貯めた。地球から10リットル掠めたのだ。巡らせ続けなければ停止して破滅する。世界を信じて手放す勇気。科学はもっと神になりきるべきだ、そうじゃないともう縋るものがないではないか!
世界は美しいですねえ