FreeTibet・・・はいいんだけどさ。
数週間前に秋葉原に行った時に、駅前でチベットの自由を訴えるデモをしていた。通れる人々は無関心を装うというよりは関心があるのを装っているのがばればれだった。ですよね、チベット弾圧イクナイ、我々の良識を讃えよ仏舎利、オサレでカコイイUDX。その日、自分が買ったハードディスク、その代金の一銭たりとも彼らのために使われない。懐よりもっと深いところが痛む気がしなくもない。
反対側の改札ではメイド服の客引きがうろうろしている。良くわからない人々がもそもそ歩いてる。誰もが自分は分別のある人でいたいと思っているけど、雲より高いところで血の色に☆つけて掲げられる旗の色より、隣の他人の顔色が怖い。歴史は塗り返す。すべてのものは近くに居る。
消火リレーに参加するとか長野市に電話するとかは性分に合わない。どうしたものかと、ブログに書いた。だけど常々、911のテロに大喝采を送る人々の映像が頭をちらつく。ハリウッドの技術力で、オスカーの演技力で、あの国はなにをしているんだろう。単純じゃない世界に辟易しているゆとりはもうない。どうするんだ。