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言葉遣い
トラックバック送り方わからんかったので・・・。いおりの面八句:嫌いな言葉
上京してきた頃って、そんなに自分が田舎モノだって印象無かった。周りにそれを感じさせるような人がいっぱいいれば別だけど、そぞろ歩く人々はただ黙々としておりました。とはいえ、状況の理由は大学に通うことであって、そこでは当然全国から集ってきた同い年ぐらいの人々が居て。でも、耳にした方言なんて関西弁を少々かなー。自分と同じあたりから出てきた人も居たけど、特に方言は出てこない。出ていたけど指摘されなかっただけかも知れない。密入国したわけではあるまいし、何処の出身地の言い回しを使っていようとどーーーでも良いのだけど、やはり当時は、方言使ったら恥ずかしい/////みたいな感覚があったんだろうなー。友人に福岡のほうの方言を卒業する頃にもずっと使っていた人がいたな。今でも「なにしよーかちゃ!!」とか言うのだろうか。
三年後。免許取るために一ヶ月近く実家に逗留した。その時には東京からの合宿で来た人も同じ教習所に通ってて、「TVKってのが向こうにはあってさー」みたいな話をして、「東京ローカル」って感覚を初めて味わったのでしたよ。そして、地元の同年代と思われる、身なりは原宿あたりと一緒なおんなのこたちが方言バリバリで喋っているのに軽く驚いたっけー。「なことねーばいってー」「だげっちょもー」とかね。文字にするとやっぱ違うなあwイントネーションというか、ニュアンスというか。文字にすると伝わんないねえ、方言って。最近、都内の中央線で放送されている、これは「何処の方言でしょう?」ってやつ。全然伝わらなくて、面白くなくて残念。文字だと雰囲気ってなかなか伝わらないねー。
言葉を遣わして、あれ、それ、はれ、と意図どやりとりするしかないこのうつつ、地域差どころか(データの伝播って意味では)時差すらもないインターネットは、インターネットだけで通じる方言がうまれていきまし。20世紀インターネットの史跡となりつつある2chあたりで広まったんですかね。ここ二年ぐらいでちょくちょくまとめサイトみるぐらいしか接点ないんだけど、独特の用語とか2chっぽいなあって・・・例えば、第二人称複数形としての「おまいら」とか、中学生、転じてネガティブな意味でガキを表す「厨房」だとか?英語にだってあるよ![cu]は”See you”のことだし、[AFK]は”Away from Keyboard”だし、有名どこじゃ[LoL]かな”laughing out loud”とかですか。インターネット発祥か知らないけども、まあおそらくはネットゲームの類で普及するんでしょう、こういうの。手短に済ます必要があるし、英語が良くわからない人も英語圏のコミュニケーションとる必要があったりもするんだろうから、英語覚えるよりは、閉じた世界の独自解釈の略語覚えたほうが早い。便利なものはそこの中だけで、定着していく。それを使い続け、「場」を埋めることで産まれる、雰囲気の快さ。その快さ、便利さ、みんなも心当たりあるでしょう・・・。変な渾名付いてた友達いなかった?・・・で、その、「場」の作法が。外では通じないなんて、普通は阿呆でもわかる。でも厨房・・・じゃなくて、子供だったらわからないかもしれないね。親と先生ぐらいしか大人が居ないからね。しかもそれって保護者。だから 誰か が否と言ってあげないとね。氏ねとかじゃなくてさ。それは違うんだけど、大丈夫かい?って。円周率は3じゃあない。受け入れるしかないとわかってもらえるのかな・・・。
昔、彼と一緒に電車に乗ったとき、彼は光の速さで老人に席を譲り、一瞬遅れて俺も譲ったけど、立ち上がり、妙にドキドキしながら後を追ったのを思い出した。やべー俺が女なら求婚するわw
社会はいつまでたっても複雑で、複雑なままでも続いていくのは人間の努力かもしれないし、神が言葉遣いを学んだ故かもしれない。あるいは誰も彼も怠惰なだけなのかもしれん。んで、インターネットはイナゴの羽に乗りつつ、明らかにそのgdgdの版図を広げつつあって、既に社会生活のありふれた一つの場面になっている。「届いてしまったスパムは無視するに限る」みたいに、一つ一つ、確認していく必要がある。敗戦後の子供への教育みたいに、未来の破綻を防ぐため、パラダイムの上書きが必要なんだよな、たぶん。そういう教育って実際に行われているのだとは思うけど、子供が皆勤勉ではなく、大人が皆教育熱心ではないのは良くある話で。薄く薄く、数千年続いてきたようなものが、ここ数年で求められて、無視されて、社会を今現在形作る側の結論が、「フィルタしとけば良い」なんて話で落ち着きそうになって、クソが、あああ、そりゃmixiなんて一瞬で退会するわボケ、死ね、とはいうもののののののどうしたら最善か、なんて誰にもわからないよ。考えているうちに新しい波が横からやってくる。碇を下ろして船の向きを変えれば転覆は免れるだろうけど、乗ってる人間はいずれ死ぬ。子供が先に死ぬ。
fuckという単語あるだろう。まあ例えとしてはアレだけど・・・使うの難しいんだよな。どんな場面で言うかは映画とかyoutubeの動画をたくさん見てればわかるかもしれない。辞書をひいても用例が載っている。”What a fucker!!”なんて使いどころも想像付くよ。でも、実際は使ってみると白眼視で済めばいいとこで、あの国には銃があることを考えるととてもじゃないがコミュニケーションにおいて引っ張り出せる言葉ではないんじゃないか。AVGNの動画とかみればsitとfuckのオンパレードで、しかし大変に楽しそうなのにな、まるでその場に居るために必要な言葉に思えてきて、だから使ってみるのに、それは違うというのだ。ぼくは旅行に来たんじゃない。仲良くなりたいんだが・・・。違う場所ならこれはわかる話、複雑な生活の歴史を踏み固めた人々だけに通じ合うものがあるだろう。銃を持つ国民も麻薬が合法な国民もhentaiとharajukuでぶっ飛んでる国民もまったく理解に手間がかかる。では同じ場所でも違う世代ならどうか・・・インターネットならどうか・・・。
「ゆとり」という言い回しがある。ゆとり教育世代を蔑んだ言い方で、そんな言葉を遣うのは、ブラックジョーク的な軽口で無いならば、残念な人が良く使う印象がある。(それでも、リアルライフでは決して耳にしないぞ、そんなの)弱いものたちは夕暮れ、さらに弱いものを叩く。我々は新しい社会が怖い。世代が怖い。今までの忍耐や苦労を無かったことにしてしまう現実が憎い。今の価値観で反駁しがちになる。円周率は3じゃあないんだ!ざまみろ!だけど、そんなものはfuckの一言に尽きる。大事なものを護るフリをして、自分が通る道にまで地雷撒いてきたおばか。必死で旗を立てて探しているが、ほらほら、その傍でゆとりがノートPC広げてサクサクと安全ルートをこさえていきますよ?座っていれば地雷は踏まないが、付いていかない奴は死ぬ。大人から死ぬ。あるものは気が狂って駆け出して爆発してホームに人が立ち入って安全確認を行っているので死んだ。あるものは座り込んだままそこに駅ができて人が行きかってダンボールの中で死んだ。あるものは付いていくことを選んだが付いていけずに死んだ。あるものは仲良くなり、自分の持てる経験を提供し、威張らず、驕らず、賛美のうちに死んだ。何もわかっていない子供が一言、「おつ~^^」
怒りゃあしない。しかし、嗜めねばならない。世界が広いということよりも、複雑であるという事実によりお作法を叩き込まないといけない。本人に咎が無くとも、承服せずにはこれ以上進めないところまで、世界を広げたところにいる。それを拒んでも、コミュニケーションの平静を保ちながらに過ごせる環境というのは想像しがたい。インターネットとか現実に敵う筈もない・・・。それも学んでもらわないと。
「ら」抜き言葉がどうのって一瞬だけ話題になったよな。別に通じるんだからなんでも良いじゃん、って思ったよね?平安時代の言葉でも復興させるのか阿呆って思ったよね。その意思表示としてら。と名乗った、というのは嘘。言葉は変化する。そして社会は複雑だ。インターネットは足が速く、世代と地域と身分と言語を無視できる。自分は「ちょwwwww」とかいう言い回しを、いつの間にか受け入れた。イラっとすることはない。2chとか全体的に好かない感じだけど、は、そちらのコミュケーションはそないでっかー、とね。嫌いだったらスルーすれば良い。・・・のか?話がループしている。
貴方が逃げ出せば次の犠牲は、
http://www.youtube.com/watch?v=GSkGoFlOOVQスルーし続けた先は地獄でしかない。リアリティをもってそう言える事例はもう十分だ。十分すぎるほどに満ちた。コミュニケーションに応じた人々に、言葉の言い回しがどうとかで苛立っている場合ではない。ましてや拒絶するとか好ましくない。世界を受け入れることを説いているのは我々のほうではないのか?「私が寝たらみんな死んじゃう」はなんかもう名言だと思う。心閉ざす無かれ。
でも選挙カーはうるさいね。爆発しろ!クソが!!!!!
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meat UP
茄子を食いませ、安かったので。などと。思い出したのは間もなく自分の部屋につくかという按配。茄子といっても、麻婆茄子にするぐらいしかしらない。味噌炒めも美味しいが、具材が茄子とキャベツと枝豆ぐらいしかないはず。味噌もないわ。やはり麻婆茄子といきましょうか。
しかしコンビニでは売ってません。あの、「素」が売ってないのです。動揺を隠しながらもう一度棚をなめますと、おや、ミートソース。・・・・!(ぴこーん) しかして大変美味な夜の野菜食でありましたとさ。
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白刃
唐突に包丁が壊れた。危うく酷い怪我するところで、一人暮らしはこんな時にもリスクの高さを感じてしまう。料理にしか使わないとはいえ、手入れもしてない刃物を使っていたのが悪いのだ。さて、包丁の代替品などあるわけもなく、鋏で玉葱切って遊んだりもしたけど、買わざるを得ないということで、二年ぶりぐらいかな?包丁を買いに。
右下のほうのflickr窓で目にした人も居られるでしょう、オレンジ色の取っ手に、白い刃のセラミック包丁となりました。玩具にしか見えない。なんか子供に持たせたくないなー、喜んで振り回しそうで。いや、普通の包丁でも持たせたくないけど・・・。で。使い心地、良し。5000円のセラミック包丁がどの程度の品なのかようわからんが、まだかぼちゃに挑んでいないとはいえ不満は無い。ついでにスライサーとピーラーも買った。ええ、今まで包丁一本でしたのよ。にんじんじゃがいも刺身にレトルトのパック!・・・わしゃ豊島屋の若女将かっつーの。
スライサーは良いねえ。キャベツの千切り、玉葱のスライス・・・えー、そのぐらいか。ネギとか茗荷も便利かー。それら。生でもりもり食うには細かくして食うのが腹いっぱいで手っ取り早くて良いやね。ピーラーも良いねえ。にんじん、人参、ニンジンの皮むきに良い。じゃがいもは楽だけど時間は大差ねえなあ。大根は包丁のほうが早くねえか。まあ楽なのはちげえねえからな、ごぼうだあ?なんだねおまいさん、一人モンが牛蒡買って、どうすんのさ?煮付けるにしても、時間かかってしょうがないよっ!里芋ぉ?このうすのろこんこんちき!あれは皮を剥くってんじゃないよ、削り落としてるんだよぅ、ほんと馬鹿だねい。大工の真似してぴぃらぁで柱でも削りゃしないか心配だよっ。
とまあ睦まじくダイドコでやいのやいの言ってるってえと――、通りのほうからなにやら悲鳴が聞こえてきたようで御座います。
・・・ま、辻斬りが真っ白な刀を持ってたって話に進むんだけど、とりあえずここでは便利なもの買ったということで。
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イランにて
非常に強烈なので覚悟の程を。
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市民の掟
数年前。どうでも良い業種のどうでも良い場所でバイトとして日々暮らしておりました。会社員のはずなのに時折平日の昼から登場する営業職の方々、または近所の学生。戦後の日本を復興させ、そしていま一線から身を退いたご老。そのような方々が日々ご来店するなかで、自分たちは少なくとも、この店の中では、彼らと対等に、客と店員という立場で、同じ土俵に立っていると思ってた。しかし社会というのは、途方も無い物事に物事、物量の果てに成り立つ第二の物理法則であり、子供の持つ林檎飴が天体の運行に寄与せぬように、窓を拭いても星空の輝きは蘇ることのないように、つまりは、全く以って枠の外に居ったという訳。
市民税の請求額が、その頃のある一時の月収と同じぐらいとなっている。それをコンビニで一括お支払いしてきた。たまたま今月の給与にある案件の自分の取り分が入っていたから、そんなことも出来たのだけど、支払ってしまえば最初から自分のものではなかったと思える。社会は、だから、途方も無い物量の果てに聳える、その手続き、ゆえに、歯車、螺子、クランク、おじゃまぷよ、わざわざ私目の所得から国民としての崇高なる納税任務を遂行致しましたと生logを残すには一旦我々に支払ってからまた日の丸掲げてご入店、財布から、嗚呼さっき子供の頃を思い出しながらお菓子を買った、千円札が出てきた財布から諭吉さんを呼びだすこと幾度幾度、バイト店員が同じ向きに並ぶ諭吉のあまりの荘厳さに言葉を失った、側頭脈が火を噴くようにモーレツな国民の義務、のうぜい!ぱぱぱーぱーぱーぱっぱぱー♪ら。はレベルがあがった!
というわけで、子供の頃さ、冷凍庫にこういうの無かった?なんか、チューブに合成着色料のサンプルかってぐらい怪しい色の砂糖水が詰まってて、凍らせてぽきんと折って、ちゅうちゅう吸うやつ。もう三時間ぐらい放り込んでるんだけどまだ凍らないな。冷凍庫がしょぼいからかなー。
今年は財布を紛失するなど憤りと失望の中で始まった。もうじき半分を過ぎ、その失態とは無関係にまたいろいろネガティブ要素を奉納しておるが、日々を亡骸に埋もれながらも生きたい所存、是。