• ふでのゆくまま

    日記

    映画のデビルマンが救いようのないsucksだったのはこの身を以って確信した。漫画のほうは名作だ名作だと言われているので読んでみたが、そこまででもなかった。まあ単純に古いからってだけかもしれない。当時はそりゃあすごかったんだろうさ。なにせ世紀末を一回くぐり抜けているからな、我々。

    ベルリンの壁に立ち尽くす人々。はっきりと記憶に残っている。激動、激動と年末番組の売り込みに必死だったCMも懐かしい。今年も激動などと煽るに相応しい事態ばかりだったが、まだあと十日以上ある。もう一声あるのではないか。自分が巻き込まれなければいいけどな。

    じょんいる死去の報に、日経平均はがくっと値を下げた。なんでやー。ご祝儀相場にならんかい!まんせー。ほれほれ。

  • ふでのゆくまま

    水葬場にて

    湯船にて呆けていると視界の端で何やらうごめいた。おそらくは六本足のあいつだろう。怖くもない、ただこちらは湯船に浸る体勢であり、つまりは裸体であり、素足で踏みつけるのも躊躇われるのは文明の縛り。人類はそれに甘えて彼を踏みませんでした。ああ、また徳を積んでしまったよきかなよきかな。

    と思ったんだけど、フロアを見つめる視界の上からゆらゆらと何か降りてきた。八本足のあいつだった。蜘蛛は益虫などという言葉を信じ、適度に生かしたままにしてある。とはいえこんなところに登場されるとちょっとな、と思っていたら、そのまままっすぐに、便器の中へ降りて行った。やや間があって、俺はレバーを大の方へとひねり、轟音と共に押し流した。死ね!死ぬのだ!

    つげ義春の漫画で、火葬場で釜に閉じ込められた同僚を焼いてしまうという話があった。あの一瞬の迫力が好きだ。人間の情とはなんだろうか。文明は産業を産み、暇人のアートがそれを弄ぶと申します。叡智を愚弄するかものども。情はゆらめきつづけてなお、ひとところにあり、我々はそれを遥かな谷底にみることも、頭上15センチにみることもできる。すべて私の物、しかし命の処遇は巡りの果てにて、仄暗い水道管の中。穢れを払うに焔と水の業がありて!!体一つで居りました由、焔には贖えませぬ由!

    肉を食え。

    湯気、凍る、ある冬の日の出来事で御座いました。

  • F.U.C.K.,  ふでのゆくまま

    おすすめのごほんは?

    知人におすすめの本を訊くなら自分も挙げねばなるまいて、しかし自分は読書家でもなくなってしまった、ということで。→にバナーも貼ってるけど、アンソニー・ボーデインの「キッチン・コンフィデンシャル」が最近は面白かった。そこそこ古い本だけどね。

    あとは過去に読んだ本の印象など、インターネットで全部吹き飛んでしまった。捨ててしまったからかも知れない。本棚には中谷美紀のインド旅行のエッセイ(しかも一巻だけ)とその「キッチン・コンフィデンシャル」があるだけ。伊勢物語は退屈で風呂で十分ぐらいでやめてしまった。何度かいろんなとこで書いてるけど、心にぐっと来る物は本棚からはなくなってしまった。世間の書店にもまだあるだろけど何でか何年も足が向かないね。

    媒体が変わった、というだけで俺の好きなものは世に溢れている。失望することもないさね。

    あー語ることもないわー。うんこうんこー。

    もともとエッセイとか旅行記、ルポタージュ風の手記とかが好きなんだけど、そういうのってそれこそインターネットのものになったし、そりゃ本も読まないわ。

    あのねえ、こうまでして本を読まない正当化理由を書き連ねるということは、読まないことに何か後ろめたいものがあるのだよ。例えば本を読むことがインテリなら、インテリに思われたければ本を読むだろうさ。人間は感情豊かであるべきだと思うし、心の有り様でとらえる世界の渕こそ美しけれとも思うし、だけど情報はインターネットにあり、知性はインターネットにあり、感情の紬もインターネットにあり、これ事実でしょう。

    インターネットの無い環境なら読むか?読むだろうけどそんなお膳立てありなら猿だって興味を示すだろう。

    また、読むことにも後ろめたい何かがある。どうしても書籍というか文庫本小説?とインターネットのfacebookやらtwitterやらそこらのブログとの間に、両方選んではいけないような壁を感じる。提供の容態が違うだけじゃないか。なんで本を手に取ることも、捨てることも共に後ろめたい??

    ここに破壊の意志が本に対して向けられることとなる。これが本を書く人間や、読む人間への敵意ではなければよいのだが。年に一度か二度、手書きで縦書きという「本来」のフォーマットで文章を書く機会がある。文字は恐ろしく下手くそで、そこに心の篭もる余地は無い。ああ、後ろめたいのはこれかあ・・・。クソが。

    じゃあインターネット上でおすすめなのって言われてもなー。でもま、ま、例のいとやなぎさんhttp://itkz.blogspot.com/は天才だとおもう。この意見はインターネッのみではなく、一般的な社会人(俺とか)たちの間でも支持される意見です。特に読書や書籍が好きな人。

  • ふでのゆくまま

    ここのところ流石に寒さが厳しくなり、また雨なんかもシトシト降ったりして油断すると体調をくずしてしまいそうな日々でござい。

    先日見た実写版の「デビルマン」DVDは奇跡の失敗作でありました。しかしながら原作というか、永井豪の作、漫画版のデビルマンは希代の名作であるという。実写盤デビルマンのクソ映画という評価も圧倒的だけど、漫画版の名作という評価も圧倒的なものでした。しからば全五巻、大人買いにて揃えようと思ったんだけど、ネットでは一回のオーダーで全部揃えることが困難。こ、これは、数年ぶりに書店でごそっと本を抱えて会計するなどというレアイベントが勃発フラグの北風に靡くは!!

    実家からみかん届くらしい。この部屋に住んで以来一度も使っていない(友人が牌とマット持ってきて麻雀したときに使ったかもしれない)こたつを出したくなった。なんでまだ捨てずに置いてあるのか・・・たたんで立てかけて置くとそんな邪魔でもないんだよね。

  • F.U.C.K.,  どくしょかんそうぶん

    実写版 映画「デビルマン」は評判どおり・・・か?

    緊急

    amaoznプライムビデオでこの作品が見れるようになっています。(2018/3/16現在)amazonのプライム会員の人は無料で見れるという事です。絶対に見ましょう。スマホでもamazonプライムビデオの公式アプリ入れれば見れます。

    追記:検索からいらっしゃる方が多いので、追記。結論から言うと、映画の内容は評判どおりで、その突き抜けた評判を体験するために是非とも見ることをおすすめします。プライスレスな価値がある。

    世界でも有数の映画大国、日本。(←ひとむかし前のことかもしれないけど)その日本で圧倒的な評価を得る映画、「デビルマン」を見るとする。その評価はどのようなものか、知らない人のために書いておくと、著名な映画批評サイトではこのような圧倒的で揺るぎない評価を得ております。また、世界一有名なネットショップでもお買い上げ、あるいは映画館でこの映画をみたような方々に、圧倒的な、このような評価を得ております。リンクを踏まずにこの映画も知らずに続きを読む人の為に言うと、「クソだクソ!うんこ!!」という評価を得ております。圧倒的なまでに。

    となれば当然、見たくもなる。いつか見たい見たいと思っておりましたが忘れていて、この年末に思い出したものですから、まあ、今年のネタとして消化しておく必要があると感じまして。DVDを手に入れてしまいました。見てしまいました。以下、簡単な感想などとりとめもない感じで。ちなみに、自分はデビルマンの原作漫画は読んでなくて、普段から映画もそんなに見る方ではない、かつてあったというデビルマンのテレビドラマは見たことが無い、アニメ版のデビルマンと、とんねるずのパロディは見たことがある。といったあたりを含めて読んでくださいませ。

    以下ネタバレ的な可能性あり

    映画を見始めてほどなく、主役の芝居がうんこであることはすぐにわかった。役者個人の演技力というものがこんなに大事だったとは、映画や芝居に詳しくない自分には新鮮な発見ですらあった。テレビドラマもほぼ見ないからなあ。この主役の演技力という点はあらゆる方面で酷評されている。自分が感じたひどさも決してそのバイアスなんかではないと思う。今までの人生で見た映画はわずか100本ほどではあるものの、こんな違和感を覚えたのは初めてだし、戸惑いもした。

    ちらりと著名人が映るような演出をカメオ出演というらしい。この映画ではふんだんに出てきて、そこも批評の対象であった。意味もないのにあまりに多すぎるという文脈の批判が殆どで、この点にも完全に同意する。例えば、ボブサップが出演する場面。なんで英語ニュースなんだよ。ボブサップが英語を話すから?それ以外に理由は見当たらないが、無理やり大人の事情で出演させるなら良いアイデアだとは思う。準備すらいるまいw 小林幸子はなんだったんだ。きたろうは。konisikiは。このぐらいしか分かったのはいなかったけど、探せばもっといるのかもしれない。田んぼで捕まったの、鳥肌実じゃない?→調べたらそうだった。酷評されているほどには、自分は気にならなかった。こういうジョークだという理解。傑作である原作の雰囲気を損ねるのではないかという意見もあるだろうけど、その原作を読んでいないわけでして。ただ、プラスになっている点は微塵もないことは間違いない。

    映像は結構頑張っていた気がしなくもない。夜空を飛び回って戦うところとかね。ところが他の方々の批評を見ると、「時代に十年ほど遅れている」といったような批判が浴びせされている。「初代プレステのゲームの方がまだマシ」とか。自分は新しいゲームに疎いのでその批評についてはピンとこない。小道具とかの安っぽさという点も批判するほどのもんでもないと思った。これについては、自分の中に「日本の映画だからこんなもんだろう」という思い込みがあるし、もっと酷い点がなんだそのえーと満載で。

    シナリオも酷評されまくりである。原作読んでないから設定上のツッコミどころみたいなものは個人的にはない。学校からオープンカーで帰るのは吹いたが、原作もそうらしいからまあしょうがない。原作があるのにシナリオが酷いってなんだろう?と思ったが、自分の知っている「シナリオ」という言葉が、批評を良くやるような映画ファンがいう「シナリオ」とは違う意味なのだと思う。

    そういうわけで、以下の点がシナリオの問題という範疇に入るのかわからないが、この映画は全体的に「あれ?なんでこの場面になってるんだ?」みたいな展開が多い。カメラワーク云々といった技法的な話はわからないけど、同時刻別場所の話なのか、同じ場面で時間が進んでいるのか、といったところが把握しにくいというか。この点に対するツッコミはこちらのサイトとかまとまってて面白い。CGじゃないならば、作中に出てくる場所に実際に移動して撮っている筈で、「なんでここで撮影してるんだ?そんな展開あったっけ?」みたいな疑問は現場でなかったのか。

    そして、「棒読みの台詞」がもっともシンプルに突き抜けて酷く、酷評喰らっている点だと思われる。こんな適当な言い回しでいいの?って思った。感情を込めないという演技でもない、単純に下手なのだということが誰が見ても分かるレベルって尋常じゃない。「おれーでーもんになっちゃったー」は酷い。平仮名でこのニュアンスが伝わる日本語文化万歳。戦闘の場面でも気の抜けた声で「やっ」「ふっ」「ぐあ」とかやっている。どうせアフレコなんだからもっとなんとかならなかったのかこれ。

    ああもう感想文もいいや・・・評判どおり、うんこでしたー!!!うんこうんこうんこうんこ

    正直に言うと。原作も見てない、日本のテレビドラマも見てない自分には、ありとあらゆる酷評を受けている作品といえども、もっと素直に受け取れる何かがあるんじゃないか、なんてと思って見るつもりだった。もちろん「うはwwwほんとに酷いwww」というのも期待していたけど、後者の期待だけが叶えられた。

    この作品の一番の謎は、実際の作成現場である。映画の撮影現場、大量の人がいるだろう。予算十億円の映画、それなりに腕利きのスタッフも、現場のプロもいるだろう。そもそも監督。嫁に脚本書かせた手前自暴自棄になったのか?なんでアレでOKになるんだ?現場の士気の低下っぽりが目に見えるようで怖い。さも当然のようにDVDの特典にはメイキング映像はついてない。出せる分けない。

    やっぱり特筆すべきだと思うのでここで改めて一つのシーンについて書いておくことにする。作中、研究所の水田?で、稲刈りをしようとしたときに、デビルマンが腕の鱗?みたいなものを、隣の人に見咎められてしまったときの演技が凄まじい。天を仰いで「あああああー」・・・・はあ。叫ぶとか表情を作るとかもない。これが叫び声ならば何かあったかと思うのが人間の仕組みというやつだろうが、これは全く異質なものだ。これが下手な演技だったと理解するにすら少々時間を要する。気づいた後には大げさに言えば寒気を覚えた。酷い、という前評判前提で見ていたから、何か気になる場面があってもニヤニヤしていたんだけど、この場面は眉間にシワが寄った。

    まとめ:一つ。やはり映画には俳優の演技力が必要。せめて主役級は俳優を出演させてください。自分は今まで、映画なんてせんべいでも齧りながら気楽に時間つぶしするようなもんだ、と、思っていたのだけど、そんな風に見ていても結局はそのすべてが作り出す作品世界にのめりこみ、心奪われていたのだと思い知った。そういうことがこのデビルマンを見ることで気付いた。・・・この・・・・悪魔めっ!!!ざわ・・・。

    【追記】原作の漫画も読んでみたけど、残念ながらさほど面白くもなかった。まー古すぎんだよな、もう。