どくしょかんそうぶん
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“Voyage of Time”を観た
( ゚Д゚)ハァ?
以上。
「商用利用可!無料映像素材集!」を観たと思うしかないよこんなの。
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「湿地」を観た
ネタばれしておりますよ。
観始めてすぐ、おっ、英語じゃない、と気づいた。そらあたりまえだ。しかし何処の言葉なのか。俳優が西洋人なので、ヨーロッパ圏だろうな、ということ以外は全く分からないまま…しばらく観ると、作品の舞台が判明する。アイスランド。個人的には湿地というイメージはないがはたして。
ある殺人事件を警察が追っていくと、そこでいろいろなことが明るみに出ていくという…これ自体はよくある筋書き。そこそこ面白かったけど、人物名が多くて途中で話の筋が分からなくなりかける問題。自分にとっては毎度のこと。しかしながら…本作においては人物の関りに加えて血縁がストーリーのキモでもあるので、少しもやっとしたまま筋を追った。うーん、見終わってから振り返ると、もったいないことしたかな?
序盤、似たようなBGMが何度も入ってくるのが耳障りにすら思った。なんか間が悪いんだもの。そのような些細な点は静かに重々しく続く作品の雰囲気で、掻き消されていく。知らなかったのだけど、原作がベストセラーのミステリー小説らしい。なんも無さそうなところに驚きがあり、一方じれったく引き伸ばされたり、「ははーん…」って気づく点があったりして、しっとり上質な印象。主人公が食ってた羊の頭のグリル弁当もしっとり上質なんだろうか。ビジュアルがすごくてビックリした。
淡々とじわじわと、仕舞にはなるほどという展開で物語は終わる。最後には主役が意味深で内省的なセリフをしっとりつぶやいて終わる。映画的、あるいは芝居的な様式美の一つだろうか。個人的にはあまり感じるもののないセリフだった。このセリフを言わせたいがための物語とは思えなかったというやつ。
ミステリーというカテゴリであり、目頭の熱くなる場面もなかったし、心に刺さるものも個人的にはなかった。物語の始まりとなる殺人事件、その悲しい動機にしんみりする…とともに、少々突拍子もないという印象も。そもそもが、話が膨らむきっかけになった写真とか引き出しの裏の封筒とか、その現物があるということ自体が不自然だと思ってしまうんだけど…。んまぁ、首をひねったのは冒頭のBGMと、この辺だけか。
見終わってから調べて驚いたのだが…視聴中にも、作品の雰囲気が「ファーゴ」に似ているなって思っていた。ファーゴもそういえば一人の警官が事件を追う話。うら寂しい曇り空と冬景色。実際、ほかの人の書いたレビューなどを見ると、同じような感想がぽつぽつと。確かに、「ファーゴ」を気に入った人には合う作品かもしれない。
もう一つ、googleマップで作中の舞台となったレイキャビク北部や海沿いあたりを適当にうろうろしてみた。狙っているのか、というぐらい作品のイメージどおりの、薄暗い灰色の雲と、霧の街並み。地図データによれば撮影は7月なのだが、上着を着て手袋の人から半そでのポロシャツの人までいる。平均最高気温は14度だそうな。
アイスランド自体が日本の地方都市程度の人口。近年は旅行先に選ぶ人が多いと噂される場所だが、確かに感傷的な雰囲気になる。地方都市が舞台の映画というのは、その風土を感じることができれば、また一層面白みが増すものかもしれない。…いや、レイキャビクは首都ですけども。
ここでもう一つ、地方都市を舞台にしたカットバンクのレビューが次に控えておるわけであります。
以上。
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“Shutter Island”を観た
評判によればいろいろ謎解き要素が多い映画、ということらしいが、そんな前情報も一切なく観た。見終わってから上記のような評判を聞き及び、何か思い当たるフシがなかったかなあ、なんて振り返りながら、そしてちょこちょこ映画を巻き戻して再生しながら書いております。きっと、「作中に真実(=製作者の意図)に繋がるヒントが隠されていた!」という類の映画が大好きな人にはたまらないのかもしれない。ところが自分はそうでもない。あらま。
以下、確信めいたネタバレ~。
心の病により、孤島の施設に放り込まれた人々。そこへ、〇〇が失踪したと連絡を受けてやってきた刑事二人のお話…なんだけど、ドタバタして最後には夢オチみたいな展開に。これはどうやら、映画の観客が見ていた世界は、心を病んだ主人公の妄想の世界だった!…という仕掛けらしいんですが、個人的にはその説明に素直に納得できるかと考えてみますと。うーん、どうだろ。
妄想の世界の出来事だから何でもありなんです、なんて説明になってしまうんだろうか。全部妄想でしたー!みたいなの、江川達也のあの漫画じゃあるめーし。勿論、観客がいくらなんでもおかしくねーか?と思う場面はある。崖の途中の洞窟に人が隠れている場面とかそうだろう。
他にも細かく、注意深く見ていると、何か気付くことがあるという事だったんだろう。先にも挙げた、なんか合点がいかないところ。素直な解釈ではちょっとおかしいのではないか?と小首を傾げるところが、隠された真実とやらの扉なんだろうか。森の中を車で移動する場面が、如何にも合成してますというふうに見える点はとても気になっていた。プリオ様は売れっ子だから、なんかの製作上の都合でこうなったんだろうなんて思ってた。もしこれが物語の核心に迫る、意図した演出だったら驚愕である。でもどっちかというと、くだらないなーという感想の驚愕というか。
他に気付いた点は(作品見れば誰でも気付くが)冒頭、島へ向かう船上の場面から何故かタバコがなく、同行者に勧められたものを吸うとか、時折口にするクスリと飲み物。入院患者とのやり取りで渡される「RUN(逃げろ)」というメモ。このメモの場面があらすじの解釈を複雑にしているのだと思う。同行者も病院の人間であり、島にやってきたという部分から妄想というストーリーが暴露されるのだから、「 RUN(逃げろ) 」というメッセージのやり取りは、実に自然に主人公が部外者に見える。これが妄想だと思えるような仕込みはあったかしらはたして?
さて、真実(=製作者の意図)は如何にありや?というところなんだけど、ネタバレサイトで情報を漁ると、やっぱり「RUN(逃げろ)」のメモが解釈の分岐となっている、みたい。誰かが主人公を陥れて精神病患者に仕立て上げようとしているのか、あるいは主人公は病人でその妄想が続いている+すべて病院が用意したシナリオ通りなのか。だとすれば、まんまと製作者の意図通りに鑑賞したということになるのかねえ。どっちにしても合成っぽい森の場面関係ねえか。あれは本当に合成だったのだ。なんだよ本当に合成って。
もっと細かいところに言及されたネタバレサイトの情報によれば、制作者の意図は「これは病院の用意したシナリオで、みんなで治療の一環でお芝居をしている」というところに落ち着くらしい。つまりこのストーリーは夢オチではなく、ドッキリだったわけだ。そして、随所の細かい演技にも、これが病院のお芝居であるということが読み取れるだけの情報があったと。
ネタバレサイトを見直して、そういえば嫁が子供殺したくだりあったなーなんて思い出す程度なので、そんなところに気付きようもない。ナァニ映画なんぞぼんやり見るもんではないか。でもたまに、何かの仕掛けに気付くことがあったりして、それはそれでご満悦なんですよね。具体例は思いつかない。
このレビューの公開時点で、次にこれを観ようと思うストックがなくなった。そして最近は、ネット上でぼちぼち配信されている数十分ぐらいのドキュメンタリーが実に面白いと思っている。英語の聞き取り練習みたいなもんを兼ねる感じが良い。ここに挙げた映画のレビューもほぼ全部英語音声日本語字幕で観たんだけど、より一層、英語拠りになる。ゲームの配信なんかと違って、あらすじ程度は完全に把握しないと見た意味がないし、細かい表現が理解できないとその主張する内容を誤解する。イキフンはハードコアですね。やっていきましょう。
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“沈黙”を観た
ウォッチリストに入れていたら、いつの間にかAmazonプライムの無料枠になっていたので慌てて拝見と。もちろん以下ネタバレ。
テーマとしては何をいまさら感のあるもの。「神は何も言わなくなった」なんて初期の大友克洋の漫画にも出てきた台詞じゃないかな。言わなくなって何年にもなる。これは1980年代かしらん。ニーチェという哲学者は「あいつ死んだんじゃね?www」などと言ったとか言わないとか。物語の舞台はキリスト教を禁じた時代の日本。とっても苦難の道でした~というお話。そういえばこの「沈黙」の原作である遠藤周作の小説は、ブックオフで買って読んだ事がある筈なんだが、何一つその記憶に結び付く場面がなかった。本当に読んだのかね。自分の記憶も何も言わないものでありました。
さて、現在、ここ、日本。
都市部では街中に教会を見かけることも珍しくはない。ご近所の景色を思い浮かべると…自分が日常的に徒歩で買い物でもする圏内に、二か所ほど教会の存在を確認できる。となれば、教会自体がそこまでレアだという訳でもない。それでも、”日本人で”クリスチャンという人には人生で二度ほど出会ったことがあるだけ。数は少ないよ。休日に教会の側を通りかかるとき、中で礼拝のようなことをしている様子を見かけたこともあるが、そこには西洋人の顔が必ずあった。映画の様になにか使命を帯びて日本に来ているのかもしれないし、単に日本に移住してきただけかもしれない。彼らのお仕事なのか日常なのか、何とも判別は出来ないが、いずれにせよ教会でのイベントごとを日本人だけで何か行っているという印象がない。現代の日本でクリスチャンが一般的である、とは言い難く、なんなら物珍しいぐらいは言っても誤りではないのではないか。
大航海時代の幕開けと共に、教会の関係者が現地を訪れ布教を試みた筈の地域は、現在どうなっているだろう。日本もだいぶ時期がずれてはいるだろうが、アフリカとか南米と同じように教会関係者の西洋人がやってきた地域ではある…。当時日本の様に諍いがあっただろうか。今は南米、南アフリカはキリスト教に染まってしまった。日本ではそうならなかった、その原因を、作中のような江戸時代の政治的判断だけに求めて良いものだろうか。いや、その疑問に答える趣旨の作品ではねえと思うんだけど、この宣教師を野良のクジラに見立てたような思想をする人がですね、云々。
作中の「英語を理解する日本人が沢山いる、なんなら貧しい村にも」という設定は映画の都合すぎてズルい。サイヤ人が地球の言葉理解するみたいな。もうエスエフを感じてやまない。そんなわけねーだろってなる。他の村と道が繋がってないような海沿いの山間で…。当時は文字だって読めない人が殆どだった、というのが自分の知る処であるが、どうだろう。ま、そのぐらいのご都合は映画なんだから世の中にいっぱいある。あるんだけど、この宣教師と日本の人々のやりとりは、この作品のメインの部分じゃないかと思う。それをこんな違和感を覚えたままで消化するしかないのか…。あっ。よく考えたら原作があるじゃないかこれ。原作もこうだったんだろうか。ポルトガル人(?)が日本に来て英語で農村の村人と会話する。史実はどうだったんだ?キリシタンは実在したんだろうけど、宣教師と会話??
映画自体は面白いと思うけど、”転んだ”宣教師とのやり取りの場面もなんとなく迫力欠いたなーとか思ったり、先に挙げた言葉の問題もあったりして、いまいちスッキリしなかった。エスエフではなくてもフィクションではある。わかっているけども。文字表現だと何故かペラペラ会話が成り立っても、その描写を読むこと自体に違和感は憶えない。ところがこうもはっきりと映像にしてしまうと怪奇にすら感じる。胡散臭いわ。史実はどうだったんだ。宣教師など来ていない、ぐらいのほうが真実味があるのではないか。
クリスマスがもう近い。結婚式はチャペル、新年の祝いは神道、死んだら仏教。柔軟なのか節操がないのか混沌なのか。100年内戦が続いても元首は形式上は敬われ、おそらくは面倒事を押し付けられるような恣意的な利用されたりもしつつ、曰く、少なくとも1000年の歴史がある。まもなく200年ぶりの譲位イベントだ。それが神様扱いでもあったんだってさ。人間である、などと宣うも、未だにその位のものだけが執り行う宗教儀式があるとされている。あの神父たちはどう思うだろう。
えーと、その他作品の内容としては音楽がやかましくないのがとても良い。あとイッセー尾形もさすがに歳を取りましたね。しかし兎に角、スムーズに会話がされている事自体の違和感は日本人なら拭い切れますまい。これにつきるかなー。
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“帰ってきたヒトラー”を観た
これはたまたまなんだけど、「沈黙」と続けてこれを観た。神は何故に黙ったままなのか、という作品と並んで総統閣下が庶民をまくし立てる作品を観るというのはより一層愉快でありました。もちろんネタバレ。
さてさて。これは風刺色の強いコメディという枠の作品ではある、と思っている。ヒトラー今ここにが戻ってきたらどうなりますかね?というテーマ。史実を知るものであればそら何か起こるでしょうという目論見となります。ええ、今ここにヒトラーが。
「いやあどうなるんだろうか」
映画の設定ではなく、ここに、街中に。貴方の隣に。
「えっ」
街中にヒトラーが出て行って会話する場面で、時折顔にモザイクがかかったりするのは、そういう演出なんだろうと考えた。つまりはいわゆるエキストラの人々であり、本当にそこいらの市井の人々ではないと。だってドイツではナチス敬礼の真似しただけで処罰の対象って言うじゃないですか。そんな明示的に表現の自由を制限するの、実は珍しいことなんじゃないの?そうまでして否定したい(しかし勿論無かった事には出来ない)出来事だという訳であります。街中に登場しても、当然カメラがいてクルーもぞろぞろと一緒に歩いているんだから、何か撮影中だとは理解するだろう。悪趣味で恥知らずで教育の足りてないユーチューバーの仕業と思うかもしれない。やはり、無関係な人々は、この度が過ぎた作品の関係者だと思われてはたまらないという感情になるかもしれない。ということは演出でもなくて、本当に顔を写してはマズイという意味のモザイクか?
はて?と頭の片隅では疑問に思いつつ続きを見ていると、後半には極右政党の人物本人が登場し始める。名前ググったわ。実物じゃねーか。ええ…これも台本通りの演出ですよね…?自分は打ち合わせして置いて、画面ではしてない体って演出は嫌いですよ?
こうして見ているうちに、街中の人々の何処までが仕込みで何処までがアポなしで本気なのか訳が分からなくなる。どうなってんだこの映画。気は確かか。いいぞもっとやれ、やいのやいの。どっかにメイキングの映像でもないものか。撮影クルーは襲われたりしなかったのか。
大人なら一度は、ヒトラーがどのように支持を得てあの立場に収まったかをおぼろげながら聞き知ったかと思う。ナチス政権下での国内政治は実に規範的に上手くいっていた的な話も一度は耳にしただろう。自我の薄い気真面目君に「我が闘争」を読ますとああいうものに染まるからやめておけ、みたいなアドバイスをどこかで耳にしたことは?
この映画では、もし彼が本当に戻ってきたら?こうなるのではないかという予感を現代を生きる我々にぶつけてくる。くだらないジョークや映画的愉快な演出でパロディの体裁は保っているが、見ていると、これは起こり得ると確信を抱いてしまわないだろうか。この思いは破滅なのか?希望なのか?彼は実在したのだ。
フィナーレではオープンカーに乗って街を行く。見かけた人々はどのような行動を取るか?なんでもSNSで拡散されていく昨今、撮影はこの場面が最初に為されたんでは?と訝しいほどに人々のリアクションがどストレートだ。それが現代あの土地で生きる人の自然な感情ということであり、彼の面影を模すること自体への評価なんだろうか。
総じてあの体験は人類にはネガティブなものだったという事になっている。一方で、”どちらか”に都合の良い事ばかりが取りざたされてきただろうことも事実だと思う。そしてこの映画で採用された場面も作り手に都合の良いものばかりだという事を忘れてはいかんのだが…。ともかく!時を経たからこそ言えることもある。さあ思い出を語ろうじゃないか。まだ語れる人はいるかい。
…いまだに顔写真の一葉で人類の歴史の一つの象徴だ。全く以て総統閣下は、—-。