どくしょかんそうぶん
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「ビッグ・クラブ・パニック」を観た
でっけえカニ人間ヴォーっていうお話。
正直なところ内容はまあどうでも良くて、お安い予算で作ったいわゆるB級品というものです。しかしながら、ちゃんとした映画の体裁になっています。どう言ったら良いのか…真面目に手をかけて作っている印象…とでも言いますか。俳優の皆さんもちゃんとしてらっしゃる。
しかし戦車みたいなでっけえカニは実在しないので、映画に出演させるには作り出すしかありません。実在しても出演は無理か。今作品では、動きのない部分は模型で、動いている所はCGで対応。このCGの微妙なチープさが、現代に於いては如何にもB級の味がある。他にも、暗い場所のシーンだとか、音の聞こえ方なんかにもチープさが出ている。
これがどうも、小さな規模、あるいは個人で作られたゲームなんかを連想させるわけです。プログラム、ゲームのアイデア、シナリオなんかは良いクオリティになっていても、同時に作曲とか効果音、また高度なビジュアル製作までこなすのってとても大変。専門的な知識とか時間が追いつかない。とはいえ予算もないとなると、「なんとか頑張ったんだなあ」という感じのものが出来あがる。
本作も現代のハリウッド産に比べればそら見劣りするものの、負けてはない。頑張っている。「この場面無くすかー、みたいな妥協しなかったんだSUGEEEEEEE」って驚きが生まれるほど。見どころはそこです。
とはいえ、全体的に単なる与太話。甲殻類の守備範囲を広げたいという不可思議な人以外にはお勧めできません。
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“世界侵略のススメ”を観た
原題は”Where to Invade Next”で、「次に侵略すべきところ」みたいな意味か。映画の内容を加味して、学問のススメから邦題を頂いた、という感じでしょうか。以下ネタバレでござんす。
先ずは都合が良い事を言っているなあという印象。映画の造りは、戦争に勝てないアメリカ首脳陣に憤慨したマイケルムーアが、世界からアメリカのためのアイデアを略奪してくる、という筋書き。「アイデアを頂いた、アメリカ国旗を立てていく!」って勇ましい演出で如何にもコメディっぽいけど、インタビューや現場への潜入は実に普通に行っている。だもんで…なんかこう、ヘコヘコと御呼ばれしてお国自慢だけ聞いて返された老人に見える。ひったすらに”素晴らしいこと”ばかり聞かされて、もっと突っ込むところがあったりしなかったんだろうか…。という疑問は映画のオチで納得する。冒頭のは世に言う前フリってやつだわな。
マイケルムーアのリアクションは実に自然で、かつ作品の全体的な流れに沿ったものだと気付く。「さあさアイデアをよこし給え」と凄んでみたものの、「あら、うちでは当然でござますわよ、お隣でもね。ヲホホ…」って返されて( ゚д゚)ポッカーン…。こういう体のリアクション。まあ侵略に来た!なんて前フリ忘れてんだけど。
「お国自慢を聞かされて」って書いたけど、実際は自慢でもなく、その国の単なる日常。そしてそれは日本人がみてもうらやむようなものも多かった。イタリアの労働環境、フランスの給食、アルメニアの教育、etc…あとは自分で見てやってくれAmazonプライムで無料枠なので。日本人が見ると多分胸にもやもやが残るのは死刑制度とか囚人の扱いとかだろう。自分もああいうのを見ると文化の違いというか、物事の割り切り方?の違いというものを感じる。この国には親の仇を云々の頃から、悪人はその罪に関連する正当な権利者によって報いを受けるべき、という価値観があって、それはもう揺るがないんじゃないかと思う…なんども引き合いに出されてしまう事案だけども、ブログで触れるからにはリンクは貼っておくものだろうか。
マイケルムーアと登場人物のやりとりは実にリラックスした雰囲気の、気さくなものである。だけど、社会の仕組みなんかの話はみんな真剣に耳を傾けるものなんだろうか…さて…。映画のオチは、最後にマイケルムーアによって語られる。「略奪に訪れたアイデアとやらは、実はアメリカ生まれの物がいっぱいあった!」ということ。アメリカでかつて為し得たことが、現代では蔑ろにされているのではないか?という問いかけになっているようだ。労働や教育、どこの国でも問題を抱えており、その対処は様々で。この作品ではかつてはアメリカ発であった(とされる)アイデアで、訪れた国では素晴らしくうまくいっている事案ばかり並べられているように見える。しかしネガティブな効用だってあるんじゃないだろうか。失敗だってあったろう。ところがそんなところには無粋なツッコミは入れずに映画は語られる。ここが少々物足りなさを覚える。あるいは本当に無いとでもおっしゃって?ヲホホ…。
この作品自体はとても良い。素直に受け取れる点も多い。マイケル・ムーアのアメリカに対する愛情を感じる。あるいは憐みかもしれない。でも、これを全部鵜呑みにするもんでもないと思う。「実はアメリカ生まれの物がいっぱいあった!」というオチを言いたいがために取材の対象も、テーマも選別しているだろう。数十人の子供らが犠牲になった事件を引き合いにだして、たった一人の犠牲者の親御の意見でまとめてしまうなんて、ヌルいというかズルくない?世界の何処にもユートピアなんてないけど、その土地、その土地でやっていくしかなくて、覚悟と努力となんなら犠牲もあった筈なんだよね。そういう話は出てこない。いやースバラシってずっと言っている。
でもこんなの見せられては、うっとりしてしまう。はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~と長いため息して、腰を抜かしてしまう。立ち上がる気力ありますか。我々はとてもじゃないが上手くいっている国に属すると思えない。どっちかと言ったら社会の未来は暗い。何か繋ぎ止めるものを渇望していると思う。やはりうちの国からも誰か侵略者を出すべきなんだろう。幸いなるかな、みなさんは個別に侵略することができる時代です。ちょうど教科書に出てくる文化人たちが、かつて欧州で学びそれを持ち帰ったようなことが。
あゝこれにて正しく世界侵略のススメと。
映画自体は面白いです。「ほえ~そうなんですね~」って眺めるだけでも心に響くものがあります。でもやっぱり、どこか眉唾なんだよね。真実を追い求める的なテンションではないことに留意して楽しみましょ。
あと「イタリア人はいつもセックス直後に見える」は名言。
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“All or Nothing”- Manchester City を観た
Amazonプライムによる作品。イギリスのプレミアリーグに所属するサッカーチームの密着系ドキュメント。想像していたものを遥かに超えるクオリティで、世間で評判になるのもわかる。その理由も何となくわかっていく過程がまた楽しいというか…サッカーに詳しくなくても楽しめます。流石に簡単なルールと用語ぐらいは知らないと盛り上がりに欠けるかな。
画面が広く、明るい。
自分が過去に見た事のあるスポーツのドキュメントって、あくまで記憶を頼ったイメージでしかないけど、なんというか暗い。インタビューはホテルの部屋。トレーニングは小屋の中、リハビリは診療室。ところがこの作品はあかるい。広い。この作品の舞台は世界で一番人気のあるスポーツの、レベルのかなり高いリーグで、わりと資金にも余裕があるであろうチーム。そういうチームの裏舞台や設備なんかが見れるだけでもすげーーーってなる。
ドキュメンタリーが張り付いているのは選手たちだけではない。何よりもチームを率いるジョブズ系の見た目の監督と、巨大なチームを支えるスタッフたち。なんなら追加で、NBA選手系の見た目のオーナー。そしてファン。このブレンド具合が絶妙。うちのカーチャンみたいな初老の夫人がチームのユニフォーム着て嬉しそうにキャピキャピ語るような場面など、実に印象深い。
映像が美しいとか綺麗とか凝ってるとかそんな話は言うまでもなく…。兎に角素晴らしい。そして、何より見ていて楽しい。そして、実に爽快だ。その理由は何と言っても、上手く事が進んでいる勢いのあるチームに密着出来たということに尽きると思う。マンチェスター・シティはこのシーズン、いくつもの記録を打ち立てている。圧巻のシーズンだったわけだ。それを言うなれば身内の視点で楽しめる。何より活力を得られる気がする。世間に非常に好評なのは、この爽快感にあるんじゃねえかなあ。
という事はプレミアの他のチームのファンが見たらぐぬぬぬぬってなるんだろうか。自分は特に贔屓の選手もチームもないので素直に楽しめた。スポーツ自体破滅させたい!ような思想を持ってない人なら、これはほんとお勧め。Amazonオリジナルの企画だから多分無料で見れる期間ながいよね?年末年始とかに良い。
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「マイノリティ・リポート」を観た
面白いじゃん!毎度適当に書いているのでタイトルを原題にするのかカタカナ書きにするのかすら覚えがない。以下ネタバレ要素あるかもしれないけど15年前の映画だしよいですよね
普通の近未来SFでありますね。公開が2002年なので、スマホは作中に登場しませんが、変なジェットパックで空を飛んでくんずほぐれつアクションシーンがあったりします。SF映画でしか味わえない混沌なのかもね、この辺は。製作者、あるいはまあ、世間一般の人も入れて?未来をこんな風に、なんとなくこうなるだろうと予見していた世界。
この作品も予見が一つのキーなんだけど、つまりは管理システムの完全性がどうとかいう…またこれですか、というテーマ。ジュラシックパークもそんなじゃなかったっけ?2001年のテロ騒ぎからそう時間が経過しておらず、当時の政治的方針である国民管理体制強化への問いかけを含んでいる、とwikipediaには書いてあったがどーだか。この作品(というか原作?)のタイトルからも「切り捨てられる少数に真実が含まれるということもあり得るのですぞ」という、ぬか漬けの底に沈んでそうなほどに飽き飽き飽きする毎度の指摘が為されている…と理解する。多数決と少数意見みたいな場面では現実世界でこのテーマを放り込んでも「そりゃそうだねそういうこともありますね」でプリっと放り出されて終わってしまうもんです。それを便利に思って映画でも何回も使いまわされているんじゃないかとすら思う。結論が出なくても現実世界どおりですので、と言えるし、映画であるからにはHuh?みたいな結論でも良いんです。
ところで、一番印象深いシーンは、街中の広告が個人に話しかけてくる場面だった。街頭の”ポスター”がこの前買ったXXXはどうたった?なんて話しかけてくる。今でも似たようなことはブラウザやアプリの中だけではあるが、起こっている。いろんなサイトがグレーゾーンのまま放置されているしきたりに沿って個人向けの広告を表示している。2002年時点にもこのような広告配信はあったかな?インターネットはもりもりやっていた筈だが覚えてない。
この、覚えていないというのが怖いんだろう。今は実に露骨にamazonで探したものがfacebookの広告に出てくるなあ、なんて普通の事として受け止めてしまっている。そんな分りやすい場面ではなくて、もっともっとこう、絶妙なところで自分のリポートが活用されているとすれば、覚えなどなくて当然なんだ。考えてみれば不思議だ。なんで2002年のSFが僕のウォッチリストにあるんだ!?あっ。怖い。トム・クルーズのファンでもスティーブン・スピルバーグのファンでもねえぞ。アッアッ怖い。
まあAmazonプライムで無料になったのを適当に放り込んでいるだけなのだが、これでこの人はこういう作品を好む傾向がある、なんて分析が始まってしまう。再生してすぐにやめたのはどの作品か、飛ばしながら最後まで観たのはどれだ、二回観たのはどれだ、次にこいつが金を払ってまで観る作品を並べておこうなんてな。このユーザーはレコメンドを断る傾向があるからほげほげ、なんてぐらいの手の込んだ仕掛け、実際に導入されているのではないかと個人的には思う。商品広告の話を充実させてもなんかアレかな。
もう一つ、ストーリーのキモである預言の玉がなんかちゃちいのも面白い。ぐるぐるとウォータースライダーみたいなものを通って出てくる。普通にぼとっと落ちれば良いじゃねえかwなんて思った。玉には木目があるから偽装が難しいみたいな説明場面が作中にあったと思うが、この辺も今なら多分偽造可能なんではないかなあ。
「貴方はこの選択肢の中からこの商品を選ぶでしょう」という話から、「あなたはXX日XX時に人を殺すでしょう」というレベルに至るまでにはまだ隔たりがあると思われる。レベルの問題か?しかしどこかで実現に向けた努力がなされているんじゃないのかな。だってどう防ぐんだよ?
オウムは別かもしれないけど、その他は数分前に、なんなら作中みたいに数秒前にでも身柄を抑えれば何事もなかったようななるだろう…。しかし事のあらましを把握してからそんなことに思索を巡らせてもなあ。結局は予知なんて本当にできる余地があるのか、という所に帰結するように見える。渾身のジョーク。よしんば本当にできたとしても、ある日突然に警察署のほうから来た人に連れ去られて死ぬまで自由がないという世界を受け入れるもんだろうか。受け入れる人はどのぐらいか、という算出ももはやAmazonさんやgoogle先生の仕事であり、真実は雲の中といったところか…。
誰だって自分はそんなことをしないと思って生きている。この発想はマジョリティよねきっと。
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「たとえる技術」を読んだんだけど
えーと…これは…大喜利でしょうか…。ネタ本なのかも判別がつかなかったので、たぶんタイトルは釣りですテヘペロみたいな?
いろんな感情や行動を表現する言葉に、その程度を伝えるべく「たとえる」という方法を使いましょう、という体裁だと思うんだけども、さすが上手い事いうなあ、みたいに感心できる部分がほぼなかった。編集方針なのかもしれないけど、「~~~のように」だけで進めたからこんななんかアレな感じになったんでは。せめて本当に技術的なトピックでもあれば読んで面白いのかも知れなかったと言えなくもない感じがなくもなかったとおもえなくもないこともないのだが。