えさのじかんだ
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こつぶのむ
買い物かご持ってスーパーをぼんやりうろうろしておると、カップヌードル味噌味というのがあった。初めて見たが、古くからある商品だろうか?調べると新しい。カレーにシーフードに始まり、多種多様な味があるけど、味噌味が今までなかったということ。ふむ?でも味噌味ってラーメン全般で言えばかなりメジャーだよな、たぶん。普段ラーメン食わないのでわからんですが…。食ってみたらこれがまた美味しかった。
インスタントの味噌汁を思い起こすと、ペースト状の味噌をカップに出して、かやくとお湯を注ぐ…。これ以外は記憶にない。このカップヌードル味噌は、同社の他の味わいと同様に、ふたを開けてお湯を注ぐだけ。味噌の味わい部分は粉末状になっている。ふーむ…なんで今までなかったんだ。他社に味噌味のインスタントラーメン、あるじゃないか?札幌いっちばん味噌ら~~めん♪…あれ?これ塩か?探したら塩だった。あれれれれ?
でも、どうしても味噌味の印象がある。最後に食ったの小学生とかそういうレベルなので、何も覚えてないな。こいつはスープのもとは粉だったろうか?下記サイトでは、「鍋の味付けは粉末スープで」とあるので、粉だ。きっと昔からそうだろう。
2020年にもなって、日清カップヌードルの味噌味が登場した事情は何だろうか。新商品のネタ切れか。よほど地震のあるクオリティになったか。競合他社の特許が切れたか。…あっ!!!つい最近このブログにCM動画貼ったばかりじゃないか!ジェームス・ブラウンのミソンバ言ってるやつ!!!食べた記憶はない。1992年の商品らしい。中学生。家族で暮らしていれば、カップ麺なんて食べないもんな。
でもこつぶは間違いなく飲んだことあるのよ。サンドウィッチマンのコントでは小島さん遊びの次ぐらいにおなじみの、こつぶを勧めるくだり。おじさんは、若人と「あのこつぶを飲んだことがある」という会話ができるんだ。偉大なヒット作には世代をつなぐ力があるってね、誰の発言だっけ。みんなで”Stand by me”を歌うようなあれよ。
スイカの早食いを真似して、怒られたこともあった。叔父の厄払いの余興が髭ダンスだった。その叔父も病床にある、若人はドリフターズを知らない。それがいい。知られないままに流れていくを由として、世代の継ぎ目はかくて滑らかに。
ひげだんす ひがしむらやま だっふんだ ぱいおつぽろりん おこっちゃやーよ
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餌という名の元に
酒のつまみ的なコーナーに、乾きものや魚ソ(魚肉ソーセージ)にまじって鶏肉ささみの燻製の真空パック的なものが売られておりました。少し前からコンビニでサラダチキンなどという名前で売られているもので、スーパーで鳥のささ身や胸肉を買って茹でるのに比べると三倍以上高いセレブ向け商品です。しかも美味しくない。
そういう商品は手間の分高いと割り切って買えばそれで良いんですけどー。その、ささ身の燻製の真空パック的なもの。スーパーで売っている大変美味いものと違って、小ぶりで薄くてペラペラ。SASAMIと書かれているので、鶏肉だろうが本当かこれ。そんな不安は実は10個も買った後にお家で抱いたのでした。店頭で考えていたのは、「常温保存可能で年内いっぱい。ううむ、軽いし、買っておくか」なんつってね。そうしてストックに放り込んでおいたのを、寝坊した朝に慌てて一個頂いてみました。味見ぐらいしておくかっt
クッソまず。
ジャンクフードと言えば、自分は何といっても缶詰の焼き鳥です。ギリギリ鶏肉であると推測しても許される風味はまた独特で、それはそれで乙な味わいとも言えるもんで。そのギリギリを土足で超えてくるこのペラペラSASAMIの不味さはなんだ。製造元は魚肉ソーセージで有名なところやんけ。むしろそこの魚ソこと一番気に入っているかもしれんのに、どうしたことか。非常食に便利かと言われれば、たぶん、便利だろうから、それはそれでOKだけど、もう買わない。
今シーズンの麦茶が冷蔵庫にスタンバイ。半年は常駐状態になる。がぶがぶ消費したくなる季節にはまだほど遠いものの、春分の日も近いではないか。ではピッチャー開きの儀ということで最初の一杯をずずずと啜る。違うメーカーのものにすれば良かったかなと思った。今年も鶴瓶のアレだわ師匠よろしくな。
ドレッシングの消費量が減った結果、消費期限に迫られる問題。生野菜を食べる機会が減っている自覚がある。八百屋さんがなくなってしまい、カゴに山盛りで売られているトマトを手に入れることが出来なくなった…のもだいぶ前の話ではあるんだけど。トマトが主役感強くてさー。それでもキュウリ大根あたりなら切ってボリボリ食うだけなんでね、そうして食えば良いんですけど。いまいち好みのドレッシングに巡り合ってないのかな。味覚が変わってあまり好まなくなったか。さぼり癖が良くない、多分。玉ねぎを塩もみしの入れてみたり、サニーレタスとかブロッコリーとかトウモロコシとかバリエーション持たせないと。料理に手間暇かける主義ではないんだけど、その結果嫌気がさしてどうするよ。ここは、今までにほとんどやったことない、サラダのレシピを参照して何か作ってみるかな?
もともと、サラダだけでは味気ないなというときにツナ缶をガポオとぶち込んで頂くのが好きだ。定食屋の小鉢じゃねえんだから、野菜をこじんまり食おうとするよりも、どんぶりいっぱい食おうとすればよろしいわ。だったら具材もなんか阿呆みたいに入れたりしてなー。朝昼晩と”サラダ”しか食ってねえけどずいぶんバリエーションがある、そうなれば良いよな。手間が掛からないものに重きを置くのは変わらんよ?ツナ缶も引き続きお世話になる。蒲鉾なんかもよい。茹で卵はどうかな、面倒か。肉なんかも茹でてみて。SASAMIはいれない。
という方向性の一つとして、味噌汁。汁物はいっぱい作っても弁当として持って行けず、かといって一食だけの一人分も効率わるない?そこで、どんぶりいっぱいの。朝と晩に味噌汁しか食ってねえけどずいぶんバがあれば良いんだバ。味噌汁はいわゆる「煮物」と比べて、砂糖を使わないのがよろしいと思う。ただ味噌汁は濃いめのをゾゾゾと啜るほうが好みだな。こまった。
ここんところストレスが食欲に昇華されてんのか、大変に良くない。天ぷらやっとる場合じゃないぞ。
どうすんだよSASAMI。惑わない様に非常リュックの中に全部入れよ。
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餌よさらば
浅漬けの素をなんとなーく買ってみた。冷蔵庫にあった白菜でやってみたが全然ダメな味わいだった。名前忘れたけど顔は出てくるタレントがCMやってるのも何年か前に試して、あちらはまあまあだった。そもそも、こんなインスタントなものは保存もできないのであまり意味はない。祖母は物置の樽で漬け込んでいたようだった。すっげえしょっぱいの、鷹の爪効いてる白菜のつけもの美味かったな。いろいろ思い返すうちに、あれは「味の素」の味だったんではないかとひらめく。それだったら「浅漬けの素」も実質同じようなもんだろ、多分。じゃあ…もう原因は白菜にしかないが、白菜のクオリティのせいにするのは農家に悪い気がする…。けど、おそらく正解じゃないかな。
絶望パスタソースというものがあったので食ってみた。美味いので絶望の淵にいても食えるとかなんとか、しかし全く美味しくはなかった。そうそうそ、こいつを試す前に、パスタを久しぶりに茹でて食ったらこんな美味いもんだっけ?って思ってしまったのだった。フツーにスーパーで売ってた、そんな高級品でもない、イタリアからやってきたっぽい、ごんぶと規格の。そんで、次は食ったことのないパスタソースにしようと思って。ああ美味しくなかったと書いてて思い出した、これ多分食ったことある。絶望。結局、納豆ソースがうめえと思う…キューピーのやつかな。また納豆かよ。白飯、パスタ、トーストに納豆フレーバーがベストマッチしている。でもピザとかチャーハンはちょっとなーって思うし、餅はいくら何でも食いにくいだろ。ああ餅も数年食べてないかなー。おでんの具として売られている巾着袋に入ってるようなの、年一ぐらいで食べてるが、こないだは自作お弁当にそんな巾着はいった煮物をチョイスして、冷めて硬くなったボソボソ餅に苦笑いしたのだった。そーいや納豆の天ぷらもいつか作るんだった。
赤魚の粕漬を見つけたので、これも久しぶりに食うたろうと。いそいそと家路を急ぎ、靴下脱ぐより先におさかなグリルに放り込み暫し。上手に焼けて一口、ぐええええしょっぱい。ゴミ袋漁ってパッケージ確認すると、塩麴と書いてあった。しまった、間違えた。これはこれで美味いけどさー。だいたい、独り者のおっさんが魚を焼いて食うか、となれば、普通はサバ、ブリ、鮭、ホッケぐらいのローテーションになる。ほかに候補も勿論ある。例えばシシャモ?嫌いじゃないけどなあ。イワシは選ばない。生のイワシ焼いて食うなんて現代っ子(要検証)の自分には難しい。あの無限に思える骨の処理は素人に無理でしょうよ。だから骨ごと砕いてつみれになる。あれはうまいよな。
鯵も小骨が多量にあるほうの魚。刺身売り場でシュレッダーされたようなのがあったりするけど、あれはあまり好きじゃない。なんつってもフライが美味いな~。サンマもあまり食べない。内臓部分は現代っこ(再検証)なので食わないし、あまり切り身で売ってない。獲れたままの姿で氷水浴びしてるよね。となると、買って帰って食った後に生ごみ多いのがなんともな。小骨ごとぼりぼりいける、平べったくなったサンマの干物は楽でよい。今週このスタイルでサンマを食ったがサンマは数年ぶりだったかもしれない。直近はいつだ?と思い出そうとすると、缶詰だったんじゃねえのかって。一人暮らし始まって20年以上、サンマを調理した記憶がない。そんなはずないだろって自分でも思うけど…お惣菜で食べた、ぐらいじゃないかな。郷里に帰ったときに食べたかも。あー大戸屋で食べたかもしれない。気に入ったはずなのに人生で5回も使ってないぞ大戸屋。
タイなんて焼いて食ってもそんなうまくもない。刺身は良いですね。養殖真鯛のサクはたまに買うけど、素人の包丁と仕事では、身が崩れて悲惨な感じになる。メカジキはフライパンで簡単に調理出来て良いけど、なんだろうか、リピートしたい感じにはならないか。ウナギは自分で焼くわけないもんね、お惣菜枠。きりがねーわ魚の話はこんなもんでーー。
使いかけの豆板醤が余っており。瓶に記載の賞味期限にはまだ余裕があるものの、開封して一か月あるいはもう二か月は冷蔵庫に入っているという次第。お手軽に「素」で麻婆豆腐を作ったときに、豆板醤追加して劇味を楽しんでみよう。悪ふざけ加油。実に単純に、素と豆腐でグラグラと煮込んでください、というだけの麻婆豆腐の素に、豚ひき肉とネギと豆板醤を追加投入する。熱々のうちに一口食ってみたが、熱いの辛いのわけがわかない感じだったので冷ます。ほど良く冷めたところで頂くと、阿呆みたいな辛さと増量したひき肉で、豆腐が対消滅し、どう表現したものか。とにかく、刺激はあるが味がない一品になった。豆板醤は辛いと共にくっそしょっぱいということを改めて思い知らされた。これは立派な「嫁のメシが不味い」事案。余計なアレンジで台無しにしていくパターンね。世には阿呆みたいに辛くしながらも美味いらしいというメニューもあるが、通常版に辛味を追加しただけでは成立せんのだろうなあ、なんて。レトルト麻婆豆腐の素で何を語っているんだお前は。
イカ飯が好きじゃない、筈なんだ。イカの中に米が詰め込まれて炊いたやつ。赤黒いあれ。子供のころから自分はあれが好かない、筈。実際考えてみると、食べたことがあるという記憶があいまい。子供のころ、イカと里芋の煮付けが食卓に並んだが、それは好きではなかった。ここは確かだが、別にイカが嫌いではない。どこでイカ飯が嫌いになった?思いつかないので、ずらりと売られていたレンチンイカ飯を買ってきて、さっそく頂いてみた。すると、確かに好かない味。米粒のつぶれたような感じとか。単によろしくない商品だったかもしれない。ちゃんとしたイカ飯を食ったら美味しいだろうか。あるいはちゃんとしてると、さらに好みから遠ざかるパターンがありえるか。もち米を詰めて鍋で煮る…。うーん。
たまにお米を買うときは雰囲気で選んでいる。スーパーで買うからして、片手にカゴを持っている。もう片方の手で棚からとってカゴに入れる、その所作がやりやすい商品をなんとなーく。だから、自分の好みにもっていくための水加減がちょくちょく変わる。そう、本来は変わっている筈なんだが、しょせんは水の量の話だ。硬めに炊き上がればそれでよく、米が違うから微調整を…ということもしていない。調整したところで、次に炊くお米はべつもんだったりするのだ。とゆー感じに適当にやっていると、無洗米 or notの選択も適当となってくる。米を研がずに炊いてしまった、ということもある。…気にならない。ほぼ一合~二合だけ炊くという量の問題だろうか、炊いてから口に入るまでの時間の問題だろうか、東京都の水道水を使っているからだろうか、味わいに違和感を覚えない。お米ってなんで研ぐんでしたっけ?さぼっても衛生面で問題なかったらそれで良くない?現代においては、そんな気にしなくても良いのでは?
玄米を食ってみるかと思ったが、米であるからして一食分だけ玄米が売っていることもなく、躊躇している。慣れない人間がいきなり玄米食うと腹壊すみたいな話もあるよねー。炊飯器を見ると、玄米モードなるものがあるようだ。じゃああとは、玄米だけ買ってくれば良いんだけどな。どーにも。
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dancyuを読んだ
2020年1月号。コンビニで売っていたのでお買い上げ。雑誌の面白さに最近気づいてから、こういう本を風呂で湯船に浸かる時と、あとは寝る前にオフトゥンで読むのが楽しい。湯船でのミッション時には、洗面器を浮かべてそこに本を置くというハックを発見してからなんとも快適だ。今まで風呂桶とかない暮らしでしたので、そういうのがあること自体が新鮮で~。
町のお寿司屋さん特集など。寿司は好きなんだけどプライベートでは回らないお寿司って行ったことない。その他寿司の作り方だったりが載っていた。あとはテーマに沿ったコラムとか広告的なもん。レシピも結構載っているので、イメージ通りのグルメな人向けの本だ。単に美味いもの食いたいというよりも、何かグルメ道を研鑽する人たち向けの専門誌みたいな。こういう本が好きな人が、グルメ転じて自分の店を出す、みたいなことするんだろうか。
載っているどのレシピも、自分がみれば「うわめんどくせ」の一言でぶん投げてしまうようなものが多い。家から持っていくお弁当の中身が、茹でた春雨にパスタソースをぶっかけたものというレベルの人間が、手順も使う調理器具も材料も多いものをやってみようなんて思わない。他人に食わせる責任を負うほど覚悟を持てるわけでもなし(特に衛生面で)、誠意をこめて作るわけねえし、皆さんが僕の料理を口にする機会はないです。
お料理は、おもてなしの手段としては永久に放棄します。こうして皆さんの食卓に恒久的な平和が訪れました。良かったですね。
2月号も買いました。
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エサ短観
干物じゃないホッケが売られていた。買った、焼いた、食った、クッソ不味い。ホッケじゃなかったのではないか。ハビタブルエリアから降ってきた事象のなりそこないの死体の肉。ちょっと何言ってるかわからないですね。ホッケが干物じゃない、というだけでここまで不味いものだろうか?本当にホッケを買ったのか。仮に火星人だったとしても不味いものは不味い、クッソ不味かった。
一方で、カップ麺が美味い。体に良くないから、と若人の頃もあまり嗜まなかったのに、ここにきてすごく美味しい。すぐ美味しい。逆。手間がかからないという点をZ旗よろしく掲げて売り場のストックから買い物かご、そこから胃袋までなだれ込む無駄のない所作、アビスで弾けた泡が日本海へ浮かぶまでに光速を超えるんですってよ奥様。あらやだ最近台風が多いと思ってたのよう。
「カップ麺も干物じゃないか」と書いてみようとしたが、だったらメシだって干物だし、塩なんて海水の干物だ。地球をおにぎりぐらいの干物にしたら、味わいも噛み心地もバリエーションに富むだろうか。中東から齧るひとは大胆な
談志男子で、オーストラリアから南太平洋あたりから齧る人は穏やかに様子を見たい志ん朝慎重派だろう。実際はどこから齧ってもクッソしょっぱい。血と汗と涙、人が海よりくみ上げたもの。土塊を編み上げた味わい。台風で出来た水たまりに映る月の、黄色くやや歪んでたくあんに見えた。紀貫之はよっぽど腹が減っていたのだ。