• えさのじかんだ

    バイソングラス

    ズブロッカの瓶を飲み干したので捨てようと濯ぐ、ところで草が目についた。ズブロッカのズブロッカたる所以、バイソングラスの一本しな~と瓶にへばりついておる。このまま捨てるには良心ゲージが不足しているので取り出すことにした。分別がある、という冗談は使用済みだったかね…。取り出してみると、当たり前だがそこらの雑草である。実は畳から引っこ抜いたい草だと言われても納得する。

    くんかくんか。

    特に強烈な風味は残っていない。縦持ちから横持ちに切り替えて、ガジガジと噛みついてみる。水菜のような感じがあるも、やはり風味はそんなには残ってはいない。どこにでも生えているような草ではないんだなこれ。そう思うとポーランドの深い森の風味が漂って、は、こない、のは、ま、わたくしの人格だよな。

    ZUBROWKA(ズブロッカ) | 製品情報 | サントリーバーテンダーズクラブ

    水菜買ってこよう。

  • ふでのゆくまま

    マラソンの代表選考がどうとか

    たまには時事に。時代を先取るニューパワー!(懐)

    確かにタイム順で良い。マラソンはそういう競技だからね。一発勝負で成績が良かった人でもいいな。本番は一回きりだし。とはいえ勝負事だからね。選考に周囲が納得しませんでした、なんてことがあっても、メダル持って帰ればそれでシュンと黙るもんだ。「勝ち目」を追求すれば、データ並べて公平な選出なんてものよりも、もっと計算高い、あるいは一点に賭けた選出があっていいと思うわけです。

    そんだけ。

  • ふでのゆくまま

    雑記

    さぁて雑記だ雑記だ落ち葉炊き。

    ユニクロで愛用のフィンガーソックス・黒を買い足そうとしたら、黒色のお取扱いがなかった。ここ数年はこれ一択という靴下だったんだけどね。勤務に私用に弔事にと使いまわせたのだけどなー。リアル店舗で売ってるかもしれないけども、そんなん買いにいくのもめんどくせえのが当方の生活習慣。困ったな。お目当てのものがないとなると、途端に実感する。黒の靴下なんていくらでもあるのに何が困るのかと。そ、フィンガーソックスじゃないと嫌だ、というほどに馴染んでしまったわけだわ。

    グレーのものでいいか、数点お買い上げ、ついでにTシャツなど。

    タクシーの運転手の名前が著名漫画家と同じだった。世話しなくタクシーにのって都内の煌びやかな通りを過ぎる…高層マンションの明かりが空高く伸びている光景に、その漫画家の作品を思い出し、子供が舞い降りてきてビルをぶっ壊すなどしねえだろうなと身構える。

    コートのポケットから三月のレシートが出てきた。クリーニングだしてなかったらしい、と書こうとしたのは去年の11月の半ばの話でありました。ついでだ書いておけ。ミルクたっぷりとろりんシューですってよ。

    次の発車時刻を知らせる電光掲示板に、警視庁から危険ドラッグについてのお知らせなど流れていた。もっと目を背けるような過激な内容にすりゃあいいのに。デジタルサイネージなどと気取った広告に、子供が泣きわめくぐらいの過激なやつを。免許更新でも違反者はなかなか「重い」ものを見せられると聞くし、そういうのを世にぶちまけないと啓蒙ということはなかなか成功しないのではないか。高度な情報化社会などと言っても、首が切られた画像みないと、やっぱ危険地域は危険なんだと実感できない。危険が作動しないのだ。なんならラリラリしている人を鎖でつないで駅前に展示とか、あるいは著名人の方々を使ったりしてな。

    今回のデザイン死亡案件です。http://insyoku.livedoor.biz/archives/39014847.html

    ちょっと飲み屋の開拓などしてみたい。人付き合いに乏しいのでなかなか捗らない。大衆酒場的なもんが良いですね。

    いつ公開しようかと思っているもの、三か月過ぎてしまった。「職場の近くのビルが解体が始まった」というだけなんだけどな。

  • ふでのゆくまま

    洗い髪が芯まで冷えて

    別に自分だけではないだろうけど、このようなブログに書く文章の下書きつうものが幾つかある。単位は本で良いのか?では、何本かあるということで。これが溜まると内容の鮮度が下がる。例えば今その下書きとやらをdropbox覗いてみると、師走だのなんだのと書いてある。あゝ。季節のことがらに対する公開日のズレによる鮮度の低下もそうだ。下書きを認めた時に頭に浮かんだことを、ただ投稿フォームにコピペするだけでもそこに古さを感じる。これも20年もすれば懐かしいという感情に変わるもんだろうが、今この時点では「機を逸したか」という感情のほうが先に来る。メールでもあるよね、下書きの時点で送り損ねたなあということ。

    そこでTwitterですよ、ということになる。日本で流行り始めるちょっと前、2007~2008年ぐらいが一番使っていた。今ではfacebookがその役を担う。facebookで繋がり所望の方は良ければご連絡。ネット知人でも繋がってたりする。こういうのを使っていると、当たり前だと思っていた「投稿のタイトル」「メールの件名」というのが実は結構な「枷」になってたりもするんだと気付く。ところが無いならば無いで不便なもんで、例えばネットで何かを検索するとして、タイトルがないものは探す側にはとてもとても探しにくい。しかしタイトルと中身に関連性が薄いものばかり書いてるな俺は。その割に長文だったりする。

    ああ、下書きの時点ではタイトルがないからだな。それはあなたの下書きにもないでしょう?ファイルにして一個一個別の下書きにするぐらいマメな人ならあるかもしれない。また、いくつかの文章を一回の更新で突っ込んだりもするからなあ。何をテーマに書くでもない、何時何時何時(いついつなんどき)に公開するでもない。ちょっと発想を伸して広げよう。無尽蔵にストックされ続けるテキストが、何かのタイミングでひと塊の旅団となって公開されていく。これが現状だと思う。ながーーーーい布の一部だけ隙間から見えている感じ。布が動くと見える範囲が変わる。今見えているものは見えなくなる。映画のエンディングロールみたいなもんかなあ。こういう仕組み、近いものはあるけど、なんか作れないかな。ただ、いったんインターネット上に公開すると、その、過去のものを確実に無き者にする方法が難しい。

    ほれみろ。

    下書きがないともう何が書いてあるのか意味がわからないわ。文章が上手い人というのは、こういうものを読ませることが出来るらしい。さらに頭が良い人はこういう物を、読みやすいと言うか、まとまったと言うか、うーん。一つ上質なフォーマットで並べて見せる。勿論何を文章にするかによるけども。素直に嫉んでおきませう。ぐぬぬぬぬ。

    もっと頻度高く書いていたころは(このブログに引っ越してくる前。フリーターの頃だ)下書き→公開のサイクルが早かった。今では遅々としたもんで、週に一回から月に一回ぐらいに移行している。よってこのエントリが今年の二回m…って四回目だった。結構更新してるが、中身無いな。いや日記だろそんなもんだろ、といやぁそうなんだけど、もうちょっとなんとかね。高校生の頃までは勉強とかしたことないと言っても過言ではなかったけど、アラフォーとなってはもっと頭が良くなりたい。はぁーーーー。

    穏やかな苦悩を飼い馴らす。何時か成し遂げるでしょう、という望みをふっと忘れてしまうことを楽しめる。どうもその範囲と取捨選択に誤りがあったというのが反省点か。けっ。単に怠惰なだけだ。給湯器の修理がすんで何日かぶりのユニットバスにつかり、知ってますよと一人悪態をつき、洗濯物を干して夜更けの凍った月を仰ぐ。

    雪の気配がない。

  • ふでのゆくまま

    指は10本しかない

    爪切りを棄てた過去をお持ちの方?

    いるでしょうね。わたくしも勿論捨てたことがあります。この20年で僅かに一度ほど記憶にあります。今持っているのはかのミスリル製の爪切り故に、3000世代ぐらいは使い続ける事ができる、今後捨てるなど全く発想に無いのです。というわけではなく、いつの間にか紛失しておるのです。紛失するからには捨てた記憶などあるわけがない。実際、爪切りは十年使えても驚くようなものではないでしょうが、切れなくなっては捨てるしかない。

    そして使いたいときには手元にない。探して出てこないから、買うと出てくる。二つになる。しかしまた、使いたいときには手元にないので、100円ショップで買ってきたというのが僅か数日前だけど、つまりこの部屋のどこかに爪切りが二つある。手元に一つある。

    都合三つの爪切りを所持するというのは狂気を感じて恐ろしい。どうせこの文章を書いている机の裏でも探せば、一個は出てくるのだろう。

    チラッ

    ない。

    恐ろしい…。