とある夕方、同僚の母がなくなったとの連絡が入る。がんで結構大変な状況だとは耳にしていた。彼はまだ20代前半で、弊社では一番若い。葬儀は郷里で行うとのことで、動ける社員から順次病院へ。ぽつりぽつりと連絡を取り、最後には五名でおちあい、病院に向かった。
霊安室――初めて足を踏み入れる。着くと、見知らぬ誰かが縋る様に跪き嗚咽をあげており、しょうじきちょっとたじろいでしまう。彼が「あの、会社のひとたちが」というと、なよなよと歩き、外に出て行った。霊安室の弔問など初めてだ。立ち位置的に最初になってしまい、真顔で恭しくどうぞ譲ったら真顔で恭しくどうぞと返された。線香に火を灯し供え、静かに手を合わせ、目を伏せる。
あのときの、、、ああいう気持ちを何と言ったら良いのだろう?安らぎ、なのだろうか。その場に佇む人々の、強い心の結束を感じる。同僚の母とはいえやはり他人である。生前の思い出もなにもない。病院に向かう途中で「故人の名前がわからない!」とか言い出す体たらくである。しかし空ろに疲れた顔で我々を出迎えた同僚、妻の顔をなで続ける父親、身罷った母親を前に、我々は強い心の結束を感じたのです。
帰りの電車、暗がりに映る電車の中の人々、流れてゆく沿線のあかり、どうしても頭から離れない霊安室の風景がかさなり、あ、と思い当たる。北枕。