生きたここちを耳にして
深夜から早朝のお散歩は若いころからの趣味。…趣味というには頻度に偏りがあるけど、人生の半分以上は楽しみとしている。若いころはそれこそ夜の2時~3時に家を出て、朝の日の出ぐらいに帰ってくるようなことを、季節を問わず続けていたと思う。眠れない夜は道端で過ごした。オホー格好いい。ここ十年ぐらいは、ざっくりと日の出前に出発するのが目標となっている。夜明けの空と街中を眺めるのが楽しい。すると当然、日の出より前には外に居たいわけだ。夏至の頃には4時前に起きて出かけることになるけど、涼しい季節になってくると日の出の遅くなるにしたがって家を出る時間も…これがあまり変わらないか。最近はコロナであまりやらなくなったけど、始発電車にのってお散歩スポットへ出かけることも時折ある。だから真冬でも4:30~5:00ぐらいにお出かけが多かった、この冬もきっと。夜明けに感激を覚える健やかさが、まだ自分にも残っております。世界はそれを自己愛と呼ぶんだぜ。
さすが東京。休日の日の出前という時間帯であっても、大通りには車の列が絶えることがない。夜明け前に走る車両はどことなく威勢が良い。闇にペカーと光るヘッドライトは何か勇ましく、また欲深く。例えばそう、荷物を積んだ大型のトラック。お陰様で日々便利にくらしております。東京都内ではお神輿みたいなペカペカしたの見ない気がする。一方で…普通の乗用車だって、こんな時間からお出かけには事情がある。レジャーに遠出しようってもんならどうだ。そりゃあ気合が違う。またどうだろうか、電車が走ってない時間に稼働しているタクシーは、実際に書き入れ時だろうさ。時折、歩いている自分の姿をみとめると、客だと思って、近くで速度を落とす。これに一切の無視を決め込む。心苦しいが、わてくしお財布も持ってませんことよ。これは大通りというよりも、なんとなく線路に沿っているような道で良く起こる。
絶えることなく行き交う車も、年末年始にはだいぶ少なくなって。広い通りを渡る折に、横断歩道の途中で立ち止まって、四方に車が見えなかったりしたらテンション上がる。めんたまペカー。こういうシーズンには、”同業者”の姿が目に入る事もある。そんなときは、僕はワクテカなんかしてませんよ、スンと眼をふせ大人しくすれ違う。何か事情があって歩いている風を装う、というのはお互いに難しいものだ。朝の四時に都心部に徒歩で通勤してるやつなどいるわけない。たまに、doggo連れたhoomanの姿を見かけることもある。しかしこれは別の業界に属するというのがオリエンタルでは常識だ。尤も、日の出前ほど早い時間にはまず見かけない。夜に見かけることのほうが多い。人間の事情を考えればこれは当然なことで、仕事終えて帰宅、風呂の前に散歩して就寝という組み立ては効率的だろう。平日でも、仕事に出かける前に早起きして済ます人もいるとは思うが、これは大変だろうと思う。習慣になっちゃえばこなせるもんだろうか。最近は犬を繋ぐリードや首輪が夜にペカペカしている。安全のためだろうけど何より見た目が面白くて楽しい。繋がれているほうがちょっと落ち着きがない動きをすると、スター取ったちびマリオみたいだ。もし人間のほうに落ち着きがないと狂気のエレクトリカルパレード見参、遁走せねば命が。南無阿弥陀仏。
この夏の終わりぐらいから…。平日の生活時間帯に散歩する機会が増えた。おおよそ20:00~22:00ぐらいか。昼の勤めの人は大体帰宅して、ほとんどの人がまだ起きている時間だ。窓から誰かの会話が漏れてきたり、風呂からシャワーの音が聞こえたりする。楽器を練習している人、騒がしいキッズ…。明かりの灯った窓を見上げながら歩めば、生きた心地が耳に届く。節度ある暮らしの美しさが、芯に染みる。
大学生の頃。友人と二人で冬の夜道をとぼとぼ歩いていて、窓の下を通り過ぎた。なんでもない、オレンジの明かりが漏れただけの窓だけど、とても象徴的に見えた。一瞬で温かい、優しい…暮らし?が頭をよぎった。将来、こんな幸せそうな暮らしができるだろうか?今は何のプランも望みもなく、ぼんやりと過ごしている日々を経て、自分にこのような暮らしができるものだろうか。デビューすらしてないくせに世の中に辟易していたんだ。その時、その場で友人に話してみた。あの窓が幸せそうに見えて、逆に自分の将来が不安になったと。友人は俺も同じことを考えていた、と答え、二人で笑いあった。笑い声は長くは続かなかったと思う。
あの夜、あの窓が開いていたら。何か聞こえていたら。ここ数日絶えることなく耳にした明るい声の会話、温かいシャワーの音があの窓から聞こえていたらならば。自分はきっと、聞こえないふりをしたに違いない。
十月。