ふでのゆくまま

翼よあれがごみの日だ

最後の一枚、コンビニでDANCHUと炭酸水を買った時の袋を使ってしまった。もはや私はゴミを捨てることができない。

冷蔵庫の鶏もも肉や玉ねぎを見て途方にくれる。卵にトマトに絹ごし豆腐…。中身や玉ねぎの皮はともかく、パッケージがあるのをどうしたものか。非常事態だ、トイレに流してしまおうか、とも考えたが思いとどまった。賃貸暮らしでそんな無茶をしてはあとあと痛い目にあう。それに非常事態は自分だけの話で、明日の朝にはいつも通りにゴミ捨て場が賑わうことだろう。だってしょうがないですもん、なんて言い訳も通らない。これは自分でなんとかせざるを得ないわけだが、幸いにしてガスコンロがある。燃やしてしまおうかと考えなくもないが…それでも燃やしたところで無に帰るわけではないのだ、何かしらが残る。理科で習ったわ。結局はゴミ爆誕のはなし。

捨てれないなら使えばよいじゃない。名案の響きがあるが、それでも、それでも。最後にはゴミなのだ。生涯使えそうなものも、自らの亡き後誰かに引き取って貰うようなものも、人類文明の域にとどまる限りは行きつく先はゴミでしかない。沈んだ船が魚の住処になったり、廃墟に野鳥のコロニーができたりもするが、同じ文脈を文明に当てはめようとすれば、先に滅ぶことが条件だ。ゴミとそれ以外を仕分けする文明がなくなることが。ひらめいた。捨てれないならなくせばよいじゃない。今は亡きオリンピックの送り火。象徴としての炎をともす依り代の豊富さゆえに文明は美しく滅ぶことができる。ニュートン力学にそんなエピソードがあったはずだ。幸いにしてガスコンロがある。割りばしの先にピザハットのチラシを巻き付けて火をともす。ゴミを捨てれないなら、炎を呼び寄せればよいのだ、俺は嬉々として部屋を飛び出し、出鱈目に駆け抜け、教会の桜によじ登って眼下に焼け落ちる街へ絶叫する。

プリンキピア!

好きな作家が筒井康隆だなんて思い出すからこんな目に遭う。綿矢りさあたりに宗派替えすっか。

で。

今までの人生で数回と買ったことのない、半透明ゴミ袋をかった。自治体所定のゴミ袋を要求された街に住んだことはある。あれとは違って、色気のないしょぼいポリ袋。薄い。いかにも簡単に破れそうであまりすすんで使いたくない感じがある。スーパーやコンビニの袋と比べて手提げ部分がないため、不便だ。うちに生ごみ用のゴミ箱なんてないわ。フックで手提げ袋引っ掛けてそこにポイってな。一人暮らしでは、自分のように自炊派でもコンビニ袋ぐらいのサイズが適切だ。もちろんゴミには燃やすごみ以外もあるけどさ。結局45Lとか買っても無駄が多い。20Lぐらいのサイズで手提げ付きのゴミ袋、いちど見かけた気がするんだけどな。

これは完全に気のせいだ、と思いたいのだが、その、うっすいゴミ袋に生ごみを入れると、妙に匂いが漏れる。結果ゴッキーとご対面したりもしたのだが気のせいで済ませていいのだろうか。今後も適宜買い物の際はレジ袋を買うことにした。ほんと、なんだこれおい。

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