うぇぶのほそみち,  ふでのゆくまま

しゅんが終わればお亡くなり、

文章を書くことが趣味です、というと仰々しくてリアルライフ関連ではどこでも大っぴらには言わない~。もう惰性の感もあるけど嘘ではない。

最近面白い漫画に刃牙シリーズがあって、昨今のシリーズでは宮本武蔵を科学技術で復活させて、過去の一連のシリーズに登場した現代の猛者と一戦を交える、という話の筋になっている。という書き出しから何かをつなげようとしたのだけども、漫画の場面を思い出したら忘れてしまうほどに強烈なリシーズになっている…。毎度だけど、長いお話を書くのも読むのも不得手なのよー。はー桜が綺麗ですねー。よかったよかったー

冷静に考えると、文章を書きながら何をしているのが好きなんじゃないかという発想に至った。文章を書きながらなんぞ音楽でも聞いていたりすると、何の得にもならない時間の過ごし方、故に愉悦としたもんだ。洗濯機が止まるのを待つ間、人参に火が通るのを待つ間、電車で移動している間、最近(もうここ十年ほどしてないな)は全くしないけどお布団に潜り込んでから、またはお風呂にて。無尽蔵に溢れてくる”文章”を忘れる前に可視化するゲーム。可読化ではないので、図案だったりもした、というのも十年ほどやってねえ。文字を書き殴るのが趣味と言い換えたほうがいいのかこれ、書家か。しかしこうして皆様のお目にかかるようになってからは、書き殴るというのよりは不器用に海底をつつく甲殻類のような不細工さと死臭ただよわせて綴るものなり、あゝペンは剣よりも。

少し前に、震災から五年の月日が経ったと持ち切りだった。このブログのログを見返すと、2008年に始まっている。先ほどから十年、とか胡散臭くのたまっているように、実際面白がって文章を書くというのは10歳ぐらいの頃までさかのぼるんだけどそれはそれとして、このブログの歩みとしては2011年の震災以前と以降、以降のほうがその期間が長い。過ぎ去った日々にただただ驚くばかりだ。幸いして大怪我などもなかった。何かあったかと言われたら何もなかったと言いたくなる。長いお話を書くのも話すのも不得手。

覚えておくのはもっと苦手。故に細々書き記す。土にかえるまでのお慰み、振り返る事しかできないもののお嗜み、ゆえにもがりとしたものだ。私のお墓の前でRSSのフィードを読んでもないのに既読にしないでください。写真に動画に文字に残る。しかし今んところの仕組み上(※)、私がリアルお亡くなりになるとやや時を経てこのサイトが電子の輪廻に取り込まれる。具体的には読めなくなる。おもしろいじゃないか。

(※)要するに料金の支払が滞るためサービスの提供が止められるということです。

クラウドとは土にかえる仕組みの事なのです。人は大地を離れては生きていけないが、腐っているのは土なんです。

キリスト者向けの教会が教会たる要件はなにか。近所にあった教会がなくなったかと思えば少し離れたところに引っ越しており、この春からまた引っ越したようである。祈りを捧げるものあれば、そこに集う人のあれば何でもよいのだろう。集う人のためのものであることがわかるために、アイコンが必要になる。その教会は何かの店舗の営業所であったところに引っ越してきた。通りからガラスの引き戸を通して部屋の奥まで見渡せる。十字架が掲げられた棚のあたり、先月まで置いてあったのは営業許可証のような書類であったような気がする。都合の良いものを頂き給え、食っても痩せるものなどの類に心酔しましょう。

WE CAN CHANGEの人の出番もそろそろ幕を下ろそうとしているが、どうだろうか何が変わったのだろう。対岸の保険制度と金融ショックかしら。こちらの岸には飛翔体が降ってきている。外来語でミサイルと言います。中国もまた戦争を始めるつもりなんだろう。中東から石油がちゃんと入ってきますかねこれ。このタイミングでアメリカから石油のセールスが来ていませんか。何かが積もり積もって、何もなかったと、何も変わらなかったと言いたくなる。

仏陀よ遅いよ人類なら
はるかな昔に堕落したし
でっちあげとかほったらかしで
こじれてダサくてほどけない

平沢進:Rukton or Die

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