どくしょかんそうぶん

とあるスピリチュアル寄りの書籍を読んだ。

特定の書籍や著者を槍玉にあげる意図はないので書籍名は伏せるものの、こういう類の書籍は好かないという事を前置きしまして。

この書籍は、生年月日を表す数字を足してどうこう、出てきた数字によって貴方の人間性とか運命どうこう、というような事が書いてある。出てきた数字が何々の人は〇〇という性格で云々とか。流し読みを進めると、「高次のエネルギーと繋がる」とか「この肉体を卒業するまで」「運気の波」みたいな不穏なフレーズが登場するので読むに堪えない。こういう書籍ってなんなのだろう。いくら何でも言ってることがめちゃくちゃだ。端的に言って薄気味悪い。

世の中には風習ってものがあります。山ほどあるけど、例えば誕生日に近しいところで、干支。あとは星座?どちらも調べればそれなりに根拠はあるのかもしれないけど、考えてみれば意味はなんも無い。極端に言ってしまえば、曜日だって意味なんかないという事になってしまうかもしれないが、しっかりと人類の暮らしに根をおろしており、ある日急に無くなってしまえば困る。しかし干支や星座は生活には特に関わってこない。

お守りを持ってる。部屋にもちろん神棚なんてものはないし、サイズも小さいものだから箱にしまって収納のどこかに入ってる。電車の中で、10代の学生さんや20代の勤め人のカバンにお守りがぶら下がっていたりする。薄気味悪いとは思わない。お守りに意味なんて…意味なんて…ねえよ。お守りっていってもその格式とか?いろいろピンキリだと思う。だけど、そりゃあ、無いよ。本物の、いわくの通りの効能が発動するなんて、ないよ。でも、人生って習わしとか伝統、合理性だけではやってない。ごちゃまぜだ。占いというものも、私はただの出まかせ、ホラでしかないと思っている。嫌い。でも、思い悩む人の拠り所として、多少は人々の暮らしに根を張っていると思っている。嫌いだけどな。

しかし誕生日ってどうなのよ。干支や星座といった物語、伝統、歴史に乗っかる切り口ならまだわかる。数字を足して云々ってちょっとテキトー過ぎやしないか。これに納得する人いるの?😰なんなら本気で信じる人もいたりするのか。占い信じる人もフラットアーサーもいるんだからなあ、誕生日と人格に関連があるみたいなことを信じる人もいるのかもなあ。

そのぐらい適当に生きていって良いというポジティブなメッセージだと思えばそれはそれで、まあまあの拠り所たりえますか。だからって「でもわたし、誕生日は良いんですよ!」ってあまりにも哀れ過ぎないか?

ちなみにわたしも持ってるドメインは良いんです😤

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