どくしょかんそうぶん

「筒井康隆自伝」を読んだ。

特にファンと呼べるほど好いている作家というものはおりませんが、敢えて一人と言わば筒井康隆。自伝だそうなので読んでみる。その生い立ちから年代を追って構成されていて、実に素直だ。幼少のころから大学生になるまでの、子供の頃の話が豊富で驚く。良く覚えているもんだ。勿論ある程度は記録が残してあるものなんだろうけど、それにしたって細かい事まで。

作家となってからはまるでブログの日記という感じでイベントごとをおいかける。自分のようなにわかファンにはとても面白い。「走る取的」が実話ベースって書いてあってええ…ってドン引きしたりした。芝居をやっていたというのは知っていたが役者として名が通るほどに入れ込んでいたとは。テレビ番組にもぼちぼち出ていたとも知っていたが、想像以上に豊富に出演している。100万円渡すという番組の印象しかないが、他にもたくさん。

初めて筒井の姿を観たのはなんかのコマーシャルで、断筆続けるか、やめるかと悩んでいる所を掃除の邪魔だと扱われる場面だと記憶してる。なんなら名前を知ったのも断筆のニュースじゃなかったかなあ。

当然、というべきか、過去の著作を眺めてみる。知らないのも多い。何か読んでみるか。しかし読んだことがあるのかどうか、覚えてないものも多い。このブログにも書いたけど、中島らもの「今夜、すべてのバーで」を既読であるのにかかわらず気付かずに読み進めた。そんな経緯があるから慎重になってしまう。作品について調べようとすればある程度のネタバレは不可避なものであって、タイトルだけで読んだからどうかわからない以上は困ったことになるのだ。「どうせ内容が記憶にないなら二回読んでも良いのではないか」という考えは合理的な気もする。でもそれは手元に書籍がある人の考えだ。読んだことのある本を理由もなくもう一度お買い上げなんかしねえだろ。電子書籍だって同じ事。

えー、そこで。どうやったら未読の筒井作品にたどり着けるか選手権を虚構挙行するものである。筒井康隆を知ったのは上記の通り断筆云々の頃。最初に何を読んだかは定かではないが、新潮文庫だと思う。赤い背表紙がやたらに印象に残っている。その後上京し、やはり時間はあったので赤い背表紙を読んだ。「残像に口紅を」は確実に読んだのに、wikipediaに拠れば新潮文庫ではない。また、筒井は短編集も豊富だ。タイトルに覚えがある短編作品を読んだとなれば、同じ書籍に掲載されている他の短編も読んだと見るのが自然だ。前述の「走る取的」は「メタモルフォセス群島」という短編集に収められている。収録されている短編も読んだはずだが、それらのタイトルを見ても、一個も内容を思い出せない。

じゃあ何でも良いんじゃないのうるせえそういう事じゃないんだよ。未読の筒井を探すという未曽有の報いに挑もうというのだ。しかしwikipediaの著作リストに拠ればそこには時間軸があり「天狗の落とし文」以降の短編集を読んでない事はtheorem的に明らかであったぐぬぬぬ。

しかし本当だろうか。誰でも編集できるwikipediaに虚構の著作を並べるなど容易なことだ。「カラダ記念日」に「サラダ記念日」へのリンクが貼ってあるようなページを信頼すべきか。筒井康隆だぞ。けけけけけなど笑いながら本人が編集していてもおかしくない。近影画像が1964年なんてのも怪しいぞ。危ない、やはり筒井康隆を信頼してはいけない、小林よしのりあたりと一緒に抹消登録せねばなるまい。

そうして悠々と未発表の作品を探す旅に出るというものだ。けけけ。

けけけけけけけけけけ。

「カーテンコール」をお買い上げ。感想文は書きません。

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