ふでのゆくまま

武蔵陵墓地に行ってきた。

昭和天皇・大正天皇の陵墓に行ってきた。一言で言うと不思議な空間。

中央線で終点の高尾まで。駅からは徒歩。大雑把な記憶を頼りに歩いて道を間違えるが、この山がそうだろ、と思われる林をすぐに発見できたので、それに沿ってぐるりと歩くこと十数分。普通の住宅地の裏道みたいな所に出てなんか不安になるが、目的地は墓地だからなあ、そんなもんかと思ううちに入り口に到着した。

到着は14:30ごろだったと思うが、案内には15:30まで入場が出来る旨が書いてあり、一瞬焦る。特に受付的なものもなく、他の人の後に続いて玉砂利の林道の奥へ続く道へ進んだ。内部での飲食は禁止のようだ。手水があり、いちおう口をゆすいで手を洗う。正式な作法とかあるのかもしれん。道幅の広い玉砂利道をザクザク足音を立てて進む。両側には背の高い杉の木があり、一番低い枝は自分の目線ぐらいの高さ。花粉症の人は春には近づけないと思う。

少し歩くとY字の分岐になっており、右手に昭和天皇の武蔵野陵(むさしののみささぎ)があり、左手に大正天皇の多摩陵(たまのみささぎ)がある。まずは右へ行くことにした。自分以外にも家族連れなどがおり、連休初日ということもあって十名ほどの姿が見られた。家族連れのほかに、年配の男性が一人、あと30ぐらいの女性も一人いた。10歳ぐらいの子供らに天皇について父親が説明しており、どんな説明をするのか興味津々だったが、あまり近づくのもアレで聞き取れなかった。また、警備も一名だけだが待機しており、立ったままシリアスな面持ちで様子を伺っていた。靴がいかにも実用的な感じのブーツで、体躯も絞れた体をしていた。いわゆるエリートなのだろう。油断の無い気配が陵全体を包んでいる。

昭和天皇の陵は道なり正面にあり、右手には香淳皇后の眠る武藏野東陵(むさしののひがしのみささぎ)がある。どちらも見た目には大差がないように思われる。正面には大きな木製の鳥居が設けられている。丸く加工しただけのようだ。目前まで行くことは出来ず、二重の柵があり、だいたい30mぐらいの距離まで立ち入ることができる。どうも携帯で写真を撮るのは憚られるようで撮らなかった。撮影している人自体は何人もいたので、特に禁止ではないと思う。

ただそこにあるだけの風情で、陵墓に何かの覆いもないし、案内板などもない。恐らく皇族の揮毫と思われる石碑がぽつんと建っているだけだ。観光施設でもあるまいし当たり前なんだけど、自分はなにか見栄えのするものを期待していたらしいと気付きやや反省する。黙祷し、すぐ脇の武藏野東陵も眼前まで行ってみる。またここで黙祷。

今思い出したんだけど、二礼二拍一礼・・・の音の出ないバージョンをやるべきだったんじゃないか。たしか神式の儀礼である。母方の祖父の葬儀はこれだった。しかし半ば観光気分で赴いたので、その辺の調べは一切していなった。

道を引き返し、先ほどの分岐へ戻り、大正天皇の陵墓、多摩陵(たまのみささぎ)へ向かう。こちらはだいぶ高い位置に埋葬されているようだ。階段は当然昇れず、昭和天皇と比べるとだいぶ見上げる形になる。それ以外に大きく異なるような点は見当たらない。ここで少々疲れたので、日陰にある石のベンチに座って休む。詰所から視線をジリジリと感じ、ノートPCを出すのはさすがに憚られた。本当に観光気分である。不敬の国民であります。先ほどの警備員も妙に自分を見ていたようだ。きっとこういう年恰好の人間が過去にいろいろトラブルでも起こしているんだろう。

そろそろいいかな、と思い、また道を引き返し、入り口へ向かった。正直な話、何か珍しいものでもあるのかと思っていたが、珍奇なものはなかった。ただの陵墓である。業績を称えるものも、故人を偲ぶものもない。しかし昭和52年産まれの自分には昭和の天皇ははっきりと記憶に残っている。あのじーさんが何を成したのか、断片的とはいえ知ったのは最近だ。敗戦、そして復興と、昭和の60年を越える治世に感じ入るものがあるならば、一度足を運んでみてもよいでしょう。以下、参考URLなど

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