世代をつなぐうた

ビッグヒットには世代をつなぐ力がある

読み人知らずなのだけど、その通りかと思う。現代以降に於いてはなおのこと、映画や音楽の映像は恒久的に残るものだろう。世代が変わりつつも。ほんで、その世代をつなぐ力とやらを持つビッグヒットというのを、押しなべて分りやすく感じることが出来るのは、ことに音楽においては、今はmetallicaかと思う。単にビッグヒット作品がある、というならば星の数ほどいるのだけども、今現在はmetallicaの存在が実にバランスが良いと思える。音楽の歴史なんかも鑑みれば、The BeatlesとかなんならJSバッハなんてところも候補になる。しかし先に挙げたような説得力のある映像が残る事や、現在も活動中であることを考えるとmetallicaに軍配があがりはしまいか。1980年代のバンドじゃねえの?ってその通り。しかし今でもアルバムを出すとアメリカのヒットチャート一位になったりする。ファンが多く→活動期間も長い→世代が繋がっているわけだ。

何か企画モノに出演する頻度も高く、時には気さくなじいさまになったり…。

また大きな場所でのライブの様子も見れば、若い人たちの多い事。親の代からのファンです、というのもあるだろうし、youtubeで見たらファンになった!というのもあるだろう。

といった話の流れで。世界で一番みんなが知ってそうな歌ってなんだろう。アメリカ国家ではないか、とか言わないでちょーだい。世代をつなげそうなやつ。911のテロの時、拍手喝采で喜んでいた人々とも共に歌えるやつだ。自分はベン・E・キングの「Stand by me」かと思う。思うのだが、この選択もおっさん臭くて、本当に世代を繋げるに値するのだろうか訝しい。それでもね?この歌に含まれた、普遍的なメッセージの故に、潰えるものでもないと思うんです。普遍的であること。この価値観/事実の偉大さが10代/20代の頃にもっと素直に分かっていればね…。…いや、特に何をするわけでもなかったと思いますがwところが「普遍的」が宣伝文句に出てくるとまた距離を置きたくなるところが、自分も捻くれたもんだなと思います。

はぁ。

大四喜

年に一枚ぐらいは新作の音楽CD…というのはもう古い話なのか。データでも良いけど、兎に角音楽という文化の新作を賞味するというのを半ば義務のようにしていたのだけど、今年は何もない。年が暮れるまでもなさそうなので、何となしに選んだのがこの一枚。

宮村優子「大四喜」

「だいすーしー」と読む。麻雀用語ですなあ。生涯麻雀を嗜んでいるような愛好家でも上がったことある人は稀の筈。声優として著名な方らしいが、存じません。戸川純とか平沢進とかの名前が見えて、このアルバムの存在は知っていたので…このタイミングでお買い上げ。

こういう言い方はなんだけど、特に嫌うでもなく惚れるでもない感じで感想に困る。宮村優子という人物が元気そうなのは伝わった。ただ、「秘密結社~金曜日の黒ミサ」という曲だけ耳に覚えがあったのはなんでだ。これは戸川純が歌ってた「ラジャ・マハラジャー」がみんなのうたで放送されたから覚えがあった、と同じパターンか。

まあそんなところです。…やはり今年中に新作を何か買う方向でいこうか…。

恒温

クールビズも終わりにしなさい、というオタッシがありました。

という書き出しにはあまりに遅いというか、ずいぶんと旬が過ぎてしまった。いや最初に書いたときは10月の頭だったんよ。で、台風が来た、という話題も書かぬままに既に時期外れに遅い台風が来たりしている。公園の木々も紅葉を見せ始めている。ユニクロのパーカーで朝晩と出歩くのは大変に凍える思いがある。ああ、このブログの表紙画像ももう一年前の文化の日連休の時(http://blog.mogari.jp/archives/1844)に、雨の中撮った写真であります。

今年のCDのお買い上げは三枚目かな?レディーガガの企画モノながら大変に質が良い。共演の男性はトニー・ベネット。存じ上げない人だけど、御年88だという。米寿か。凄いもんだな。

最近コンビニで、常温で売られている飲み物を目にするようになった。お茶などのペットボトルが、普通の棚に陳列されている。なんじゃこれはと思ったけど、確かに冷えたのがぶがぶ飲みたくない人もいるだろうし、買ってすぐ飲まないなら冷えてないほうが良い。買ったものをしまった鞄の中が、濡れたりしないからね。ここ数年、サーモマグなどを持ち歩く人の数も相当に増えたのではないかと思うけど、相関あるかしら。こんなニーズがあるんだったら常温の自販機があってもよいのではないか。しかし外気にさらされる環境とコンビニ店内では話が違うか。…そんなことを考えてみたら、スーパーにいけば全く以て普通に棚で売られているな。絶対スーパーのほうが安いし。よくわからん。

オートメーションは電気オタマジャクシの夢を見るか

納豆に餃子のたれをかけてしまったとかコインランドリー行ってきたとかそういうのも下書きにあったけどたまには自分の人生に背を向けて似つかわしくない薀蓄にてご機嫌を伺います。

こんぴーたーの利点のメイン。処理の自動化、継続化の永続性。適当に言ったけどまあそんなもん。人間の耳が認識できる音の数には絶対に限界がある。周波数…だっけ、の上限と下限。音量の上限と下限。音程の認識は大体の人がいっしょだと思う。音程が半音上がるということを殆どの人は認識できる。時間進行に連動?して変化するそれが、音楽のもと、みたいなもんである。適当に言ったけどまあそんなもん。

さて、音の組み合わせであるところの音楽、いつまでも組み合わせを生成し続けるコンピューターに作業させ続けたらどうなるか。組み合わせは完結するだろうか。人間の聞き取れる領域のすべての音に、長さ音程強弱を付けましてー、組み合わせて組み合わせて…。おそらく何時かはパターンを網羅するだろうけども、それこそ「五劫の擦り切れ」つうやつで、その終了を確認する見込みはなかろう…。見積もりすら立つまいに。

すでにこのテーマに関連するようなプロジェクトが実行されている。ジョン・ケージの曲を639年かかけて演奏するというもの。この教会にオルガンが設置されてから639年後に演奏が始まるということで、終わりも639年後になっているようで。

News – John-Cage-Orgelprojekt Halberstadt

音楽には演奏というフェーズがあった。「コンピュータの音楽自動生成」と聞いて、みんなその生成した曲がコンピューターから鳴るところまで想像したに違いないのだけれども、この639年の曲みたいに、実際にはもっと複雑な要素があるらしい。残響音の具合が違うとか言い出したりしてね。

音楽のコンプリートはやはり想像以上に難しいようだ。しかしある程度のところで加算的な見通しができたら、ひとつ想像していることがある。サルのシェークスピア。知ってるかね。サルにランダムにキーボードを叩かせたら、シェークスピアの作品が出来上がる、というやつ。主に確率のたとえで、そのぐらい低い確率であることをしめすエピソード?である。ここで、先の音楽生成の例を加えたい。コンピューターに音楽を作らせたらそれが鳥肌実の演説に一致する確率である。とか。