F.U.C.K.

sweets,sweets,lawsuits

記事を書く前に、カテゴリをF.U.C.Kにセットする。その心は、片岡さんの実刑が確定したようです。個人的に選挙ってシステムというか発想レベルでなにかダメなんじゃないかって思ってて、裁判もそうなのかなって考えになだらかに滑落していく。世界の人々の価値観は多様で、その理由は端的には物理的な距離の隔たり、その隔たりの経年変化によってずれていく。言葉が、食べ物がずれていき、是とするもの、否とするもの、敬うもの、蔑むものがずれていく。家族を愛し、同じ水を飲むものを愛し、同じ言葉を話す人々を愛し、同じ景色を見る人を愛し。それは貴方の家族を殺した、敵国の人々も同じことで、正義対正義のぶつかり合い故に自らが証明するしかなく。もごもごとまた経年変化するうちに、その方法として殺戮を選ばなくなった、理由はともかくそうなった、ではどうしましょうか。

同じルールを。同じルールを守るものどうしで、自分がどれだけルールに従っているかを訴えることにした。誰にって、ルールを知っている人々に。違反者には大勢の人々のブーイングが飛んだが、時折飛ばないこともある。その手段・理由はいろいろだ。例えばブーイングを飛ばすことをルール違反にしてしまう、こと。

子供の首を切って、ゲームの始まりを宣言した奴がいたよな。最近どうも、自分の知らぬところでゲームの始まりを宣告されている気がするんだ。観客がついたころにはゲームが終わってるような。

ここに銃があるとしよう!これをK氏に突きつけるとする。彼の正義は同じだろう。ここに銃があるんだ!これを【自主規制:その規範的な使い方として】に突きつけるとする。どうなると思う。いまその銃の引き金を引くルールが守られているか、気になっている人はどのぐらいいるのか。自分に突きつけられてからでは遅いのはわかるが、貴方がたに石を投げられるのが怖くて、ブログにちんまりかいてみるなり。お菓子の家の、座敷牢にて。

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