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「『国境なき医師団』を見に行く」を読んだ
いとうせいこう。
何者だろうか。むかしはテレビなどメディアで見かけた記憶があるが、インターネットではまるで見かけた記憶がない。wikipediaによると「ラッパー」という想像だにしなかった肩書があり、三島由紀夫賞や芥川龍之介賞の候補作を上梓した小説家でもある。みうらじゅんと一緒に仏像巡りをした人物であり、ケータイ大喜利のMCでもあった。うーむ幅広い。まさかビットコインの発明とかもしてないだろうな。
本書はいとうせいこう氏が国境なき医師団広報の方と一緒に、現地を訪れたものだ。地震で無政府状態となってしまったハイチ、経済危機で大騒動になったギリシャ、フィリピンのスラム、南スーダンの惨禍から逃れた難民でごった返すウガンダ。
なんでまた氏が国境なき医師団を取材するんだろうか。いとうせいこうの事が良くわからないと冒頭で書いたけど、ジャーナリストや医療関係者ではないとは想像がつく。何ゆえに国境なき医師団と結びついたものか謎すぎたが、その理由もまた本書で明かされる。
国境なき医師団。MSF。
何者…かは知っている。学生のお小遣い程度の額ながらも、寄付をさせていただいたことも何度かある。YouTubeをだらけた格好で見ている時に、ガザの”現地”から宣伝動画などが配信されると少々身が引き締まる。しかし現実の生活ではその活動をまるで見かけた記憶がない。幸いなるかな、住まいが瓦礫になるような事態は今のところ体験していない。我々がイメージする紛争地帯や被災地以外にも彼らの仕事はあるだろう。考えれば、緊急時に頼りになる人々が日常であまり目につかないというのは、安堵する。平和だ。良い事だ。日本にへばりついている自分が国境なき医師団の活動を間近で見た事無いというのも、そんな不思議な話ではない…と思いたい。
本書は描写も主張も穏やかだ。牧歌的とまでは言わないけど、常に命の危険があるというような緊迫感のある戦場カメラマンの現地レポートとはどこか違う。彼らの活躍する場所というのは、例えばベトナム戦争時の、土嚢を積んだヤンキーのジャングル前線基地みたいな、雨ざらし急ごしらえの殺伐とした風景を連想していたが、そこまでではないらしい。長期にわたりこういう活動をするということは、そういう「生活」をするということ。それなりに生活可能な住まいなど施設が必要になってくる。貨物コンテナなどを活用した質素なものだけど、ここに居るぞと現地に訴えるものでなくては。そしてそのエリアでは武装が許されていない。君らの土地の風土や歴史は兎も角、ここは我々、国境なき医師団の領域だと。ここに助けを求めればなんとかなると、そんな威信と頼りがいが必要なんですな。ましてや政府が破綻しかかっているような地域ではなおのこと。
淡々と内容を読みすすめていく。その具体的な活動内容がちゃんと書いてあるのが良い。つまり、医療的な緊急措置だけではなく、メンタルヘルスケアや、リプロダクティブ・ヘルス(要するに家族計画的なもの…?)への取り組みだったり。また組織としての働きぶり。医療チームは勿論、物資運輸のスタッフ、文化的な差異を緩衝するための専任スタッフ、ドライバーだって必要だ。世界を股にかけるとはこういうこと。「国境なき」とはこういうこと。活動内容は対極にあるだろうけど、どこぞの国の軍隊の特殊部隊みたいな印象すらうけてしまう。
本書は「みんな思いやりを持って仲よくしよう」という感じの言葉で〆られた。そりゃあ当然にわかっている事ではある。とはいえ、そもそも世の混乱や不幸をたちどころに消し去る方法などないだろう。だから、悲劇は起こるという前提でいるべきだし、自分が巻き込まれるという想定を持つべきだ。明日は我が身。日本人には身に染みた言葉だ。前述のとおり、私は直接的には彼らのような団体の世話になるような事態に巻き込まれたことはない。それでも、災害のニュースを見る度に、自分がそこに居てもおかしくはかったと畏れに近い感情になる。
我々には共通の敵がいる。
以下余談のコーナー🥳
本書では現地で行動を共にした医師やスタッフの名前が頻繁に出てくる。例えば「〇〇、××と一緒にどこどこへ移動して取材…」みたいな感じ。ここで、MSF広報の谷口さん。著者と本書を通じてずっと行動を共にしており、常に名前が出てくるんだけど、ずっと谷口”さん”であった。他にも日本人スタッフが登場するが、「寿加さん」といった書き方だ。どうもこれは当り前のことだし、もし自分が本書を執筆したとしても「谷口さん」になるだろう。他のMSFスタッフみたいに「下の名前」とかでは書かないだろうなあ。仮に谷口さんの下の名前で書いたら、著者の配偶者や娘のような印象になるんじゃないか。これも文化ってやつなのかなと思った。
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flashなむありける
今は昔、flashというものがありまして、栄華どころではないレベルでインターネットで使われていました。既にflash技術そのものがインターネット関連の技術から排除されているので、当時の形そのままで使われる事はないでしょう。そういうわけですから、拙ブログの昔の記事も当時のyoutube埋め込みが真っ白になってたりするわけです。
これも折角なのでメンテするかという休日の昼下がりだったのですが、どうやったら機械的に処理を完了できるかと考えてみました。そもそも、手作業だと簡単なのです。当時の埋め込みタグ(objectタグなつかしい)を削除して、今のyoutubeのURLを管理画面から張り付けるだけ。あとはブログエンジンで宜しくやってくれる。
もし、プログラム的な発想で対応するならばどうなるかというと、dbに書かれている昔のyoutube埋め込みタグを現代の物に書き換えるという素人には手を出すべきでない内容になってしまう。AI先生の助言によれば、要するにブログエンジンの処理に、古い埋め込みURLの部分を書き換える処理を追加すれば良いという話。ソースコードまで提示された。これもご尤もだけど、テストしてみようとか、その後どんな副作用がありえるか、みたいなところはバチコリこちらで負わねばならない責任とリスクというわけで、やってらんねえ。
結局、大した数ではないので手作業で処理してみた。(途中で飽きてやめた)この結果、そもそもyoutube上から動画が消えているパターンもかなりあった、エントリ事削除したり、懐かしいのお気持ちがエモかったりしました。でもこれって将来的にも同じ事が起こるだろうし、なんならYouTubeだってある日突然なくなったりするかもしれん。動画を埋め込むときに一緒に何の動画かわかるような概要を書かねばダメだな、という当たり前の気づきを再確認。
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めし短観2026年2月
ニッポンハムの「シェフの厨房 4種チーズハンバーグ」名前の通り、ヤケクソみたいな量のチーズソースがついてきた。怖くなって3割ぐらいは使わず捨ててしまった。ハンバーグ自体は冷凍食品にしては美味しいと思う。しかし阿呆みたいに油が出る。そのせいかもしれんけど、チーズの風味も朧気。総じてイマイチ~。
https://www.nipponham.co.jp/products/processed_foods/frozen/table/22371
コンビニで普通に並んでいる「スモークサーモン&クリームチーズ」サンドイッチが494円!ワロタ!こんなん逆に買うわwwwしかし味わいは普通。普通だけど、普通に美味しいの普通。実際に頂いてみると、過去に同じような商品なかった…?か?こんなに堂々とお値段つけられると、それだけの価値があるやらないやら、自分にはわかりませんなガハハハ。
https://www.sej.co.jp/products/a/item/053468
耳にしたことない企業のシンプル冷凍海老餃子。レンチンするまで焼売だと思っていたがどっちでも良いよね。シンプルに小ぶりのエビが一包みに一尾ずつ。すり身のイメージしかなかったので少し物珍しい感もある。実際に🦐エビの形のままのものをいただいてみると…うん、すり身のほうが好きかなあ。
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「津軽のカマリ」を観た
高橋竹山である。
その名は数多の音楽愛好家に広く轟き、津軽三味線と言えばまず名前の挙がる人物とされている。自分は伝統音楽に明るくはないのでして、その名を知ったのはJINMOというアーティストのギターマガジン連載コラムか何かだった。当時ギターを愛好していた自分にもずいぶんと感じ入るものがあったと記憶している。氏は眼前で初代高橋竹山の生演奏を観たことがある、とか書いてあった気がする。
というような事を調べていたら、2002年当時の連載記事がjinmo氏のサイトで読める。個人的には映像よりもこっちを発見したことのほうが驚きだった。読みふけってしまった。
http://www.jinmo.com/00/en/other/words/words11.html
上記リンク先のJINMO氏の文章が当事者視点も含めて大変に読みごたえがあり、高橋竹山という人物について自分が何か言える事はない。
さて映像本編。映像は冒頭から雪に埋もれる景色。高橋竹山の演奏映像集といった趣ではなく、彼の人生、取り巻く人々についてもふんだんに盛り込まれ、門弟などゆかりのある人々が出演しており大変に良い雰囲気だ。それでも演奏場面も多く散りばめられていて大変に満足。二代目高橋竹山のロードムービー的な趣もある。二代目は茶道の先生みたいな品のある姉さんだ。ひたすらに演奏を楽しみたい人には本作は不満かもしれないが、それは音源をお買い求めれば良いの話。
肝心の演奏については、どうもしっくりこないというか、ピンとこないというか。中途半端にギターに馴染んだ時期もあるだけに、比較してしまうのかなあ。まさか高橋竹山と自分の演奏を比較するなんて話ではなくて、三味線の音の特性って言ったらいいんだろうか。リバーブの少ない単音メインの演奏はどこか迫力に乏しく思えてしまう。あるいはこの作品の音声による印象なのか。素人なので深い話もできないが、とにかく本作の演奏自体には満足できなかったのがちょっと残念。
何かに混じってると音色がすごく生きてるような印象あるんだよなあ。
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「ドン・キホーテ」を読んだ
まんがで読破シリーズがもうちょっとだけ続くんじゃ。
原書は未読、しかしなんとなくあらすじは知っているという状態で拝読。調べてみてビックリしてしまったんだけど、原書はなんでも世界最高の文学作品の一つだとか、世界で最も売れた書籍だとか言われているらしい。マ?しかしながら、以下はあくまでもこのまんが版を読んだうえでの感想文。
まず、少年ジャンプとかにそのまま載ってそうな冒険漫画でした。しかしながら主人公は地主の老人で、身分のある人が暇を持て余し、メンタルブチ切れで旅に出るって話。その旅路は割と狭い範囲だったんだろうか、奇行の噂話は彼を心配して旅立つ前に引き止めた人々に知れ渡っていく。そうして一同は彼を連れ戻すべく画策するんだけども…。原作読んでないので分からないですけど、まんが版ではこの騒動のあたりがだいぶ端折られているような印象を受けました。
作中にも出てくる「このバカ騒ぎを真似た第二第三のドン・キホーテが出てくる前に止めねば」という意見はなんとも心当たりのある話じゃないかしら。現代では、ある種の人を「ドン・キホーテ」と例えて言うのが広まっている印象がある。どんな種類の人かっていうとそこが、ま、難しい気がするんですけど。姿かたち立ち振る舞いだけ真似して自らもカリスマならんという人とかあ?もう少し本作の内容をかみ砕けば、誇張であるとか不能であるという認識が本当はあるのにカリスマ仕草に溺れてしまって客観的には無鉄砲とかtrollかって人。埋蔵金とかUFOとかの界隈が近しいか。どっちも本当にあったというどんでん返しの可能性がゼロではないあたりも含めて、当人がシリアスなればなお一層滑稽に見えてしまう。電波系とか迷惑系とか。
ところがドン・キホーテ”本人”はそんな電波系とか迷惑系とは違っていたことが最後に明かされるわけでして…。
本作を読んでいるうち、風船おじさんの騒動を思い出した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%98%89%E5%92%8C
世の道理に耳を貸さない無茶が、世に風穴を開けるみたいな発想、あまり好かない。そりゃあ無理難題に挑むのが人生ってものかもしれないが、まずはあくまでも冷静に、計算高くやることをヨシとしなければ。常識人の振る舞いじゃないと。少なくともドン・キホーテには騎士としての誇りと良識があったのだろう。ところがそれ自体が世の中とずれていた。世の中は変わってしまうものなのだ。しかしドン・キホーテが、変わった世の中で見つけた幸福というものは…やっぱり少年ジャンプとかにそのまま載ってそうです。
つまりやめとけってこと。