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もっと雪の降る街を
流石に二週連続となるともういいよ、となる。子供のころは毎日でも楽しかったもんだ、と書いてみたが、やはり毎日雪というほどの土地ではなかった筈だ、という結論になった。
しかして、先週よりも酷い降りだった。のみならず、週末の帰宅時間に直撃され、だいぶ急いで定時上がりしたものの、乗り換え駅のホームでちょっと押したらみんな線路に落ちそうな状況で吹雪に晒されること30分。忍耐とは。まあ、こういうのは諦めるしかない。ニュースを漁ってみると、山梨方面はさらに酷く、照明も暖房も止まった状態で車中で一泊した人たちもいたらしいので、年に10回ぐらいは巻き込まれる程度の揉みくちゃで済んだのだから良かった。
良くねえよ。こんな時、午前で仕事終わりで退社でもするのが現代人の暮らしだと思う。みんな天気を知っている、あゝこれを文明と呼ばずして。しかしながら勤務先顧客のオフィスからは「業務に支障がないように」「天候状況をみて早めの帰宅を」というクソの塊のような通知メールが飛んできた。気を使っているというスタンスだけ見せて、実際はなにもしない。これでは災害時にみんな助からないということがお分かりではないようだ。
そして誰かが死なないと改善されない。日本文化素晴らしいね。憲法でも読んで途中で燃やそう。都知事選なんて興味あるわけないだろ。前任者はなんでやめたんだ。リコールでもあった?選挙無効の訴えでも?本人が辞めるって言っただけなんじゃないの。(辞意を議会が承認した、という手続きはあっただろうけど)それで前の選挙結果はなかったことになって?で?そんなもんに我々投票してどうするの?税金払うみたいなもんだから、ウダウダ言ってないで投票しろと。ほお。ご立派なご高説で目からうんこでますね。まーそのー何か新しい政治の仕組みが要るんだろう、なんてことはきっと数十年も前から言われているんだろうな。
風刺とは正論でありますか?
春に関西へ赴く予定ができた。
しばらく店主の体調により休業していた理髪店が復活していた。新しい店探すの億劫で三か月半ほど放置してしまった頭髪は…うーん。ヘアスタイルに拘りは皆無だけど、伸びるに任せて放置しているだけというのが素人目にもよくわかる感じだ。ふと考えると大学生のころはこの位の長さでも平気だったなと。髪の長いのはNGというバイトをすることになって定期的に切るようになった。あの頃より前髪が薄くはなってるかなー。志村けんみたいにハゲる。
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雪の降る街を
ゆぅきぃやこんこ♪
東北育ちといえども豪雪と呼べる地区ではなかった。膝まで埋まる雪が降るということは数年に一回ぐらいではなかったと記憶している。それがここ東京となると、数十年に一回となるようでありまして。幸いにして週末にやってきたため、この雪で通勤に困ることはなかった。週末の用事をこなすには困ったは困ったんだが、ま、それは良い。
物珍しさに押されて、土曜の夜にお散歩と洒落込んだ。すでにここ東京では見たことがないぐらいの積雪になっていた。それでも雪の明るさに実に美しい夜の風景…であったのは最初のうちで、徐々に風は強くなり、地吹雪とでも言うような状況になり、氷の粒に全身を打たれた。んまあ、それもまた楽しい。どうせだからと足跡もまばらな公園に踏み入っていくと、同じような事を考えた輩が数名、スマホを雪明かりに照らされた薄暗い景色に向けていた。あゝ確かにこの景色は二度と見れないかもしれない。自分も真似してカシャコカシャコとあいぽんで写真を撮りつつ、わざわざ雪深いあたりへ突撃しながら小一時間ほど歩き回り、帰宅した。
途中、雪を手に取ってみると、しっとりと重みがあり、雪合戦向けの良い雪だった。信号待ちの間ムギュムギュと握って、適当なそこいらの看板に炸裂させた。何年ぶりだよおい…と灌漑にふけっていると警邏中のミニパトが横切ってぎくりとした。いや、悪いことはしてないんだけどね、なんかね。おっさん楽しんでますが~。
しかしこういう天気において、雪かきがされないご家庭があるのはどういうわけか。そのままにしておくと、踏み固められて見事に傾斜のついた氷になり、非常に危ない。東京の三割ぐらいは雪の降るところ出身だろうに、家の前ぐらいせんかいおらおら、と集合住宅すまいの楽ちんさを前面に押し出して一人憤慨、翌、日曜日に買い物にでたら「雪かきスコップ売り切れ」の札が。あゝ、そうね、雪かき道具なんて備えてあるわけがないね…。自分もないわ…。
といった景色の一部。
もっと大量に撮ったけど面倒なのでこんぐらいで。
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具合がげふん
雪降れど積もらず、どころかすぐ止む。(というような下書きを残して置いたら、数十年ぶりの大雪になってしまった。後日項を改めて書くとする。)うっすらと雪化粧した町の美しさ、じっとりと堪能したいもんだが、そんな機会を得ることは当然ながらに難しい。ご近所の車に積もる雪など撮っても、どこぞにアップも憚られ、まあ結局は適度に潤った寒気をやや楽しめた、といったところで良き哉、と、する。
のも、
数日前からの体調不良が、ここ一両日でどうにか回復を果たしたようであった。悠々と歩けるのは快適であります。結局、先週の末に、半日ほど午前に休みをもらっただけで乗り切れた。どころか休日出勤は余計だわまったくご勘弁。その期間は風呂にも入らず布団に入るという有様。仕事はもはや定時でかなぐり捨てて帰ってくるという有様。野生か。勿論そんな寝続けることなどできないので、ぼんやりと暗闇を見つめて考え事をしたり時折机に座ってインターネット全般などしたりするのでありました。あゝ長い夜。
体調不良時にはいっつもポカリスエットを大量に飲む。今回もいつも通りがぶがぶがぶがぶがぶと飲んだ。普段のんだとしてもただの甘い水、こういうときはやたらに美味いと思う。一晩で2Lから3Lほど飲む。逆に美味くなくなるものもある。
のが、
通常の人の風邪の症状かと思うが、卑しい自分はなんでも美味い、という有様。しかし今回、明らかにこれは不味いと感じる食品があった。それは豆腐でありました。安物ではあるが絹ごしの豆腐、具合の悪い夜に醤油と刻み葱でいつも通りにぷるんっと流し込んでみたがどうにも不味かった。これをつい先ほど食ったら普段の味であった。美味いというほどでもないんだけどね、ただの豆腐だし。
ここに豆腐が不味いと体調が悪いというバロメーターが生まれるに至った。白いシーツに長く寝そべり、白い雪は路に積もらず、白い豆腐はまた食うに値する味わいを戻した。「お前そんなに白髪あったっけ・・・?」などと言われた由、オチとするにはまた納まりの悪きこと。
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ののの
なるとを見たことも食べたこともあるけど、買ったことはなかったと思う。だってラーメンの上以外で見たことないのだもの。蕎麦の上もあったかもしれない。
棒状のものが売っていたので買った。魚肉ソーセージのように、ぷりっと生でも食えるものだっけ?とパッケージの注意書きを探すと、「袋ごと茹でると作りたての味わいをお楽しみいただけます」とあった。しかしこの棒が丸ごと入るサイズの鍋がない。ちくわぶと同じ扱いということで、蒟蒻とねぎと一緒に麺つゆで煮た。
なると、特に美味いものでもないな。
ある日の昼食でありました。
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「かいぼり」実施中の井之頭公園へ野次馬に
[画像を追加した]
100周年記念事業だと。池の水を抜いて、まあ要するにメンテナンスをするということらしい。28年ぶりの作業ということで、当然自分も初めて耳にする。空っぽになった池は見てみたいし、天気も悪くないので散歩がてら足を運んでみることにした。
その前に、池の水を抜くという事は、みんながみんな「もしかして…」と思っただろう。あの事件の事ですね。もしかして、そんなことはないだろうけども、もしかしたらひょっとしてひょっとして。期待していないと言えば嘘になるが。
休日ということもあり、公園までの道は賑わっていた。いつものこと。公園に入ると、パフォーマーがコマを回していたりするし、また、遠くから歌声が聞こえてくる。いつものこと…ではあるが、最近は夜更け早朝しか訪れていなかったからこの賑わいに新鮮さすら感じられる、実に実に、平和な景色。そこで視界に飛び込んでくるのは、確かに水が引いたあの池だった。うおおお。これはこれは。適当に写真を撮りながら池の中央を横切る橋を渡るとする。湖底が露わになっている。堆積した泥の所々に水たまりがあり、またポツポツとゴミがある。もっと大量のごみが散乱しているのではないかしら、などと思っていたが、日本人のモラルは素晴らしい。…単に掃除しただけかもしれないが。掃除をした、にしては半端に散乱しているし、自転車など目立つものも放置されており、ここはモラル説を支持したい。
勿論自分のみならず、通りゆく人々が池の様子を写真に収めている。自分はと言えば半周もするとすっかり飽きてしまった。久々に休日の昼に来たという物珍しさのほうが勝ってしまい、ファンキーな親父の歌などちょっと聞いて公園を後にした。テントが張られており、「救護」だとか「取材受付」だとかカウンターがあったが暇そうであった。ボランティアが魚を移動したりサイズを測ったりしていたが、遠目に見ただけだった。
本当は画像を貼りたかったけど後日追加でもしようか。前のPCがubuntuだったから、画像を取り出すのに繋ぐだけでよかったのに、windows8.1にしたらダメだ。アプリも入れてみたけどデバイス認識しない。とほー。
[画像追加]
橋の上に多数の見物客 チャリ沈んでた アヒルさんも泥の上