どくしょかんそうぶん

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    「出るか分からない温泉を掘り続けているうちに、30代になりました」を読んだ

    の、7巻。ここまでも全部読んでいるのだけど、結構なブランクがあって7巻が出た。読んでみるとリアルタイムの時系列では一年前の物だった。〆は(作中での)来年2023年は30代の最後を迎えるというコメント。さて2024年になったよ、結果はどうだったんだ矢寺。

    どれだけ切羽詰まってもやる気が湧きあがらず、ただ呻いて臥せるという描写に共感を覚えた、あるいは同じことを体験した人も多いと思う。おれもあるぞ。しかしながら、わてくしのような一般人民には、日が昇れば勤務開始の時間がやってきて、出勤だろうがリモートワークだろうがその時間に間に合わなければゴルァされるわけでして。とりあえずあさイチで怒られようがなんだろうが、出勤の締め切りを超えればお仕事モードにはなる。お仕事はありまあす♪

    夜に散歩して、前方からふらふらとよろめきながら歩いてくる女性とすれ違う。大丈夫かアレ、と振り返って確認する。近くに居た人も同じリアクションだった。

    やる気ゼロで出勤したことありますか。途中で降りて、黙って旅に出たいと思ったこと。休みますって連絡だけして家で寝ようって思ったこと。快速の通過駅のホームの端であばばばばばなこと。

    作家になりたいなんて思っていた。30ぐらいになって客観的に自分を眺めて、どうせ無理だったろうなって思う。才覚とかの問題ではなく、人間?

    器が自身で感じ取れるようなポンコーツ具合であばばばばなのがお披露目びばのんのん♪仕事を自分でクリエイトして自分で終わらせるなんて事が、職として成り立つほどこなせない。人として成り立つのかという漸近線にはまだ余裕がある。部屋にゴミが積んであったりはしないぞ、と思ったけど一年近く処分出来てない粗大ごみあるなもうダメだ。

    こなせないもなにも、そのお試し舞台にも立っていないので忘れて生きるを賢きかなとしたいが、人間には欲があり業があり記憶がある。

    出展はマイクロソフトの入社試験とされていますが、「温泉に入るにはどうすればよいか」と言う問いに対して、「温泉が出るまで掘る」という回答が求められます。これは嘘です。

    生活が続いていきます。

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    「ゆるミニマリストのものの減らし方心の満たし方」を流し読みした

    あえて流し読みとしているのは、実際のところは受け入れ難いものという偏見で読んでいるという事の明示と捉えてくれ諸兄。もちろんAmazonプライムの無料枠。

    「ものごと」が少なくて済むのはある意味満たされているからだともいえる。節約・防犯・健康・名誉…これらに非常にシビアに気を遣う必要がある環境と、まあまあのほほんとしていても平気な環境では、後者のほうが暮らしやすいだろう。人生でお金の不安もなく、今日も生きて帰れるのか祈る必要もなく、ちょっとした体の不調を覚えてはこれが死に至る最後の警告かもしれないぞと不安になる必要もなく、ご近所や職場で自分の噂話がもくもくと狼煙をあげることもなく…ええやんけ。何かを気にかけ続けることがなくとも、問題がない状態。

    ミニマリストっつーぶっ飛んだユニークな人たちがいる。らしい。持ち物を悉く減らして生活をしているらしい。洗濯機も無い。衣類も最小限。仕事は…流石にするんだろうか。洗濯機は無くとも服は汚れるというわけで、どうしているのかと思ったら回収や配送をしてくれるクリーニングを利用していたりするらしい。この話を聞く限りでは、自分でこなすべきタスクとそのための道具を丸投げして他人にやらせているだけだな、と思った。物を減らしてものごとを増やしてないか?なんでいちいち発想と受け取りなんてこなさなきゃいけないんだ?…でもなあ…自分も遠方への移動は公共交通機関あるいはタクシーだ。どこかへ移動するというタスクを他人に任せている点では何も変わりがない。そして、物がなかったら暮らしやすいと思う事は、ままある。どこかにはっきりと線引きがあるんだろうか。

    もし、生まれながらに上記に挙げたようなミニマリストの生活になれば、洗濯をしたことも無いまぬけな大人が誕生することになる。一方で、俺だって例えば着物の着付けなんてしたこともない。ただただ、時代の流れとかそんな理由で、着付けが出来なくても不思議に思われることはないし、気にかけなくても問題がない状態だ。洗濯など自分ではしない、という暮らしとどう違うのか。

    わざわざミニマリストなどと広く呼ばれるほどには堂々と暮らす人々、何を語るのだろうか。ここまでイントロ順調!メディアみたいですね!

    書籍はこちら。

    ということで読んでみると、テレビもあるし乾燥機も洗濯機もある。テーブルにソファもある。インテリアが置いてあったりする。インテリアなんて一番無駄なものでは…?そして何より家を持っていたりする。なんだこれ話が違うぞ🤔

    ああ…「ゆる」ミニマリストってそういう。本書に出てくるサンプルは、家族での暮らしも多い。だから、自分が見かけたミニマリストとは全く別物だ。あれはいわば原理主義的なもののようか。自分の印象でしかないが、本書に出てくるのはわりと裕福な人たちに見える。暮らしに余裕がある状態から、整頓してこざっぱりしました、というだけの話だった。beforeとafterの画像も掲載されているが、自分の印象を裏付けるりっぱなお宅ばかりに見えたぞ。

    15分ほどで読了。整頓された家が快適です、なんて人類が洞窟に住んでいるころからその通りだろうし、そこに学びはなかった。自分は先に挙げた原理主義的なまでのミニマムな暮らしに何の価値があるのか、という所を知りたかったわけで、全くのお門違いでありました。

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    「ドライブ・マイ・カー」を観た。

    なんか話題になった作品だと。そして「ドライブ・米・カー」の元ネタである、ぐらいの認識だった。しかしあるとき、そんな芸人のyoutubeチャンネルやら適当に流しながら作業していると、めちゃくちゃいい歌が流れてきた。「グランドエスケープ」という曲だった。誰やねんとググるとこの「ドライブ・マイ・カー」に出演している三浦透子という女優さんが歌っているバージョンだという。折角だから映画も観てみる?

    ※観終わってから「インターナショナル版」というバージョンだったと気づいた。何か違うのかね。

    この主役の人の話し方は素なんだろうか、役柄なんだろうか。作中の設定とそこでのロシア文学?の演劇という題材もあって、あえてこういう話し方をするトリック仕込みの作品なのかと少し疑いすらした。カメラを止めるな的な…。話し方というのは、いわゆるダイコンという意味ではなく、朴訥といえば正しいんだろうか。そして主役のみではなく、全体的にどこか不自然な言葉という印象を受けた。なんでだろう。朴訥なのは静かに淡々と進めたい作品と言う意向だと納得もできるが…うまく言い表せない違和感。なんだろうなあ。

    んで、またセックスの話でてきたよって辟易する。「また」っていうのは個人的に日本映画あるあるなんだよね。人間関係はセックスで済ませる、みたいな。あるいはイタコみたいな超常現象が起こって物語に都合が良いのか。これがテレビなら、お色気シーンだけでも視聴率を高くする工夫だって、こち亀で書いてあった。その通りかと思う。水戸黄門だって入浴シーンがあったりしたと思うし、バカ殿はおっぱいポロロンって出てた。時間単位で人の目を引き付ける工夫ですな。

    そのテの工夫と同じベクトルに感じてしまう。ちんぽまんこ見えてますぐらいやるなら、それはそれで面白いかもしれないが、興味深いって面白さじゃなく、失笑してしまうかもしれんよそんな場面が出てきても。でも一時停止で確認ぐらいはするかな🤔🔍

    あと、警察の人が劇場でマイク借りて使う場面は、何かのパロディかオマージュだと思うのですが、わかりませんでした。あるいは実際の逮捕でそういう事例でもあったんでしょうか?演者のアドリブでしょうか。

    作品を知った経緯に反して、ずいぶんつまらなかったという印象です。しかし3時間の鑑賞に堪えたのは、映画の造りが上手だからでしょうか、正月休みで時間だけはあったからでしょうか。

  • どくしょかんそうぶん

    「家電批評」を読んだ。

    Amazonプライム枠で置いてありましたので、読んでみました。

    生鮮食品以外の買い物はネットが中心、お仕事はテレワークが出来て、テレビも新聞も何十年も触れてない独り身となれば、世の中に知らない商品が溢れていることに驚くばかり…と書き始めたいところ、SNSやらYoutubeでいくらでも目にするのでした。「令和最新版!」とかいう怪しい商品広告ではなく、実際に使っている様子とかが見れる。それにしたって”案件”という事もある時世ではありますが、ステマが法で禁止されたので真っ当に営業しているところは真っ当に情報を出してきます。

    正直に言うと、上記の流れもあって知らない商品というものは殆どありませんでした。個々の商品を全部把握しているなんて意味ではなくて、衣類のしわ伸ばしスチーマーだとか、ロボット掃除機だとか、食器洗浄機だとか…商品カテゴリって表現すれば良いんですかね。こんな事が出来るんだ~って商品も見つけましたが、想像の範疇という感じ。例えば米と水を入れるのも自動でやってくれる炊飯器とか。そのぐらいの技術は存在するだろう。便利かな?でも無洗米限定だってよwwwそりゃそうか🤣🤣

    そういうわけで、ざっくりと2冊ほど眺めても「ふ~ん」ぐらいの感想で完走してしまった。本書は批評と銘打っているだけあって、プロがちゃんと試してあれこれ意見を述べているらしい。でも新商品が主だろうから、使い込むほどの時間はないだろうし…ちょっとした参考程度にしかなり得ないかなあ。そのちょっとした情報が買うものを決める後押しになるというのは、経験もあるところだし、理解できます。それにしたってもっと多方面の情報ソースをあたりたいのこころ、これ現代人の製品仕様よ。あまたのソースの一つと考えれば、とても有用な書籍で御座いました。

    そうだよな、実際に買いたいものがねえのに眺めてんだからこっちは。じっくり読み込むこともなかったんです。しかし一つだけ、目に留まったのが電気圧力鍋でした。詳細までは読んでないが、うっかり煮物を放置しても焦げないのかも?とか思いました。でも、メンテ面倒そうだとぱっと見で判断して次のページへ進んでしまいましたとさ。

    自分はいまだにロボット掃除機も食器洗浄機もドラム型洗濯機も使ったことがない。そういうものが必要になる暮らしというのが、庶民の目指すところなんでしょうか。(´・ω・`)善処します…

  • どくしょかんそうぶん

    「教養の世界史」を読んだ

    本書の正式タイトルは「ビジュアル版 経済・戦争・宗教から見る教養の世界史」となる模様。高校の頃の世界史の授業を思い起こす一冊で、内容は歴史の教科書だと思ってもらえれば相違ない。なかなか充実しており読みごたえはある。自分はダラダラと流し読み程度で済ませてしまったけど、本書をしっかり読み込めばそこそこ勉強になるんじゃないか。

    世界の歴史ねえ。

    テストの対策という観点に立つと、人名とか年代とか地名を延々と暗記するという勉強が好きになれない人も多いと思う。それは確かに面白くないのだが、お気に入りのバンドのメンバーの名前のように興味を持てばそれぐらいは覚えることができる。ところが興味を持つ、という所のハードルが高いのは、もしかしたら教育一般に言える事なのかもしれない。例えば自分が高校生の頃、三角関数とか微分とか学習した記憶も無いが、履修したことにはなっているのだろう。センター試験の数学も受験した筈なんだけど何も覚えておらんねHAHAHA。

    ここで言う「世界史」とは地球の歴史であり、人類の歴史。物語。ドキュメンタリー。当時実際に存在したであろう人に、当時実際に覚えたであろう不安、興奮、悲しみというものを語らせる事ができれば、興味を持ちやすい。ここは漫画の出番か。これは興味を持たせるにはとても良い方法だと思う。学術的に見たら少々正確さに欠けたりするのかも知れないけど…ええやんけ細かいところは過去の事だし。本質的な細かいところには、それなりのアプローチの仕方があるのが学問てもんじゃないか。世界の歴史のとっかかりに漫画を用いることですんなり導入が進むんなら、とても良い事だ。歴史に限らず、動画サイトであの首人形が紙芝居しているものが人気になったりするのも、なんかこう、ざっくりとした理解が早いが良いのかね。

    本書は漫画ではないがビジュアル版と言うだけあって、図解・資料画像がたくさんある。とはいえ、既存の教科書の域を脱すほどではなく、まさにイメージ通りの「世界史の教科書」という感じだ(※個人の感想です)だから、自分が学習していた頃のイメージもそのまま蘇ってきたのでありますぞ。「ある出来事の筋書きは面白いけど、人の名前や国の名前がドガガガガガって沢山出てきてついていけねえ」これな~。

    「カノッサの屈辱」って有名なフレーズだと思う。教会の権威が高まり、皇帝が教会と揉めて破門されたら、臣下が手のひら返してきた。しゃーないので、教皇に許してもらうために皇帝が修道士の身なりで三日間屋外に立ち尽くした。これは興味深いエピソードだ。現代ではあり得んな、とか、自分がさせられたらたまったもんじゃねえな、とか、俺が偉くなったらあの上司にやらせたるわクソが!!とか想像するのも楽しい。漫画映えもするだろう。世界史の、人類史の名場面ってところだ。

    この教会とは何か、なんでそんな権力があるのか、という設定に関する疑問、興味が歴史を学ぶ上で肝要だと思うんだよね。この二人の名前なんてどうでも良い。どうせこのエピソードだけの一発屋だ。年代も大体でいい。●●よりは古い話、だけど●●よりは後の話、ぐらいの理解で問題ない。この●●との相関関係を把握すると、どんどん視野が広がっていって、こういう人々の物語こそが歴史のうんぬんかんぬん。しかし実際は「効率的なテスト対策」ぐらいにしかならないのかも。「興味を持つ」なんて簡単に言うけど、持ったところでちょっと調べてふーんで完了してしまうもんなのだ。現代なら先にあげたような動画を眺めてゆっくりする程度。ただ、それでも一般人の教養としては十分だと思う。有用だと思うんだぜ。

    イメージで捉えていく。文章や資料から、きっとこうだったんだろうなあという風景が頭に浮かぶ。その風景の中、旅をする自分自身の姿が見える…。これができると世界史の勉強も楽しいと思う。自分が登場する世界のディテールを補完するために、例えばゴシック様式の特徴だとか、農民の暮らしの細かいエピソードとかでパッチをあてていく。さながらこのパッチのスターターパックが漫画形式の表現ということになるだろうか。

    俺は一体何を言ってんだと自分でも思うけど…。こんなファンタジーを持ち出さないと馴染めないような学習科目だってことはないよ。でも、子どもの頃の勉強なんて面白いわけねえし、無理やりにでもひねり出したような工夫の一環ということにしてくれ。円周率を3とか言いだすより遥かに遥かにマシなアイデアだということしてくれや。

    現代。

    今の我々の暮らしは、少なくとも視覚で捉える情報はそのまま後世に伝わっていく。ほぼ確実に動画というフォーマットで音声も共に残っていくだろう。将来の歴史の勉強はどうだろう。面白いだろうか。とんでもないfake動画が教材になったりするんだろうか。何故fake動画が作られ、残っているのか?これを1万年後に推測できるというのが、歴史のお勉強なのかも。しかしその一方で何も残ってない可能性だってあるのか。デジタルデータは全喪失しうるもんなあ。全喪失に備えて、石板でも用意するかあ?

    ここで個人の思い出のお時間です。

    自分が学生時分に世界史の勉強として苦手だったのが、中近東からアジアにかけての歴史。ローマ帝国以降、あまり印象が無いくせに名前がちょこちょこ変わる。ちゃんと学んだ人にはあり得ないんだろうけど、アケメネス朝とかササン朝とかアイユーブ朝とかマムルーク朝とか混沌としていてわからん。ティムール帝国とムガール帝国ってインド?とかほんと覚えてない。十字軍の頃はなんだっけ?モンゴルの勢力はシナイ半島まですっぽり征服したんだよな?んで気づいたらオスマン帝国がWW1に参戦してる。あれ?その時はトルコか?

    芸術関連も覚えるの苦手、というかちゃんと覚えるのは諦めていた。とくに文学作品と著者。絵画や音楽と違ってなにも現物のイメージが無いから、きっかけすらない。近代になれば読んだことある文学作品だって登場するんだろうけど、唐の詩人とか知らねえって。一万年後にはどうなっているんだろう。自分が生まれてから45年ほどの歴史が、どのぐらい圧縮されて残っていくんだろう。911も東日本大震災も、年表に残らない程度の事件になっているのかね。

    なお、歴史・文化関連はこういう気合の入った手作りサイトもまだまだ有用。

    世界史の窓 (y-history.net)