ふでのゆくまま

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    300 is greater than 100

    いわゆるエコバッグを買い替えた。100均の商品から、300円均のものにアップグレードだ。たった300円と言えども、価格3倍の商品と考えるとそりゃあ大層な違いがあるわけで。先代は100均のものながら2年近く使えたのではないだろうか、まったく大変に素晴らしい。さあこれからは3倍のクオリティを堪能させていただくとしよう。中に入れる物だって3倍のお値段にしたったろかHAHAHA。しかし100円バッグに入れたもので一番高かったのはなんだろうな?お財布?そういうことじゃあないんだよ。

    きっとウナギの蒲焼かな?3000円ぐらい?ほかに候補は何かあるか。このバッグで買い物行くのはご近所だけだったから、候補も数店舗に絞られる。お酒のボトルは何年も買ってない。ああもうウナギで決まりだろう。じゃあ3倍は9000円だ。ご近所で9000円を超えるものを買うとなると…なんだろうね。高い書籍か?電子書籍で買わない(買えない)高い書籍ってなんだよ?そもそもお値段9000円の商品ってのが、日常買うものに少ない。スーツなんかもこの袋ぶら下げて買いに行かねえし。あー…靴はあり得るか。もう10年ぐらい靴屋さんで靴を買ってないな。

    「ひゃっきん」が一般的になったのは、いつ頃なんだろうね。自分が知ったのは東京に来てからだと思うから、最初に利用したのは大学生のころ。20世紀。初めて買ったのは何だったろう。収納小物か文房具、食器、タオル。そんなもの。

    んで、無印良品が人気が出たのも、その前後だと記憶している。実際に買い物もしたけど、生活に必要な商品なんて、どこで売ってようが必要な機能は同じ。だから、100円で売られている一方で無印の商品はクッソ高いじゃねえか!と思った。当時は親の多大な援助があったとはいえ質素な暮らしではだった。じゃあ全部100均で良いじゃねえかと、半ば憤りに近い感情を抱いたかもしれない👿しかし、どこのファミマにも無印良品が置かれるようになると、メモ帳とかハンカチとか良く買っていたな。思う壺ゥ!!

    実際のところ、100均のタオルなんて目隠しにもならんほどスカスカで、擦り切れた中古か?というような商品だってある。雑巾としても役立たず。そこんとこいくと今治タオルは段違いに良い。世の人に曰く「安物買いの銭失い」と。しかし流石に100円だってえと、そんな戒めもいったん横に置いておくことある。一旦は自分で使ってみない事には何にもわからん。メッシュの小物入れとかクリアファイルなんてものは100均で十分だ。扇子も買ってみたら快適だった。最近では、世の中にこんな便利なものがあったのか!というものが100均に並んでいる事もあるんだから、捨てたもんじゃないのよ。

    さてハサミが壊れた。刃物なんかも100均ではちょっと不安が残る。かといって「高級なハサミ」に自分が買うだけの価値あるか?ハサミで切るものは、商品の梱包とかでしかない。高級なハサミを買ったからって、切るものが増えるわけないじゃないか。「よぉし奮発して何か切っちゃおう♪」ってなるわけないだろ。

    500円のコクヨのハサミをお買い上げ。10年ぐらいは使うつもり。

  • ふでのゆくまま

    秋を愛する人は

    …なんだっけ…?

    で、今年も秋が無かった、という見解が世間を席捲。寒暖差が激しいという事それ自体は春秋の特徴だとは思うんだけど、11月初旬の東京で27度は度を過ぎている。翌週には11度だ。なんだこれ自転軸が傾いたのか?

    読書の秋だとか、食欲の秋だとか、昨今言わなくなったような気がする。暦の上では秋というのは毎年耳にする一方で、昔からの秋プロモ定番の言い回しが、廃れてしまったんだろうか?そもそも。読書だってグルメだって、季節を問わず楽しめる筈だというマジレスがあるわけで、秋に何かに勤しまんとするモチベはどこにあるのか。…そりゃあ、気候だ。日々過ごしやすく、何かに取り組んでみようという心持ちになるんだろう。農作物も収穫の時期を迎えて、何かこう一区切りできた、という感じがあるのかね。事務職に在っても、古くからの企業には会計年度が4月初まりという事も多く、10月にて前半期の決算となるわけだ。業績が悪いと修羅場ではあるんだろうけど、だとしても区切りは区切りだ。日本人が重視しそうな風習だよな。終わりよければすべてよしなどと申しましてな。終わったことにする技術。

    あれ?台風。秋と言えば台風だ。今年は台風来たっけ?リモートワークが多くなってから自転軸の傾き天気情報に疎くなったけど、災害情報ぐらいちゃんと見ておかないと。実際に少なかったようだ。日本に到達する台風が少ないというよりは、発生しなかったと読み取れる。

    https://news.yahoo.co.jp/pickup/6481162

    人類の居ない時分から氷河期になったり戻ったりして、地球は常に変わっていくものだと思います。風情や情緒も地球のご機嫌を伺いながら変えていくのが、人類の知恵ってもんでしょ。今年の秋はなかった。辛うじてかぼちゃの煮物がそれっぽかった。来年には晴れた休日に落ち葉をカサカサ踏みしめてお散歩できればよいよね。

  • F.U.C.K.,  ふでのゆくまま

    イスラエルとパレスチナと

    専門家でもないので具体的な意見もないし、事実認識に正確性はありません。

    ただ、素人目にも今回は双方の本気度が伺える。ガザからイスラエルの市街地へロケット砲数千発。イスラエルから反撃の空爆でビルが消し飛んで、酷いことになっている。

    あの土地での騒動の度に、どんな背景で揉めてんだっけ?と軽く調べたりする。いわゆる「三枚舌」とも揶揄される、WW2状況下においてのイギリスの外交が良くなかったという意見には頷ける。ただ、wikipediaぐらいの簡素な記事で調べても、その後のパレスチナ側の組織で分裂やらなにやらがあって、ひたすらにややこしく暴力的な方向へ転がっていったような印象もうける。オスロ合意はニュースで見た記憶もあるけどなあ。クリントンの前で握手する二人の画像。その後の武力衝突により、オスロ合意は反故にされたというのが一般的な認識らしい。

    この問題の解決ってありえるんだろうか。何度も戦争を続けてきた結果、遺恨だとか感情の話が表に出てきてしまって、さらには過去の歴史とかも掘り起こして、ついには何の理屈も意味をなさなくなっているんじゃないかしらん。落としどころが無いんだろう。文化的にそういう思考もないのかもしれない。何度もお互いに攻撃をやめましょう、ぐらいの話にはたどり着いたと思うけど、ハーフタイムみたいな休憩に過ぎず、すぐに次が始まる。長年の闘争で家族が殺されたとかそれぞれの感情が絡み合って、落としどころが見つからないんじゃないか。手打ちにしましょうと言いだせない。もし民の声が、お互いが灰になるまで焼き尽くし合いを望むならば…いやいや、本当にそんなことあるか?過去の歴史によれば、宗教や民族という要素がお互いを焼き尽くすほどの燃料になるということは、なんとなく察する。さらには陸続きのお隣りだから遠慮や加減がないのかね?

    かつてとある東洋の島国が。

    もろもろあるけども、事実として開戦に至った。開戦やむなしと判断がくだるような”圧”を受けたという。その後どうなったかはご存じの通りで、もう80年になろうとしている。80年。この80年の間にいろいろあったけども、少なくとも民間人が爆撃されて死ぬようなことのない平和が訪れて、戦時の感情は徐々に中和されていったと思う。関係者が亡くなったり、組織がなくなり、国際的な事情に流されて、いろいろいろいろあった。パレスチナだって、例えば2世代ぐらい平和が続けば、根本的な何かが解決していかなくても、徐々に良い方向に向かっていく可能性もあると思うんだけどな。

    炎を消すのに犠牲が要るならば、外から燃え尽きるのを待つのが合理的な判断になるんだろう。どうなるんだ😥


    いろんなサイトであの辺の地図を眺めていると、英語表記のものがあった。ガザ地区は”Gaza Strip”で、ニュアンスはなんとなくわかるような。ヨルダン川西岸は”West Bank”となっていた。ただ、西岸なのか。テルアビブは”Tel Aviv-Yafo”だった。合併前の都市の名前が残っているみたいだけど、日本語でそんな言い方は耳にしたことないなあ。

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    靴の穴が

    ここ二年近く、ご近所の買い出しやお散歩で使っていた靴に、穴が開いた。というのに電車の中で気づいた。いつから開いていたのか。歩数にして200万歩は歩いているので、十分に働いてくれた。靴底を眺めてみると、結構すり減って平らになっている。まもなく穴が開いて、水たまりの水がしみてくるようになる。理屈で言うと単純に滑って危ないし、もうちょっと早くに履くのをやめるべきだったんだろう。

    足のサイズにもフィットして大変に良いというわけで、同じ靴をストックしてある。よろしく頼むやで二代目くん。…さて、三代目も用意するかという話になりますが…これは保留。初代くんの亡骸は、燃えるごみとして荼毘に付される。どうせ燃やしてしまうなら、分解して使えるものをいただけないか。例えば衣料品でもポケットの部分を切り取って収納に使うとかある。しかし、靴では…。結局捨てた。

    昆虫くんが屋内に登場したときに、叩き潰すウェポンとしてはどうかと思ったんだけど、ここ数年はスリッパを導入したので足りている。手にはめて鍋掴み!持ちづらくて危ない。ソールの部分にしてもすり減ってボロボロだし、何かに使えそうって気にはならない。質の良いゴムではあるんだろうし、無理やりドアストッパーとかに使えるかな。机の角とかに貼って、怪我防止とか?

    皆さんも靴の使い道など模索されては如何でしょうか。

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    暦の上では

    暦の上では秋ですね、という言い回しがあるけど、これが今後一致することあるんだろうか。本日は暦の上では秋ですが、なんと!現実世界でも秋になりました!うおおおお!!全員優勝!!

    外に洗濯物を干したままなのを、風呂に入るときに気付く。服をもう一回着てから取り込むと、夜を吸い込んでじんめりといやな湿り気。自分が外に出ると干してあるのが見えて、そこでああ取り込むの忘れてるな、なんて気づくんだけど、外に出ないと視界に入らないから取り込むの忘れてしまうことが多々ある。雨戸を閉めていれば雨が降ったのかすらもわからない。

    わたくし、てくてくと道を歩きまして、イベントホールから交差点一個ぐらいの公園で休憩していると、茂みや壁に向かって並んで立っている人の姿が目に付く。ああこれは、以前も見かけた、ネタ合わせというやつだ。もう日が暮れかけて、姿は良く見えない。これから本番なんだろうか、最後の練習と言ったところか。この場所でそんな姿を見かける事自体は何度かあったのだけど、この日は数が多かった。そうなると、遠慮がちに人のいない場所を選んでいた芸人たちも、増えるにつれ徐々に場所がなくなって、人のいるほうへ近づいてくる。ついに隣のベンチで漫才始まってしまった。聞こえないふりをするんだけど、聞こえてないわけない。面白くはなかった。こっちとしてはゆっくりしたかったところを、悪気はないとはいえ邪魔された形になるので、意地になってスマホの画面を見たまま居座るのであります。そのうち何か面白い事いわねえかな、ぐらいの期待もあった。

    というところで気づいたんだけどこいつら酒臭い。なんだこれ。披露宴の余興の練習か?もし芸人だったらお前らに売れてほしくないなあ。だって嫌だろうそんなの。売れてほしくないあああああ、こいつらああああと強い思いを胸に抱きまして立腹。立秋やからもうええわ。

    ムツカシイ書籍に挑戦しようのコーナー。1年に1回ぐらいはトライしたい。暦の上では三日で心が折れると言われておりますよ。前回その枠として採択したのは…「塗仏の宴」だろうか?長い物語だったが、面白かった。今回の候補は、「カラマーゾフの兄弟」あるいは「重力の虹」あたりを考えた。後者は難しい文学みたいなキーワードでググればすぐに出てくるぐらいの本命ではあるが、電子書籍が見当たらなかったので除外。そんな理由で弾いて良いのかと憤る読書家の諸氏もいるかもしんねーけど、令和5年であると認めたまへ。前者は電書があった。う~ん、これかなあ。しかし古い本ばっかり候補にあがる。新しい作品も読んでもいいよな。うーん。そうそうそ、ライトノベルってのも読んだことがない。ライト?ノリが軽いの?わからん。

    もう一つの候補、「裸のランチ」も電子書籍が存在しなかった。あれれ。きっと電子書籍化するのにもそれなりにコストがかかるんだから、売れそうにないものは今後も電子書籍に出てこないんだろうか。いずれ世の中から消えてしまう?でも世の中には「自炊」している人がいると期待すれば、地球のどっかにはデータがありそうだが、自分の手に入らないのであれば、どこにもないと一緒だ。

    そうであれば―――青空文庫を覗いてみると、ニコライ・ゴーゴリの「鼻」を見つけたのでなんとなく読んでみた。これは何かのパロディなのか風刺なのか…あまり面白くはなかった。

    あれこれ言って、結局「文学部唯野教授」をkindleストアでぽちっと。筒井康隆は若い頃にブックオフでだいぶ買ったけど、これは読んだ事ない。…筈。「今夜、全てのバーで」の時みたいに、クライマックスで読んだことあると発覚するかもしれない。まあええか。覚えてないのであれば、どこにもないと一緒だ。

    暦を数えるだけの理性あればこそ、季節を追いたて足が早まる。

    まな板を買い替えた。