ふでのゆくまま
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嘘がない
自分が子供の頃にはもうエイプリルフールなんてイベントはあったと記憶しているけど、自分個人で嘘をついてもまあ家族相手にするしかなく、当然ながら特に面白いことはなく、田舎の子供に退屈な春休みの暇つぶしにすらならなかった。
一過性の虚偽の情報で騙してオシマイではなく、それとなく繕うというか。さも当然であるかのように振舞う、というのがエイプリルフールの楽しみ方なんだろう。大学生の頃に聞いた愉快な話を一つ。知人の友人の親戚、要するに他人だけど、そのご家庭ではある日(まあ四月一日なわけだ)目覚めると、家族がみんな英語で会話していたそうな。ははあん、と気付いた彼も負けじと「ぐっもーにん、だでぃー」なんて返していたわけだけど、楽しいのでやめるきっかけもないままに朝食になったらしい。ま、流石にここにネタは仕込まれていなかったのだが、丁度そのとき隣家より町内の回覧板が届いた。「はよーす」なんて言っている隣家のおっちゃんに、応対した父が英語を貫くか日本語で答えるか迷っている風だったのだが、父が突然爆笑した。回覧板がJapanTimesだったんだと。
さて、今年の嘘はここまで。作り話で、また来年。
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飢えている子供も腹いっぱいになったら残すわ!
松本仁志氏の名言とされている。
「人間」を助けるという認識が薄甘いものだったと気付かされる。我々は先人たちの努力、八百万の神、あるいは単に偶機によりて飢えることもない日々を教授しており、また一方で飢えている人が居て、博愛、及び友愛の精神を以って扶助せしめんとしたが、結局はその状況だけを曖昧に把握しており、苦しんでいるのは「人間」であるということをすっかりわすれていた。グラフの差を埋めるだけでは足りないのだよなー。
「パンがないならパンを与えればいいじゃない!」
そういうことではないのだろう。んじゃどうするんだろう。んとに難しい話。
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サシで。
風のない世界。そのガラス窓は開かれることはなく、窓というよりは透明な壁。常にブラインドが下ろされていて、外の景色を見ることはできない。時折顔を上げると、夕日が漏れてきていることがあって、どんな景色が広がっているのだろうと空想はふくらみ、終には窓ガラスを内側から吹き飛ばす。地面に降りる前の雨の匂いがする。ぐえええ、傘がないとうろたえる勤務中。
予約の時間がだいぶ遅くからしか取れなかったが、それでもやや遅れてしまいそうになり、駅から小走りに駆け出すも雨脚はカモシカの脚のようにピチピチしやがって遠慮なく肩に額にてめえ殺すぞ、こりゃああかんとコンビニへ駆け込み、傘を買う。中国人の店員がそぼ濡れた自分を一瞥して、何も言わずに包みを剥がす。広げたその内側から腐った雨の匂いがし、掲げたその外側にはやがて待ち人の姿が滲んで浮かび上がる。本日も、サシでオフる。
都内某所の豆腐の店。俺の体には少々椅子が狭い・・・。豆腐は美味。隣の席が団体でやや五月蝿い。サシでオフるにはもっと静かな所が良いが、前々回も前回も喧騒であったのを思い出し、「もてなす」というセンスにかけては皆無どころかマイナス一個の光粒子。蒸篭の内側から腐った豆の匂いがする!大変に美味い!
どうでもいいが、前々回というのは店員がマイクで「ビンゴげ~む!」などと始めてしまい、前回は隣の席で客同士が揉め始めるという酷い体たらく。次にサシオフの話があったら相手に店を決めてもらおうか。当方酒とタバコが苦手です。
お会計8900円ほどであったが、当然初対面である仏像が、人見知りなどと言いながら、オフ会初めてなどと言いながら「キモメイツ」などと法学部卒でありながら法的根拠に乏しい縁組を押し付けるので、呪いの言葉を思い浮かべるなどしていたら実に6000円ほどを負担してくれたので素晴らしい人格者であると思い直した。ついでに終電も逃したようなので全くもってお疲れ様なことでありました。
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ぼーふーう
前の日に夜更かししても休日も普段どおりに起きることを敢行している。目覚ましの設定が面倒くさいのと、生活のペースをなるべく乱さないようにするのとかまあそんな感じ。ついったのログを見たら大荒れの天気とのこと。まったりと拝読中のサイトなど巡り、コンビニでスカスカの弁当量に愕然とし、朝エサを済ます。最近ゴルゴが面白いのでさっきコンビニで買ってきたのを読む。最近のゴルゴってセックスしないのな。お子様にもお勧め!相変わらず人は殺すけど!
定額給付金っていつ貰えるのだろう。某サイトで定額給付金って毎月ですか?みたいな質問があって、笑う前に寒気が疾走した。どうやったらそんな発想に至るのか、と思ったけど、「定額」って言われると、まあ、なるほどとも思わなくもないけど、それは無いと判断するのが世界の条理である。
風収まらないな。出掛ける気にもならんな。
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ねいる
胡瓜を軽快に切り殺いでいたら、手が滑って、いや本当に手って滑るのな、胡瓜の向こうに隠れた左手に物理刺激を骨伝導。アッーーーー!!朱に染まる俎板、宗教上の理由で血は吸わないのだけれど、物理の内にありて、浸食を拒まず照っており。鉄分の発色を湛える野菜の勇ましさ。ステンレスの融点が水道水の底に見え隠れしており、乱舞蛍光灯をなぞれば捲れる家庭の医学、ちくしょう、目医者ばかりではないか!!はてはて、偉大なるかなレナードダヴィンティ、左の爪に欠損を認めるも薬指は斜めにずれた胡瓜を躾けているのでありました。いたくないもおおおおお。
包丁など要らんのではないか。皮を剥くにはピーラーがあり、肉を切るには鋏があり、刺身などそのまま齧ればよい、ジャガイモなど叩きつければ火の通りも早い、玉葱は全部剥け、にんじんは齧ればまさに一口大、茄子は引きちぎれ、嗚呼しかし納豆に入れるネギを切れない、俎板を叩くリズムが掴めない、非武装地帯の鉄量の撥音を讃える複数原料米の沸点が子供の視線に合わせてある湯気の向こうにカーチャンの笑顔、おなかすいたもおおおおお。
などといった美しい夢を見ていた。その実は魘されていただけであり、欠勤し、寝入る。
ここ数日は美しい月夜、本日傘も壊れる濡れた夜。