ほしの降る街を
星が降る夜、などという表現を最初に使ったのは誰だろうか。
例えば実際に星が降ってくればそれは未曽有の大災害であり、下手をすれば地球ごと無くなってしまう。いま自分が知っている表現とはだいぶん印象が異なる。観測事実から生まれたものではないようにおもう…であるならば、例えば「河童の川流れ」なんてのと同じ、たとえ話や説話のようなもの。あるいは「杞憂」のような故事成語っぽいなにか。ことわざとか。
しかしそれならば何かその表現の影に真に意味するところがある筈なのだ。河童の川流れならば、達人でも失敗することはある→みんなも気を付けようみたいなこと。辞書にあたれば「星降る夜」は夜空に多く星が可視状態であること。雨というのは空が雲で満たされやがては雨粒となって空いっぱいから降ってくる。この現象に例えて、昼で言うならば雨雲が淀むが如くに、夜空にお星さまの賑わいがあるという感じ。雲に同じく見上げればそこにあるという事で、ご都合もよろしい。
よろしすぎないか。
実際に降ってきたことはないのだ。流れ星を見つけて星が降るとしたのだろうか。だったらあれは流れ星ではなく、語呂もよろしく降り星(くだりぼし)とでも言うような。ああそもそも読み方が違うのかもしれない。ほしふるよるではない、ほしくだるよる。
読み。あっ。文字より先に言葉。「ほし」「ふる」という言葉に、我々の馴染みではない意味があるのではないか。日本の古典や文学に詳しい人材おらんかな。おらんかなあ。あなや、こんなところにインターネットがおはします。ここでは無限に情報が降ってくるのだ。引用部はリンク先。
http://linguisticrootsofjp.web.fc2.com/expressiontowonder/expressiontowonder_1.html
「ふ」という言葉はいろいろの意味を持っているけど、そのひとつは、「表面」、「外観」、「界面」
を意味する。「ふりをする(振りをする)」、「ふくれる(膨れる)」、「あふれる<あふる>(溢る)」
など、同じ謂れだ。ここの場合は「ふる」というのは「表面を覆う<おおふ>」ことを意味する。
説明としてはとても納得がいくものだ。星の降る夜とは、星が一面に視認できる夜空である。雨が降るというのも、視界が全て雨に覆われるもの。高所から水分が落ちてくるという事象との相関はこの星降る夜という表現においては、実はあまり問題にされていないのではないのか。
いやいや…。我々の頭上というのは単にモノが落ちてくるだけの世界ではないではないか。天の恵みの例えの如く、その御座には神様たちがおって、何がしかこの地上に寄越してくる。其のありがたみにあやかっているのだ。星々の美しさを素朴に例えた、などと薄甘いだけの由来ではあるまい。星が降る夜があれけば、お天道様のご機嫌な一日がやってくるやも?慎ましく大地に生きた人々の、明日への希いがここにありはしないか。
現代も星空に願いを託す人は少なくない…ろまんてっくな観測によれば一応はそういうことになっている。お星さまはご健在だ。だけどもう少しすれば、夜空にはきっと何か目視できる人工物が浮かぶかもしれない。ほら、大地を離れて暮らす人々の巨大なお住いとか?案外お星さまよりは願いを聞いてくれそうであるな。
我々はこの星を離れ、いずこに願いを託しましょう。星は上下左右に「降って」いる。星空どころか空や星座ですら地球でのローカルルールでありました。絶やされることのない祭壇の炎の如くに、象徴としてのお星さまが、見据えて願いを託す、人たるものとその外を隔つ門が要るのです。篝火よ。そらこぎわたるわれぞさびしき。
街の明るさに塗れてお散歩などしていると、そういう気分になることもあります。これからストレスのたまる季節になりますが、そのほんの少し手前の今だけに許される涼やかな夜更け。