日記
先日の件表で表現。今月一杯乞うご期待。
夏が過ぎて行く。今年はゲリラ豪雨なんてものが少なかったと思う。都内ではどこそこの駅が沈んだ、なんて話も聞かなかった。一方で「経験したことのないような雨」が降るなどという予報もありまして、九州とか紀伊のあたりはだいぶ被害が出た。こんな自然災害が起こると、地球は大丈夫か?などと言う人がいるが、地球はどうあっても自然現象なんて平気のカッパで、そら大丈夫に決まっていて、その上で暮らす人間なり動物が大変な目に遭う。それにしたって海が川が溢れりゃ魚が嬉しいかもしれねえし、植物が増えてこそ緑の地球ってもんでえ。「大丈夫か」なんて心配にあたらんよ。
あるいは、心配している場合ではないのかもしれない。人類の暮らしを防護する手立てが必要なのかもしれない。CO2の話は学者のデマでしたーという説が有力、という話をみみにして暫く経つ。そこらに貼ってある広告は、昔ほど二酸化炭素どうこう、主張しなくなったような気がする。京都議定書は単なる足かせで終わるんじゃないのか。アメリカは知っててバックレたんだろうか。アメリカ国内企業が、とか何となくアメリカ人の国民性を隠れ蓑に、また旨いことやられた感がなくもない。(とくに検証もせずに言っております。大丈夫か。)
あらゆる自然災害が通過し、国土の殆どが山と森ってこの国。木でも山でも神と祭り、自然に対して敬虔であることが美徳となる文化。んでも「自然と生きる」などというと話は小難しい。自然と暮らしたい各個が独自の「自然」を追い求めており、宗教戦争かSFか、血で原生林を洗う戦い、トトロも狩られて脱法レバーと成り果てる始末。
「自然に恵まれる」とは、物理的に森が近い、ぐらいの意味で考えていたんだけど、人々の暮らしが自然により崩壊しないような条件下にあるとでも考えるべきか。であれば東京の街も自然に恵まれている。南極や砂漠を考えればまあ日本は隅々まで自然に恵まれているわなあ。山を平らげ森を駆逐し海を捻って築いた大江戸より、冬場に街が機能しなくなるほど凍えもせず、夏場に人々が死ぬほど渇水もせず。現代に至って文明によるコントロールなくしては今の水準の自然との暮らしはありえないが、東京の「文明」が朽ちても人の住めない土地になるだろうか。ああ、人間以外の生き物に奪われるか。
人間+文明だけが生存できる環境ってあったら、それは自然と呼ぶだろうか。いまんとこ宇宙空間か。北極にも深海にも生き物はいるなあ。宇宙を「大自然」とか呼ばない。なんで。恵みをもたらさないからか。他の生き物がいないからか。なるほど自然とは放っとけばリンゴが食える、水が沸くみたいな空間のことか。魚が陸にあがったように、人類も宇宙での暮らしを身につけよう。手塚治虫のブッダでは命は元は一つみたいなこと言ってたな。あの漫画の描写ではどうも地球外にその大元はあったようだ。摂理に宇宙は含みませんか。描くのが楽だっただけかもしれない。
人類は宇宙から「恵み」を持ち帰る可能性がある。お、これをもとにした短篇小説のプロット(って言うんだっけ、ネタ帳のこと)を書いたのを思い出した。現物はないがふと思い出した程度の内容を膨らませて、十分インパクトがあると思うが既にだれか書いているかもしれない。オチができたぐらいで傑作になるなら簡単だわ。金になるなら書きたいが、書かなければ金になるかはわからない。野菜かよ。これはホントの脳業なんちて。
大丈夫か。