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感傷的とでもいうか
もうちょっとこう、雰囲気のある文章を書けないものかね、と思う。なかなか思うようにはいかないが。思いを「馳せる」という表現がある。夢に見た景色でも現実の景色でもいい、その「場所」へ入り込み、気温だとか匂いだとかそういうものを感じ取るように、現実には存在しないその日その時そのシチュエーションを歩き回る。単なる妄想。だけど、どうにもそーゆう手法で何かを思いおこすことが「出来た」という記憶だけがある。なにそれ分裂症かwwww
これ以上書いても自分でもなんのことやらわからないが、まー年取ったつうことで。
ところでフェースブックのプロフィールの項目、もっと自由度がねえかなと思う。嫌いな食い物とかそういうの。ネット知人も取り込んだりしているがいかんせん人付き合いには乏しいのであまり増えたり減ったりしない。誰か新規でいねえかな。
非常食の賞味期限をチェックしたら、まだ一年以上あった。一方、いまいち好みの味でないバジルとチーズドレッシングが一週間で賞味期限が切れる、まだ700mlほど残っており、賞味期限で即座に食品を捨てたりはしないほうだけど、しかしこのドレッシングを積極的に消費しようという心づもりには全くならないので…最後には捨ててしまうんだろう。
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エクストリームスポーツとして雪を掻き銃を撃つ
毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年梅年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年言ってることだけど、三月だというのにまだ寒い。確かに三月の終わりにもなれば確実に暖かいために、「もう三月なのに寒いねえ」などとのたまう。
オリンピックが終わっていた。山梨は大雪の災害だったというのに、冬季オリンピックのせいでマスコミはあまり騒がなかったようだ。クソが。よかったなおい、東日本大震災のときにサーフィンの大会とかやってなくて。ここでもインターネットは素晴らしい働きを見せた、ように見えるのは、まあ雪の中をモフモフ歩いて喜ぶ程度には自分が野次馬でいられたから。ほへー大変な事になってるなあ、ぐらいだからなあ。もしかしてインターネットに疎い人、かつオリンピックが好きな人は山梨の災害を知らなかったのではないか?とすら思える。まあこれも実際のテレビ報道を一個も知らずに言ってますんがー。
パラリンピックと戦争が始まっていた。呑気な話だと思う。世が世ならあれ全員ロシアの人質でしなかったのではないか。なんでオリンピックって開催地持ち回りでやるんだろうな。いまさら神事めいた意味などなく、完全に興行なのはわかるけど、そこまで現地に利益が落ちるものかね?参加することに意義がある、なんっつて、現地に利益あがらないようになったらどこだってやりたがらないよねきっと。そういえば北京の時の聖火リレーは酷かったが、中国のことを考えれば当然といえる世界の反応だったよな。そう。あの時はXXXXだったねーなんて思い出すのに便利かオリンピック。
そんなことよりワールドカップだろ。今回はブラジルでの開催。サッカー王国ブラジル、サッカーに詳しくない人でもそのイメージがあると思うが、ここ数年、ナショナルチームの成績を見れば王国たり得るのはスペイン。その認識はその開幕戦6/13日(金)、おそらくこれは現地時間?で、通例通り開催国ブラジルのゲームで幕を開ける。その相手というのが…クロアチアなんだよ。
そして今回、ボスニア・ヘルツェゴビナが初参加する。旧ユーゴスラビアはそこそこ強かった。国際政治的に不遇の立場にあり、思うように活動が出来ない時期も長かったが、あのピクシーことストイコビッチがJリーグに来る前後ぐらいの選手たちはすべて輝いていたと思う。ストイコビッチは勿論、ミヤトビッチ、ミハイロビッチ、サビチェビッチ、ユーゴビッチ…はああああすげええええ。ヨーロッパのトップクラスのクラブチームで活躍した選手も少なくない。当時の活躍を見てみたかったなー。ミハイロビッチのフリーキックでハットトリックはサッカー史上最大のハイライトの一つだろう。
綺麗ごとにも限界がある。それを承知の上でせめぎ合うスポーツの姿にスリルがあるというのは、リアル戦禍にある国家の選手に対して不謹慎だろうか。ストイコビッチが脱いだユニフォームの下から、NATO STOP STRIKESの文字が出てきたとき、どうしたら良かった?
もう夏が来る。
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Hope,it’s gonna never fade away.
取り壊された跡地の瓦礫はすっかりと取り払われ、更地になった。道路から更地に向かって右のお宅。その軒先から、動作感応式の、たぶんは防犯用の照明が、更地を挟んで反対側のお宅の壁に照射されている。不思議な眺めだと思って、通りがかりにしばし見つめてしまう。ここには教会があった。教会の建物は左右にほぼ隙間もなく、その間この照明はどうしていたのだろうか。明かりが点ることもある筈がない。仮に点っても照明から30cmもなく教会の壁といった状態だった筈だ。教会ができる前からあったと考えることもできるが、どれだけ少なく見積もっても15年になる。こんなもの教会の建築中に外しそうなものだが、この状態を15年放置したのか。それ以前に、ここが更地だろうが公園だろうが意味あるのかあれ。
この照明、どこを照らしてんねん?というだけで雨の中、足を止めるだけの違和感を覚える。照明なんて無造作にそこいら中に並んでいるのにね。そういえば光の量というかまぶしさの変化って人間が完治できる閾値がもっとも小さいんじゃなかったかな。その次ぐらいに音程変化だった気がする。
日本において街中の教会という施設は実に不思議な感じのするものだ。その性質上、たいていは西洋人がいる。牧師や宣教師といった類なんだろうね。日々の暮らしに於いては縁のない人が殆どだろう。祈りを捧げる神はここにはいない。そういえば初めてカメラのついた携帯で撮った写真が、当時出来たばかりのこの教会の扉だったのを覚えている。藍色の扉に赤い文字でHOPEと書かれていた。いつしかその扉もデザインが変わっていたのだが、いつのことだったか覚えていない。
ここに日曜日に集っていた人たちはどうするのだろう。
その画像がどこかにあった筈と思って探したが、それもまた、どこかに行ってしまった。藍色のドアに緋色と白で書かれた、好みの色遣いでありました。
希望はありました。
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もっと雪の降る街を
流石に二週連続となるともういいよ、となる。子供のころは毎日でも楽しかったもんだ、と書いてみたが、やはり毎日雪というほどの土地ではなかった筈だ、という結論になった。
しかして、先週よりも酷い降りだった。のみならず、週末の帰宅時間に直撃され、だいぶ急いで定時上がりしたものの、乗り換え駅のホームでちょっと押したらみんな線路に落ちそうな状況で吹雪に晒されること30分。忍耐とは。まあ、こういうのは諦めるしかない。ニュースを漁ってみると、山梨方面はさらに酷く、照明も暖房も止まった状態で車中で一泊した人たちもいたらしいので、年に10回ぐらいは巻き込まれる程度の揉みくちゃで済んだのだから良かった。
良くねえよ。こんな時、午前で仕事終わりで退社でもするのが現代人の暮らしだと思う。みんな天気を知っている、あゝこれを文明と呼ばずして。しかしながら勤務先顧客のオフィスからは「業務に支障がないように」「天候状況をみて早めの帰宅を」というクソの塊のような通知メールが飛んできた。気を使っているというスタンスだけ見せて、実際はなにもしない。これでは災害時にみんな助からないということがお分かりではないようだ。
そして誰かが死なないと改善されない。日本文化素晴らしいね。憲法でも読んで途中で燃やそう。都知事選なんて興味あるわけないだろ。前任者はなんでやめたんだ。リコールでもあった?選挙無効の訴えでも?本人が辞めるって言っただけなんじゃないの。(辞意を議会が承認した、という手続きはあっただろうけど)それで前の選挙結果はなかったことになって?で?そんなもんに我々投票してどうするの?税金払うみたいなもんだから、ウダウダ言ってないで投票しろと。ほお。ご立派なご高説で目からうんこでますね。まーそのー何か新しい政治の仕組みが要るんだろう、なんてことはきっと数十年も前から言われているんだろうな。
風刺とは正論でありますか?
春に関西へ赴く予定ができた。
しばらく店主の体調により休業していた理髪店が復活していた。新しい店探すの億劫で三か月半ほど放置してしまった頭髪は…うーん。ヘアスタイルに拘りは皆無だけど、伸びるに任せて放置しているだけというのが素人目にもよくわかる感じだ。ふと考えると大学生のころはこの位の長さでも平気だったなと。髪の長いのはNGというバイトをすることになって定期的に切るようになった。あの頃より前髪が薄くはなってるかなー。志村けんみたいにハゲる。
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雪の降る街を
ゆぅきぃやこんこ♪
東北育ちといえども豪雪と呼べる地区ではなかった。膝まで埋まる雪が降るということは数年に一回ぐらいではなかったと記憶している。それがここ東京となると、数十年に一回となるようでありまして。幸いにして週末にやってきたため、この雪で通勤に困ることはなかった。週末の用事をこなすには困ったは困ったんだが、ま、それは良い。
物珍しさに押されて、土曜の夜にお散歩と洒落込んだ。すでにここ東京では見たことがないぐらいの積雪になっていた。それでも雪の明るさに実に美しい夜の風景…であったのは最初のうちで、徐々に風は強くなり、地吹雪とでも言うような状況になり、氷の粒に全身を打たれた。んまあ、それもまた楽しい。どうせだからと足跡もまばらな公園に踏み入っていくと、同じような事を考えた輩が数名、スマホを雪明かりに照らされた薄暗い景色に向けていた。あゝ確かにこの景色は二度と見れないかもしれない。自分も真似してカシャコカシャコとあいぽんで写真を撮りつつ、わざわざ雪深いあたりへ突撃しながら小一時間ほど歩き回り、帰宅した。
途中、雪を手に取ってみると、しっとりと重みがあり、雪合戦向けの良い雪だった。信号待ちの間ムギュムギュと握って、適当なそこいらの看板に炸裂させた。何年ぶりだよおい…と灌漑にふけっていると警邏中のミニパトが横切ってぎくりとした。いや、悪いことはしてないんだけどね、なんかね。おっさん楽しんでますが~。
しかしこういう天気において、雪かきがされないご家庭があるのはどういうわけか。そのままにしておくと、踏み固められて見事に傾斜のついた氷になり、非常に危ない。東京の三割ぐらいは雪の降るところ出身だろうに、家の前ぐらいせんかいおらおら、と集合住宅すまいの楽ちんさを前面に押し出して一人憤慨、翌、日曜日に買い物にでたら「雪かきスコップ売り切れ」の札が。あゝ、そうね、雪かき道具なんて備えてあるわけがないね…。自分もないわ…。
といった景色の一部。
もっと大量に撮ったけど面倒なのでこんぐらいで。