• どくしょかんそうぶん

    「哲学の謎」を読んだ

    なんとなしにお見かけした、どなたかのお勧め書籍にあったので読んでみようとして、お買い上げ直前に30年ほど前の書籍だと気付いた。うううん。これが3000年前のエジプトで書かれただとか、ケレスの氷から見つかった書物だったら興味もわくけど、中途半端に古いと、古いのだ。古い、だけになってしまう。じゃあ今回はやめとくかと思ったけど、書名でググったら赤嶺総理が推薦しているという情報があった。ん~読むしかない。

    とはいったものの、冒頭からやっぱり退屈な話で(´・ω・`)残念な顔をしてみました。エスエフの狂言回しパートだけ読んでるみたい。たぶん、おそらく、おぼろげながら、こういう議論というかテーゼを、映画や漫画、ゲームといったエンターメインテントで消化してしまっている。こんなこと言う人いるよね~~って。例えばゲームなら、その世界でのオーソリティに対する反駁だとか、その世界に登場する人々のリアクション。そういうものがありありと目の前に浮かぶ。浮かんでしまう。既知の話。

    情報化社会とか言われてどのぐらいになるんだろ。そんな世の中でアラフィフにもなると、自らが進んで読んだことがない書籍や、見た事がない筈の映画の内容を把握してしまう。いつだったか拙ブログにも書いた気がするけど、バックトゥザフューチャー観てないのにあらすじも名場面も知ってる。どっかの誰かの哲学的な議論も、そうして触れていくんだろう。だから書籍として読んでも面白くはないのではないか。どうせ哲学に結論なんてないだろう。立場によって数パターンのまとめがあるってぐらいで。だから何を目に耳にしても「はぁそうですか、おとうさん面白いこと言いまんなあ」と賢いふりして横柄なご理解を示し、それで済む。

    そうすっと哲学って、古来からあるけど、現在に至るまで何しているんだろう。例えば科学。これだって結論が出てなくて、ゆえに今後も延々と続いていく気配がある。でもそれって、サブカテゴリが増え続けているだけで、どこかでは結論が出ている。ぽんぽんと山ほど出ている。数学のなんたらの証明とか自然現象のメカニズム、西洋医学。需要があるんですねえ。では哲学もどっかに部分的な結論あるのか。西洋人にヨガが流行った、ぐらいではなんともこう…。

    哲学についてAIに聞いてみた(GPT-5)以下抜粋。

    哲学とは「人間・世界・知識・価値の根本を、論理的に問い直す学問」である。ソクラテスやアリストテレスの時代には、「なぜ空は青い?」も哲学の質問だった。

    例えば聖書より古い時代に生き物はいたし、地球は太陽の周りをぐりんぐりん巡っている。神も居ない!これは常識なのです。この常識というのはある時まではもしかして、キチの話と処理がされていたんだろう。誰かが前前前常識に疑いを持ったから、ひっくり返って今語るところの常識がある。ひっくり返すとは怪しいとか嘘だとか喚きたてたわけではない。尻尾を捕まえるまで淡々とあるいはやっぱり少なからずは、ブチ切れながらかもしれないけど検証を重ねていったのだ。これは科学ということになっている。先に引用したAIの言葉に拠れば、そこでもう「一回そうじゃないかも?」みたいなことを蒸し返すのが哲学なのか。それだと、地球はフラットだと騒いでいる人たちも含まれてしまわないか。哲学とは陰謀論か?声がでかい香具師なのか。世界は五分前に出来上がったと(科学の立場では)反証できないだろう( ・´ー・`)ドヤじゃねえんだよ哲学鬱陶しいなあ。

    AIの言葉を続ける。

    現代に於いては「科学や社会の”前提条件”を疑う役割」を担っている。データや数式では答えの出ないことに対する、考えるフレームを作るという役割がある。哲学のゴールは「正解」ではなくて「問い続ける力を鍛えること」にある。

    とはいえ、今では名前だけ残っていて、事実上は「個人が身に着けた常識、世界観」にまとめられたと考えられなくもない。アインシュタインやファインマンが偉大だったのは、哲学を履修したからではなく、彼ら自身の思考力が人並外れていたんだろう。

    なっとく。本書は考えの進め方、展開を表現しやすいように対話形式になっている旨が冒頭に書かれている。その通りになっているんだけど、実際よんでみると上記の通り哲学であるから正解も何もなく、二人が意味不明な疑問を受け流し合う。哲学的な問いってのは、これを一人の思索でやってるわけだ。一人目と二人目を用意して。実際の進め方はどうするんだ。そんなアカデミックなものではなく、我々が既知のメモ書きとかマインドマップ的なものでやっていくんだろうか。…AI君に頼んで便利に…うーん。受け答えなら人間より自由にふるまいやがってあいつら。

    頼むにしても

    AIに二人目をやっていただくか、三人目をやって頂き奉るか。あるいは全員。これよ。これは哲学的な問いであるかに思えて、Argumentの1つに過ぎないのだ。実践できちゃうんだもの。event horizonだ。おそろしい。いや怖くもないか。閾の内側に居ながらにしてデータや数式で答えが出ない、自由な人間のほうが怖い。思想及び良心の自由は、これを侵してはならないから怖い。哲学怖い。

    「なんでい、哲学なんてもののどこが怖いって


    Q:こんな哲学者は嫌だ

    A:素足に革靴