どくしょかんそうぶん

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    「魔術の麻雀」を読んだ

    赤坂ドリブンズ所属、園田賢による麻雀の戦術書。入門書以外の麻雀の本を買ったのは初めてかな?そこまで驚くような内容は無かったけど、なるほどねーという感じ。これは園田賢しか言わんだろ~みたいなものがあると面白かったのになあ。ただ、土田浩翔みたいに宇宙とか風とか書かれては「なるほど!」とはいいがたい。だから、これはこれで良かったと思う。

    著者は、「期待値の神様」が強い麻雀プレイヤーだと定義する。期待値の最善を選択し続けることができるプレイヤー。同意できる。同意できるのに、「期待値」って言われてもちょっとすっきりしない。概念が指数的なものなのか、放銃・上がりの理論上の得失点パターンを指すのか、ちょっとあやふやというか。「8割ノーテン」って、これが7割なら何か変化があるのか。数値化、データ化してそれに準じるというのは、選択肢の王道だとは思うけど、麻雀だと自分の頭で理解できるような形にプレイに組み込めそうにない…ような…気が…するような…?

    どのみち、ランダムな要素が多すぎて正確に弾き出せるとは全く思えない。「あとツモ三回で聴牌するか?」みたいなテーマに正解がでる可能性あるんだろうか。出ないからこそ「期待値」って言い回しになるのかしらん?ゲームの性質上どうしても不確実な情報をごにょごにょして期待値を弾き出す。仮に〇〇だったら、という検証を行うことになると思う。この精度が高い人が強いプレイヤーというわけで、どう精度を高めますか?というのが本書にあるような知識の、山のような積み重ね。これをプレイ中に引き出せるかどうかが、プレイヤーの練度ということになるだろうか。

    良くわからんものを良くわからんままに書いてて、お前は何を言っているんだ状態ですがーーー。

    ところで。たまたま、本書の後半を読んでいるまさにその時、著者本人が2021年Mリーグの最終戦を対局中だった。ちらちら見ながら読んでいた。園田が所属する赤坂ドリブンズチームの状況は苦しく、この対局一回で数十万点のトップが必要という、現実味の無い目標に挑んでいる。ふいに、軍師勝又のツモ切りリーチを受けて、あっさり放銃してしまった。ちゃんと場の進行を把握して読みを入れたこそ、あっさりと放銃した形になった。勝又選手は「ツモ切り確認放銃」を期待したことは間違いない。期待…?ってことは、これ期待値で表現が…できませんよね。本年度のハイライトだと思う。ソニー損保のCM行きなんじゃないのこれ。けんじやっております!

    一つ本書には興味深いところがあります。著者の会社の後輩がアフィリエイトで月収200万を稼いだ!じゃなくて…いわゆる「目なし」問題への言及がありました。タイトルの決めるような大舞台においても、スコアの差が大きくなりすぎて、どうやっても下位が上位を逆転できない場合のゲームは、下位プレイヤーはどうプレイするべきか、という問題。スコアを通算にしてるんだからそりゃ当たり前にこうなるだろと思います。避けようと思えば、例えばどんな下位からでも一発逆転があるルールにするとか、逆に大きなスコアにアドバンテージがないルールにするとか。前者はクイズ番組とかで「最終問題は100億点です!」とかふざけているのと大差ないので論外として。後者は野球や相撲の試合結果と同じく勝ちと負けだけの結果になる。これでも試合数が決まっている以上は目なしになり得るし、これだとなんか華が無いんだよね。実践している麻雀団体もあるけども。

    本書の提案は、「スコアとプライズを密にする」というのが一つ。優勝までは届かなくてもスコアが伸びれば賞金増えますと。マイナスの場合の扱いに無理がある気がして、いまいち。スコアが天文学的に伸びたら、賞金も天文学的になるの?この場合、マイナスのほうもすごいことになるし…。あらかじめ上限決めてます、というのであれば、その上限までの追加予算をそのまま賞金に載せてほしくない?目がないプレイヤーのために優勝のプライズが下がる(かもしれない)っていうのも、どうなんだろう。この辺は法律のアレとかありそう。信じられないぐらいの超超大手スポンサーがついたものの、その辺のアレで中止になった麻雀大会ありましたね。

    もう一つは「RMU新決勝方式」と紹介されていて、無茶苦茶なような合理的なような。時間が全く読めないのは運用上しんどくないかな?RMUではどうしてるんだろうか。個人じゃなくてチームだった場合にどうするんだろう。代表者にすべてを託すのかな。どんなアレな成績でも、新決勝で代表が頑張ったら優勝です!で納得感あるだろうか。このトピックに結論でるかなあ。

    昨今のMリーグ、プレイヤーが持つべき一つのモチベーションが(悪く言えば言い訳が)色濃くなりました。

    「ファンのため」

    野球でもサッカーでも耳にしたこの言葉が麻雀から聞こえてくるというのは、すごく良い事だと思います。目がないからってやけくそオールツモ切りとかせずに、真摯に対局するという事は、これも一つのプロの要件だと思います。そのほうが期待値も高いことには説明要らんでしょうよ。

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    「ハツカネズミと人間」…たち?を読んだ

    スタインベックの作品だけど、本書には翻訳者あるいは出版社の解釈によるものだろうか、邦題のブレがあるようだ。「ハツカネズミと人間たち」という邦題もある。原題は”Of Mice and Men”となっておりまして、複数形の単語をどう日本語のニュアンスにするかというブレなのかな。wikipediaによれば、そもそもこの原題も何か詩の一節ということで、日本語表現の正しさなんて。だいたい、mouse(の複数形mice)をハツカネズミと訳すのも本作の内容あってのものに…?あら?ネットで調べてみると、mouseとratの差みたいなところで、ハツカネズミと翻訳するほうが自然らしい。へー?例えば著作権ネズミと忍者亀の師匠みたいな差でしょうか。

    何言ってんだ。

    読み始めて30分もしないうちに、どうも、この話をしっているような気がする。鼠を隠し持つ人物。漫画版でも読んだだろうか?映画かゲームで同じ設定にでも触れただろうか。なんなら、最後の後始末も、何か戦争映画で似たような場面を見たように記憶している。たしか、楽しい思い出話をしながら介錯してた。

    本作はそこまで長くもなく、スジもわかりやすいので「ふーん」と言ってるうちに読み終わってしまう。貧しい流れ者の労働者という主人公たちだが、舞台は牧場一個だし、作品内の時間経過も3日ぐらいの話(だと思う…)1937年のアメリカという情報を得ても、作品の舞台には特に感じ入るものはなかった。知恵遅れの相棒の面倒を見るという状況のほうが、現代の日本ではウッとくる人が多ことだろう。かわいがるつもりだったのに、力が強すぎて殺めてしまう。主人公も弟分をかわいがりたかったに違いないが、殺めるに至った力と言うのは、まあその、なんだ。

    ところで。本エントリに際してハツカネズミについて調べていると冒頭のような事実を発見したのだが、リンクをたどっていくと当然、ミッキーマウスの項目があった。恐るべきかな著作権マウス、wikipediaを以てしてもその容貌を載せていないのである。女性器の画像だってハーケンクロイツだってあるのに、あのネズミの姿が無い。これは恐ろしいことだと思わないか。本作「ハツカネズミと人間」は、ミッキーマウスが人気の出たあとの発表であるからして、wikipedia云々は流石にありえないが、それ以外にもどっかに何か仕込まれていたらおもろいかもな。そもそもが詩からの引用なので、やはりそんな含みはありえないんだけど。

    しかし読者は本作に100年の歴史を追加しておるのだ、何か悪意を込めたパロディでもやれないかな🤔

    「ハツカネズミと上級国民たち」とか。

    何言ってんだ。

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    「ヴェニスに死す」を読んだ

    所々、早口言葉かよ、というほどに読みにくいなあと思う。これは古典的な海外文学を読むと毎回おもってしまうんだけども、この言い回しは何某の事を言っているな、とか、明示されていないけどもあのなんたらの引用だな、とか知っている人には明快なのかもしれない。発表当時の人々も、そうして読んだんだろうか。

    じじいが少年に(*´Д`)ハァハァする話なんだけど、めんどくさい言い回しが続いていくだけで面白くはない。内容についても特に感想がない…kindleで拝読したんだが、本を読み終えるまで20分とか表示されている箇所で本編が終わってしまった。残りはあとがき。風呂で最後まで読むかと意気込んだところだったので、二分ほどで終わってしまいずっこけて浴槽に沈んだ。しょうもないのであとがきを読んだけど、作者の名前はトーマス・マンだそうな。世界史で出てきたか?wikipediaも確認したけど、知っている著作もなく。興味も膨らまねえは。日本語翻訳版には「ヴェネツィアに死す」という書籍もあって、なんだこれ???と思ったが、ヴェニスとヴェネツィアは同じ都市だった。現地語と英語読みか。トウキオと東京のパターン。一番の収穫はこれやないけ。

    以上。

    ところが。

    モデルなった美少年は実在しており、しかも身元が割れているという!ウホッ。wikipediaに当時の写真まであるが、1911年の写真ではなんとも言いようがなく。自分も本書を読むには読んだので、どんなキッズなのかイメージしながら読んだ。西洋人で、じじいがウホる美少年。自分の記憶にあてがえる人物ストックはない。自分はなんとなくウィーン少年合唱団に居そうなキッズを連想した。作中で年齢に言及あったかな?ケが生えるような年代だと、ターミネータ2のあいつ。

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    「Newton」二冊読んだ

    「確率パズル」と「数学パズル」という二冊。昭和時代の言葉では頭の体操ってやつだ。電子書籍でお買い上げしたんだが、この値段はいくら何でも高いな。

    まずは確率パズル。直感的な期待値が実はそうではない、という話が半分ぐらい占めていたような気もするが、中身はこんなもんだろなあと想像通り。結構難しい内容が書いてあると思う。なぞなぞコーナーまであったけど、なぞなぞは唐突に小学生向けみたいな難易度になっているのは何だ。確率とは銘打っているけど、数列とか組み合わせの話にもなっていく。各設問とも、ちゃんと解説されているが、「高校の数学の授業で聞き流したな~」っていうような説明がでてきた。式を作ってグラフ化する…あー、そんなのもやったね。グラフ上の図形で解法を導けるみたいなの。天秤をn回使って偽物を…という定番の問題もでてきた。

    こういう知識を実用的に使おうとすれば、「効率」とか「儲け」関連で使えそうではある。実際使う機会がそんな頻繁に訪れるかは疑問だが、それでも知っておくこと即ち教養というわけだ。こういう教養のストックが応用に結びついて実用を得る。これが論語にも書いてある確率を求めてみよう。

    次に数学パズル。冒頭はマッチ棒移動パズルがならんでおりました。す、数学…?ピザを等しく分けるには、とか、切り抜いて組み合わせてできる図形は、とか、こちらのほうがさっきの本よりパズルっぽい。テレビ番組なんかで出てきそうなクイズの形式。なんと言ったら良いのだろうか、普通のパズル。数学とか枕詞要らねえんじゃないの、と思わなくもないが、直角に交わる補助線を引いてから~~なんて考え方は数学カテゴリか?

    こういうパズルで素人にも理解できるようなものは、ネタ切れなんだろうか、知っているものもいくつかあった。「3と5と10リットルの容器で4リットルをはかるには」とか「1時間で燃え尽きる蚊取り線香二つで45分をはかるには」とか今更何が面白いんってんだ。実際に答えを出せなくても、聞いたことあるなーってなると、わざわざお金出して買うほどの中身ではなかった。残念。

    読んでも三割も理解できないような記事のほうが、却って一時的な満足度が高いかもしれない。ま、まあこれら二冊のような「何に逃げたら買う気になるんだおぉぉん?」って煽られそうな内容でも、教養にはなりましたってことで…。重力加速度を無視して動く点Pをとらえる日は遠い。

  • どくしょかんそうぶん

    「AKIRA」を観ろ今すぐ

    なんでも、作者の大友克洋氏の何かが来年発売になる記念ということで、2021年12月28日までYoutubeで無料で見れる。お前らも観ろ。アニメでAKIRA、ゲームでportal。この二つは義務教育。細かい話はオタクさんがたに任せて我々パンピーはとにかく観ましょう。

    「バックトゥザフューチャー」と同じで、小間切れに引用された場面とかが幾つもネットにある。本編通して観るというのは子供の頃以来だ。その子供の頃にしたって、ローカルなお祭りとか垂れ流しにされているのを見たような記憶。電話帳みたいなサイズのコミックは、大人になってから読んだ。

    https://www.youtube.com/watch?v=kVaTwhJ_PHg

    まごうことなき傑作。例えばこのサムネイルの場面。バイクに乗ったまま横に滑らせて、視線をカメラに向けながら遠ざかる。この場面のオマージュ、パロディだけでも世中に幾つあることだろう。

    個人的にはやはり漫画版の印象が強いため、このアニメ版は「なんか唐突に終わったなあ」という印象になる。爆発の場面繋いでエンディングまでワープした、みたいな。とにかくみましょう。

    あ、オマージュを集めた動画もあった。のび太も出てくるんだけど、あれ本物か?ww