ふでのゆくまま

  • ふでのゆくまま

    ただの日記

    呑気にAmazonさんの荷物を待ちながら掃除洗濯などしている。呑気な快晴の日記です。

    タモリ倶楽部の企画だったと思う。力士のユニークな四股名をネタにした回があった。その奔放というか投げやりにも思える名前に驚いたもんだ。という所から、力士の名前など探していると、彩豊(いろどり ゆたか)とか、爆羅騎 源氣(ばらき げんき)とか面白いのいらっしゃるもんですね。爆羅騎 源氣は兄弟力士で、兄のほうは羅王というそうで、爆羅騎も羅王も本名。

    Twitterも楽し気な感じの多いんだよね。
    https://twitter.com/kyoukara_terao

    —–
    酒禁止ももう半年。そこで試しにノンアルコールの飲み物を飲んでみた。ソルティドッグテイストとの事なんだけど、果汁系のカクテルからアルコール抜いたらそれは普通のジュースなんじゃないかと思ったが、飲んでみると確かに風味が酒っぽい。カロリーも糖質もゼロってなんだ。原材料を見ると、「苦味料」などと聞きなれないものが。グレープフルーツの皮部分に相当する苦味ということだろうか。果汁100%などと言っているグレープフルーツジュースよりも生で食うグレープフルーツに近い。凄いというか薄気味悪いというか。

    法事に参加した時なんかもノンアルコールのビールってよく見かける。車移動の人が多いからというのは納得できる理由ではあるのだが、こんな商品ここ十年だろう。それまではどうしてたんだ世の中は。まあ兎も角この飲料はあまり進んで飲む気にはなりませんでしたということでして。
    —–

    誉れかけのレディオというのを思いついた。
    ——————

    平日昼に中央線に乗る。ここ十年の暮らしだともう珍事と言っても良い。神宮のスケート場当たりで多数のクレーンが並んでいるのを見つける。オリンピックのあれかい。ロゴがどうとか揉め事の絶えない印象だけど、そういえば聖火台が設計されてないなんて話もあったな。どうなったんだあの話は。このままだとマリオが燃える肉団子を投げつけて着火みたいなしょーもない演出になる。あるいは人間志向の造形の機械がよたよた歩いて着火するかもしれない。オリンピックってほんと開会式と閉会式が好きじゃないねえ。競技も好きでもないな。

    —–

    朝方に片方の耳の奥に痛みを感じて目が覚める。痛むほうの耳の聞こえ方も何かくぐもったような感じがある。これはまずい、病院だとなったんだけど耳鼻科なんて東京に来てからかかったことないので焦って探す。インターネット様様。まあ流石に徒歩圏内にある。仕事はお休みの連絡をして、不案内なエリアだったので早めに行き、開くのを待つ。とても良い天気で爽快だ。なんか気分が良くなってくると痛みもちょっと和らいだようで、初診の病院というそわそわ感も一緒に和らぐ。子供向け図書の充実した本棚を眺めて待つと、すぐに山小屋の主人みたいなワイルドな先生が登場。

    鼓膜が少々炎症をおこしているようだと。耳たぶ引っ張っても、耳の周りを押しても痛みが来ないので、中耳炎ではないのではないか…耳かきで痛めたのではということに。耳かき好きなのは子供の頃からで、時折深く攻めすぎてしまうことは前からあった。ここ数日でそんなやり過ぎた記憶はないけども…。化膿止め?と痛み止めを処方してもらい、まあ飲んで過ごしたらその日の夜には痛み止めを飲まずとも痛みもない。家でPCの前にいるときはヘッドセットしていることが多いのも良くないのかもしれない。結構気密性の高いもので、暖かい季節になってくると外した時に汗が滲んだりしている。爆音にはならないように中学生の頃から気遣ってきたつもりなのだけど、例えば年を取って知らず知らずのうちに耳に馴染む音量をあげてしまってダメージが溜まったりしているのかもしれない。

    痛みが出る前日に職場で隣の席の人が酷い風邪でえほえほしていて、こちらも喉に痛みがあった。それも原因かもしれない。まあ治ったということにして、また症状が出たら行こう。耳かきも控えておく。こんなことを書きながらも、音楽を聴いているわけでもないのにヘッドセットが装着されている。がさつであります。仕事なら兎も角、自宅でいるときに細かく気を配るという事が出来ないもんだ。

    今年も麦茶の用意が整いました。エアコン直してませんし、ハードコアな夏をしのげるのか40歳の鍛錬といたしましょう。その前に梅雨だクソ。

  • ふでのゆくまま

    GW

    遠出の予定なし、しかし入れ込むゆとりあり。まあ今年はちょと引きこもってお勉強とか修行とか溜まっている書籍を読み込みなどするかと。あとは装備のメンテだ!郷里でいろいろ物入りのようなので、こちらで持て余しているものはもうすべて送るぐらいの勢いで送る。エアコンも修理するか、ノートPCの様子もメンテして、とかもろもろもろもろ。

    贅沢にも電源からUSBで充電するのも、二口ぐらい欲しくなりましてこんなの。

    パンツに下着に靴下、という日常装備もごっそり買った。

    鰹のハラスをどこかで買えたら買って食いたいが、魚市場まで行かないと見込みは薄い。揺れている築地にデビューしてくるか、でもああいう市場ってGWは休みなのでは?正月に歩いたあの道、のようなものをまたやるのはどうだろうか。そういえば最近知人が山手線一周などやっていた。しかし、実はあれ一日でやりきるの結構ハード。
    平成29年|東京都中央卸売市場

    国立国会図書館行ったことねえなあ、ふらっと寄り道して使えるものなんだろうかって調べたら祝日開いてねえ。使えんわ。まあ主たる目的はサービス提供というよりは保存なんだろう…。あれやこれやと持ち込めないものも多くて流石に行く気にはならなくなってしまった。

    利用の流れ|国立国会図書館―National Diet Library

    あとはどーしますかねー。兎に角放置しているものの整理を、って一番放置しているのは我が人生でありました。およよ。いやこんな冗談言ってる場合ではないんだけども。次の連休の計画など考えるころには40歳ですよ…。

  • F.U.C.K.,  ふでのゆくまま

    非常袋アップデート。

    袋というかリュックなんだけど、結局もうちょっと容量がないと心許ないというのがわかった。わかったというか…そもそもこの準備の目的はなんなのだと一考せざるをえない。どう考えても、例えばゲームみたいに荒廃した世界を生き抜く装備でもない。一か月の山籠もりに耐えるもんでもない。無いよりマシは100%確かなんだけど、もうちょっと実情に合わせて考えてみる。

    まず、このリュックを持ち出すということは、住居にいる、かつとても住居には留まれない状態。住居にいるのは主に夜だから、夜に使う可能性がかなり高い。住居にとどまれないという状態の具体的なパターンなど考えたくもないもんだが、その考えたくない状態のための備えではある。主に大きな地震の時、ということになるわな。東京のこれだけの人口を長期に支え続ける支援があるとはとても思えないので、自力で生存、移動をする必要がある。地震関係ない火事とかだったらまあ自分の体だけ生きてればなんとでもなりそうであるので…今用意している非常袋は考えない。

    何処へ移動するんだ。つっても東京では公園以外にない。災害マップ的なものを参照するまでもなく、行先はわかっている。近い順に三か所ほど実際にここから徒歩で移動して確認した、ものの、道路や建物がぶっ壊れた状態でも移動できるかは不明。そりゃそうだろ。これはもう対策云々ではないわ。しかしそれでも、支援物資や人材などはその避難場所に集まろうとするので、そこに移動を考えたほうが良い…。こうして基本プランが固まる。何が何でも避難場所まで移動して、あとは運に任せる。二日ぐらいは支援もなく過ごすことになっても、夏なら今の装備で大丈夫。虫刺されまくりで寝ることもできないとは思うが。避難場所へ到達したものの、そこで長期過ごす羽目になったら、それはもう知らない、で良い。

    良くねえよ。しかし対策も何もない。最初から公園に住めば?みたいな話だ。自分の場合一人で生きるの死ぬのの話だけど、家族単位で考えるとほんと如何すればいいのやら、だよなあ。
    —-

    具体的なアップデート内容は、食料としてツナ缶は重すぎるし、リュックの中で納まりが悪い。12缶もあったので、半分ぐらいに減らす。代わりに何かクラッカー系のものを入れる。下着の替えを一日分追加。これによりリュックの容量はかなり圧迫されてしまう。100円ショップで買いこんだメッシュのケースなどで小分け。サランラップが便利らしいので入たが、これで隙間ピチピチ。リュックに入りきれないけど何か運んだりする必要はあるだろう。支援物資の食い物とかだったら酷い話だ。これも100円ショップの簡素な手提げ袋を入れておくことに。チャッカマン的な火種を更新。包帯、手ぬぐい、タオル増量。これにて満杯なので、使ったことがない拾いもののウェストポーチ導入。最初からこれ用意すれば良かった。マグライトを新しいのにしたら、明るさに吃驚した。

    これら新装備で実際に歩けるか試してみる。最寄りの避難場所まで実際に移動し、花見の場所取りに頑張る人にじろじろ見られる。まあこんな装備してればどうしたおい、ってなるよな。夜更けにビニールシートをペグで留めてるあなたも相当ですよ。翌日は天気予報に反して晴れた。夜更けにビニールシート設置始めた理由はこれか。足元びしょびしょで、朝までに乾くはずもなさそうだが。

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    塩織

    塩味探訪、ひとまず美味を求めたのではないにしろその味わいには特段驚くようなものもなく、ネタになるようなものもなく。もっと高級志向というか、「〇〇の塩」などというような銘品だったらまた違った感想にもなろうか。とはいえ仮に世界で一番旨い塩でも手に入れればまた一味違った。

    まあ、その。

    何にしろ塩を直接ぱらぱらと振りかけて食うなど頻繁にはないものだから、自分好みの分量ですら不明だ。直接口にするものに対しての塩分量、どこが適量なんだか。おそるおそるチマチマと、しかし面倒になり一気に、結果、豆腐にかけ過ぎてからは小皿に取ってディップするという知恵を得た。あと色つきの塩とか便利じゃないですかね。

    寿司は論外だった。高級すし店のようなものだったらまた違うんだろうか??スーパーのパックではなんとも。セロリや茗荷は美味しくはないが酷くもない、どちらもしょっぱいセロリとしょっぱい茗荷であった。あたりめは酷かった。こればっかりは軽く洗い流してマヨネーズに移行し、さっさと処理した。

    納豆にかけて食った時に強く感じたんだけど、塩って香りがない。ご飯にかけて食べたらもっと強烈に匂いの違いを感じただろう。醤油の薫りというか匂い。ああ、馴染みすぎて気にもしてなかったが、醤油はとても強烈な香りの食品なんだなと発見する。しかしそのような認識がないということは、それだけ醤油の香りって心にじっくり染み付いているというロジックなんだろう。気付いてみれば炒飯なんかも香りづけにじゅわっと醤油を垂らす。

    醤油がこの文化の空気だと。人々の食卓が集うこの街の息吹だと…。

    春になると気が向いたら非常用リュックのアップグレードをしている。今年は改めて中身の細かい点検をしたり何か足りてないもののお買い上げをするつもりだ。情報をあたると、やはり確保するべきものは何よりも水であると、そして出来るなら塩だと。まあ実際の所は「塩分」で良いのでツナ缶など各種保存食にはきっとそこそこ含まれており…。

    しかし不思議なもんじゃないか、母なる海はその塩分が濃すぎて人は喉を潤すこと叶わず、塩を大地に撒けば植物の多くは死滅してしまう。そんなものを抱えて命からがらというその日に走り出す。不思議なものだ。どういうロジックなんだ。

    —それが私の名前?

    そうだ。我々は何かを託されているんだ。その場に捨てたり、一ヵ所に集めすぎると台無しになってしまうもの…。自分でも少しずつ食みながら、きっと何かの目的のために、運び続けたんだ。それを最後まで避けることも打ち負かすこともできなかった悲しみを、この星に託して返した時に残るもの、それが塩織なんだ…。

    —????…こんなものの名前をさあ。

    娘は足元から「そんなもの」を一握り掬うと、力いっぱい空に投げつけた。ややあって。一粒一粒がさざめきながら元通りに積もり重なった一粒に覆いかぶさりってゆく、取り込まれる、用済みになった自分を呪いながら。宿主が死んだ寄生虫。これは亡骸なんだ。魂の重みを感じたことのない、無垢の亡骸、地平を白く埋め尽くして輪廻の錆をひた隠しに隠す。ある春の一日でございました。

    えーと、花咲か爺さんのパロディです。

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    塩でキメてけ

    最近はまっている調味料は塩です、とか言い出したら心配されるだろうか。体大丈夫?あるいは頭も大丈夫かって。

    ここ数年、家には常備の調味料の種類が増えつつあった。塩胡椒醤油、コンソメとめんつゆあたりだったのに加えて以下だ。味噌、ナンプラー、ドレッシング適当に二種類、中華系のスープの素的な(まあウェイパーのことですね)酢、ごま油、みりん、砂糖、マヨネーズ。ここに時折、甜麺醤に豆板醤、スイートチリソースだとか加わるとなかなかの布陣だ。煎りごまとか鰹節、バターまで加わるとそらもお。

    凝った料理に目覚めたなんてことでもなく、これだけあると食材を適当に買ってもまー何かしら食いたい味で食える、ということになるものなんだ。クックパッドみたいな実用系レシピを参照してごそごそするような時も、大体必要なものが手元にある。しかし、そんなレシピ参照しながらの料理、さほどするわけでもなく。

    調味料がわんさかあると、何かを切って加熱して、上記のどれかの味で食う、みたいな食事だとしてもそこそこのバリエーションがうまれる。そんなもので満足するようになったのは進化か退化か、体は大丈夫か。そんなメシを食っているうちに、舌の上で輪廻が発生したようだ。塩降る夜に涅槃を手繰ったのである。頭も大丈夫か?塩のみで食ってみようということが直近のブーム。実食はまだあまりしてませんけども。

    もしかしたら自分は塩味がきついものが好きなのかもしれない。無塩トマトジュースに塩と氷を入れて超冷やして飲むのが好きだ、とか、酢の物にする前の塩もみしたキュウリをつまんでみたら美味かったとか。コンソメ味の野菜スープも濃いめが好きだ。尤もこれはお湯にコンソメと具材を放り込むだけ、なんて不精な作り方しているから薄味では不味いだけかもしれない。しかし揚げ物とかは何も付けずに食うなあ。カツにソースとか味が濃すぎて試す気にもならん。味覚って不思議なもんだ。

    具体的に食ってみたもんは。

    そば粉多めの乾麺蕎麦を茹で、麺つゆなど使わずに塩をちまちま付けて食べる。昆布なり鰹なりの出汁が無い状態で食べると、やはり別もんだ。流石に塩分過多なのが味覚でもわかるんで、するとついには塩もつけずにそのまま食べるみたいなこともしてみた。それでも結構な塩分を感じる。もちろん蕎麦の味もする。これはもともとそういう食い方ありますね。寿司にも塩で頂くものがあります。

    元々味付けなどあまりしないものを塩振って食うとどうか。とりあえず冷蔵庫にあった茗荷。刻んで掌に乗せて、塩振ってそのままお口にぽい。茗荷の味が塩味が効いている間は薄れているような感じがある。もともと冷ややっこや蕎麦に入れるもので、塩分と別れての味などあまり意識してないのではないか。比較の為に塩を振らずにおくちにぽいしてみると、ちょっと日常的には味わいたくない感じになった。ふーむ。

    塩っていうのは味わい以外にも食材に対する作用があったりしますからね、いろいろ試していくうちに、ひどい目にも遭うでしょう。それとこのテの実験には欠かせない食材が日本にはありますね。納豆です…といったところで本日はお開き。