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離婚もいろいろございます
以下に登場する二人とも当ブログ(https://blog.mogari.jp/)の中の人と面識はありません。わざわざ書くのは、当事者の二人ともに事実をネットに公開しており、内容がとても印象深かったからです。
ちょくちょく発信した情報が目に触れる機会のあったとある方が、離婚を発表した。
夫
そして、妻のほうもエントリを書いている
自分は結婚も離婚も経験ありませんが、こんなきっぱりと書き下せるものなのかと感心してしまう。自分の身の回りで耳にした離婚話は、どちらが悪いだの、揉めただの、そんな話ばかりだ。離婚後も対外的な活動は二人でやっていく、らしいです。妻のほうのエントリには事細かに書いてあり、これがすごく凛として迫力がありました。ちゃんと生きるってこういう事なんだろうか。
自分は人生において適当で、自分ひとりのための決め事ですらあやふやにして生きてる。自分の人生に対する誠実さが足りてない。45にもなって私はrestartなんて言えるでしょうか。自分次第だろって話ですね。
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「超雑談力」を読んだ
「初対面沈黙もう怖くない!」
メンタルヘルスの本みたいなあおりがついてますが、内容は良くありがちなビジネス書だと思う。ノウハウの本。続いて「誰とでも信頼関係が築ける!」とも書いてあるけど、これほんまでっか…?
本書は「回避できずに雑談せねばならなくなってしまった」事態への対処方法まとめ、というコンセプト。嫌々ながらでもそうじゃなくても、ぽつんと二人になることってありますからね。ただ、勤め人の経験をいくらか積めば、ここに書いてあるようなことはある程度身についていると思う。これは大人になるにつれ身についていくものというか…常識というか…それでも、自分の常識をいちいち見つめなおして戦略を組んで会話する人も少ない。なんとなくでパターン化してあるのよ。
コンサルとかならまだしも、知らない人とばかり会話する機会は普通はそう多くない。半端に顔見知りになった後のほうが困ったりもする。そういう場面での対応もできそうなことが本書に書いてある。このテのスキルを体得している人からすれば、本書の内容はやかましいマナー講師のように感じるのかも…なに勝手な事言ってんのこいつって。自分も本書を会得したとは言わないが、最後まで面白く読んだ。
本書は基本的に「〇〇なとき→××しましょう」という構成で淡々と続いていく。これはPVP(人vs人)ゲームのチュートリアルみたいで読みやすい。例えば格闘ゲームとか、オセロとかの初歩の理屈。選択肢の狙いとメリットが分かりやすい。
何を話していいか困ることって確かにある。こういう時に、芸人や噺家みたいに面白トークを披露しなくては!と思う事が誤り。雑談する理由は、会話でお互いに警戒心を解いて、次の関係性へシフトするための助走みたいなもん。オチとかいい話とか要らない。なんとな~く会話のラリーが続くことが大事。
自分はとても納得した。なるほど。確かに、変なエピソードトークぶっこんで滑る人もいる。若者言葉でいうならわかりみがふかい。じゃあ具体的にどう会話のラリーをつづけますか~?というあたりは、本書を読んでくださいまし。
本書の具体的な”対策”を自分に置き換えながら読んでいくと、だんだん、ただ雑談のために自分の本心とは離れていくように思えてきた。本書を素直に実践するには、実は結構な豪胆さが要るんじゃないか。あるいは逆に空っぽか。初手から自分側は打ち解けたというテイでふるまう必要があるように読めてしまった。でもやっぱりそんなの難しい、気後れしがちな人にも向けて、かなり具体的に書いてある。本書通りに相手を”取り扱い”すればできそうだなあって思えればそれはそれで良いのかね。あくまで次の関係性までのステップと思えば…。
本書を読んだ人は、実際に頭の中でシミュレーションしてみるはず。同僚、上司、取引先、を相手に、自分ならどうするか。と同時に、自分の相手が「こんな感じ」だったらどうだろうとも考えるだろう。本書の処方を忠実に再現してくるような対応…「なんだこいつ適当なことばかりペラペラしゃべるやつだ」と思うだろうか。会話上手で助かると思うだろうか。
こころのどこかで、打ち解けたくないタイプがいるから、こんな事を考えてしまうのか。そもそも、相手もこちらも打ち解けるための手段でしかなんだから、受け入れるのが良いのだろう。お互いそうやって打ち解けたというロールプレイするための手段なんだから、広く豪胆なこころで以て臨む。
しかしこれ…お互いに誤解するかもしれないよな。その場限りのアレなのか、仲良くなりたいのか…そんな誤解を含んだままの二人が「この前はどーもー」と会話を再開する。どうなるんだろう。本書の教えでは、忘れたことは素直に聞き直せば良いし、会話を止めずに先へ進める、変えたい話は変えればいい。人間関係が遭難しそうだ。誰とでも信頼関係ねえ…前へ進んだ人間関係はそうそう変えれない。センテンススプリング。用法容量を守らなくても便利なところだけ齧れればいいけど、こういった書籍は適切に服用しないと危ないんじゃないかなと思いました。
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安倍晋三氏 射殺される
反社会組織同士のもめ事で銃弾が飛んだ、などと報道で目にすると「大ごとだなあ」なんて思う。刑事ドラマなんかで銃で撃ち合いしたりする場面があるけど、実際にあんな場面になったことあるんだろうか。逃走中の犯人と銃撃戦だなんて。日本国民の多くは国内で銃に触れることはなく、見ることだって稀なまま生涯を終える。俺はないぞ。
そんな場所で白昼に銃殺ってねえ。犯人の動機が報じられても首を傾げるような話だった。顔があまりに広いと、意味不明な形で巻き込まれてしまうものなんだろうか、と思う。例えば…マリオが憎い!みたいな#$%&に襲われる可能性だってあったという事?
特に安倍晋三氏に思い入れはないけど、誰だとしてもあんな形で死んで良いわけがない。ご冥福。
通夜の報道映像を見てて、財界関係者などが多く弔問に~というくだりでまんまるなおじさんが映っていてさあ。力士かなあ…とぼんやり見ていたけど、すしざんまいの社長…?調べたらそうだった。いてもおかしくはないけどさ。
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猛暑→酷暑→げろあつ
あつい。
25度を超えれば夏日、30度で真夏日、35度で猛暑日、40度で…呼称が無いようだ。ググってみると「猛暑日」というのも、2007年から公式?に使われるようになったとのこと。その前数年ぐらいで実際に観測されるようになったと読み取れるが、どうなんだろうか。世間では37度ぐらいで体温超えたとか、38度で北まで届いたとか(韓国と北朝鮮の軍事境界線を越えたって意味)言ってますな。毎年のように40度記録してるんだから、何か呼称が着くかもしれない。考えてみよう。
「酷暑日」ぐらいが無理のない落としどころと想像する。他に暑さを表現する熟語の語彙がないけど、ググると炎暑とか激暑とか出てくる。試しに入力すると実際に変換候補に居たから、それなりに使われたことのある言葉なのだろう。それにしたって、文字のニュアンスを「暑」と組み合わせただけであって、こっちの言葉のほうがより暑い日を表現するというルールが存在するわけでもなさそう。桁数の表現みたいに、仏教用語が紛れ込んだり良くわからない語源の文字が使われるような、無理やりな表現も含めないと今後の気温の上昇についていけない。「那由多夏日」とか迫力はあるぞ。
とはいえ、「酷暑日」があまりにもしっくり来すぎて言葉遊びも捗らん。ネットミーム的なアレで、炎上案件とでも組み合わせてみるかと思ったけど「文春日」では春になっちゃうな。「上級夏日」ではミームじゃないほうの意味が浮かんできてしまう。例えば「良いバケーションの一日」とか。「4630」「シャブ漬け」など今年限りの事案ではしょうもなし。
酷暑日を使ってしまうと、45度を超えた時にどうなるか。適切な表現がなければ、きっと基準をいじるんだろうなと思う。30度で夏日、35度で真夏日、40度で猛暑日、45度で酷暑日(仮)だから、25度だったらそれは「過ごしやすい」一日ってことになるんだろう。それには納得感はある。うちのエアコンの設定温度26度だ。
コケコッコ
夜明け前は流石に、ではあるんだけど、今日もヤバそうだという気配が東の空にある。夜明けの空は飽きが来なくていい。春夏秋冬分け隔てなくあけぼの。気温以外に季節などないのよ、部屋に日のひかりなど差し込んだことすらなく。(考えたら本当に無かった)
始発よりも早い時間でも、夜通し活動していた勢が帰宅する姿を目にする。さすがトウキオだ、土曜の朝は確実にいる。スーツ姿で険しい顔しているひとは夜通し働いたんだろう。連れだってヘラヘラしているのは遊んでいたんだろう。四人で歩いている若いのを見ると麻雀してたんだろうと思ってしまうが、今の若者は雀荘行くのかな?きちんとした身なりで一人で歩いている女性は、これはきっと水商売だろうなあと思う。勤務明けだろうか。と、唐突に紫色の液体を大嘔吐する。スタスタ歩いていたのに、ちょっと体を横に向けたと思ったら蛇口捻ったかのようにスムーズに、だーーーーっと、いっきに出し切った。…と…そのまま、またスタスタ歩き始める。具合が悪いという雰囲気もない…これが彼女の日常なんだろうか。おねえさんエクストリームすぎない?
人もあけぼの、やうやう茜くなりゆく道ぎわ、少し明かりて、紫だちたるげろの誰かに掃除させたるはいとすさまじ。またあるひとの詠める、ひとのよの こくしょのあけに みそめられ しごとあだなり ごじゆうとまみゆ
セルシウス45、それは社会が燃える温度。皆様もお気をつけて。
7点。
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「蟹工船」を読んだ
🦀
買ったら漫画版だった。あらま。まあ良いか。電書の表紙で判別できるようにならんもんかね。原作は小林多喜二で、漫画の作者は原恵一郎という方だった。名前に覚えはなかったが…読んでみると麻雀の漫画を描いていた人だと気づいた。
さす蟹、いまさら本作の内容で衝撃を受けるようなこともなく。わたくし汚い大人になりました。それでもね、21世紀なのに酷いなあという現場はこんにちの日本でちょくちょくお目にかかる。自分だって、法の定めではアウトな勤務条件を体験したことも御座います。とはいえ拷問されるとか死んだら海にポイされるなんてことは無いです。代わりに、近代ではもうちょっと巧妙になったのです!あゝおとろし。三万人のヒステリア。
本作の筋書きざっくりと言えば、もう我慢ならんと団結し、一揆を船の上で起こしたようなもん。漁民一揆。そういえば、一揆とか年貢の話は学校で学んだ。大塩平八郎のLANというジョークもありました。あれは農民ではなかったっけ…。それは置いといて、当時の漁師は年貢ってどうだったのだろうか?いわゆる士農工商の…工に含まれていたのか?ググってみる。
(((各自学んでください)))
つまり、蟹工船で働いているのは農地でいうところの、小作人ってことになるのか。考えてみれば本作は士農工商とは時代が違いすぎた。一揆からの→年貢なんて発送の例えは無知でアオい発想でありました。時代はWW2のカウントダウンぐらいの雰囲気だろうか。それでもこの状況では、殿様が社長に変わっただけでねえべか!という憤りもあるんじゃねえかな。
作中に共産主義思想を伝えるロシア人が出てくるが、本書刊行の1929年は、スターリンが独裁体制を確立した年でもある。わざわざ作中に登場させた理由はなんだろう。ホットなトピックだったのか。アカの思想について、世界的に喧々諤々だったんだろうか。本作は「俺たちの戦いはこれからだ!」みたいな終わり方をしているので、共産主義に警鐘を鳴らしているのか、賛美をほのめかしているのか、どちらだろう。労務者に報われない物語なので前者だと思うんだけどねえ。
作者について何も知らないので調べてみると、出版した作品の内容ゆえに、権力に目をつけられてしまい、拷問の後死んだとある。おいおい近代とは。昨今、例えば「ブラック企業良くない!」という意見をどうどうと個人が主張できる(主張もなにも完全に悪いんだが)なんなら世に訴えるケッテ的な情報を流すことができる。パ〇ナを批判することも竹中平蔵のYoutubeチャンネルに低評価ボタンを押すこともできる。そんな人々が拷問されて死んだという例は聞かないが、近代はもっともっと巧妙になったもので…。
なお、wikipediaによると、2008年に何故か本作のブームが起こり、蟹工船の読書感想文コンテストが行われたという。なにやってんだよwwwヘイトを向ける相手を見つけ、あるいは困難に立ち向かう人に寄り添うポーズで団結してパワーを得られた気分になってしまうのは、近代の若者のイクナイところだというようなゴーマンかました人がおりましたね。あーこれ20年前の話だ。現代は近代よりもっと巧妙になった。
近代のカニ漁はこちら。ハイリスクハイリターン。