• ふでのゆくまま

    どうぶつのつり

    なんとまあ。(いや、釣ってはないけどね・・・。)例えばライオンが水のみ場で待ち伏せするってのは良く知られていると思うけど、あれはきっと、一匹の後をつけていったらたくさん集まってました~うまうま。みたいな感じかな?なんて思うけど、エサを撒いて魚を集めるとなるとなかなかやるじゃないかと感心する。雛にエサをやるあたりから着想を得たりしたんだろうか。地引網とか使ったらたのしいw

    カラスや猿の農作物への被害は昔からあるんだろうけど、今後はいろんな動物の知恵に悩まされることがあるかも知れねーなー。

  • ふでのゆくまま

    あけまして。

    年賀状の返事がひょっこり届いた。あー、受験ねえ。受験の思い出話とか始めると毎年同じなのでやめておく。小学生ぐらいの時に酔ってじいさまがいっつもシベリア出兵の話ばかりで、そのぐてんぐてんな憤りに付き合うのが苦痛だったわけだけども・・・自分もそろそろ、幾度でも幾度でも語るたびにその言葉の端から、堪え切れずに何かが漏れてくるよおな思い出があっても良いんじゃないか、なんて考えたりもした。瑞々しい思い出って良いよなあ。うーん。なにかないかなー。ここぞというときには、こいつを頼りに歩いてゆくのだ。

    座右の瞑。

  • ふでのゆくまま

    現場でおきている

    頭数足りません!ということで、会社の工事部隊のお手伝いに。もろもろ運んで設置して配線してうんたらかんたら。いやー、運動不足がこたえますな。この体型で狭いところに伏せたり潜り込んだりしつつ手を動かすのでつかれるし、配線を踏んづけないようにするから無理な姿勢にもなる。息が切れるようなしんどさはあまりないけど、(そりゃあたまには凄い修羅場もあるだろうさ)じんわりとした疲労が午後より襲い始めて、動きも判断も鈍る。前職場では毎回のようにそうだったんだけどなー。やれやれー。

    とはいいながらも、作業自体は大きなトラブルもなく、順調に進んで、ほぼ予定通りに現地解散。ホント疲れたので、みんなまっつぐ帰路に。普段集金している職場もすぐ近く。その時よりもだいぶ早い時間。休日ということもあって、人の姿はまばらながらも、学生が多く、どこかで入試でもあったんだろうかと思う。でも夕方六時までかかる入試なんてあるかいなー?中野で乗り換え待ち中に電光掲示板がけたたましくバグっており、陰惨な気持ちになるが、その、むこう、空が美しい。

    東京の景色はこの時間が一番綺麗だと思う。日が沈むその時間、茜色と藍色のグラデーションの、えろいことえろいこと。無駄に深呼吸をしつつ、おうちへ、かえり、いま、まったりとな。

    さて、日記も書き終わったし、またごそごそやるかー!

  • ふでのゆくまま

    びゃうびゃう

    電線が鳴っていた。

    この日春一番が吹き荒れた都内、とっぷり陽が落ちた後に外に出ても、冷たさは殆どない。仕事を済ませ月光そぼ降る帰路は24:00をまわっている。空き地に井戸でも掘るような機械が突き刺さっていて、大地がチョコレート状に溶けたような様子を思い浮かべる。あわてて月が息を吹きかけて凍らせる。その固まった大地のかけらが命の証、祝福の絆。電線の鳴る音は故郷を思い出す。正月に泊まりに行った母の実家に吹き付ける寒波。家全体がごんごんと鳴る。電線も鳴り止まず、何処かの家の何かが飛ばされて転がっていく。とても寒くて、重いぐらいにかぶせられた布団にすっぽりともぐりこんで、ふるやかに暖まる、溶かしていく、足を伸ばして、まだ固まっているところにふれて、びくりと足を引っ込める。風の音から逃げる。今は味方がいない!

    冷蔵庫の中身を思い出そうとするのだけど、薄暗い部屋にぽそぽそ漏れるオレンジの光だけが思い起こされて、こころが暖まらない。コンビニでお茶とおにぎりを買って帰り、冷蔵庫を開けると自分が作った蒟蒻と生揚げの煮物が冷えていて、冷えに冷え切っているのだがぷにぷにしていて、月光の祝福が足りないと思ったので庭に捨てた。雲の流れが速くて、これでは今夜は無事には済まないだろうと思って、脱兎の如くに月から帰りついたが我が家、非常用持ち出し袋の緒が切れた。チョコレートがいない!

    あああ、思い出した、この電線の音は、縄跳びで二重跳びが出来た子の。びゃうびゃう。

  • ふでのゆくまま

    もだんらいふ

    娘さんはキャリーで荷物を引っ張っており、それを目印によちよちと小鴨の如くに歩くは白髪の老婆。和やかに町並みを説明などしており、へえ、はあ、あらー、といちいち驚く様は、やはり地方から出てきた御母堂であろうか・・・。特に急いでいたわけでもなく、何よりも妙に頭痛を感じていたので、自分もまた二人のうしろをよちよちと歩いていたのでありました。ついついコンビニにまで着いてきてしまったがな。む。

    体調不良には果物とポカリスウェット。蜜柑ゼリーと一リットルのポカリを持って、レジに行くとまた彼女らの後ろに並ぶことになった。娘、お会計一緒で、という。母、あああ、自分の分は払うよ、という。娘、suicaで、という。母、細かいのあるよ、といって財布をごそごそ。娘、タッチ。店員、ありがとうございましたー。母、ぽかーん。

    うううむ、そりゃあそうだ。このやりとりを見て、ひとしきり和んだというわけなんだけど。むかしむかし、初めて貨幣のやり取りを体験した時の人も、こんなんだったのかなーって。「え?相手に物渡してないけどいいの?」みたいな。その貨幣すら取り出さなくなりました。いずれ貨幣の現物などなくなるんだろう。ありえなくはないよ、実際にもう証券は現物がなくなりゆくんだから。

    例えばみんなが「これは通貨だ。1000円という単位のものだ。」と従うからその効力がある。つまりその貨幣を価値として受け取る人が居る。通貨の偽造は犯罪だが、もし、自分が独立国家を作ったとしよう!貨幣を発行し、外国・・・まあ日本でいいのだけど、自国通貨で取引を望むとする。「500LAで米3トン輸入したいっす」だれも売ってはくれないだろう・・・。貨幣とは、国家の信頼と統制、国民の調和と知性を示すものだ。その貨幣が使えなくなった時には・・・・。

    御母堂。我々の世界は「内側」へと急速に収斂しているのだよ。鍵の内側、理解不能な言語の部屋。