梅雨も滴る

「プラズマクラスター」という響きが、どうにもダサい感じがあるのはなんでだろう。なーーーにがプラズマだwwwと冷やかしてしまうところ、ところが導入したらずいぶんと効果的なのを体感できるときたもんだ。堂々と部屋干しもできるようになった。でも、電気代がお高いんでしょう、といえばそうなのだけど、雨が続けば毎週のようにコインランドリーで500~1000円使っていた分を考えると…どうでしょうか。

部屋全体に効果があるので、カビの心配はだいぶ薄れると期待したいし、クラスター君の設置個所からは離れたところにつるしてあるシャツやらにもまた、いくらかは効果が及ぶと期待したい。ところがクラスター君、ある程度湿度が下がると勝手に止まるらしい。んじゃあ湿度が上がったら再開するかってえとそうでもないのか。乾きすぎると不快だったりするんだろうか。わからんけど。

こいつで除湿した後の睡眠がすこぶる快適であります。六月の終わり、本格的な暑さはもう一つ峠を越えてから、スイカと冷やし中華はまだおあずけ、という感じがありますが、それでももう、まごうことなき夏ですわ。あのどんより厚い雲の向こうには、まぶしー太陽の無邪気な殺傷能力がぎんぎらぎんにさりげなくぅ↑…んで…除湿運転は室温があがるんですよね。排熱があるので。それをエアコンの冷房でカバーして、なんてやってると電力で地球をしばき倒してるだけになりかねないんでまあ節度とモラルと工夫。扇風機捨てちゃったのは誤ったな。サーキュレータ買うかしら?

どうどうと部屋干しもできる。今までは部屋でただ干したらくっさい異臭がしたもんだ。ところがほとんどにおいがない。プラズマクラスター君すごいぞ。こいつの使い方として、より効果が高いことには浴室干しがあるらしい。なるほど、クラスター君を狭い空間で運転させれば、効率よかろう。どうせ外出時に運転することが主眼なら、浴室運転をしたほうがよさそうかな?でも、当然突っ張り棒が要る。これは入浴時には外したい感がある。着脱が簡単なんてところに重きを置いた商品あるだろうか?浴室だとなおのこと壁面を傷つけるわけいかないし、それに突っ張りの負荷をかけても平気なもんだろか。

平気だからみんなやってるんだろう。そらそだ。

便利な機器をさらに都合よく使おうと我儘をこねくり回す。ところが何時もの事で、面倒だし適当で良いかとその働きぶりを眺めることの、ものぐる干しけれ。なんつってwwwうっはwwwwww

不躾な雨に草生える、水無月も暮れのことでございました。

「市民ケーン」を観た

成金が女でコケました、というお話。あらまざっくり。このぐらい古い映画(1941年公開)だと何度も見かけて飽き飽きするようなパターンの展開だとか、そういうレビュー好きな人たちの言う”クリシェ”のようなもの…そもそもの起源であったりする可能性まであり得る。「あーよく見かけるあれですか」というような素直で生意気な印象をレビューとして書き記してよいものか躊躇する。「いやいや世界初ですから」なんて突っ込まれてしまったりしてね、ほらわたくし小市民だから~。ぬほほ。

などと。何か多作との類似点探しに終始するほど退屈だったわけではないもんでぇ。世に曰く、こちらは映画史上屈指の名作という声もあるとのことらしい。勿論というべきだろうか、2019年に初めて観た自分はそういう印象は受けなかった。具体的にこれは凄い!みたいなものがなかった。この作品の公開当時はずいぶんと業界内から批評されたようで、そういう点から逆にたどってみると…傑作という評価に値することもまた、真実味がある。でも自分にはこんな古い映画での撮影技法の話を並べられてもピンとこないし、演技がどうこうもこれといって。豚に真珠。誰が豚だよ。

原題も「Citizen Kane」であるからには、市民のケーンさんであってる。「市民」というところが本作の鍵であるのかもしれないが、これまた2019年の日本に生きる自分には、あまり馴染まない意味合いが込められているかもしれない。作中では、親がたまたま財産を得て、自身は新聞社を経営して大当たり、大統領の親族と婚姻する。この筋書きにあたり、主人公は市民だと言って、特に違和感は覚えない。ケーン氏と同じように成功を収めたとされる実在の人物をモデルにしているとの事だが、そこに何か込められた意図はあるだろうか。

これが「軍属民ケーン」だったら、ほかに活躍の場があったようだ。「原住民ケーン」だったらどうか。まだアメリカになっていないアラスカとハワイでも題材になるだろうか。「江沢民ケーン」だとエスエフかと思ったら1941年だと江沢民は15歳だから何かあるかもしれない。つーかお前存命だったのかよ。「方幹民ケーン」だとさすがにwikipediaあたりから民で終わる人名を拾ってきたとバレますよ申し訳ありませんでした。

とあるメリケンのボスの、「人民の(以下略)」という有名な演説がある。この演説を教科書が紹介するには、peopleを「人民」と訳していた。citizen=市民とはなんなのか。真面目に考察とかするわけもないですが、我々が持つ漠然としたイメージ、それがこの作品そのものである可能性もある。

なお、アメリカ映画なのに銃で人が死なないのはとても奇怪なことであり、叙述トリックの起源となった可能性があります。2019年より東京都民がお伝えする感想は以上ですへんしゅーちょー。