Archive for 10月, 2012

非常時用の時計が壊れた

震災以降、非常時のリュックを定期的に整備している。ものぐさ歴35年の俺には素晴らしいことである。なぜノーベル賞には災害対策個人の部がないのか!!!!といったような自画自賛を半年に一回ぐらいしていてまあ正直恥ずかしい。しかし「定期的な整備」ということには嘘は無い。無いが、賞味期限のチェックぐらいしかやることもないが・・・

という

いつもの荷物のチェック中に、非常時持ち出しの荷物からアラーム音が漏れてきた。小さい時計を入れていたんだけど、ごそごそしているうちにスイッチいれてしまったかな、と思った。取り出してみるとどういじってもアラームが止まらない。音程もおかしくなって不安を煽るアラームとなっている。うーん。壊れたな。電池を抜くと止まった。入れ直すとまた変な音程でなり続けた。電池を変えてもダメなので、何か時計内部の部品が壊れてしまったのだろうか。

迷ったけど、まったく同じものをかった。

アナログ時計にアラーム付き。ボタンを押すとその間だけ文字盤が光る。単四一本で動き、手のひらに収まるサイズ。安い。丈夫。(←実際壊れたから買ってるのに丈夫って評価はないなwネット上では丈夫って言われてますが)

非常時の備えをいじる度に、無駄だろうか、という考えが頭をよぎる。そんな考えを払拭するように、津波の映像がまさに脳内に押し寄せてくる。被災したわけでもねえのに。実際に、こんなものが必要になるような事態が起こったとして、自分はどのぐらいの確率でこの部屋にいるのか考えるとMAXで見積もっても一日の半分。その時間の殆どは裸足で、身軽な恰好ですごし、5-7時間は暗い部屋で眠っている。助かるか、なんて運次第としか言いようがないし、非常用の荷物が最大限に役だったとしても一週間ぐらいで限界ではないかと思う。

不安過ぎる。やるだけやったし、後は天に任せるしかない、などと言いながらも、もっとやるべきことはあると知っている。長距離歩けるような靴を勤務先に置いてはどうか?とかさあ。そもそも、そんなに地震が怖いなら東京離れれば済む。現実の暮らしと、その日その時。都合の良いライン上を生きようとする人が多すぎて、全くにっちもさっちも。現代社会では理想とはエゴのこと、非常時の備えに刃物を忍ばせる秋風の朝であった。

おから

おからが食いたくなった。スーパーにいけば豆とかなんか入ったような炒め物売ってます。クックパッドではもっと豊富なレシピがあったりするので、ここは作ってみますかと。しかしおからって売ってない。栄養満点、おからをどうにかして手に入れよう!

こんな書き出しだとまた極限メニューでも創造したか、って感じだけど、実際はおからを手に入れることすら叶わず。ネットで調べると駅を通りすぎて少し歩くとおから売ってる豆腐屋さんがあるみたいだったが、向かってみたら閉店(´・ω・`) お店をたたんでからそんな日も経ってないように見える。残念。

というすぐ目の前に鉄ヲタには有名らしい、三鷹陸橋がある。出来た当時の姿のまま、80年を過ぎたらしい。ふらふら登ってみて、景色を堪能して、帰宅。業務用スーパーに冷凍(乾燥?)おからがあるらしいからチェックしてみるものなり。

散らかし放題に生きており、お片づけほど苦手なもんはないが、そこに規律もノルマもないならば案外楽しい。名前は伏せるけど和民のような企業で働くハメになったような人とか、シビアな研究職とか、そんなものなんだろう。まあ世の中そんなうまくいかないもんで、効き目がありすぎるお薬の副作用で死んだりするように、一方を追求すると一方が貧する。走りつづけて死ぬか、寝転がって食われるか。嗚呼しかし、どっちかに針を振り切って死にましょう、なんて寂しくないか?

おっと。それを咎めないのが人生というやつですね。ははは。なんでも死ぬ、死ぬ、言っているのはこのブログのタイトル上の演出であります。まあその演出も散らかし放題に向きを変えて、いき、そこを咎めないのが人生というやつですね。はははは。

メールアドレスの整理などしていると、たまたまある情報にたどり着くことがある。具体的には過去にメールをやりとりしていた人の現在とかですよ。顔面帳とかのアカウントとか。うーん。どうするんだこれ。どうするもこうするもないけど、絶妙に「やあやあお久しぶりですね」なんて言いにくいもんだ。おほほ、おっさんの乙女心、見さらせうはは。顔面帳に足跡機能なんて噂が出たときには鬱陶しいと思っていたけど、足跡つけておくって行動も、あるしゅ戦略的であるように見える。ストレートに生きられない、それを咎めないのが、まあ、いいでしょ。

la.dot

「Football under cover」を見た

「football under cover」は、ドイツとイランの女子サッカーチームが対戦するまでをドキュメンタリーで描いたもの。文化、政治の違いによるギャップを埋めながらイランでの試合の実現に向けて進んでいく…といったストーリー。撮影は2005年あたりです。なお、国内で入手は困難のようで、ドイツのamazonから輸入しました。英語の字幕があります。画面は16:9でした。自分が手に入れたのにはコメンタリーとかouttakesとかありましたが、全てについているかは不明です。あまり見ないで買ったからな・・・(´・ω・`)再生はPCでOKでした。DVDプレイヤーは自分は良く分からないので、リージョン云々は不明です。

さて、内容。当然ながらというか、政治的な、制度的な主張は作品に含まれていますし、一部シーンではその主張が極めてストレートにカメラに収められていますが、いわゆるフェミニズムってもんではないので、そゆうの嫌う人でも大丈夫かと思います。ケレン味の無い、というか、至って普通のドキュメンタリーという印象でした。

もっとも印象深かったのは、映画本編とは関係ありませんでした。ドイツのチームのメンバーが、イランのサッカー協会と会議のテーブルについた場面。ドイツ側は二名(ドイツ人+シリア人(?))とイランの人々十名ぐらい。みんな英語で話してました。当たり前だろ、といえばそれまでなのですが、海外で暮らした経験のない俺には、日々インターネットで感じている「英語が公用語」状態が、より一層印象に残りましてん。いやいや、映像として残っている場面だけだろっていう指摘があればそりゃそうかとも思いますが、しかし、実際のところ、母国語+英語は、もはや必須なんだなーって。

良い作品で御座いました。