• えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    とりとめなし江

    ちょっと値段の高い(ゆーて500円ぐらい)柚子ポン酢を買ってみたら、これは失敗。いまいちだった。柚子の風味が強すぎてどうしたら良いものか、困り果ててしまった。豆腐や生野菜にかけても強烈な酸味がすべて消し飛ばす。転用も思いつかない。焼酎をポン酢で割る気にもならないし、湯船に垂らして香を愉しむ気にもならない。重曹を塗った後にぶっかければシュワシュワと汚れが落ちることもなく。自分にはどうにも、爽やかな風味を超えて、刺激的な香辛料の範疇でありました。かと言って捨てる気にもならず。ここは湯豆腐ならどうだろう。一気に消費してしまえと思えど、実際のところとーふに温められて更なる香気でげふげふと喉が破滅した。黙示録に曰く、あの馥郁たる香りとはきっとこんなのだ。香炉より立ち上る1デナリの柚子ポン。あゝ、ラム肉に合わせれば良かったのか?オリーブオイルでジュワジュワと。なんのことだ。残り200ml

    石鹸がなくなったタイミングで、ボディソープを導入した。コストやら効能やら便利さなどは置いといて、取り敢えずやってみようというだけの話。風呂で顔を洗おうとして、一瞬固まる。体はボディブラシで洗っているんだけど、顔は素手に決まっているわけです。今までは石鹸を手のひらでゴシゴシこすって泡立てて顔にぬりぬりと。同じことをボディソープ液ですれば良いのだけど、この微妙な抵抗感はなんだろう。お料理前に手を洗いましょう♪なんて時も、ボディソープをこう…いやその、なんか…。キレイキレイをお買い上げしました。今まで石鹸で全部済ませていた洗浄が、ボディソープになった途端に分業となりました。洗顔フォームまで揃えるつもりねーぞああメンドクセ。いつの日か、全身歯まで含めてこれ一本で、という商品が世に出る日は来るでしょうか。

    何処にもアピールする機会などないが、お弁当系男子デビューしてしまった。初日はポテトサラダをタッパーに詰めた。作り慣れたメニューだし、運ぶのも簡単です。そうだ、買ったけど一回も使ってないお弁当箱あったよな~~~ってゴソゴソしてたら、嬉しい発見。内部が断熱加工された適度な大きさの袋状入れ物がセットの商品だったのであります。この入れ物が程よいサイズでタッパが二つちゃんと収まる。マジックテープで口が止まるようにもなっていて、使い勝手が良さそうだ。いつかアツアツのものを入れて、お昼にも暖かいか試そうか?しかしアツアツのままタッパの蓋をするのはどうだろうか…。先ずは缶のコーンスープとかで試そうか、いやいやそんなもんで試した結果が何の参考になるのか。うーんうーん。

    何をウキウキしているんだ中年男性。

    前の日の夜に作ったものを冷蔵庫から取り出して持っていく、という事に成らざるを得ない。だって昼ご飯の為に早起きは辛い。人権の侵害だ。そこでお弁当のメニューは、冷めても良いものに重きを置きたい。勤務地に電子レンジはあるにはあるのだが、諸般事情があって、使えない前提で目論んでいる。しかし冷静に考えてみれば、一度調理してしまえば、冷めたからって食えないものなんて存在しないな。お昼までの数時間経過で衛生面に問題がなければ、まあなんでも良いだろう。

    さて、先に挙げた入れ物に、タッパは3つぐらいまで運べそうだ。ちなみにタッパとは、少し前に買ったジップロックの丸い奴。四角いのよりも蓋がきっちりしまるので安心。これを、内部が断熱加工された適度な大きさの袋状入れ物にいれて、普段使っている鞄に詰め込んで持っていく。電車の中では、鞄は棚に横にして載せてしまうことが殆どであるから、食べるまでの間に横倒し、あるいは逆さになることを許容する必要がある。わざわざお弁当用のバックなど持たない。毎回タッパ3つも作っていられないが、その一つをご飯にすれば実質2つ。しかし…弁当持ちを何日かやってみて、二つで十分、足りない予感があれば道中でおにぎりでも追加する、という方針も有力なんではないかと思った。炊飯したほうが安いだろう。

    炊飯器は20年物で、普段は米を炊かなくなっても5年にはなる。これでかなり炭水化物と糖質減らせてるはずなんだが、その5年、別に米を食べることまで禁じてはおらず、体調の維持に寄与したのかは疑問である。特にお昼ご飯はお弁当でも店に行っても、必ずご飯食ってた。ここで弁当を持っていく、ぐらいの理由でまーた米を炊く生活始まるのはどうなんだ。やめよう、やめよう。

    などと思いつつ、マフィンに何か挟んで食うの面白そうと思い付き、さっそくチーズとバターと玉ねぎとベーコンと…。結果、しマフィンの粉がまき散らされて食後にウェットティッシュでお掃除が必要だった。蕎麦も試した。朝茹でたそばをタッパーに放り込み、好みの濃さに調整した麺つゆを凍らせたものを載せる。お昼時にはどんな仕上がりになっているかと思ったが、冷たさすら感じなかった。まあ今の環境では当たり前の話である。ワンチャン冷え冷えの蕎麦が食えないかと思ったが、そんなテキトーな工夫ではだめだよな。まあ蕎麦が好きな人ならみんな試しているんじゃないのーってね。

    新しい事を始めると筆が進むもんだ。しかしこれは食い意地とも言ふ。

  • どくしょかんそうぶん

    “All or Nothing”- Manchester City を観た

    Amazonプライムによる作品。イギリスのプレミアリーグに所属するサッカーチームの密着系ドキュメント。想像していたものを遥かに超えるクオリティで、世間で評判になるのもわかる。その理由も何となくわかっていく過程がまた楽しいというか…サッカーに詳しくなくても楽しめます。流石に簡単なルールと用語ぐらいは知らないと盛り上がりに欠けるかな。

    画面が広く、明るい。

    自分が過去に見た事のあるスポーツのドキュメントって、あくまで記憶を頼ったイメージでしかないけど、なんというか暗い。インタビューはホテルの部屋。トレーニングは小屋の中、リハビリは診療室。ところがこの作品はあかるい。広い。この作品の舞台は世界で一番人気のあるスポーツの、レベルのかなり高いリーグで、わりと資金にも余裕があるであろうチーム。そういうチームの裏舞台や設備なんかが見れるだけでもすげーーーってなる。

    ドキュメンタリーが張り付いているのは選手たちだけではない。何よりもチームを率いるジョブズ系の見た目の監督と、巨大なチームを支えるスタッフたち。なんなら追加で、NBA選手系の見た目のオーナー。そしてファン。このブレンド具合が絶妙。うちのカーチャンみたいな初老の夫人がチームのユニフォーム着て嬉しそうにキャピキャピ語るような場面など、実に印象深い。

    映像が美しいとか綺麗とか凝ってるとかそんな話は言うまでもなく…。兎に角素晴らしい。そして、何より見ていて楽しい。そして、実に爽快だ。その理由は何と言っても、上手く事が進んでいる勢いのあるチームに密着出来たということに尽きると思う。マンチェスター・シティはこのシーズン、いくつもの記録を打ち立てている。圧巻のシーズンだったわけだ。それを言うなれば身内の視点で楽しめる。何より活力を得られる気がする。世間に非常に好評なのは、この爽快感にあるんじゃねえかなあ。

    という事はプレミアの他のチームのファンが見たらぐぬぬぬぬってなるんだろうか。自分は特に贔屓の選手もチームもないので素直に楽しめた。スポーツ自体破滅させたい!ような思想を持ってない人なら、これはほんとお勧め。Amazonオリジナルの企画だから多分無料で見れる期間ながいよね?年末年始とかに良い。

  • どくしょかんそうぶん

    「マイノリティ・リポート」を観た

    面白いじゃん!毎度適当に書いているのでタイトルを原題にするのかカタカナ書きにするのかすら覚えがない。以下ネタバレ要素あるかもしれないけど15年前の映画だしよいですよね

    普通の近未来SFでありますね。公開が2002年なので、スマホは作中に登場しませんが、変なジェットパックで空を飛んでくんずほぐれつアクションシーンがあったりします。SF映画でしか味わえない混沌なのかもね、この辺は。製作者、あるいはまあ、世間一般の人も入れて?未来をこんな風に、なんとなくこうなるだろうと予見していた世界。

    この作品も予見が一つのキーなんだけど、つまりは管理システムの完全性がどうとかいう…またこれですか、というテーマ。ジュラシックパークもそんなじゃなかったっけ?2001年のテロ騒ぎからそう時間が経過しておらず、当時の政治的方針である国民管理体制強化への問いかけを含んでいる、とwikipediaには書いてあったがどーだか。この作品(というか原作?)のタイトルからも「切り捨てられる少数に真実が含まれるということもあり得るのですぞ」という、ぬか漬けの底に沈んでそうなほどに飽き飽き飽きする毎度の指摘が為されている…と理解する。多数決と少数意見みたいな場面では現実世界でこのテーマを放り込んでも「そりゃそうだねそういうこともありますね」でプリっと放り出されて終わってしまうもんです。それを便利に思って映画でも何回も使いまわされているんじゃないかとすら思う。結論が出なくても現実世界どおりですので、と言えるし、映画であるからにはHuh?みたいな結論でも良いんです。

    ところで、一番印象深いシーンは、街中の広告が個人に話しかけてくる場面だった。街頭の”ポスター”がこの前買ったXXXはどうたった?なんて話しかけてくる。今でも似たようなことはブラウザやアプリの中だけではあるが、起こっている。いろんなサイトがグレーゾーンのまま放置されているしきたりに沿って個人向けの広告を表示している。2002年時点にもこのような広告配信はあったかな?インターネットはもりもりやっていた筈だが覚えてない。

    この、覚えていないというのが怖いんだろう。今は実に露骨にamazonで探したものがfacebookの広告に出てくるなあ、なんて普通の事として受け止めてしまっている。そんな分りやすい場面ではなくて、もっともっとこう、絶妙なところで自分のリポートが活用されているとすれば、覚えなどなくて当然なんだ。考えてみれば不思議だ。なんで2002年のSFが僕のウォッチリストにあるんだ!?あっ。怖い。トム・クルーズのファンでもスティーブン・スピルバーグのファンでもねえぞ。アッアッ怖い。

    まあAmazonプライムで無料になったのを適当に放り込んでいるだけなのだが、これでこの人はこういう作品を好む傾向がある、なんて分析が始まってしまう。再生してすぐにやめたのはどの作品か、飛ばしながら最後まで観たのはどれだ、二回観たのはどれだ、次にこいつが金を払ってまで観る作品を並べておこうなんてな。このユーザーはレコメンドを断る傾向があるからほげほげ、なんてぐらいの手の込んだ仕掛け、実際に導入されているのではないかと個人的には思う。商品広告の話を充実させてもなんかアレかな。

    もう一つ、ストーリーのキモである預言の玉がなんかちゃちいのも面白い。ぐるぐるとウォータースライダーみたいなものを通って出てくる。普通にぼとっと落ちれば良いじゃねえかwなんて思った。玉には木目があるから偽装が難しいみたいな説明場面が作中にあったと思うが、この辺も今なら多分偽造可能なんではないかなあ。

    「貴方はこの選択肢の中からこの商品を選ぶでしょう」という話から、「あなたはXX日XX時に人を殺すでしょう」というレベルに至るまでにはまだ隔たりがあると思われる。レベルの問題か?しかしどこかで実現に向けた努力がなされているんじゃないのかな。だってどう防ぐんだよ?

    どうしましょうか。

    どうしましょうか。

    どうしましょうか。

    オウムは別かもしれないけど、その他は数分前に、なんなら作中みたいに数秒前にでも身柄を抑えれば何事もなかったようななるだろう…。しかし事のあらましを把握してからそんなことに思索を巡らせてもなあ。結局は予知なんて本当にできる余地があるのか、という所に帰結するように見える。渾身のジョーク。よしんば本当にできたとしても、ある日突然に警察署のほうから来た人に連れ去られて死ぬまで自由がないという世界を受け入れるもんだろうか。受け入れる人はどのぐらいか、という算出ももはやAmazonさんやgoogle先生の仕事であり、真実は雲の中といったところか…。

    誰だって自分はそんなことをしないと思って生きている。この発想はマジョリティよねきっと。

  • どくしょかんそうぶん

    「たとえる技術」を読んだんだけど

    えーと…これは…大喜利でしょうか…。ネタ本なのかも判別がつかなかったので、たぶんタイトルは釣りですテヘペロみたいな?

    いろんな感情や行動を表現する言葉に、その程度を伝えるべく「たとえる」という方法を使いましょう、という体裁だと思うんだけども、さすが上手い事いうなあ、みたいに感心できる部分がほぼなかった。編集方針なのかもしれないけど、「~~~のように」だけで進めたからこんななんかアレな感じになったんでは。せめて本当に技術的なトピックでもあれば読んで面白いのかも知れなかったと言えなくもない感じがなくもなかったとおもえなくもないこともないのだが。

  • ふでのゆくまま

    湯さ

    風呂上りに、髪を乾かさないで外を歩くと、なんかひんやりして心地よい。歩くと言っても、お散歩するとかではなく、一番近い自販機で冷たいものでも買う、ぐらいの意味。これは夏にはさほど意味がなく、真冬でも心地良いには良いのだけどやや憚られ、春にはイマイチ風情がないと意味不明な帰結により秋の愉しみとなる。秋も夜。月のころはさらなり。ふふん、とか鼻息荒く格好つけているが、すれ違った人は気付けばギョッとするかもしれない。夜更けにすれ違う人などご近所の人ばかりである。いとはづかし。

    どこかから犬の鳴き声がする。遠吠えではなかった。きっと小型の屋内犬だろう。キャンキャンと短い鳴き声がややくぐもって数度聞こえてきた。

    これはとても珍しいことだ。一人暮らし向けアパートの多いここらでは、まあ犬を飼っている人などまずおらず、一軒家のお住いを通りかかってもまず飼っていない。とはいえ、朝の出勤時には毎日のようにリードに繋がれてお散歩中の犬を見かけるからには、近所と言える範囲のどこぞで飼われてはいる筈なのだが、その鳴き声を耳にすることは殆どない。

    今年は寝入るときに鈴虫やコオロギの声をあまり楽しめなかった気がする。声自体は確かにしたんだ。どうも全体的なボリューム不足感を覚えたが、数が減っただろうか。考えてみれば鳴いている個体を実際に見た事はない。あそこの草むらに居るんだろう?って思いこんでいるけど、実際は違うかもしれない。なんなら本物ではなく、誰かが雰囲気を出すためにスピーカを置いて、他所で録音した音源を再生しているかもしれない。

    犬の声だって誰かがVR犬とかと戯れていたのかもしれない。本物っぽさに溺れたくて、外まで聞こえるように音を出したかもしれない。犬を飼うのは難しいからねえ。同じく温泉に足を運ぶなど不可能であるからには、髪を濡らして体脂肪を火照らせ、のしのしとお出かけして秘湯の帰りと称す、火星の明るい夜。湯船殴ったらうっかり本物出ねえかな。しかし出たら大変に困るなあ。弱った弱った。