どくしょかんそうぶん

“グラン・トリノ”を観た

クリント・イーストウッドは名優らしい。

…らしい?実は彼の若い日の作品とか見たことない。007シリーズとかでしょう?興味はない。このクリント爺さんは映画監督としてもなにかと評判が良いらしいですね、ということで本作。ネタバレ。

いろんな人が良作としてお勧めする。コテコテアメリカ盛り合わせハリウッド風味。人種、移民、銃撃、車産業、ダクトテープ、教会、芝刈り、BBQ、帰還兵。うわあすげえ。ヒーローごっこで尊敬を集めたらあとは仲自分が認めた仲間のために自己犠牲の死で格好良く〆。のぼせ上ったボーイスカウト。

このような言い方では身も蓋もない。ところが実際、この映画はそんな物語と言える。あー、そういうご近所付き合いあるよねー、あーそういう面倒ごとあるよねー、あーそういうクソ親戚いるよねー。あー、銃撃されることあるよねー。こっちも銃で反撃なんかもしてね。アメリカは訪れたこともないのに、「いかにもアメリカあるある」なんて感想を覚える。いったい自分はどれほど本作のような映画とかドラマとか音楽とかで、アメリカ的なものを知ったつもりで生きておることか。

作中、主人公(=クリント・イーストウッド)は血を吐いて、病院へ行く。その後で仲の良くない息子に電話をかける。なんの用事もなく、近況を尋ねる。息子は特に変わりはないと伝え、電話はその会話の往復だけで終わる。自宅で仕事をしながら電話を受けた息子も、怪訝な顔で電話を終える。親父はどうしたんだろうか?

それだけの場面なんだけど、だれでも深く気分が沈んだときには、このような行動に出るものかと思う。人には、救いをどこに求めるべきか定めるのも難しいという時がある。孫娘やご近所に怒りを覚えていた主人公は、病の前にはヘナヘナと心意気が折れ、残っているのは単なる意地。本作を以て俳優からの引退を決意したというクリント爺もそういう気分になったのかもしれない。この”グラン・トリノ”をだれに譲ったものだろうか…。どういう仲間に譲ったものだろうか…。

宝物を手に入れたい。しかし、いつかそれをドヤ顔で譲って感謝されたいとも思っている。我を崇めよとは、人間のシンプルな欲の一つといって良いだろうか。かけがえのないものを渡す。これが慈愛に満ちているようで、また邪でもある。良い人と思われながら死んでいきたい人には、参考になるものがある作品でございました。全般的に物珍しいものが見れたり感じたりできる作品ではございませんが、良い作品と思われながら鑑賞されたい作品です。

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