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ここんところ読んだ漫画など
もぐもぐ。
「孤独のグルメ2」をお買い上げ。○○のドラマ化とか実写映画化というともうその時点でファンの大半はがっかりするというのが良くある話で。デビルマンを極限の事例として残念な話は枚挙に暇がない。この孤独のグルメのドラマ化というか実写化シリーズはそれらとは別に、大変な大当たりだと思う。主演の松重豊なんて聞いたこともなかったけど、どハマリ役だと思う。最近だと名刺かなんかのCMで「はやく言ってよ~~」って言ってる人。
特に新しい展開があるわけでもない漫画なので、ぼんやーりと読了する。ごちそうさまでした。
たまたまだけどこちらも作者は同じ、谷口ジローによる、「神々の山嶺」を五巻まとめて大人買い。なかなか見つからなかったんだけど、映画化かなんかの話があるらしく、たまたま立ち寄った書店に置いてあった。棚に見つけてすぐに片手で一掴みにしてレジへ。途中でこぼして気まずい。主要人物に「羽生」という登山家が出てくるんだけど、羽生というだけでもう羽生善治の顔とキャラクターしか思い起こさないのでじつにムズムズしたのであります。映画の公式サイトのドメインはどうにかならなかったのか。まあこういう宣伝だけして終わり、みたいなサイトは使い捨てみたいなもんだからいいのか。
「刃牙道」という例の漫画の新シリーズも読んでいる。過去の刃牙シリーズにおいて、ジュラ紀?に生きたとされる原始人が登場した時点でもうこの漫画は何でもありだなあ、と思っていたけども、現在のシリーズに於いては宮本武蔵を現代に蘇らせるとかもう流石に失笑もの…なんだけど、過去のシリーズも含めて一番面白いと思う。今のところは。また「エア味噌汁の香り」とかやるんじゃねえだろうな。
毎日かあさんの12巻がそろそろ出る筈。サイバラ家が磯野家と同じような親しみで世間に受け入れられるとはねえ。
バスタードはどうなった。作品より先にリアル地球が終わるぞー。はぎわらー。
「いちえふ」の連載は終わってしまうようなので、単行本をまとめ買い。となるとついでに買っていたモーニングも買わなくなる。あのワインの作品はどうしても魅力が伝わってこなかったが、ワインが好きな人には面白いのかもしれない。
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WHIPSLASHを見たのス
何それ?という人が殆どだろう、買うまで自分も知らなかった。日本語題が「セッション」となっております。感想など。ネタバレ100%なのでご注意。コレクター版などとなっているのを買ったんだけど、日本語字幕で見たかったというだけです。
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アカデミー賞云々はわりとどうでも良い。毎年なにかしら受賞するわwwグラミー賞みたいなもんだと。新しい映画だから世間の高評価が長年積み重なってもない。既に高評価なのはご存知の通りつうわけではあるけども…。自分はなんで興味を持ったかというと、舞台が音楽ガチ勢の住処、音楽学校ということ。俳優さんは演奏どうするんだろうか、なんてところにも興味があった。学校という事は演奏する人も主人公だけじゃないよねって。そんなもの過去に何作もあっただろ、というツッコミはご尤もですが、映画には強くなくてねーごにょごにょ。日本の高校のブラスバンドの話で評判良いのあってねたしか(精いっぱいの知識)
で。
面白かったです。その作品の舞台となる世界には興味があるところだし、きっとこうなんだろうなあ。なんて思った通りの雰囲気があった。個人的には教官が「ハートマン軍曹」にしか見えなかった。それが嫌とか興ざめだということもないけど、まあ厳しい指導者はそうなんだろう。少なくともアメリカの感覚ではあれが一般的なんだろう。
114小節目からと言われてすぐに演奏が始まるの、凄いと思ったけどプロを目指すならそのぐらいは普通なんだろう。
なんだかんだ言って、成功を夢見る若者の物語なんだなあとは思う。家族の会話のシーンとか象徴的だと思う。最後嵌められるところも、そもそもその舞台に立った理由も偶然の再会から声をかけられたからだろう。気のあった女の子を誘ったりするあたりもそういう印象を受ける。
演奏シーンは見事なものだった。あれは俳優さんの訓練かハリウッドの魔法かは知らないけど、ドラムをたたいたこともない自分には申し分ない。ここがアレだと白けてしまうもんだけどそこいらのクオリティは流石に。別にあら探しをしようと思って見たわけでもないからまあ。まあ。演奏シーンの訓練が作中よりも厳しい、というレベルだったりしたら俳優って凄いなあと。実際どうなんだろう。俳優志望にも楽器弾ける人間はいくらでもいるだろうなあ。そう考えると、最初にこの作品を知った時に思いついた「俳優さんは演奏どうするんだろう」なんて疑問は的外れもいいところで、当然そういう訓練する、あるいは、最初から弾ける人材が転がっている、ということになる。凄い話だ。
話を映画に戻すと。ちょっと一ヵ所??のまま終わってしまった部分があった。椅子の上に置いた譜面が消えた場面。それを契機とした展開はこの映画の主軸なんじゃないかと思うんだけど、結局「何故か一瞬でなくなりましたー」のままで終わってしまった。オリジナルと比べて字幕版はカットでもされてるのか?スコアが一部ないぐらいでバックアップがないというのも…、そういうものなんだろうか。まああくまで学生と教官だからな、そんなところの面倒見るもんかという話か。自分が学生のころ、素人に産毛が生えた程度で部活の一環としてそういう演奏会に出たけども、確かにそんな予備なんて持って出かけてなかったわw。朝六時に寝過したのも全く何もなく終わってしまったように思うのだが、ま、伏線云々うるさい批評する人は好かないのでここいらで。
かなり評判が良いらしい最後のシーン。本当の最後の映画の終わり方からしても、さっき挙げたような余計は話はもうすっ飛ばしていくということなんだろうなと察した。誘った女?知らないわ。事故った車?しらねえわ。なぜ主人公は目をかけられたのか?知らねえわ。楽器が鳴っている間だけの煌めきに命を懸ける姿の美しさというありがちなテーマ、故に人の心をうつとしたものだろう。これもハリウッドの魔法かしら。
まとめ。面白いかった。しかしどこかで見たことのある、如何にも映画のストーリーだ、という展開が多いので、そういうのを嫌う人は眉をしかめる場面が多そう。遅れるなよ!→寝過す 遅れるなよ!→移動中にパンクとか。まあそういうので取り返しのつかないことになるのも人生よね。
以上。
見終わった後にチャーリーパーカーでググった奴は挙手。
ノ
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ギリヤーク尼ヶ崎 公演を見てきた
2015年10月某日、東京は新宿でギリヤーク尼ヶ崎のパフォーマンスがあるらしいので、見に行ってみることにした。
特にチケットも予約もない、普段休日にはフリーマーケットなど行われている、ビルの隙間の広場にて行われる…とある。爽やかな秋晴れの昼下がり、現地へ向かうとすでに人だかり。近くでは見れそうにないので、ステージ(なのかどうかもわからないが)横手の階段の手すりで始まるのを待つ。90歳に近いという。どんなパフォーマンスなんだろうか。予告通りの時刻に、ややざわついた空気があり、「まってました!」などと掛け声がかかる。寄席じゃねーんだからと思ったけど、大道芸とはそういうものなのだろう。いや、良く分からないが。
見ると…観客の合間を縫ってよたよたと細身の老人がステージにあがる。彼がギリヤーク尼ヶ崎のようである…。全く以て普通のいでたちで、代理の人が中止でも伝えに来たのかと思ったほどで。彼はゆるゆると荷物の開梱を始めた。静かに見守る観客。演出なのかどうかもわからないので眺めるしかないのだが、流石に退屈だ。着替えが終わるころになると、ステージの前のほうに座っていた人がメイクを始めた。演出なのかどうかもわからないので。白塗りになり、準備もできたというところでステージ中央に立つギリヤーク。観客から拍手。
ここまで20分ぐらいかかった気がする。もう集中力がなくなってしまい、端的に言うと飽きた。そりゃそうだ。もう細かいところは覚えてないのだけど、演目の書いてある札を掲げて何事か叫ぶ。音楽が流れ、「念仏じょんがら」が始まる。踊ると言うよりは練り歩くという感じであるあたり、流石にもう年齢がキツイよなあと思ってしまう。いや、若いころからこういう演目なのかもしれないけど、着替えだって手が震えてしまってままならないのを数分前に見たばかりではより一層こう、大丈夫なのかな、なんて気にしてしまう。ステージだってパフォーマンス専用なわけではないから、演者のすぐ後ろのカフェテラスの席にも人がおり、そもそもステージの脇にもカメラを抱えたアシスタント?のような人たちがいるという始末で、なかなか演者に集中するという気にもならず、いや大道芸ってそういうものなのだろう。
ステージを降り、客席へ練り歩く。観客の視線を追うに、どうも自分が立っている階段を登ってきているようだけど、螺旋階段になっていたため、見えなかった。「がんばれー!」などと声援が飛ぶ。ステージに戻り、バケツの水を被ったりして、終わった。次はやや陽気な曲で、観客をステージに上げて手をつないで練り歩く。同業者のようなものだろうか、妙に動きにキレがあるご老人が一人いた。
そういえば昔、ペルーの民族音楽を奏でる一座が都内各所を結構頻繁にめぐって演奏していた。新宿で見かけるとき、毎回のように一座のとなりで汗だくで踊っている老人がいたのを思い出した。あれは誰だったのだろう。
演目もいつの間にか終わってしまったようだ。舞台の上で何か話していたようだが、何を話しているのか全く聞こえなかったのは残念。花束などが贈られたあたりで帰路に着いた。見た場所が悪かったこともあり、イマイチでしたと言わざるを得ない。これが新幹線で二時間かけて見に来た、とかだったらきっとがっかりしてしまう。
あのような人生を歩んでいる人は、そら舞台にて死すことも厭わないものなのかもしれないが、着替えに手間取る様子まで見せられてはなんとも。演出なのかもしれないけど。遠目から見ていたから、カメラ持ってうろうろしていた人たちも目立って邪魔だった。近くで見れない時点で帰ればよかったなと。
ブログを認めるにもパフォーマンスの内容が全く印象に残ってない…。
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年に一度も難しく
例年なら、というかここ数年だけど、ブログのカバー画像更新の時期となった。
幸いにもほどよく休日がやってきた。やっては来たものの、この夏からの多忙のせいでいろいろ積み重なったままの感があり、意気込んで写真集めをするような気分にもならず。去年と比べるとiphoneに収めた写真の量はかなり減った。とは言えゼロでもない。何枚かめぼしいのから選び、トリミングする作業もまた楽しからずや。…というところで、まずはバックアップ用のHDDに保存しようとしたらフリーズしてしまった。まーー数が多すぎるんだよな。
どうしようもないのでこうして書き留めてみる。手元のiphoneで画像を眺めるに、良い写真はあるにはあるんだ。去年の11月から今年の7月までゼロ枚というのに呆れつつも。これにしよう、というところまで作業して、続きは後日。
…という一日の昼下がり。少し前に書いた空き室が目立って強烈な印象があったアパートへ赴いた。某社の社宅であった。近くに来てしまえば当然ながら空き室が目立っているという景色を見ることはできない。ある程度の距離、高さが必要で、電車の中からというのは絶好だったわけだ。しかしながら近くに来てみると随分と古いものだなと実感する。フェンスに囲まれたスペースがあったら、テニスコートだとは思うのだが判別もできないほどに放置されている。その奥にジャングルジムも見えたが、雑草に囲まれていて、錆も目立つ。安心して遊ばせることが出来る遊具かと言われると、親御さんたちにも少々不安があるだろうなこれ。立ち入りを禁ズ、と書いてあるので深入りはしなかったが…。特に建て替えますとかの告知もでてないので、単に入居者がいないだけなんだろうか。そら建物自体は古いだろうが、高架の下の通路まで近いし、雨の日でも買い物など苦にならないように見えた。駐車場はない?ようにも見えた。周囲の道路も狭く、そこいらはいまいちかもしれない。
そんな感じ。
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佐野研二郎氏のオリンピックデザインのアレ
始めにお断りしておくと自分はオリンピックというイベントにそんな大きな期待を寄せていないのです。別に非難もしませんけどそりゃ。
で。ま。
まだ開催まで時間があるうちにカタがついたと思えば良いんじゃないですかね。スポンサー企業にはいい迷惑だろうけど、どうせ商売しようとしてたんだからまあ。デザインと言えど要するにまあデータ。パクるにしてもその元ネタの入手がctrl+cとctrl+vで済んでしまうケースがあるでしょう。この手軽さは罪悪感をマヒさせるんじゃないかね。子供の万引きじゃないんだから罪悪感とかここで持ち出してもなあ。でもゲームでのチートを中学生ぐらいの、賢いつもりのお子様が平気でやるのもこんな感じだろう。
しかしこの人実績のあるデザイナーじゃないか。どんなデザイナーでもなにかしら”拝借”して成果物に組み込むもんだろうけど、こんな露骨にねえ。大きな仕事でねえ。
もっと堂々とCCとかのご自由にお使いください素材を使ってたら世間はどんな反応したのだろうか。今回の件はわかりやすく「コピーライトの部分をカット」という事例があったから悪意モリモリに映ったような気もする。少し前に、漫画の新人賞的なもので、すべてのコマの絵が他作品からのコピー(を加工した物)で構成されたものが受賞してしまったことがある。今回のは程度が一緒の事案だと思っているけどどうだろか。
「メガバカ」でググると事例が見れます。
デザインとか音楽とか、どういじってももう何処かで見聞きした物しか出てこないと思う。意地になって類似したものを避けるとこれは前衛アートにでも辿り着くのだろうか。可聴域を越えた音域、音量での表現、視覚で認識できないブライトネスの差異とかそういうのか?まさに人間などお構いなし、データではきっちり表現できているという次元。なんだかそれもまた、コピペより嘘っぽいと思ってしまうんだよな。
また何か思う事があったら追記でもするかしらん。