• えさのじかんだ

    めし短観

    鍋の素スープじゃんぶらこ、時々肉とか魚とかちくわぶとか。みたいなもんを週に三日も食っていたのだが、考えてみればこんなのラーメンの汁で野菜を茹でて食っているようなものじゃないかな。塩分と油を控えめにすべく、いわゆる水炊きでポン酢への転換。ここで100%の転換すると飽きてしまうので、ほどほどそこそこ。ポン酢8:こってりスープ2ぐらいで攻めよう。

    餃子にはお酢というのがここ十年ぐらいお気に入りですが、胡椒を入れるという情報を得た。実践してみると、不味くはねえけど美味くもない。そろそろ何も付けずに食う、にたどり着くことだろう。じっさい、水餃子はそれでよい。焼きはどうかな~。

    花椒(ホアジャオ)を買った。粒のままで袋に小分けされている。なんで買ったか意味わからないが、これはどうするのだろう。ググって出てきたレシピで、麻婆豆腐に入れるという当たり前なものがあったので実践。こういうものをちゃんと風味豊かにするには手順があるんだろうが、ひき肉と一緒に炒めて誤魔化す。うーん、いまいち。使い切るのめんどくせので、次の麻婆豆腐で全量消費を宣告する。当然ながら、麻婆豆腐の素を買い忘れた。よくある事なので、豆腐とひき肉炒めに花椒の粒をどばどばと。今度はスプーンの底で荒めにつぶしてまぶしたが、そんな美味しいもんでもなかった。

    良く行くスーパーの水菜はもうちょっと少量で売ってくれねえかなあ。あいつは薬味枠だと思えば少量で良いんだ。葱ほどいろいろ使えないような気がするし。例えば、刻んで冷ややっこにぱらぱらと?蕎麦にぱらぱらと?味噌味にぱらぱらと?全部いけそう。ムムムと再考すると、これはは芯?茎?の部分の話で、水菜にはふさふさの葉っぱがある。あいつの処遇なあ。

    料理酒もみりんも消費期限があるんだが、あまり使わないもんで。意識して消費しようとしても、ブリ大根を二日おきに作るとか雑なことヲホホ。和風料理のレシピを参照すると、何にでも使っているぐらいの勢いで出てきやんの~。はいはい使って差し上げましょ。適当なレシピを巡っていると、「貝割れ大根」って書いてあった。誤植かなと思ったが一般的な用法のようだ。発芽した様子が二枚貝に似てなんたら。しかし、大根に似てないんじゃないか?でも緑の頭に白雪肌。あるいは味か。わかめと大根おろしに貝割れをファサー。

    菓子パンって食べない。サバの塩焼き定食(大盛り)よりもカロリーあるものが合法とは恐ろしい。そんなものは若くないと食えませんが、たまにはいったろやないかい!というのが人間型のいきもの。チーズだウィンナーだというのもあるが、おそらくそれは「総菜パン」なんだろう。菓子パンを所望するだら甘味。クリームパンうぐいすパンあんぱん。んで、イチゴ大福を買って帰るいきもの。

    子供の頃、爆発的に流行ったと記憶している。その頃の記憶と比べてどうよ、この小さい事。中のイチゴなんて1/4ぐらいにスライスされてる。齧った時に丸ごと入ったイチゴの汁が垂れてくるのを、あばばっていうて零さないように食うのだ。最近、缶詰とかお菓子とか飲料、あらゆるものがサイズ小さくなって売られていて、日本が貧しくなったとかなんとか言われております。手のひらサイズのお菓子でしみじみ実感できるから、如何にもその通りと思えて怖い。

    中国の搾菜の売れ行きで、現地の景気を計るという搾菜指数とか言われるものがある。らしい。(最近はどうだか知らないけど)中国では労働者が景気の良い働き場所を求めて、億の単位で移動するらしい。となれば、労働者が沢山押し掛ける地方で搾菜の売れ行きがあがるから、その土地の景気は良いと判断するわけだ。日本の食品のサイズも景気判断の指数にでもなるだろうか、あるいは悪意のこめられ具合か。でも、指数とか婉曲的なものじゃねえよな、どストレートに誤魔化しやがって。

    おせち関連商品が売られていた。12月もまだ半ばだというのに、なんて思ったが次の週末はクリスマス。試しに何か手に取ってみると、消費期限が12月30日とか書いてあって、そらそうなるだろって。東京に出てきてから、しばらくは年越しそばの習慣を守っていたような気がする。学生を卒業してからは、大みそかに郷里にいたことは1,2回しかない筈で、一人でずずずずと。いつしかめんどくせえのでやらなくなり、違う趣旨のものを食べてみようという動きも疎かに。春雨スープを食べて来年は清らかに生きたいなんて思っておったのです。今年は半減期に到達しそうなポテチと、桃屋の搾菜とイチゴ大福でも昼から食って、風情の自壊を堪能するとしたい。

  • どくしょかんそうぶん

    「AKIRA」を観ろ今すぐ

    なんでも、作者の大友克洋氏の何かが来年発売になる記念ということで、2021年12月28日までYoutubeで無料で見れる。お前らも観ろ。アニメでAKIRA、ゲームでportal。この二つは義務教育。細かい話はオタクさんがたに任せて我々パンピーはとにかく観ましょう。

    「バックトゥザフューチャー」と同じで、小間切れに引用された場面とかが幾つもネットにある。本編通して観るというのは子供の頃以来だ。その子供の頃にしたって、ローカルなお祭りとか垂れ流しにされているのを見たような記憶。電話帳みたいなサイズのコミックは、大人になってから読んだ。

    https://www.youtube.com/watch?v=kVaTwhJ_PHg

    まごうことなき傑作。例えばこのサムネイルの場面。バイクに乗ったまま横に滑らせて、視線をカメラに向けながら遠ざかる。この場面のオマージュ、パロディだけでも世中に幾つあることだろう。

    個人的にはやはり漫画版の印象が強いため、このアニメ版は「なんか唐突に終わったなあ」という印象になる。爆発の場面繋いでエンディングまでワープした、みたいな。とにかくみましょう。

    あ、オマージュを集めた動画もあった。のび太も出てくるんだけど、あれ本物か?ww

  • どくしょかんそうぶん

    「寄生獣」を読んだ

    懐かしい。以下、ネタバレです。

    Amazonプライムで無料枠で3巻まで読んで、知っている場面と記憶にない場面があった。多分、以前読んだ時には立ち読みでもしたんだろうなと思う。床屋で待ってる時とか?4巻以降を電子書籍でお買い上げ。やはり所々知っている場面があったりした。

    連載は1990年から、1995年。当時はやっていたタイプの漫画のように、すごいパワーを得た主人公が格闘アクションする。連載時期はドラゴンボールで言えばナメック星に向かう~連載終了までの期間。本作は強敵と戦うだけではなく、地球と人類のありかたについての疑問を呈するというシリアスなテーマがある。最終巻、作者の後書きも載っているんだけど、印象深い一文がある。

    「寄生獣の開始・第一話を描いた頃、世間は現在ほどエコロジー流行りではなく、環境問題についてもさほど騒がれてはいなかった。つまり、『愚かな人間どもよ』と言う人間が滅多やたらにはいなかったのだ。」

    寄生獣 10巻あとがき

    作者のいう「エコロジー流行り」というのが具体的に何かはわからない。ただ、この作品が連載されていた当時の自分は中学生、高校生だった。自然環境への取り組みがされていなかった、なんて記憶はない。ダイオキシン問題で、そこいらの庭の焼却炉でゴミを燃やして処分することなんてできなくなった。フロンガスの件もこの頃じゃねえかな。人類がなんとかする必要がある、という認識はだれしも持っていた。それこそ「人類が悪い!」みたいなのはモチベこそ違えど似たようなことが聖書関連にもあるとかないとかあるとか。

    適当な事いうておりますが。

    で。

    最後まで一気に堪能したんだけど、物語の最後のほうで少し首を傾げるところがあった。市長を名乗る寄生生物を射殺したところ、実は市長は普通の人間であったことが判明する。なんとビックリ…ところが、その人物はミギーにより寄生されたものと判断されている。5巻ぐらいかな、街中で演説しているとき、ミギーによって壇上に六人いるとカウントされていた。その六人に含まれている。ミギーは「私もこの距離では見分けにくい」と言っているから、確かに彼が寄生されていると断定はしていないが、壇上には彼を含めて六人しかいない。おやおや?

    こういうのが伏線っていうのか?(どうも、伏線が伏線がって読書感想文ばかり目について辟易するんですがー)

    こいつが寄生生物組織のボスであると、一部の隙もなく読者に思い込ませるためのフリなんだろう。作中では、街頭演説の場面の後すぐに、ミギーがこの”人物”の事を評している。「人間に成りすまして勉強しているうちに、本当に政治に関心をもつようになったのではないか」とか、「案外立派な市長になるかもしれん」とか、「戦っても勝ち目もないし」など。これで人間であると思って読んでいた読者はいないんじゃないかなあ。

    ところが、人間だと判明したときの「あれ、こいつ人間だ」で済まされてしまうのもまた見事な展開だと思う。こいつが人間だったという事は、どういうことか。読者に投げかけているわけだ。演説の場面は、正体不明の敵を偵察に行ったら想定以上に大人数でマズイ、という緊迫した場面。この場面ではト書きでしかない彼の演説の部分だけあらためて読み返してみれば、割と普通の政治的主張に読める。実際は、連載当時では尖っていたのかもしれない。

    どうも人類の存在自体が災いであるという発想を人間自身が持つということ…そういう発想に至ること自体が、そういう目的の”生物”が誕生すること自体も、生命の大きな仕組み、流れの中にあるというなら?

    あほくさ。

    なお、本作はイエローモンキー種以外の人類は登場しない。地球と生命という大きなテーマがありながら、地方都市の騒動で畳んだのも、見事なもんだなあと思いました。本当にそういう処理をしそうじゃないすか。

  • ふでのゆくまま

    ざっき

    リュックのサイドにポケットがついているやつ。ペットボトル収めるのにちょうどよいやつ。どちらかと言えば、本格的なアウトドアブランドの商品に多い印象。自転車が趣味の人は、なんかチューブ繋いで乗ったまま水分補給できる仕組みを使ったりするんだって。という、そのポケットにビール缶らしきものを格納しているお姉さんが気になってチラチラ。土曜午前の電車なんですけどね。

    降りる駅が同じだった。立ち上がってそろりとそのお姉さんの後ろについて、確認するとプルタブが開いている。真冬の怪奇。中身があるのにそんなところに格納して持ち運ぶわけない。運ぶ理由はなんだよ?空なのかな?ふと、ゴミ箱がなくて、家まで持って帰る途中ではないかと気づいた。それなら合理的なような、いやいややはり珍妙なような。

    突然スマホ充電できなくなったかと焦ったが、どうやらUSBケーブルがだめになっただけのようだ。そういえば、部屋で使っている電源タップも物によっては十年以上つかっているのではあるまいか。ついでに変え時かしらん。こおゆうのは全部いっぺんに変えると困ったことになったりするので、電源タップ二つばかり買う。プラグの差込口もふえたので、まとめることができる。一個減らすことができた。何かの非常時に役立つかもしれないから、一番長いのは残し、あとは捨てよう。

    良く晴れた日の朝、敷布団が干してあったのだが、マンガみたいにおねしょのような跡がついていた。そういうデザインの布団か?そんなバカな。単身者向けのマンションに見えるのだけど、お子様がお住まいだったんだろうか。でもま、大人でもお漏らすことは、あるもんね。

    以前より読んでみようかと思った作品があるのだが、買おうとおもって探したら思いのほか長編だったので日和った。あと、電子書籍だと古本に比べて圧倒的に高い、下手すると10倍近い。短編だったらちっとは安い感じがあってさー。

    https://gomibon.hatenablog.com/entry/shortclassics

    幾つか読んだことがある作品もある。読んだはずだけど全く内容思い出せない作品も。「車輪の下」とか「ジギル博士とハイド氏」とか。うーん、このリストからどれか選ばせてもらおか~…うーん。うー…む。200ページって一日で読む量なの?学生の頃、金もないし勉強する気力もない連休、一日で一冊ぐらいで文庫本読んだことがあった筈。朝から晩まで布団に転がって読んでれば、200ぐらいはいけるか。100回ページをめくる。二分で読んだとしても、3時間ちょっと。案外余裕だな。当時より脳みそと眼と体力の衰えがあることを考えると、一日かけてまったり200ページは良い線なのかもしれない。しかし困った、まるごと一日を読書なんぞに費やすつもりも、なくなったのである!嗚呼!ま、適当にぽちっと電書買い。「でんしょ」で変換できないのね。

    深夜2:00ごろに湯船につかり、そのお湯を抜き忘れて翌朝8:00ごろ。まだわずかにぬるい。洗濯に使うことにした。残り湯で洗濯するのは何故なのか。もちろん、勿体ないという節約の意向が主だ。ほかに、お湯だと良く落ちるというメリットがある…らしい。スチーム吹きかけて汚れ落とすのあるよな。しかし、一晩かけてぬるくしたお湯、不衛生じゃねえのか?自分のだし汁。あるいはこういう発想が水と空気がタダと思えるほどに先人が研鑽を重ねたお国かしらん。

    最近、自分のうんKが妙に匂う。何が変わったわけでもないにどうしたかな。体調の問題か?気になって自分の排せつ物を眺めてみる。…うーん。傾斜に寝そべるうんKが水面より上に顔を出している。これでは匂う筈だ。となれば、便器内の水位が下がってしまったのか?今までの水位が不明だが、かりにそうだとしても、そんなもん調整できるのかな。

    他に心当たりといえば、炭の香りの芳香剤を置いている。空になっているとか?いちおう調べると、空どころかなみなみと入っている。鼻を近づけると確かに仄かな香りが漂ってくる。もっとよく見ると、満タン入っている。凝視してまじまじよく見ると、中蓋が閉まっていた。Oh!!Shit!!草!!この体験を以てこの消臭剤の効果のほどははっきりと確認された。みんなもうんKのお供に。「消臭力 トイレ用 炭と白檀の香り」ですって。芳香剤や香水にアレルギー反応起こすことがある自分でも、この一年以上安心して使っております。

  • えさのじかんだ

    めし短観

    カロリーハーフのマヨネーズを買った…と思うのだ。何故かストックから出てきた。トマトにかけて食うてみたがお口に合いませんことよヲホホ。びっくりしてしまった。くそまずい。カロリー気にするにしても、これならマヨネーズ以外を選択する。きっと間違えて買ったんだろうな。

    何度目かの鍋の素たるスープお買い上げ、棚を眺めてふと、もつ鍋の素というのが目に入る。考えてみれば、モツを買ってきて料理したことは無いかもしれない。もつ煮込みとかもつ鍋に入っている「モツ」って、小腸だっけ?冷凍で1Kgぐらいの売られているのは見たことがあるが、もっと小分けで売ってるかしらん。手に入ったら試そう、ということで、素だけ買う。

    次の日、モツも買う。下茹でが済んでいるあの鼠色のやつしか売ってなかった。美味しくはないだろうなと思ったら、美味しくはなかった。500gなんて単位で売っていたもので、鍋一杯に作った。小型の鍋なのでまあ肉肉しいこと。余った100gほど捨てました。鍋の素スープってやたら脂ぎっているものあって、野菜だけでも美味い。塩分もみっちりだろう、果たしてヘルシーとは。

    ボロニアソーセージと書いてあるのを目にして何のことか分からなかったが、画像をみれば「ああ、これか」と。ふっといやつ。サラミの若い衆すっぴんみたいな。自分で調理したことは無いかもしれない。そこらじゅうで売ってるけどな。買ってきた。切って炒めるだけ、いつものこと。ピーマンと炒めてケチャップをでろでろ。厚切りにして噛みつくのもよさそうだ。柔らかいから5cmぐらいでもいけるな。

    生姜をおろしてヤマサの白だしに入れて、焼いたナスをどんぶらこと浸して食う。特に理由はないんだが、気に入ってしまって、今年の夏から何度か堪能した。おろした生姜のハードコアな刺激におナスもうっとり。生姜をおろすときどうも繊維質がじゃまだ。おろし方間違ってるんじゃないのか?とググってみても、そういうもんらしい。

    昔は「漁船がソビエトに拿捕された」なんてニュースを時折耳にした記憶があるけど、最近どうだろう。日本の漁師が鮭を捕っても、あいつらは「この鮭はソビエトの物だ」といって一向に譲らない。「ほらみろ、切ったら身が赤いだろう」というジョークを耳にした。ところが鮭は白身魚なんですって。育つ過程でアカになる。さーもんありなん。

    https://www.maff.go.jp/j/heya/sodan/1203/03.html

    するとカラフトマスが育つと、白身に赤い丸がくっきりとね。

    ラベルなしのペットボトル飲料を箱で買った。なんだか不思議な見た目ですらある。捨てる時にははがす必要がないので楽だ。商店の店頭に並ばないなら、ラベルなんて何の意味もない…と思ったけど、もし調味料とかまで全部こうなったらちょっと使いにくいかもな。みりんと油と酢が全く同じビンに入っていたら?そう思って家にある物をしげしげと眺めてみると、ちょっとずつ形や色の違いがあるもんだ。ペットボトルではないけど、プラスチックのものも、多い。

    ペットボトルってえば、昔は自販機で2Lぐらいのファンタやコーラ売っていたと言ったら若い人は驚くかな。自分が高校生ぐらいになったら、もう見かけなかったような気がする。そのへんネットに情報を求めると、やはりこういう事は個人ブログに限りますな、実際にコカ・コーラボトラーズに問い合わせたという人がちらほら。「ニーズが無くなったから自販機からもなくなった」ということらしい。なんでニーズが無くなるかというと…?コンビニが増えた?家族が少なくなった?炭酸飲料なんぞ体に悪いってんで飲まなくなった?上記全部かな。

    自販機で飲料以外がもっと売られても良いと思っていたんだよね、むかしは。ここ数年になって、無人のコンビニとか話題になったけど、じゃあそこらに置いてある自販機でも良いじゃねえかって。でも、自販機はどうやっても補充の手間がかかる。販売がオートメーションされようと、商品が多彩なら一か所にまとめるのは自然。お勤め先の自販機に補充している姿なんて見たことあると思いますが、一個一個手作業でスロットに落とし込んで、売り上げ回収して、空き缶なんかも回収して。ボタンぽちっと押したら買えるという機能のために、準備にメンテにどえらい手間がかかる。そこいらの道端に置いてあるものにまでそんな作業をするというのは、現実的ではないんだろね。現実的な線が、カップ麺とかの軽くて消費期限も長い商品とか?アイスクリームの自販機も見かけなくなった気がするな~。ゲーセンとかにはまだあるかな?ゲーセンも数年行ってないな。

    だったら醤油とか塩とか砂糖とかなら、なんてググったら、出汁の自販機があるって。なるほど、ルートを巡って補充の手間が少なければ、補充だけで売れるという販売側のメリットが際立つ。生産工場の傍とかに置いてあればいいわけだ。なるほどなるほど。野菜や果物の販売所方式。

    果物ねえ。美味い果物がいつでも手に入ればなあ…なんて十五年ぐらい思っている。考えてみれば、今年果物を買ってないのでは?学生の頃とか、新宿に行くと「百果園」の果物齧ったもんだ。昨今の事情もあって、上野や新橋も閉店しちゃうみたい。上野はアメ横の中にあった。山手線のガードの近く。このロケーションに風情があって、異国情緒すら覚えたものだった。トウキヲではおいしい果物は高級品なのね、みかんぐらいは年内に買いたいが、どうだか。