どくしょかんそうぶん

  • どくしょかんそうぶん,  ふでのゆくまま

    「サイタマノラッパー」を観た

    そんな東京と離れてねえだろ。

    実に評判の良い作品だとは前々から伺っていた。評判通り、素直な青春作品と言ったらよいだろうか。ワンシーンワンカットという撮影手法も話題になったみたいだけど、見終わってから言われてみれば、カメラの位置というか、視点というかが変化のない映画だなあという印象だった。印象深いということは滅多には使われないということなんだろう。撮影手法なんて詳しいわけではないのでこれはこの辺として…。

    作中は田舎町という設定で、人物も東京に行ってXXXみたいな会話が出てくる。しかし舞台はタイトル通り埼玉。東京の隣やんけ。深谷は東京から移動するならば、本庄のすこし手前だ。本庄で朝九時からの仕事を当日の朝自宅出発で間に合ったんだから、東京からそこまで離れてないんだよね。それでもやはり「生活圏が東京」とは状況が全然違うんだろうなあと思う。電車で二時間ぐらいなんだけどね。

    何かをやりたいけど何もできない、みたいな若者のもやもやした葛藤がビシビシ伝わってくる。みんなそういう時期を経て大人になるもんだ。俺はこうなりたい、というだけで何をやっても上手くいかなかったり、何をするのかもおぼろげで全然つかめない…。このシチュエーションが、例えば渋谷と深谷では違うというのがリアリティなんだろうか。

    「やっぱ地方じゃなんでもダメなんだねえ」みたいな結論だとなんか寂しい。でもああいうカルチャーだとなおの事東京じゃないとって事にはなるのもわかる。電車で二時間の距離が、決定的な足掛かりの差になるんだろう。

    それでも映画のポスターにある「アメリカまで8000マイル」ってのがさらに厳しい現実だなあと。むしろ距離測ったら僅かに深谷のほうが近そうだ。でもそこじゃなくて、カルチャーへの近さが、東京と深谷では圧倒的に東京のほうが近いんだろう。その、どこか理不尽さもサイタマノラッパーからは感じられませんか?東京を経由しないとアメリカに届かないかのような…。はてさて東京は近道なのか、深谷からのメッセージを跳ね返す邪悪な壁なのか。

    ところで作中に出てきたブロッコリーは本当に深谷の名産品なのね。へえ。

  • どくしょかんそうぶん

    「用心棒」「椿三十郎」「座頭市物語」を観た。

    黒澤明作品、2017年になって何個も見たんだけど、確かに面白い。某とか何某みたいにツウの人だけが面白い面白いと崇め奉るようなげーじつ志向の高いものと思っていただけに、今まで観た彼の作品がこう、なんというか、エンタメしている点はちょっとびっくりだ。うーん。あるいは、映画業界がみんな彼の作品を信奉しているなら、そのエンタメの元ネタみたいなものなんだから、そういったもので育った自分が彼の映画からエンタメ感じるのも当然なんだろうか?

    いやエンタメってなんだよ。「時代劇」とか?中島みゆき。違いますね。いちおう言っておきますけど、座頭市物語は黒澤明作品では御座いませんので。

    時代劇と言えば何か作品を思い起こすかと言われれば、まずは水戸のご老公様でございましょう。何回か黄門役の俳優さん変わっているよね。wikipediaで調べたら自分が子供の頃見ていたのは西村晃という俳優さんだった。子供の間で真似が流行っていたりもしたし、世間でも人気だった。「この紋所が~~」は真似しやすい。そういえば「水戸黄門」は祖父母も好んで見ていたような気がするなー。みんなで真似したと言えば「必殺仕事人」もそうだった。紐を首に括って先生に怒られたやつ、いっぱいいるよなあ。確か志村けんなどのコントでも多量のパロディが演じられていた記憶がある。

    筋立ても役割も分りやすいんだよな。結果名前とかも憶えやすい。子供受けもするってもんだ。ヒーローが活躍するのは分りやすいし。桑畑三十郎も、椿三十郎も、横山光輝「三国志」の諸葛亮孔明みたいな印象。

    具体的な作品の感想は特にないです。ただ、「椿三十郎」の最後の居合切りは見事だなと。スローで見てもどう見てもホースから出てますな血しぶきも、当時は革新的な演出だったそうな。他にも自分が生まれる前の「昭和の銀幕」スターが出演する映画が見れるamazonさんの仕事は素晴らしいなと思います。別に今までもどっかのレンタルとかで見れたのかもしれねえけど。次は原作も読んでない「八つ墓村」あたりでしょうか。

    あと「乱」も観ました。乱れてました。

  • どくしょかんそうぶん

    「時計仕掛けのオレンジ」を観た

    古い映画に出てくる現代社会への警鐘的なもの、そら40年も経てばピンとこねえなーってもんだ。調子にのって好き放題やっていたら懲らしめられました。うまい話と思って乗ったら騙されました。洗脳をしよう。権力は汚い。なんだこれ童話かよ。刑務所は竜宮城で車いすの老人は、親を殺された蟹か。栗の代わりにワインとパスタ。火あぶりの代わりに床からルートヴィヒ・ヴァン。

    言わんとすることは「まあ、そうですよね」って同意できるようなもんだけど、身に染みる感じはない。そこはまあ、2018年になりますし、そらそうだ、で良いですよね。童話だし。しっかし四人組の格好は面白いな。白タイツの上に力士のまわしみてえなの着てるパターンもあったな。スターウォーズの兵卒の装備かしら。そういえば70年代のデイビッド・ボウイもあんなの着てる映像あったような気がする。まさかフレディの白タイツが元ネタなんてことは!?…ってこの映画のほうが古かった。

    映像はなんか力があるというか、迫力があるというか。みんな顔芸が豊富というか。

    日本語字幕で見たんだけど、所々アンダーラインが引いてあったのはなんだろうか?初めて見た。スラングか何かってことだろうか。自分の知ってる字幕だと、そういうものはダブルクォーテーションで括るか、傍点が付くというパターンばっかりだった。原作は小説だから、原作もアンダーラインが引いてあった、みたいなことだろうか?ググってみたらどうやらそのようだったが、上位にhitするサイトが悪質な広告埋め込まれているのでアクセスしないことお勧め。偽のMSサイトっぽいURLに飛ばして、「このコンピューターはブロックされました」とか音声が流れる奴。

    そう説明されれば…トルチョックは何かの漫画で出てきた気がする。どこかで使って映画通ぶってみようか。

    この作品に限らず、ぼんやりと観ていた映画について、こういうレビューを書こうとおもってwikipediaを見ると「あっそうだったの」みたいに気付くことがある。本作も、終盤のイラスト連想クイズが何なのかさっぱりわからなかったが、wikipediaのあらすじを読んで「なるほどーおおおお」って。言われてみればとても象徴的、クッソ分りやすい場面だったのだ。それをぼーっと見逃してしまうような鑑賞でレビューを書くというのも、なんか半端というか…。しかしこれもテキトーなのがいかにも自分っぽいし、鑑賞後小一時間でレビュー書いてるのも現代社会の流儀かと思う。

    つまりみんな自分の時計だけを見て生きているってわけさ、ドルーグ。

  • どくしょかんそうぶん

    「スノーピアサー」を観た。

    https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00LTMYOHI/ref=pd_cbs_318_2

    リンク先はamazonビデオの「スノーピアサー」という映画で…。カスタマーレビューに驚いた。リンクを踏んだ人はチェックしてほしい。ここまできれいに星が分かれるのは映画に限らず、Amazonで滅多に目にするものではない気がする。これは良いネタになると思って見たら、思いのほか良かった。テンションの高いシーンばかりで結構面白い。

    本格的にネタバレですよ?

    自分はエクストリームな環境の人間模様って好きなタイプのストーリーなのかもしれない。確かに脈絡もない舞台設定だけど、そんなの「未来からターミネータがやってきた」でも大差ない。ツッコミどころが多いとか少ないとか「デビルマン」じゃあるまいし割とどうでも良い。にしたってなんで列車だよ?とは思うけど、走り続けている点がSFってもんで。そこそこの人数が住まいとするには案外現実味あんじゃねえの。…ないか。ないかな。

    アクションも多いので、ゲームみたいな感覚で楽しめた。舞台が走ってる列車の中なんで、まあアクションシーンと言えども、どのシーンも狭い。これはしゃーないか。でも顔の見える距離の緊迫感あって良い。最終盤の対話場面は結構な長さになっていて、まさに典型的な映画っぽさという感じがある。熱い情熱で行動を成功させたかに見えたが、蓋を開けてみれば敵役のほうが一枚上手で思慮も深く状況の真実に根差した判断をしていたのだったパターン。

    それにしても最後のシーンは、体の小さいほうが防寒服で出てきたのには笑ってしまった。作中のストーリー考えれば、”屋外業務用”でもなさそうな防寒服の存在自体がありえないと思うが都合が良いもんだ。だいたい、体の小さいほうの人物は裸で押し込められていたんじゃないのか。外に耐えれる防寒服なんてあるわけがない…。あるいは撮影地がCGではなくリアルにああいう景色の場所で、裸では撮影できなかったのか。なんなら、人種的な意味で服を着せないとNGと判断されてたりしてな。

    うーん。そこそこ良作だと思うんだけどねーダメですかねー。ストーリーも練られている。血しぶきとか多めなので苦手な人にはお勧めしませんよと。

  • どくしょかんそうぶん

    東海道中膝栗毛を読んだ

    上下巻を読み終えましたので。

    やはり現代とは異なる文字の並びであるので、読みにくさはあるものの、内容は難しいことではないので楽しめた。珍道中。そのものだ。これ落語でなかったっけ?みたいな展開とか、ドリフのコントみたいだなーって展開が小気味よく登場していく。紙面の都合だろうか小ぶりなサイズではあるが、著者自筆の挿絵も綺麗な画質で随所に収められている。挿絵は説明的ではないけれども、それぞれの場面の雰囲気が伝わってくる。ぼんやりとね、なんとなーくという感じで。興味をそそられるものではある。脚注も豊富で、ページをめくってもまだ脚注が続いている、なんてことはざらという力の入れよう。これは大変に良いインプットになりましたね。じき忘れるけどさ…。

    犬の鳴き声が「わんわん」馬のいななきが「ヒヒイイン」とか表現の方法が今とそう変わりがない。方法って言い方もおかしいかもしれないが、変わりがないのがまた新鮮に思える。平安時代?かなんかの書籍では「びゃうびゃう」だったじゃねえか。他には、不味いものを口に入れたら「ペッペッ」どこかぶつけたら「アイタア…」馬の小便は「しゃアしゃア」こういったところが、ああ確かにこれは我々の国の昔話なんだなあと思える。

    二人のキャラクターは実に面白く、また現代から見ると「てんぷれ」ですらある。悪戯を仕掛けては返り討ちに会い這う這うの体、運が良いと思えば勘違いにぬか喜び、儲け話は逆手に取られてぎやふんという。そこで「へえごりょうけんを、すいやせん」とぺこぺこ頭を下げては「いやあえらい目に遭ったぞ。ハハ、、、、、、」と。それで許されるのは創作だからか、あるいは当時の文化がそうだったのか。そういう所まで所見が及ぶとまた面白いのだろうけどなあ。ちいとほら、わっちは脳の普請が良くねえので、、ヲホ、、、。また二人は旅人であると同時に、江戸の町人ということである。旅先で何処の者かと尋ねられ、「わっちらはおゑどでござりやす」なんてやり取りが何度も出てくる。江戸っ子の気風というものが作中に出ている…のだとは思うけど、どうかな。不勉強であまりはっきりと感じる所はなかったというか。あるいは逆に伝え聞く典型すぎてわからないとかなのかな。我々の国の昔話、とか言ったが、どうも「江戸」という街は何か特別だ。

    出版は1802年に始まり、年に一回、一編ずつのペース。当時の世界情勢をwikipediaで調べると、ヨーロッパは近代化の流れにくんずほぐれつ戦争に明け暮れている。ナポレオンが大暴れ。アメリカは国土を拡大中。日本も蝦夷地の開拓が進み、世界地図が塗り替えられていく時代。肌が黒いだけで人間扱いされない時代。いっぽう日本のミラクルピースなんて言われるのもこのあたりの時代なんだろう。後世に残る文化というのは、当時の世の中を素直に反映するものだろうか。東海道中膝栗毛ほどに色を付けたものでなくとも、もしかしたら他にも、旅日記みたいなもんがあるのかもしれない。気ままな旅に出た小金持ちなんて、いくらでもいるんじゃないか。あるいは…そういう人でも日記など書き付けるのはしないものだったのだろうか。

    いまでは例えばUSBメモリ一本残れば結構な情報量が残る。それ自体が今でいう鑑定すれば億の値が付くような、文化的アイテムとなったりもするかも。この時代の我々は、ただただ、記録を積み重ねている。筆を執って挿絵を描くなんてことをしなくとも、どんどんストックされていく。はて。どんな世の中だったと後世に伝わることでしょう。

    …ところで、旅と江戸ということでぼんやり考えていたら、また別の人物が頭に浮かんだ。こちらは三人連れであるが、ずっと諸国を旅していた印象がある。こちらのお話はどうだろうと資料をあたったら、やっぱり「東海道中膝栗毛」の影響を受けたと見られるんだとさ。とほうもねえ。