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ある人がパソコンが苦手な理由
ファミコンやらなかったからではないかな。
たとえば、何か自分が操作したというのと、画面の表示がどう変わったのかという因果関係を自然に受け入れることができるのは、ファミコンとかで遊んでいたからだと思うんだよね。特に、画面上の領域と仮想的なデータの置き場所の把握・・・えーと。
一昔前のアクションゲームなら、実際にキャラクターが動くアクション画面(と仮に呼んでみる)があって、画面の下にアイテム一覧があって、ボタンで切り替えができて、とか。アクション画面でキャラクターがアイテムを拾うと、その一覧に表示されて、アクション画面からは消える。このことを、「足元のものを拾って、すぐ使えるようにポケットとかに入れた」という事象と自然に符合させられるかどうか。できないならどこまでいっても意味不明なんじゃないのかなー。
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ある知人が、デスクトップとかマイドキュメントとかの説明を、実際の机とか引き出しとかに例えられたら凄く良くわかったと感心していた。「なんでフォルダの『中』っていうのかようやくわかったよ~」だって。なるほどねえ。これをPCをいじってすぐに理解してもらうには、アイコンをダブルクリックしたら、『中』にあるフォルダやファイルがぶわーっと飛び出してくる。そんな演出がないと、すぐにはわからないものかしら。
などと、考えていたら気になった。ではそういう初心者向けのパソコン教室って、どんな教え方しているのだろう?最初は絶対に操作方法から入る筈で、そしたら、今やっている操作はどんなものなのかという解説が入るんだろう。そこでどんな表現で解説しているのか、ちょっと聞いてみたいな。
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もえはうす
麻雀の話とは久しぶり。知らない人もいるとは思いますが、前職は雀荘のバイトでございます。・・・が、とりあえずは自分の話ではなく、他所の雀荘のお話。もえはうす。もえはうすが開店したのは自分がまだ飯田橋で働いていたころだから、四年ぐらい前になるのか?オーナーが精力的に活動するひとだったので、ずいぶんと話題になったっけ。いまはどうか知らないけど開店時の店(自主規制)た。で、『近代麻雀』は前職の名残で月に二回買っている。漫画はまあ玉石混合でアレだけど、広告のページにも目を通す。かつての同僚とか載ってるかなーって。広告だからよほど華々しい実績をあげるのでもなければ男性の出番は無く、女の子の写真ばかりで埋め尽くされる。たまーに知ってる顔があったりはする。さてもえはうすの広告を見たら、すごかった。
当店の可愛いペットのワンワンが二匹バッサバッサとお金をくわえて散歩に行ったまま
戻りません。似顔絵載せておきますので、見かけた方はご一報お願いいたします。
当然謝礼は致します。ちなみにその犬の名前は「山崎岳士」「鈴木建太」です。
心配だなあ、、、持ち逃げですかね。顔と名前まじまじ見てみるが、知ってる人ではないなー。店の広告枠を使ってまでやるんだから、相当持ってかれたのではないですかね、ああ、嫌だ嫌だ。
ついでに前職場のサイトも見たら、店員が殆ど知ってる顔だった。しばらくいってねえな。いかないと。
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IEを見捨てたら。
「IEを完全に見捨てたらどういうのが作れるの?」
ではIEを見捨てないおかげで何がどうなるかっていうと、やっぱCSSですかね。「IEでも同じ見た目に!」それが特に根拠の無い拘りならば、それに時間を割くのは無駄かなあとも思う。いや、段組がずれてるとかそこまでいくとアレだけど。でも、そこがweb屋の人たちにとっては腕の見せ所なのかもしれない、とも思う。
ではIEを見捨てるとどうなるかというと!積極的な動きは発生しないと思うんだが。IEに対応しなきゃいけないおかげで○○ができないってのはあまり聞かない気がする。・・・なんて思ったら結構ありました、勉強不足ですねってお話。でもディープでコアーなCSSのお話。dispaly:tableねえ。ふうむ。
ちなみに、シェアが大きいって理由があるので見捨てるのは容易ではありませんねー。
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誰でも良いは嘘
犯人は25歳。
警官に警棒で応戦され、逃げたが警官に拳銃を向けられると、しゃがみ込んだ。そこを取り押さえられた。ということは「誰でも良かった」のではなく、自分よりも弱そうな「誰でも良かった」のだ。そして、自暴自虐にはなっていない。応戦されたり、拳銃を向けられたら大人しくなった。つまり、正常な判断が働いていたということだ。25歳の弱っちい精神を持つ人間として、正常な判断をしていたということだ。自分は痛い目にあいたくない、死ぬのは嫌、しかし、人が死んだり怪我を負うのは平気。 -
助からなかった・・・
嘆きと憤怒の激突を曇天#444444に垣間見た。祈りを奉げずに帰路に甘えた諸人は、阿佐ヶ谷駅で回送なので下車しやがれの憂き目に遭った。アーケードにとぼとぼと歩みを進める黒衣の一群にパチンコ屋のねーちゃんが声をかける。客が出入りするたびに開いたドアから店内の喧騒が抜け出しては、雷鳴に一喝されて押し黙る。間をおかずにきゃいきゃい賑やかな女子。休む気にもなれず、たたずむ場所も無く、てくてく歩くとアーケードの終端。傘を差してなんとなく人についていきながら進む。駅のほうへ折り返していくので、油断して着いて行ったら何故か青梅街道にいた。民俗学的に言えば迷子。地図を見つけるまで前進するか、大きく間違ってはおるまい、と地図を見つけたら阿佐ヶ谷と荻窪の中間だった。荻窪へ。途中で人に道を尋ねた。ラーメン二郎を通過。電車がホームに入ってくるのが見えたので、運転再開したと思い、嬉々としてホームにあがったら動いてない。切れて立ち食いそばを食う。材料がなくなってしまったらしく、自分が最後の客になった。食い終わるとホームに出るのも躊躇われるほど混んでおり、いちおう中央線が着いたが、乗れないのでさらにぶち切れて改札を飛び出して、へーいタクシー!状況的に贅の極み。自宅前まで乗るかと思ったけど自重し、吉祥寺で少し休み、やがて電車が動き出したのを目視確認し、混乱したホームでもきゃいのきゃいのと女子、うるせえ。蕎麦くさいげっぷをおみまいするぜ。うぇっうぇっうぇ。へとへとで帰宅した。
のが、月曜日。
街が静かだった。人通りは普段どおりだろうけど、店員の煽りも控えめ。まだ明るい時間だったので証明も灯ってなくて、夕焼けに照らされて即席の花壇はきれいだった。その傍に、だるそうに屯しているTBSこそ狂気の鏡。写真でも撮っておけばよかったな、と思ったがここは静かにご冥福を祈るとする。