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文化的な雑記
目覚まし時計をスルーし、惰眠に耽るは、これを文化といわずして何と言おうか!・・・・なんて寝ているわけにも行かない近代文明の日。のっそりと起き出してPCを弄っていると親父様から電話あり。何事か。おやじ「電話したー?」俺「してないー」おやじ「ほえー?」 素晴らしく文化的な営みで始まる一日に感謝!仕事山積みなのを崩すところからはじめるぜ!
勤務先で忘年会の日程調整を云々って話がまわってきた。本来こちらは参加する身分でもないのに、自分たちの所属チームはプロパーやらなにやら仲が良く、こういうイベントが多く仕組まれる。しかし年末は忙しいわけで。本来「お客様」である人たちからのご招待なので無下に断れない。しかし学生じゃないんだからさ、そんな意地になってみんな参加できそうな日を探さなくても良いと思うんだが。どうせお仕事優先なんだし・・・。
冬物の衣類を引っ張り出す、などの作業もしないといけないし、安寧は正月までないなあ・・・。曜日やお仕事的に長い連休にもならない。帰省はないかな。
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まあ雑記
上司が最近髪をツンツンに立てていない。どうしたのか?と聞いてみると、「ヘアーワックスが無くなって、買うの忘れてさ・・・」とのこと。ほんとかー?イメージチェンジってやつじゃないのかー?
頭髪っていえば、自分もシャンプーなくなってから石鹸で洗うようにしている。あのギシギシした手触りが嫌だったんだけど、それはどうやら洗ったばかりの状態はそうなるってだけで、一晩過ぎれば違和感はなかった。しばらく続けているがどうするか・・・。
今年のBlogActionDayのテーマは水。というわけで思い立って、非常用の携帯ろ過装置を買ってみた。使ってみる・・・というわけにもいかないので非常袋に突っ込んであるけど、まあこれを使うようなアクシデントがこないことを祈るばかり―――とはいうものの、東京に大地震は確実に来るって考えていいんだよね?どうしたものか。
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彼のことを「いおり」と呼ばせてもらう。なぜ、って本人がそう名乗っているんだから仕方がない。その正体は、というと、→の方にリンクがあるのでどうぞ。面八句。
唐突にいおりの姿が目に入ったのは電車を降りてすぐの、商店街の中ほどだった。こちらは思わぬところで見掛けてぽかーんと口を開けているのに、さも当然といった風でにまにましている。「いよぅおひさし~」と手を振っている。なんなのだ。それ以上に驚いたのは、この土地勘があるような素振りだった。八百屋のまん前に臆面もなく車を留めていて、私に乗るように促すと、店主のにいさんと、んじゃまたいつか、などと挨拶している。助手席で揺られること数十分、暢気に楽器の話などしながら、目的の浜に着いた。既に日は傾きつつあるが、穏やかな暖かさで心地良い。砂浜に靴のまま降りてもまだその熱さを感じることができた。いおりはそこいらに腰掛けてなにやらスケッチをしている。俺はすることもないので、のっぺりと立ち尽くしいろんなものを見ては、深呼吸していた。確かにこの場所で良いはずなのだが、することもないとはどういうことか・・・。
ポケットでスマートフォンが震えた。取り出すと、着信は母からで、テレビ電話モードになっている。しかしこまった、応答の仕方がわからない。適当にいろいろ触っていると、画面の母が話し始めた。もしもーしと声をかけるが、こちらの声は届いていないようだ。「もおおしいいいいもおおおしいいいいいいい」と声を荒げてみたが、母ももしもーしと繰り返すのみでどうにもならん。いおりがそれに気付いて、どしたい?と近づいてくる。母は留守番電話と勘違いしたのだろう、要件を話し始めた。父の行方がわからないと・・・。驚いてスマートフォンを手から落としてしまう。画面の母の姿が消えた。
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目が覚めた。腕の上には蜘蛛が這っている。息が荒い。大変に疲れている。
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むせん
米10kgの袋も最後の一握を残すのみ。斜めにして炊飯ジャーに直接注ぐとやさしい雨の音がしました。
しねーよ。
しかして拙アジトに初めて?無洗米がやってきた。ちょうどお安かったので買ってみたんだが、割引率に負けて10kg買った。お試しとしてはどうなんだこれ。
んでこの炊飯器。15年使っている。もう蓋のふちのタッパー部分が乾いて割れてきている。ここから蒸気が漏れるようになったら炊飯器としては全く機能しないだろう。とくにメンテナンスもせずによく動いてくれたなあ・・・でもあと数ヶ月でしょ。洗濯機が壊れて買い換えた時も妙に感慨深いものがあったけど、これもまた・・・なんか。ううう。無洗米には塩味が効いておりましてねううう。
まあ味は大差なかった。
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とある夕方、同僚の母がなくなったとの連絡が入る。がんで結構大変な状況だとは耳にしていた。彼はまだ20代前半で、弊社では一番若い。葬儀は郷里で行うとのことで、動ける社員から順次病院へ。ぽつりぽつりと連絡を取り、最後には五名でおちあい、病院に向かった。
霊安室――初めて足を踏み入れる。着くと、見知らぬ誰かが縋る様に跪き嗚咽をあげており、しょうじきちょっとたじろいでしまう。彼が「あの、会社のひとたちが」というと、なよなよと歩き、外に出て行った。霊安室の弔問など初めてだ。立ち位置的に最初になってしまい、真顔で恭しくどうぞ譲ったら真顔で恭しくどうぞと返された。線香に火を灯し供え、静かに手を合わせ、目を伏せる。
あのときの、、、ああいう気持ちを何と言ったら良いのだろう?安らぎ、なのだろうか。その場に佇む人々の、強い心の結束を感じる。同僚の母とはいえやはり他人である。生前の思い出もなにもない。病院に向かう途中で「故人の名前がわからない!」とか言い出す体たらくである。しかし空ろに疲れた顔で我々を出迎えた同僚、妻の顔をなで続ける父親、身罷った母親を前に、我々は強い心の結束を感じたのです。
帰りの電車、暗がりに映る電車の中の人々、流れてゆく沿線のあかり、どうしても頭から離れない霊安室の風景がかさなり、あ、と思い当たる。北枕。