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“No Country for OLD MEN”を観た
あんた顔力あり過ぎだろ。↓ジャケットの画像見たらコメディなのかとすら思ったぞ。
以下ネタバレ。
「サイコパス観察日記」か。いつまでこの手の映画作られるづけるんだかもう食傷気味でしかない。いや、このブログにたまに書くもの以外は映画は一切見てない自分でもそうなんだ、映画愛好家の人たちはどうしてんだ。楽しんでるのか。見なきゃいいだけかそりゃそーだ。本作は楽しめた。
なんかたまたま大金拾ったらやばい金で、組織に追われる話。これだけで100本ぐらい映画になってそうなスジじゃないの。今作では拾ったほうもトーシロではなく、追いつ追われつのスリルが楽しめる。
なんで「かつてはベトナムに行った」という趣旨の本人の発言で所々都合の良い交流が生まれるのか、これはアメリカでは実に日常的で、そういうもんなのかと思って見ていた。ところが、この作品のタイトルの解釈とやらで何となく納得がいった。国のない”OLD MEN”というのは、もちろんただの老人を指すものでもなくて、古き良きアメリカを知るものというニュアンスなんだそうな。のみならず、例えば少し前の世代に苦労をした人、というのも含まれないだろうか。それこそベトナムに行ってた人たちとか。あーまたこのスジねー。
その、金を追いかけるほうは、物語後半に進むにすれ、特に納得のいく説明もなくどこにでも登場して簡単に人を殺めていく。だからどうやって場所を知ったんだよ、何で移動しているんだよ、という観点はもう途中からすっ飛ばしているように思える。サイコパスだからですよー…って?お土産みたいに部屋の隅に、そこらの影にいて、ショットガンと圧縮空気?でぽんぽん殺していく。ショットガンというのもなんだか象徴なのか。消音機つけてるというのも。ショットガン持ってうろうろするような西部劇サイコでも、消音機を付ける程度の近代合理的な思考があればこの国には生き残れるとか、そういう?
マッチョがデカいバイクに乗って片手でショットガンぶっぱなすような映画もあったね。ま、あれも人じゃないよな。
州知事サイボーグだ。しかも未来からおいでだ。うーん。なんかイマイチで御座いましたね。
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“ヒトラー ~最後の12日間~”を観た
彼について触れることのタブーとか言われても、ピンとこないけどね。
以下ネタバレ。
当時はまだ部屋にテレビがあり、しかしインターネットもあり。当時のテレホーダイでモデムをピーヒョロ言わせてインターネットしていた。そんなある日の、その日付の変わるような時刻に。東風荘で遊んでいたら、チャットがにわかに騒々しくなり、今すぐにテレビを付けろと大騒ぎになった。そこで自分は二機目の突入を目撃する。朝までニュース見て、そわそわしながら眠りについた。あのテロからもう15年が過ぎた。まだ15年というべきなんだろうか。15年前、世界中に生中継までされた事件の真相がいまだに朧げだ。一応は首謀者と目されている男を、軍事力の権化みたいなことを言って殺害したと。
ところで1945年からは70年が過ぎた。(※この映画の公開は2004年)
アドルフ・ヒトラーはおよそメディアと歴史教育が存在する処ならば知らない人もいないでしょう…。この作品は敗戦濃厚になってからの彼の最後の日々にフォーカスした物となっております…。実際にその場に居合わせた人物の証言などを基に作成されていて、内容としてはまあまあ史実に忠実なもんなんでしょ。と言っても映画なので細かいところはいろいろあるんだろう。例えばこう…作中で、秘書となった実在の人物がヒトラーに対し強烈に敬愛し信奉する姿が果たして映画の演出なのか、過去に実際そうだったのか。だってあまりにも芝居臭いというか…。いや芝居なんだけどなんかこう、うーん。
実際にヒトラーの周囲にいた人はああいう感じの人も多かったのかもしれない。近年よく目にする話だがヒトラー治下の政策面に於いては、評価しうる点が云々とか。すべておじゃんにするほどの決定をしたのには総じて間違いないが、熱狂的な人気により政治的に不当な手段もなく(個人的にはそういうイメージ)独裁体制を築いたとされるほどには支持が篤かった。これもまた史実だろう。
あー高校の時世界史の先生が言ってたな。「我が闘争」とか単に努力家なだけで半端に成績が良いような奴が読むと、何かに染まってしまうとか。努力家ではなかったのですぐに読めば良かったんだがまだその機会がない。さておき。
第一次世界大戦に於いて敗戦国となったドイツの、見返してやらんとか早く元の生活に戻りたいとか、そういう期待のもとに、いわば正当な英雄でもあったヒトラーの最後の姿、ヒトラー役の人の演技が実に見ごたえある。そら特定のシーンがネットで広くパロディされもする。凄いインパクトだ。情熱のままに第三帝国なんぞ作りつつあった英雄が、徐々に疲れ切った老人になっていく変化も見事なものだ。ゲッベルス役の人の顔もインパクトが凄い。
こうなるとそう、同じように15年前に、我々は屈しないだのなんだのと宣った当時の大統領も、その生涯が英雄としてこういう映画にね…。ま、ならんだろうなあ。もっともろもろ明らかになれば何かね。「ルース・チェンジ」が正解だったなんてこともあるのかもよ。あゝ真実はまだビルの瓦礫と”茂み”の中にありて候。
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“The Usual Suspects”を観た
噂に違わぬ傑作。
ネタバレ致命傷なのでお気を付け。しかし見終わってからならネタバレ情報が最高に楽しい作品でもある。
これは見事。最後まで見た後に脳内で巻き戻してみると、何かこう納得のいく場面が、場面が…出るか??みなさん出ますかね?自分はamazonプライムで見たので、一時停止でも巻き戻しでもなんぼでも出来るんだけど、こういうの劇場で見た人はどうなんだろう…。あ、それでDVD売れたりすんのか?
一つの疑問が。wikipediaなんかにもあらすじ書いてあるんだけど、五人が一堂に集められて、「面通し」させられる場面。これ自体が黒幕の仕業であった、と作中で推理されるんだけど、ここでの内容に疑問が。一同がおなじ檻に放り込まれて会話していると、その一人から「仕事がある」と持ち掛けられる。その仕事から、さらに次の仕事、さらに黒幕からの脅迫とつながるんだから、その仕事を持ちかけるのは黒幕の手のものでなくてはおかしいのではないかと思うんだが?仕事を持ちかけたのは確か…。ここも”回想”だったってこと?
この映画、ある人物が問い詰められて回想している内容にそった映像で殆どを作っているのに、その回想自体に嘘が含まれている、という凄い大技を仕掛けている。全部嘘じゃ話が成り立たない。成り立つのかもしれないけど、映画としてなしだろ。一本全部嘘の回想でしたって。夢オチかよ。そんな筈ないだろ!ってツッコミがあったとして「だって嘘の話が含まれる回想の映像化ですから」で終わってしまう。しかしそれでも、実はその嘘(≒XXXは誰かという真実)に観客が気付く可能性がごく僅かに仕込まれている。これはネットで情報を見て、その場面をもう一度見返した。うわわわわわ、ってなった。ところでこの感想文書こうとして調べたら、アガサ・クリスティーが似たような事してて、そりゃないだろ!って論争になったんだと。へー。そういえば東京大学物語という漫画があってですね、あ、いいですかそれについては。
こういうミステリーとか推理もの、見ながら覚えることが多くて好きじゃないんだけど、最後の謎が解けたシーンは流石にうひょーーー!ってテンションになった。特に直前の一連のシーン。尋問をした相手が解放される→尋問した刑事が同僚?の机を見て、「散らかっているな机片付けろよ」→同僚「離れて見るとわかるんだ」→尋問した刑事がなんとなにし壁の掲示物を離れたところから見る→何かに気付く。
いやー堪能したわ。堪能してググったりしているうちに、あることを思い出した。この映画みたいに、あっ!って思い出した。そのままの勢いに、年末だし集まろうぜなんて旧友に連絡をとって集うことになった。あっ!て思い出したというのは、この作品をお勧めされた時の事。最初にこの作品を耳にしたのは、その旧友のグループの人物で、もう19年前だ。まだ大学生。卒業後に交流はなかったのだけど、映画で上がったテンションのままに勢いだけで声をかけたら5人集まってくれた。もうみんな社会人だから、ちょっとリッチに感じのいい個室の小料理屋。言い出しておきながら自分の選んだ店ではなかった。さて、この映画が傑作であったという話をするタイミングを伺う。いくらなんでもそのために集いました、ではなんかこう…。しばし思い出話が続くなか、もののけ姫みんなで見に行ったね、なんて話になった。ああここだ。「この映画、実際に傑作だった!」と切り出してみた。まったく以てみんなにぽかーんとされてしまい、長々と説明する羽目になったんだ。するとどうしたもんか、実は一人を除いてみんなこの映画知っていた。そこで、また勢いのままに、作中のあの「面通し」の物まねをして、爆笑した。順番に「キーをよこせチンコ野郎」って。阿呆なノリって青春なんだよね。
そしてその一人から「仕事がある」と持ち掛けられた。
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“Million Dollar Baby”を観た。
いつものようにネタバレネタバレ。
はあーネタバレ。
主人公は私生活はいまいち恵まれないながら、ボクサーとしては成功を収めつつあった女性。しかし試合中の”アクシデント”で自発呼吸もままならず、半身不随になってしまう…。この状況に耐えかねた彼女はトレーナーに安楽死を依頼する…。感涙ものの展開なんだけど、全体としてそればっかり扱ってる映画でもないので本編ずうっと安楽死について考える様な作品ではない。
“アクシデント”を起こした相手については何も語られることはない。何とか協会が治療費を払うなんてセリフも出てきたけどここらはリアリティを持たせているんだろうか。このようなシチュエーションになればやはり金の問題が一番。特にアメリカではそうなんじゃないかという印象が強い。なればよ…「ミリオンダラーベイビー」という言葉の意味するところ、ただ物体として生きるのにそれだけの費用が掛かるようになった、呼吸すら一人でできないこの、”赤ちゃん”のことだったりするのかね。
モーガンフリーマンが演じる元ボクサーは、現役最後の試合もこのトレーナーと共に戦ったが、意見が折り合わず、またトレーナーも正規のマネージャーでもないからタオルも投げ入れられず(作中の説明のまま。セコンドがタオル投げればそれで良いと思ってたんだけど、違うの?)、結果として元ボクサーは片目を失明する。そして今、トレーナーはこの”ベイビー”に、自らタオルを投げ入れることになる。
尊厳死だとか安楽死だとか、そういうものに強いこだわりがある人には見終わった後に言いたくなることも出てくるだろうと思う。自分はそういう判断あっても良いよね、と思うので、まあ作中の人物の行動がそんな奇異なものにも映らず…なんというか…。あまり重々しいテーマと思えなかった。むしろ映画なら良くあるんじゃね?ぐらいの。
感想文書くにあたって調べると、明らかにアイリッシュ系という描写をされている主人公とトレーナーが尊厳死を選ぶあたりが議論を呼んだらしい。厳格なカトリックの国で、自殺ほう助なんてありえないんだそうだ。ご丁寧にもトレーナーは作中で教会に足繁く通っている。この辺は我々が見たって知らんがな(´・ω・`)となってしまう。自分もう40歳になる。リアルライフで親兄弟親戚などがこのような目に遭った時にどうするのか、というのを真剣に考えたことぐらいある。本人の意思を尊重しよう。日本人ならほぼ全員これだろ。…でも実際はどうなんだろう。なにより自分がこうなった時にね?
なお、そういう話は御免だという人でも、”アクシデント”のシーンで再生を止めればロッキーみたいな映画として楽しめます。
というこのエントリを下書きにして保存している間に、祖父が重度の脳梗塞で倒れてしまった。呼吸ぐらいはできるだろうけど、作中のベイビーと大差ない状態になるだろう。会話はもうできないのではないか…。ああリアルライフはハリウッドのスタジオでなんて作られてないのね
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東京で一番長い直線を歩く 荒玉水道道路
2017/1/1 快晴 午前10:00ごろ
実際、そんなまっすぐと実感できるほどの直線もなく、元旦の昼で結構交通量も人通りもあったため道の真ん中に立つわけにもいかず、そもそもiPhoneのカメラではねえ。つまりタイトルっぽい壮大な画像がないという珠玉のアウトドアエントリです。ちょっと地図は狭くて見にくいですね。左上に「その他のオプション」とか出ている人は別窓で大きく開ける筈です。適宜あれこれしてくださいまし。面倒なので写真はとてもテキトーなサイズでUPしています。いずれもクリックで拡大されます。
あけおめの空気を健やかに満喫しつつ、電車でうとうと。いくつか乗り換えて、狛江で降りて、しばし徒歩。印象水やタオルハンカチなどお買い求めつつのんびりと進む。旅のお供はiPhoneでございますね。やがて今回のスタート地点たる砧浄水場へ到達し、改めてgoogle先生にその道のりを確認する。地図上では確かにほぼ直線だが、視界が開けているわけではないので…すでにがっかり感もある。滅多に見れない景色なんて期待するものではない。歩いてみることが目的なのだと力強く第一歩。ちなみにingress勢も道から外れない範囲でのポータルは道中少ないのでちょっと退屈なり。
さて、砧浄水場側をスタート地点とするならば、ゴール地点は地下鉄丸の内線、東高円寺駅付近になる。となると、結構登りになります。途中は住宅街になり、道沿いにコンビニも少なめ。公園はぼちぼちあり、トイレもそこそこあるのであまり心配ないかな。途中、小田急線の下をくぐるとき祖師ヶ谷大蔵の側、そして、京王線は桜上水駅目の前を通過しますのでギブアップはこちらで。
先ずはとても狭い道を進むことに。直線感がない理由に、交通量の多さもさることながら、標識の多さもあるんじゃないのか。確実に直線道路の上を歩いているのに、こまめに左右にステップし、標識、電柱、住民の皆様を避けていく。車にも気を使うのでちょっと呑気にお散歩するには向いてないかな。まあ都内はどこでもこんなだろうか。螺旋階段の歩道橋を越えて、野川を渡る。
登り坂になる。なんとか倶楽部でも地形の回は結構面白いもんだけど、この国分寺崖線の回もあったっけね。まあ気後れするほどの登りでもない。砧小学校の前で、世田谷通りとの交差点に出る。歩道橋で向かい側に渡る。ここで振り返れば富士山が見える。小さくて写真にも残さなかったけど、快晴の元日、青空に浮かぶ雪を戴いた富士山の姿とは実にめでたい。
画像の道は右へ。仙川を渡り、また少々登り。こう言っては何だけど、ここより住宅地の中を延々と歩むため見どころもなく。淡々と進む。
日大のキャンパスがあった。商学部の砧キャンパスだそうな。職員の方だろうか、写真を撮影していた。パンフの表紙にでも使えそうな写真になることだろう。という風情を自分が撮影。この職員さんの写真が使われることを望む…。元日という事もあって家族連れで歩いている住民の皆様が多く、実に平和な風情である。永遠に続いてほしいものだが、そうはいかないのでありますね。やがて小田急線をくぐる。これが京王線と勘違いして、やれやれ半分か、と思ったが三分の一であります。正直、この時点で飽きていたのです。以降、ゴールまで写真の掲載はありません。撮りはしたけどね。
環状八号線と交差します。環八船橋という歩道橋で渡る。ただただ歩く。確かに直線だと認識できる道路なんだけど、先が見えないし。車の来ないタイミングで道路の真ん中に立ってみたけど、これだとちょっとは直線感が増す。直線感。今後の人生で使う言葉であろうか…。
桜上水の駅前に到達する。ゆっくりしたテンポで歩いてきたこともあり、お昼時ではあったけど、食うならゴールしてからと決めていたので、飲み物補充。こういう時のポカリスウェットの旨い事ったらない。線路を渡る自由通路を通り、さらに進む進む。首都高をくぐって進む進む。進んでしかないので進むと書くしかない。神田川を越える。
京王井の頭線の踏切を通過する。普段の行動範囲に踏み切りなどないので、実に新鮮であります。さっき桜上水の駅前にあったけどな!井之頭通りを通過ー。疲れも出てきて投げやりに歩いておりますとー。突然大宮八幡の入り口に出る。
( ゚д゚)ポカーン
去年の元日あたりに来たじゃねえか。高円寺のほうから歩いてきた。参道のほうを横目に見るとまた露天など出て大変な賑わい。今年は残念ながらもう疲れて早く帰りたいの思いが沸々としていたのでむしろ歩みを早める。あとはゴールまでは去年通ったことある道なんじゃねえのと危惧すると、果たして、妙法寺の裏手あたりまではその通りだった。あちゃ。
地図を確認すると、ゴールは青梅街道に出る地点になる。振り返ってみれば、車に乗らない自分でも名前を知っている通りばかり出てきた。これだけ交差するということは、荒玉水道道路が都内にしては実に長い直線であるという証左でもあろう。
…おや?
これにて企画終了。東京で一番長い直線、「荒玉水道道路」は確かに長かった。10kmほどらしいんだが、代わり映えしない路地を歩いているだけなので、疲れる。健脚の人なら兎も角、自信のない人は桜上水駅あたりをセーブポイントにして二回にわけるとかするとよろしい。直線の散歩コースのしんどい点は、ゴール地点がスタート地点から最も遠いということ。どちらをゴールにするほうが良いか、散歩の前後の行程も考えて計画しましょう。
ゴール近くの蚕糸の森公園でちょっと休憩しつつフラフラし、こっちのほうが散歩感あるじゃねえかとツッコミ。スタートとゴール逆だったら、この疲労感であの浄水場の前にぽつーん…か。しんどいわ。この選択はあってたなと確認し、地下鉄に吸い込まれていくのでありました。
散歩感。はたして今後の人生で…