-
GW
遠出の予定なし、しかし入れ込むゆとりあり。まあ今年はちょと引きこもってお勉強とか修行とか溜まっている書籍を読み込みなどするかと。あとは装備のメンテだ!郷里でいろいろ物入りのようなので、こちらで持て余しているものはもうすべて送るぐらいの勢いで送る。エアコンも修理するか、ノートPCの様子もメンテして、とかもろもろもろもろ。
贅沢にも電源からUSBで充電するのも、二口ぐらい欲しくなりましてこんなの。
パンツに下着に靴下、という日常装備もごっそり買った。
鰹のハラスをどこかで買えたら買って食いたいが、魚市場まで行かないと見込みは薄い。揺れている築地にデビューしてくるか、でもああいう市場ってGWは休みなのでは?正月に歩いたあの道、のようなものをまたやるのはどうだろうか。そういえば最近知人が山手線一周などやっていた。しかし、実はあれ一日でやりきるの結構ハード。
平成29年|東京都中央卸売市場国立国会図書館行ったことねえなあ、ふらっと寄り道して使えるものなんだろうかって調べたら祝日開いてねえ。使えんわ。まあ主たる目的はサービス提供というよりは保存なんだろう…。あれやこれやと持ち込めないものも多くて流石に行く気にはならなくなってしまった。
利用の流れ|国立国会図書館―National Diet Library
あとはどーしますかねー。兎に角放置しているものの整理を、って一番放置しているのは我が人生でありました。およよ。いやこんな冗談言ってる場合ではないんだけども。次の連休の計画など考えるころには40歳ですよ…。
-
「天国と地獄」を観た
ネタバレです。ネタバレです。
黒澤明シリーズが続いておりますが。
この作品のamazonのレビューにも同じような指摘があったのだが、境遇の格差からの逆恨み?で誘拐を企てたのだが、今の(自分の)価値観で見てしまうとそんな恨むほどかね、なんて思ってしまう…。犯行動機がピンと来ないというか。作中では端的に住居という環境の差がその犯人の主張する恨むべくところの一つであるが、どうしても、え、それだけ?という思いがある。もっとこう、目に見える所ではなくて、なにかこう個人的な怨恨とか、過去にあれこれとか、人物に対する恨みとかないのかと。こういうところがさらう子供を間違えた、というところに繋がるのかもしれない。
なれば現代は、生活の格差などというものはもう人を恨む理由にはならんのだろうか。いやいやそんなことはない…。されば現代人は恨みを抱えどもその行使に及ばぬ、高貴な徳に満ちたか、いやいやまさか…。ではなんだろうね、この、「金持ちの子供をさらう」行為に対するどこか白けた感じ。この映画から模倣犯が出て刑法の改正に繋がったと言われるぐらいで、相当なインパクトが当時はあったようなのだ。
難癖めいてレビュー始まったけども、じっさい犯人捜索のストーリーは実に面白い。子供を取り戻してこの映画は終わりだろうなんて思っていたら、むしろ取り戻してからが面白かった。捜査に従事した刑事たちが会議室で進捗を報告し合う場面。例えばダンディー鷹山セクシー大下のテレビドラマで同じ場面をやっても画面も展開も似たようにものになるんだろう(というかこのシーンがテンプレになっているのかも)それでもただなんか、画面に映るすべてが昭和だというだけで新鮮。しかしこの、画面から伝わる暑苦しさ。撮影は冬だって書いてあったけどほんとかよ。
いや本作も面白かったですねえ。
撮影地どこだろうかと調べたら、すぐに非常に良く調べてあるサイトを発見したのでリンク。こういうコアな趣味世界に没頭しきれない自分には実に羨ましくもある。昭和38年というのはもう昔話。自分の父が作中の子供ぐらいの歳…。自分ももう40になりますしね…。
-
「Cast Away」を観た
ネタバレ。うぃるそーん。
たまたま航空機事故で即死を免れ、孤島に辿り着いた人のお話。それだけなら映画以上に強烈なものが現実に幾らでもあるので、内容としてはハリウッド謹製ヒューマンドラマになっておりますね…。島での荒天や大荒れの海なんか如何にもCGです、という映像に脳内レビューで言葉を濁していると2000年の作品。ま、そんなものかな、なんて。えらそーに。映画の最後も主役の表情アップで〆。個人的には視線の先はwilsonだったと思いますわよ。
この映画を見たことによって、何かの時に「うぃるそーん!」と呼びかけるというボキャブラリーが増えた。一般受けや王道とは習慣や風土ほどに実用的なのです。好きなものに拘りを持つなんてどうでも良いことなんだなと実感すること頻りな近年で御座います。ゆるくいきましょう。代わりに嫌いなものにはうるさいです。
映画を楽しんだかどうかはお察しですねこのレビューでは。
-
非常袋アップデート。
袋というかリュックなんだけど、結局もうちょっと容量がないと心許ないというのがわかった。わかったというか…そもそもこの準備の目的はなんなのだと一考せざるをえない。どう考えても、例えばゲームみたいに荒廃した世界を生き抜く装備でもない。一か月の山籠もりに耐えるもんでもない。無いよりマシは100%確かなんだけど、もうちょっと実情に合わせて考えてみる。
まず、このリュックを持ち出すということは、住居にいる、かつとても住居には留まれない状態。住居にいるのは主に夜だから、夜に使う可能性がかなり高い。住居にとどまれないという状態の具体的なパターンなど考えたくもないもんだが、その考えたくない状態のための備えではある。主に大きな地震の時、ということになるわな。東京のこれだけの人口を長期に支え続ける支援があるとはとても思えないので、自力で生存、移動をする必要がある。地震関係ない火事とかだったらまあ自分の体だけ生きてればなんとでもなりそうであるので…今用意している非常袋は考えない。
何処へ移動するんだ。つっても東京では公園以外にない。災害マップ的なものを参照するまでもなく、行先はわかっている。近い順に三か所ほど実際にここから徒歩で移動して確認した、ものの、道路や建物がぶっ壊れた状態でも移動できるかは不明。そりゃそうだろ。これはもう対策云々ではないわ。しかしそれでも、支援物資や人材などはその避難場所に集まろうとするので、そこに移動を考えたほうが良い…。こうして基本プランが固まる。何が何でも避難場所まで移動して、あとは運に任せる。二日ぐらいは支援もなく過ごすことになっても、夏なら今の装備で大丈夫。虫刺されまくりで寝ることもできないとは思うが。避難場所へ到達したものの、そこで長期過ごす羽目になったら、それはもう知らない、で良い。
良くねえよ。しかし対策も何もない。最初から公園に住めば?みたいな話だ。自分の場合一人で生きるの死ぬのの話だけど、家族単位で考えるとほんと如何すればいいのやら、だよなあ。
—-具体的なアップデート内容は、食料としてツナ缶は重すぎるし、リュックの中で納まりが悪い。12缶もあったので、半分ぐらいに減らす。代わりに何かクラッカー系のものを入れる。下着の替えを一日分追加。これによりリュックの容量はかなり圧迫されてしまう。100円ショップで買いこんだメッシュのケースなどで小分け。サランラップが便利らしいので入たが、これで隙間ピチピチ。リュックに入りきれないけど何か運んだりする必要はあるだろう。支援物資の食い物とかだったら酷い話だ。これも100円ショップの簡素な手提げ袋を入れておくことに。チャッカマン的な火種を更新。包帯、手ぬぐい、タオル増量。これにて満杯なので、使ったことがない拾いもののウェストポーチ導入。最初からこれ用意すれば良かった。マグライトを新しいのにしたら、明るさに吃驚した。
これら新装備で実際に歩けるか試してみる。最寄りの避難場所まで実際に移動し、花見の場所取りに頑張る人にじろじろ見られる。まあこんな装備してればどうしたおい、ってなるよな。夜更けにビニールシートをペグで留めてるあなたも相当ですよ。翌日は天気予報に反して晴れた。夜更けにビニールシート設置始めた理由はこれか。足元びしょびしょで、朝までに乾くはずもなさそうだが。
-
塩織
塩味探訪、ひとまず美味を求めたのではないにしろその味わいには特段驚くようなものもなく、ネタになるようなものもなく。もっと高級志向というか、「〇〇の塩」などというような銘品だったらまた違った感想にもなろうか。とはいえ仮に世界で一番旨い塩でも手に入れればまた一味違った。
まあ、その。
何にしろ塩を直接ぱらぱらと振りかけて食うなど頻繁にはないものだから、自分好みの分量ですら不明だ。直接口にするものに対しての塩分量、どこが適量なんだか。おそるおそるチマチマと、しかし面倒になり一気に、結果、豆腐にかけ過ぎてからは小皿に取ってディップするという知恵を得た。あと色つきの塩とか便利じゃないですかね。
寿司は論外だった。高級すし店のようなものだったらまた違うんだろうか??スーパーのパックではなんとも。セロリや茗荷は美味しくはないが酷くもない、どちらもしょっぱいセロリとしょっぱい茗荷であった。あたりめは酷かった。こればっかりは軽く洗い流してマヨネーズに移行し、さっさと処理した。
納豆にかけて食った時に強く感じたんだけど、塩って香りがない。ご飯にかけて食べたらもっと強烈に匂いの違いを感じただろう。醤油の薫りというか匂い。ああ、馴染みすぎて気にもしてなかったが、醤油はとても強烈な香りの食品なんだなと発見する。しかしそのような認識がないということは、それだけ醤油の香りって心にじっくり染み付いているというロジックなんだろう。気付いてみれば炒飯なんかも香りづけにじゅわっと醤油を垂らす。
醤油がこの文化の空気だと。人々の食卓が集うこの街の息吹だと…。
春になると気が向いたら非常用リュックのアップグレードをしている。今年は改めて中身の細かい点検をしたり何か足りてないもののお買い上げをするつもりだ。情報をあたると、やはり確保するべきものは何よりも水であると、そして出来るなら塩だと。まあ実際の所は「塩分」で良いのでツナ缶など各種保存食にはきっとそこそこ含まれており…。
しかし不思議なもんじゃないか、母なる海はその塩分が濃すぎて人は喉を潤すこと叶わず、塩を大地に撒けば植物の多くは死滅してしまう。そんなものを抱えて命からがらというその日に走り出す。不思議なものだ。どういうロジックなんだ。
—それが私の名前?
そうだ。我々は何かを託されているんだ。その場に捨てたり、一ヵ所に集めすぎると台無しになってしまうもの…。自分でも少しずつ食みながら、きっと何かの目的のために、運び続けたんだ。それを最後まで避けることも打ち負かすこともできなかった悲しみを、この星に託して返した時に残るもの、それが塩織なんだ…。
—????…こんなものの名前をさあ。
娘は足元から「そんなもの」を一握り掬うと、力いっぱい空に投げつけた。ややあって。一粒一粒がさざめきながら元通りに積もり重なった一粒に覆いかぶさりってゆく、取り込まれる、用済みになった自分を呪いながら。宿主が死んだ寄生虫。これは亡骸なんだ。魂の重みを感じたことのない、無垢の亡骸、地平を白く埋め尽くして輪廻の錆をひた隠しに隠す。ある春の一日でございました。
えーと、花咲か爺さんのパロディです。