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うのはな
おからってちょっと前まではあまり売ってなかった印象なんだけどね、最近は良く行く店にも置いてある。平べったい感じに圧縮されていて、ちょーど袋にいれて圧縮された布団みたいな感じだ。掃除機で空気吸ってぺちゃんこにするやつ。固さの具合もまさにそんなだ。
時に、今年に入ってお酒は止めているんですが、酒のつまみ的なものが好きです。あたりめ、メンマとかザーサイ、魚の煮つけとか揚げ出し豆腐、柿ピー。そういうラインナップに入るかの判断は微妙だとは思いますけど、卯の花とかね。コンビニで売っている卯の花がクッソ美味かったので、自分でも作ってみようとなりましたが果たして。いつものように、ものぐさ調理の基本方針として、食える範囲に収まりそうなレベルでのレシピ把握をしたらあとはテキトーで御座います。ある程度調理慣れはしているつもりなので、なんとでもなります。はっはっは。
まず材料。おから。……あとは何でも良さそうじゃないの…。食って美味かったその卯の花に入っていたものを参考にします。こんにゃく、枝豆、人参、シイタケ。前出のページによるとタケノコも入っていたらしい。これは…自分の考えでは全く以てスタンダードな組み合わせではないかと思う。
同じものを揃えれば良いものを、探すの面倒くさくて目についたものだけ買う。人参と板のこんにゃくを用意。追加で油揚げにしました。出汁をたっぷり吸わせませう。
人参を適当な短冊切りに。こんにゃくは手でちぎる。こいつらを少なめの出汁で炊いて、火が通ったら油揚げを細切りにして泳がせる。おからをドバっと入れる。出汁は最近目にする白だしってやつね。安もんですけど。で、ここからどうするか。ひとまず水分が適当な具合に減るまで炒める。別名「おから炒り」だろこの料理。ところが、この後も何回か作るんだけど、適当な水分量にするのが難しい…。ある時はぼそぼそで口の中でぱふぱふしてしまうし、ある時はおから成分がねっちょりと水っぽく、流動食のような雰囲気になってしまう。商品によっておから自体の水分量が違ったりもしたのかもしれないな。
なんどか試行錯誤しているうちに独自につかんだコツは、あまり炒らないということ。おから自体がほっくほくに温まればそれでOK!!ということにしました。出汁成分は少なめで良さそう。少なすぎたらおから投入後にみりんと醤油で調整。『いやいやそんなことしたら強烈に味が変わるのでは?』って?その通り。それがどうした、最初から適当だ!と居直ります。どうせ冷えてから食う事のほうが多い、調理中の味見などあてになるかい。…いやそこの勘所を掴めよって話だが。何が「調理慣れしている」だ阿呆と。
実際のところ、おからは同じ量のパックで売っているものです。賞味期限も長くはない、残しても他に使い道もイマイチなので作るたびに全量使います。そのため、目分量でもあまり調整をミスることはないのです。
以上です。
そんなわけない。
具材のバリエーションと参りましょう。まずひき肉。人参、にんにゃく、ひき肉の構成。おからコロッケなるものがあるようだけど、食べたことない。多分、このひき肉投入バージョンはそのコロッケの中身に近いのではなかろうか。ひき肉の歯ごたえがちょうど麻婆豆腐のようで美味い。自分のレシピだとデフォルトではみりんも砂糖もいれないので肉の味が強めに主張されます。柚子胡椒や刻み葱など追加でさらに良い感じです。
次。人参、こんにゃく、鶏もも肉。もも肉の濃ゆい出汁に期待したが、おからパウダーに吸われてあまり味わいが残らなかった。そのぶんおからが美味になったかというと、そうでもない。脂身もそのままにぶつ切りで入れたのだが、おからとまぜまぜの段階でどこかに霧散したか?ごぼうなんかが相性良さそうですが、調理が面倒な食材は遠ざけましょう。
次ーっていうともう魚介か果物の出番ですが、さすがに自制が勝ちました。何も試していません。多分ゆでタコとスパイシーな味付けならまだ合いそう。
そもそもおからって豆の搾りかすですからねー、栄養はまだあるのかもしれませんが、味も風味も抜かれながら口に含むと立派な存在感。単体では調理の素材としてはむしろ厄介な属性なのではないかと思う所存です。腹いっぱいにはなるけど。先人のレシピを参考にすると、団子などに加工して畑の肉(予備役)として使っている方が多いようですね。お好み焼きとかピザ生地…。うーん、小麦粉とか片栗粉常備してない自分にはない発想であります。面倒な食材は遠ざけます。
あと卯の花にしても自分の作ったものよりはるかに具材の量が豊富だ。そら美味いよな。何か負けた感じしかない。次は具材豊富な一品をご用意いたしましょう、卯の花の薫りに出汁のストックをチェックする、ある卯月の一日で御座いました。って一月に書きたかった…。
おだいどこからは以上です。調理品の画像がないのはいつもの仕様です。
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「気狂いピエロ」を観た
なんか最近読書感想文ばかり続いてますね…。
これ、公式な情報としてどこをあたればよいのか不詳だが、どの情報を参照しても「きちがいぴえろ」という読みになっている。変換するなら「きぐるい」とタイプすることになる。この作品に関しては「気違い」という書き方は誤りなんだろう。これもまた時代である…のかな。まあそんなことは兎も角。
「気狂いピエロ」は1965年の作品。1966年、ハッピ着たビートルズが飛行機から降りてきた映像だって白黒だというのに、この作品は鮮やかなカラーが印象に残る。監督のゴダールというのはなんか名前を耳にしたことありますね。作品自体の感想はこう…なんだろうな。そんなに面白いとは思わなかったけど…なにかこう、退屈はしなかったというか。まあ言葉に困るよね。難解だったわけでもない印象なんだがな。
この映画を見た後、なんとなく筋立て似てるんじゃないか、並べて見たらこっちは〇〇だから面白いなんて筆が進むんじゃないかと思って「俺たちに明日はない」も見てみた。そしたらピエロのほうは何で旅してるんだっけ?みたいなことになった。そのうちもっと他の映画と混ざりそうだ。今度の休日に同時再生してみようか。パルプフィクションに挿入しても違和感ないんじゃねえの。何で時計を持ってこなかったんだ!とかあのへんに。
こう…世界観の設定みたいなもんが強くないというか…。時代は感じるが舞台は感じないんだよな。突飛な発想や世界観を画面で再現する技法に乏しい時代だったから、…?うーん。インターステラーなんか引き合いに出してもしょうがねえか。
言葉を探すのに飽きたからこの辺で感想文は終わりにしますかー。下書きのまま三か月も放置してればこうなりますよねーーーー。
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「インターステラー」を観た
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蛍雪の鋼
急な仕事で遅くなった寒風吹きすさぶ帰り道、とぼとぼと歩んでいると人の声があり、それに答えるもう一つの声があった。…??? 上から??
振り返ると、建設中のマンションの上のほう、たぶん8階ぐらいの高さだろうか、煌々と明るい。マンションは未だに鉄骨をくみ上げている段階で明かりをともす部屋もない。あの明かりはきっと投光器が備え付けられているのだろう。姿は見えないが、冷たい風に乗って、声はそのあたりから聞こえてきている。あゝ、まだ働いている人がいるのだ。それにしても時刻は22時を回っている。こういう建設現場は当たり前だが電気や水道など通っていないため、夕暮れにはその日の仕事を終わりとするものだ、と聞いた。そらそうだ。街灯よりも高い場所で暗闇のなか高所作業などとてもできたものではないだろう。エレベータも動かないので上り下りがとても大変だとも聞いた。
そのような工事現場でこんな時間まで仕事が続いているというのは、何がしかのっぴきならない事情があるに違いない。住宅街の一角にぽつんと建つ10階ほどのマンションだ。まさか4月から入居できます、なんて…。素人目にも間に合うはずもない、だってまだ鉄骨だ。ここから壁作って床作ってあれやこれやなにからなにまで。思えば、着工までに空き地のまましばらく放置されていた気がする。ハードな舞台裏が想像できる。
しかし聞こえる声に暗さがなかった。むしろどこか快活で、威勢よく声を掛け合いながら作業するような感じがあった。この時間に仕事をしているからには何か切羽詰まった事情がある筈なのだが、スケジュールに追われて怒号が飛び交うとか、疲れて投げやりな声でもない。投光器の用意もあるということは、予定された業務なのだろうか。まさか。
いまこの場所で、あの高さの場所に立つことが出来るのは彼らだけだ。自分の歩きなれた街並みと彼らの足元の鉄が月明かりに凍えている。彼らにはどういう景色に映るだろうか。是非に同じところに立ってみたいものだが。
真冬の晴れた夜、風があるのに寒さよりも爽やかさに心惹かれ愉快になる、そういう夜がある。風呂上りにちょっと外に出てみたりするといちだんと爽快だ。夜には得難い風が吹く。ただこれは、心に余裕があればこそ。きっと夜空に会話していた作業員もこういう心持になっていたのだろう。そりゃ何か手違いがあってあんな時間まで仕事をしていたのかもしれない。だけども、流石に22:00にもなればなんとか終わりが見えてきて、安堵の会話をしていたのかもしれない。あるいは彼らは最初から、月明かりに夜風を楽しんでいたのかもしれない。
翌朝は白い空を見上げると物言わぬ雪。こうもり傘が群れて駅へ吸い込まれていく様を見下ろす、掠れた影、二つ、やがて静かに白い雲を抜け、得難い風に寄り添った。
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トランプマン
アメリカ合衆国大統領という肩書になって何日もせんうちに、かなり多くの事に手を付けている印象。そら日本なんかと違ってきっちり何年で変わるってわかってるんだから、交代してもそこまで物事滞ったりしないのかもしれない。
一言、破天荒というイメージなんだけど、宇宙人と戦うとか徳川の埋蔵金を掘るとか言うまでは表向き平気だろう。難民を受け入れないのも、国境の警備を固めるも良かろう。日本と同じだ。あるいはどこだって同じかもしれない。
それにしたって何もかもインパクトがある。ホワイトハウスのスペイン語サイトを閉じた、なんて噂になるほどだ。(実際スペイン語コンテンツは見れなくなったそうだ。しかし、オフィシャルの説明ではアップデート中だそうな。…どんなアップデートだろうと、事故や意図したものでなければ政府機関のサイトが数日見れない状態になる、なんてあり得るわけねえだろ。)
抗議のデモも世界中で(ホントか?)開催されており、世界の市民は彼を受けれいまいと躍起だ。肝心のアメリカ市民は受け入れた。ぽんっと危ない発想の首長が誕生した、っつっても操るもののパワーがそこらの船とはわけが違う。しかしこれもある種の希望ではあるだろうか。多くの人は何かを変えようと思っても、本来意図したところではない部分でも変化を望まない。そこで「そんなもん知るか」って舵を切ることもまた、救いになることだってあると信じたい…。