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非常袋アップデート。
袋というかリュックなんだけど、結局もうちょっと容量がないと心許ないというのがわかった。わかったというか…そもそもこの準備の目的はなんなのだと一考せざるをえない。どう考えても、例えばゲームみたいに荒廃した世界を生き抜く装備でもない。一か月の山籠もりに耐えるもんでもない。無いよりマシは100%確かなんだけど、もうちょっと実情に合わせて考えてみる。
まず、このリュックを持ち出すということは、住居にいる、かつとても住居には留まれない状態。住居にいるのは主に夜だから、夜に使う可能性がかなり高い。住居にとどまれないという状態の具体的なパターンなど考えたくもないもんだが、その考えたくない状態のための備えではある。主に大きな地震の時、ということになるわな。東京のこれだけの人口を長期に支え続ける支援があるとはとても思えないので、自力で生存、移動をする必要がある。地震関係ない火事とかだったらまあ自分の体だけ生きてればなんとでもなりそうであるので…今用意している非常袋は考えない。
何処へ移動するんだ。つっても東京では公園以外にない。災害マップ的なものを参照するまでもなく、行先はわかっている。近い順に三か所ほど実際にここから徒歩で移動して確認した、ものの、道路や建物がぶっ壊れた状態でも移動できるかは不明。そりゃそうだろ。これはもう対策云々ではないわ。しかしそれでも、支援物資や人材などはその避難場所に集まろうとするので、そこに移動を考えたほうが良い…。こうして基本プランが固まる。何が何でも避難場所まで移動して、あとは運に任せる。二日ぐらいは支援もなく過ごすことになっても、夏なら今の装備で大丈夫。虫刺されまくりで寝ることもできないとは思うが。避難場所へ到達したものの、そこで長期過ごす羽目になったら、それはもう知らない、で良い。
良くねえよ。しかし対策も何もない。最初から公園に住めば?みたいな話だ。自分の場合一人で生きるの死ぬのの話だけど、家族単位で考えるとほんと如何すればいいのやら、だよなあ。
—-具体的なアップデート内容は、食料としてツナ缶は重すぎるし、リュックの中で納まりが悪い。12缶もあったので、半分ぐらいに減らす。代わりに何かクラッカー系のものを入れる。下着の替えを一日分追加。これによりリュックの容量はかなり圧迫されてしまう。100円ショップで買いこんだメッシュのケースなどで小分け。サランラップが便利らしいので入たが、これで隙間ピチピチ。リュックに入りきれないけど何か運んだりする必要はあるだろう。支援物資の食い物とかだったら酷い話だ。これも100円ショップの簡素な手提げ袋を入れておくことに。チャッカマン的な火種を更新。包帯、手ぬぐい、タオル増量。これにて満杯なので、使ったことがない拾いもののウェストポーチ導入。最初からこれ用意すれば良かった。マグライトを新しいのにしたら、明るさに吃驚した。
これら新装備で実際に歩けるか試してみる。最寄りの避難場所まで実際に移動し、花見の場所取りに頑張る人にじろじろ見られる。まあこんな装備してればどうしたおい、ってなるよな。夜更けにビニールシートをペグで留めてるあなたも相当ですよ。翌日は天気予報に反して晴れた。夜更けにビニールシート設置始めた理由はこれか。足元びしょびしょで、朝までに乾くはずもなさそうだが。
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塩織
塩味探訪、ひとまず美味を求めたのではないにしろその味わいには特段驚くようなものもなく、ネタになるようなものもなく。もっと高級志向というか、「〇〇の塩」などというような銘品だったらまた違った感想にもなろうか。とはいえ仮に世界で一番旨い塩でも手に入れればまた一味違った。
まあ、その。
何にしろ塩を直接ぱらぱらと振りかけて食うなど頻繁にはないものだから、自分好みの分量ですら不明だ。直接口にするものに対しての塩分量、どこが適量なんだか。おそるおそるチマチマと、しかし面倒になり一気に、結果、豆腐にかけ過ぎてからは小皿に取ってディップするという知恵を得た。あと色つきの塩とか便利じゃないですかね。
寿司は論外だった。高級すし店のようなものだったらまた違うんだろうか??スーパーのパックではなんとも。セロリや茗荷は美味しくはないが酷くもない、どちらもしょっぱいセロリとしょっぱい茗荷であった。あたりめは酷かった。こればっかりは軽く洗い流してマヨネーズに移行し、さっさと処理した。
納豆にかけて食った時に強く感じたんだけど、塩って香りがない。ご飯にかけて食べたらもっと強烈に匂いの違いを感じただろう。醤油の薫りというか匂い。ああ、馴染みすぎて気にもしてなかったが、醤油はとても強烈な香りの食品なんだなと発見する。しかしそのような認識がないということは、それだけ醤油の香りって心にじっくり染み付いているというロジックなんだろう。気付いてみれば炒飯なんかも香りづけにじゅわっと醤油を垂らす。
醤油がこの文化の空気だと。人々の食卓が集うこの街の息吹だと…。
春になると気が向いたら非常用リュックのアップグレードをしている。今年は改めて中身の細かい点検をしたり何か足りてないもののお買い上げをするつもりだ。情報をあたると、やはり確保するべきものは何よりも水であると、そして出来るなら塩だと。まあ実際の所は「塩分」で良いのでツナ缶など各種保存食にはきっとそこそこ含まれており…。
しかし不思議なもんじゃないか、母なる海はその塩分が濃すぎて人は喉を潤すこと叶わず、塩を大地に撒けば植物の多くは死滅してしまう。そんなものを抱えて命からがらというその日に走り出す。不思議なものだ。どういうロジックなんだ。
—それが私の名前?
そうだ。我々は何かを託されているんだ。その場に捨てたり、一ヵ所に集めすぎると台無しになってしまうもの…。自分でも少しずつ食みながら、きっと何かの目的のために、運び続けたんだ。それを最後まで避けることも打ち負かすこともできなかった悲しみを、この星に託して返した時に残るもの、それが塩織なんだ…。
—????…こんなものの名前をさあ。
娘は足元から「そんなもの」を一握り掬うと、力いっぱい空に投げつけた。ややあって。一粒一粒がさざめきながら元通りに積もり重なった一粒に覆いかぶさりってゆく、取り込まれる、用済みになった自分を呪いながら。宿主が死んだ寄生虫。これは亡骸なんだ。魂の重みを感じたことのない、無垢の亡骸、地平を白く埋め尽くして輪廻の錆をひた隠しに隠す。ある春の一日でございました。
えーと、花咲か爺さんのパロディです。
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塩でキメてけ
最近はまっている調味料は塩です、とか言い出したら心配されるだろうか。体大丈夫?あるいは頭も大丈夫かって。
ここ数年、家には常備の調味料の種類が増えつつあった。塩胡椒醤油、コンソメとめんつゆあたりだったのに加えて以下だ。味噌、ナンプラー、ドレッシング適当に二種類、中華系のスープの素的な(まあウェイパーのことですね)酢、ごま油、みりん、砂糖、マヨネーズ。ここに時折、甜麺醤に豆板醤、スイートチリソースだとか加わるとなかなかの布陣だ。煎りごまとか鰹節、バターまで加わるとそらもお。
凝った料理に目覚めたなんてことでもなく、これだけあると食材を適当に買ってもまー何かしら食いたい味で食える、ということになるものなんだ。クックパッドみたいな実用系レシピを参照してごそごそするような時も、大体必要なものが手元にある。しかし、そんなレシピ参照しながらの料理、さほどするわけでもなく。
調味料がわんさかあると、何かを切って加熱して、上記のどれかの味で食う、みたいな食事だとしてもそこそこのバリエーションがうまれる。そんなもので満足するようになったのは進化か退化か、体は大丈夫か。そんなメシを食っているうちに、舌の上で輪廻が発生したようだ。塩降る夜に涅槃を手繰ったのである。頭も大丈夫か?塩のみで食ってみようということが直近のブーム。実食はまだあまりしてませんけども。
もしかしたら自分は塩味がきついものが好きなのかもしれない。無塩トマトジュースに塩と氷を入れて超冷やして飲むのが好きだ、とか、酢の物にする前の塩もみしたキュウリをつまんでみたら美味かったとか。コンソメ味の野菜スープも濃いめが好きだ。尤もこれはお湯にコンソメと具材を放り込むだけ、なんて不精な作り方しているから薄味では不味いだけかもしれない。しかし揚げ物とかは何も付けずに食うなあ。カツにソースとか味が濃すぎて試す気にもならん。味覚って不思議なもんだ。
具体的に食ってみたもんは。
そば粉多めの乾麺蕎麦を茹で、麺つゆなど使わずに塩をちまちま付けて食べる。昆布なり鰹なりの出汁が無い状態で食べると、やはり別もんだ。流石に塩分過多なのが味覚でもわかるんで、するとついには塩もつけずにそのまま食べるみたいなこともしてみた。それでも結構な塩分を感じる。もちろん蕎麦の味もする。これはもともとそういう食い方ありますね。寿司にも塩で頂くものがあります。
元々味付けなどあまりしないものを塩振って食うとどうか。とりあえず冷蔵庫にあった茗荷。刻んで掌に乗せて、塩振ってそのままお口にぽい。茗荷の味が塩味が効いている間は薄れているような感じがある。もともと冷ややっこや蕎麦に入れるもので、塩分と別れての味などあまり意識してないのではないか。比較の為に塩を振らずにおくちにぽいしてみると、ちょっと日常的には味わいたくない感じになった。ふーむ。
塩っていうのは味わい以外にも食材に対する作用があったりしますからね、いろいろ試していくうちに、ひどい目にも遭うでしょう。それとこのテの実験には欠かせない食材が日本にはありますね。納豆です…といったところで本日はお開き。
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祖父の葬儀へ
祖母が亡くなった時に、初めて弱弱しく狼狽えている祖父の様子が深く印象に残った。俺もすぐに行くぞなどと言い出して、まあどうしたものだか…こちらも輪をかけて狼狽えてしまった。五年になる。
祖父が亡くなった。一個前のエントリに書いていたが、この日も休日だった。祖母の時は土曜日で、すぐに帰ってきてほしいと父が言うからすっ飛んでいった。無計画な行動は恐ろしい、月曜にはいったんこちらに戻り、普通に仕事をして翌朝またすっ飛んでいった。今回は母から事前に連絡があり「どうも様子が良くないと病院から連絡があり、一旦すっ飛んでいったところで、もう長くはない」と連絡を受けた。いや祖母の時も入院していたしそう長くはないと覚悟はしていたのだが…。今回はやや冷静に、身支度や着替えの準備、諸々の予定の調整などをして、流石に身罷るまで側にいるわけにもいかず、亡くなったらすっ飛んでいくのだろうとすっ飛びルートを確認していたら、そのまま亡くなってしまった。
すっ飛んでいっても日が傾き、沈むほどの距離を経て暮らしていることを、こういう時にしみじみと感じる。いや3-4時間ほどでなんとか到着しますが、今回も月曜日に仕事をしてから帰省となった…。こうして3月11日は祖父の名で上書き保存された。これにて祖父母を4人とも送ったが、命日など一日も覚えていなかった。ここでようやく忘れ得ぬ日を得た。誰かの誕生日とかもほぼ興味なくて覚えないが、こればかりは忘れることもないだろう。
あの日に感じた、距離と時間のリアルな長さ。家族全員の安否も全くわからないままに夜を6時間ほどかけて部屋まで歩いた日、亡くなった家族に会うために快速と新幹線乗り継ぎすっ飛んだこの日。何にでも備えてリカバリーするなんてできない。何を諦めて生きていくのか、縋るものの予備もありますか?僕には黒ネクタイの予備がないですね…。
葬儀はなんというか祖母の時と同じく、アクシデントもなく…。ただ、祖母の葬儀の時には「誰だいあの人」という枠だった自分だが、今回ばかりは流石にその節はお世話になりましたなんて挨拶も交えつつ親戚に声をかけたりもする。しかし誰かの誕生日に興味のない自分が親戚の顔と名前などどれだけ一致するものやら。今回も隙を見てあの人誰だっけと聞いて回るはめに。
“順番”が一人ずつ進んでいくのを感じる。
祖母の葬儀の時に会わなかったご近所さんは、数十年ぶりに会うことになる人も多く、名前が出てこない。難病の夫を老々介護で支えている、というあの人、誰だっけと聞いたら向かいのおばちゃんだった。まさか忘れる筈もないが、やはり完全に見た目が変わってしまっている。自分の母もすっかり老人だ。
これで次の葬儀には自分が喪主ということになるだろう。遠方に住んでおり車もないですが大丈夫か。予算にも乏しいわ…。そんなことを心配していると、自分が最初に死んだりするんだろうな。まずは自分がしっかり生きねばなるまい、至極当たり前のことだわな。
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「隠し砦の三悪人」を観た
今回もamazonプライム映画での視聴、…と最初に断っておくのは、どうもこの画質が実に素晴らしいという声がレビューで多く見受けられたので。確かにきれいだった。
以下エントリ本編。ネタバレ。まだ作品を観た事が無い人はここで読むのを止めて作品を観ることをおすすめ。
楽しい。すっげえ楽しい映画だった。どういう言葉で表現しようか思いつくまでずーっと考えていて、ようやく思いついた。痛快。おーこれだ。紛う事無き傑作。そうだよな、映画って娯楽なんだよなあ、一昔前はみんながこぞって楽しんだ娯楽なんだよなあ、と改めて思う…。今だって娯楽の大手には違いないが、こうしてインターネットの仕業で他にもいろいろ娯楽が分散されておるからね。
黒澤明云々という点は特に思い入れがないけど、氏の作品でも特に人気が高いと評判。納得できるなー。映画の内容が、なんというか難しくない。分りやすい。そんな作品他にいくらでもあるだろって自分でも思うが、兎に角いろいろ分りやすい。なんだろうな、この簡明さは…ちょっと説明できなくて、不思議な感じすらある。
観てる途中にも思ったけど、農民二人がなんか落語なんだよな。欲深くてあわてんぼう、早とちりに臆病者で身勝手。何かをしでかすものだから話はどんどん転がっていく。こいつらが何かすることで「そらそうなっちゃうでしょ」という事態に陥り、しかし場面が少し進むと観客が思った通りの展開にはならない。おーそうなりますか、と。「こりゃもうだめか、どうすんだろ」という状況が、特に何もせずに好転するが、それが言われてみればそうなるよね、という…特に説明もないのに納得できる。なんか見事なものだなあと思う。これが脚本の見事さということなのかなあ。
具体的には以下のような流れが特に。人買いに売られた娘を買い戻す→逃避行に人が増えてどーすんだよ→馬売ってくれと頼まれてしまう→運ぶ足がなくなったじゃねーかよどーすんだよほら追手が来た→「良いか!お尋ね者は男三人に女が一人!馬を連れている!」
火祭りのシーンの美しさも突出している。ここらはモノクロの効果もあるだろうか。多くの犠牲を払い、自らも危うい目に遭いながらここまで運んできたものが、祭りの供物として燃え盛る炎に放り込まれたというのに、姫は嬉々としている。啞という設定で人目をごまかしてきた姫は笑顔で祭りに参加して笑顔で掛け声まで出している。一方百姓はおどおどしている。
戦国の世に生まれた姫君として、もはやこれまでと覚悟を決めた潔さか、あるいは16歳の男勝りの箱入り娘として、初めての(かはわからないけども)世俗の祭りの楽しさに心を委ねたか。あるいはまた身を隠すには絶好のシチュエーションが訪れた事だし…。後に敵方に捕らわれ、姫はそこでこの決死の逃避行、楽しかったと語る。この旅で人の美しさ、醜さを見たと。
この名場面で、まさに心奪われている時に、祖父の訃報を受け取る。…リアル人生のイベントは時に出来過ぎですね…。amazonプライムのいわゆる「レンタル」は視聴時間の制限付きというシステム。東京に戻ってきてからまたレンタルしなおして続きを見てこれ書いております。
この当時の俳優・女優さんとか流石に全くわからない。名前をググってみても、多くは故人となっている。三船敏郎もあまり知らないというぐらいに自分は疎い。雪姫役の女優さんがとても印象に残ったが、調べると黒澤明に抜擢された素人だという。ほえー。二年ほど活動し、自ら才能がないと引退。ネットを漁っていたら随分貴重っぽい動画を発見。
以前、誰かに勧められて「羅生門」を見た時も、なんだかうまく言えないが確かに面白かった。どこがって言われても困る。傑作は感想文に困るんだろうか。旨い物なんかもそうだよな。少なくとも自分はそうだ。文句が出ないから大人しい。んで何度も同じ定食食いに来る、みたいな。
「隠し砦の三悪人」は映画であるから、何度も見ることはないけども、思い出すだけで箸が進む。いやー堪能した。お気に入りの映画に並べさせていただきます。