ううう

  • ううう

    隣家から聞こえてく

    机を隣室との境にずらしてから何年だ。

    部屋に居る=PCの前に居る生活を数年続けている。大抵は何か音楽とか、そんなものを聞きながらなので、細かい音は気にならない。ああ、洗濯機から遠くなったので「おわったぞーい」のアラートが聞こえない事が多くなった。翌朝へろへろにまるまったシャツをがっかりしながら引き摺り出して干す。

    その日は珍しく、何も聞かずに過ごしていたのだけど、左の方からぼそぼそと喋っている声がする。隣家の旦那さまである。思わず聞き耳を立てると、リラックスした様子で会話をしている。電話の開いては奥方だろうか、「それは買わなくていいよー」と聞き取れた。

    このぐらいには聞こえるということは、俺が口ずさんでいた歌なども聞こえ

    あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ今度顔合わせたら平常の調子で挨拶できるか怪しい。

  • ううう,  ふでのゆくまま

    とある夕方、同僚の母がなくなったとの連絡が入る。がんで結構大変な状況だとは耳にしていた。彼はまだ20代前半で、弊社では一番若い。葬儀は郷里で行うとのことで、動ける社員から順次病院へ。ぽつりぽつりと連絡を取り、最後には五名でおちあい、病院に向かった。

    霊安室――初めて足を踏み入れる。着くと、見知らぬ誰かが縋る様に跪き嗚咽をあげており、しょうじきちょっとたじろいでしまう。彼が「あの、会社のひとたちが」というと、なよなよと歩き、外に出て行った。霊安室の弔問など初めてだ。立ち位置的に最初になってしまい、真顔で恭しくどうぞ譲ったら真顔で恭しくどうぞと返された。線香に火を灯し供え、静かに手を合わせ、目を伏せる。

    あのときの、、、ああいう気持ちを何と言ったら良いのだろう?安らぎ、なのだろうか。その場に佇む人々の、強い心の結束を感じる。同僚の母とはいえやはり他人である。生前の思い出もなにもない。病院に向かう途中で「故人の名前がわからない!」とか言い出す体たらくである。しかし空ろに疲れた顔で我々を出迎えた同僚、妻の顔をなで続ける父親、身罷った母親を前に、我々は強い心の結束を感じたのです。

    帰りの電車、暗がりに映る電車の中の人々、流れてゆく沿線のあかり、どうしても頭から離れない霊安室の風景がかさなり、あ、と思い当たる。北枕。

  • ううう,  ふでのゆくまま

    linoleum

    ヘッドフォン壊れた。コードに足引っ掛けてすっぽ抜けたところをこの俺の体重で踏んづけた。ニュースだったら「体を強く打って死亡」即ちぐちゃぐちゃ即死という有様。とはいえ、過去にこの程度のことは何度かあって、そのたびにやっすいのを買っている。今回補充したのもそんな2000\程度のものなのですが。

    だいぶ音が違う。低音が響く感じ。うーん。この感じ。十年ぐらい前の低音強調しただけで上位機種な扱いになるMDプレイヤーを思い出した。そーいやスピーカーの類も重低音重低音言ってた気がする。カメラの画素数何百万とおなじようなもんかな。冷蔵庫ならなんたら解凍で美味しいがどうの出テレビなら高画質がどうの掃除機なら吸引力・・・は実際の機能に大きく寄与しますな。テレビの画質上げるなら眼鏡から良いのにしろよ。わははははは。

    安物買いの銭なんたら、て、言いましてね。高くても質の良いものを買うほうがいいと。いつ頃からこんな格言めいたものがあるのか存じませんが、商売文句としてはうってつけですかねえ?なんでも安いのと、高いのと並べられて売ってるからなあ。でも、そもそも高いの買う金がねんだよ!!FUCK!!死ね。・・・そんな暮らしからは少々抜け出した昨今、予算をつぎ込むことで暮らしのクオリティを上げるということを考えなくもないのです。

    ですが、ですが、dsg。慎ましい暮らしで育ちました。貧困の喘ぎを多少なりとも見聞き致しました。大事なものは金では変えないという意見は信じるに値しません。贅沢をすることは自らの歴史、魂の紡ぎからの乖離であります。などと言いながら贅肉にまみれて居るのはまああれです、堕落論的パンクス-イデオット。Don’t trust over 30というではありませんか。もう32歳だけど。同い年の人間が家とか買って子供を保育園に送ってったりしてますけど。金!!ヒャッハー!!

    やっぱ金ですよ!という裏にはその境地への到達を諦めた自分が居ります。実際に金を手に入れてしまえば、その時はまた実際に金では手に入らないものを求めるでしょう。貧乏人が金で手に入れるものと、金持ちが金で手に入れるものが違うように、手に入らないものもまた違うのではないですか?

    your daddy is winning a war for you

    郊外の丘の上の病院を、駐車場から見下ろしました。白い建物とはなんと不吉にみえることでしょう。祖母はそこで亡くなりました。畳の上で死にたかったでしょうか。何十年も張り替えていない、日光もあまり射し込まない部屋で。光が欲しいなら引っ越せば良いじゃない!祖母の墓は祖父と並んで、見晴らしの良い、日当たりの良い場所にあります。

    寝汗で暖められたリノリウム。お金で買えない価値がある。

  • ううう,  ふでのゆくまま

    蝉時雨

    祖父の思い出をついったーなどでぽそぽそ呟いていたら本気で泣けてきた。語るべきことは全てそっちで語った気がするんですけど、と。一夜明けて、この部屋にも蝉の声が響いている。最近、アスファルトに蝉が乾いて転がっているのを良く見かける。毎年のはずだ。同じ季節、同じ道。だけどどういうわけか、今年は特に目に付く。蝉が大発生でもしているのかと探ってみたがそんなことは無い。ならば目に付く原因は自分にあるんじゃあなかろうか。只管に俯いて歩いている?それとも、目に留まっても全く気にならない地味な色の蝉の死骸なんかが、今年にはそんなに目に留まる理由でもあったかしら。見上げれば注ぐほどの蝉の声がするが、姿は全く見えないのでありまして。

    朝から汗を拭き拭き仕事に行くとなれば蝉の声など鬱陶しいの一言なんだけど、麦茶でも飲みながらブログ書いてるとなれば、暫し手を休めて目を閉じて聞き入るのも良いもの。静かな静かな昼下がり。静かに、静かに、物思いにふける夏なり。