ううう
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多生の縁
当ブログからのリンクを3つ削除。アカウント活動停止の告知があったり、ふっと消えていたり。事情はみなさまいろいろございましょう。どうかお元気で。あまりお元気ではなさそうな気配も漂っていたのですがそこんとこどうなの。
ビジネスでもサービスでも広告宣伝でも研鑽でもない。一般人がただの雑記を主に並べて十ん年。拙ブログのような体裁はもうよっぽどレアな気がする。なんなら、自分もきっちりと個人の事情に繋がることを書いていない、俗にいう「ネット上のアカウント」でしかなく。なんなら自分のアカウントも消えたりしたことあるだろがい。
「研鑽でもない」
うーん、どうしてこうなっtttttttnなるべくしてなったんだろ莫迦。いえっさー存じ上げておりままま。口を閉じることなら簡単だなんて、あの人ったら悪いうわさをたてたものネ。うそつき。
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アンソニー・ボーデイン氏の訃報
お気に入りの書籍に、「キッチン・コンフィデンシャル」がある。めんどくせえ人生の困難に、ゴリゴリと立ち向かっていく印象だった。ああ、細かい内容はもう覚えていない。若い男の、人生のモチベーションっつうやつ?読み直そう。
No Reservationsもとても面白い。世界を旅して飯を食う。単にうめえ店で食って終わり、じゃなく、ちゃんと「会話」があったり、放映向けの「冒険」があったりする。そこいらの露店で現地のシェフと飯を食う。なんならご家庭にお邪魔する。また一方で、高級店にも訪れる。たしか東京ではすきやばし次郎に行っていたような記憶がある。日本人だって訪れないまま死ぬ人が殆どのお店じゃねえか。チキショー。
残念なことに、ホテルの自室で首を吊って自殺したそうだ。この手の訃報が届くたびに、人は、他人の心の中まではわからないものだ、と噛みしめる事になる。ご冥福。
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米長邦雄永世棋聖、逝去
前立腺ガンを患っていたのは衆知のことではあったけど、一旦は治療に成功し、「セックスできました!!」とか相変わらず吹っ飛んだ発言をしておったのも・・・もう一昔。ご冥福をお祈り致します(´・ω・`)
ボンクラーズとの対戦も記憶に新しいが、やはり自分はこの動画が好きだ。最終盤での解説の間と、盤上の進行が一致したときのこの空気がたまらない。
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祖母の50日祭へ
先月の末に祖母が亡くなってから一ヶ月経つんだな・・・なんて思っていたところ、すぐに50日祭となりました。仏式でいう、四十九日ですね。日帰りで郷里へすっ飛んでいきました。前日入りのはずがちょっと無理だったが、新幹線の始発だと十分に間に合う時間だった。正直荷物も少なくて助かる。
自宅に新たな仏壇…とは呼ばないな…神棚でいいのかな…を設置。神主を自宅に招いて儀式、その後埋葬した墓地へマイクロバスで移動して儀式、隣町に移動して会食。帰宅、解散。小一時間ほど雑談し、帰路。僅かばかりの滞在ではありましたが、やはり顔も知らない親戚が、という話。葬儀のときに見た顔も多いんだけどね、どこの誰かってなるとなかなかわからないわけで。将来世話になるんだから、忘れちゃいけないんだけど何せ覚えるような会話も時間もないわー。
オヤジが俺を写真を撮る係に任命したが、そういうのは遠縁の親戚とかに頼めよ、儀式の時も最前列なんだからパシャパシャやってられないのよ。そこで会食の時はうろうろして写真撮ったり動画とったりしてた。カメラ電池切れたので俺のスマフォ登場。写真と動画をそこそこ。後にプリントアウトして送れ、とか言われて萎える。お土産にするつもりだった8GのUSBメモリに入れて置いていこうとしたら、PCがスマフォをUSBデバイスとして認識してくれない。オワタ。またどこかにUPしてURLを伝えるようなことしないとダメなのか。
会食の会場が良かった。料理も申し分ない。住宅地と山あいの境目に建っているような立地、まどからの景色は紅葉した森とご近所の雑貨屋の店先。好ましいじゃないか、外界を遮るためだけの竹林植えてマヌケなライトアップされてる料亭は燃えろ。
墓地で儀式をしている時に、みな頭を垂れて祝詞を聞いていたんだけど、終わって頭をあげた瞬間に晴れ間が差し込んできた。祖父が「おおお…」と呻いて辺りを見渡した。俺もあまりの事に、たちの悪い悪戯を一瞬疑ったほどだ。映画みたいな、としか言いようがない完璧な間合いだった。キリストが起こした奇跡なんてものも、こんな程度の偶然だったんだろうなーと思った。
途中の新幹線の中からも、山肌に妙に緑が明るい一帯があった。あれは晴れ間だったんだろう。この日、日本中が一斉に冬へ踏み込んだ。
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こういうことをどういうフォーマットでお伝えすれば良いのか。祖母が身罷りました。
覚悟はできていたというか、誰が見てもそう遠くない未来にといった感じでしたが、土曜に唐突に亡くなったと父から電話を受けて慌ててしまった。先ほど帰宅した部屋はバラしたPCとか燃えないゴミとか散乱している。式では初めて、あるいは30年ぶりぐらいに会う親族に励まされ、20年も顔を見なかったようなご近所さんたちにお手伝いいただき、終わってからも計算したり漏れが無いか確認したりとはわわわわ。悲しむ暇もないとはこのことか・・・いや、落胆してへたり込むようならば、そのぐらい忙しい方が良いのだろう。
さすがにご近所さんは俺がガキの頃からお世話になっており、顔を忘れていても声で誰だか分かったりもした。自分が郷里を離れるタイミングでちっちゃかった子供らもすっかり大人というわけで、これはさっぱり誰かわからない。5歳→20歳なら誰だかわからないが、18歳→33歳なら丸分かりの事が多く、向こうはこっちを知っていたりもするのだが。おばちゃんズもおばあちゃんズぐらいの年齢だけど印象は変わらないもんだ。大きな怪我も病気もなかったのではないか、ということだな。
それは叔父にしたって同じなんだが。まあご近所ズは歳も同じぐらいだから叔父を知らないだろうけど、親戚ズはみんな知ってた。親父の弟だからな、そりゃそうかなあ。
顔も名前も覚えきれないままに終わってしまった。親族として参列する以上は世話になった人間のことぐらい覚える必要があるんだが。次の法要で行くときに確認しておこうか。しかし次は日帰り行脚になるだろうし時間がないだろう。顔を覚えても自分との関係性がわからないと、声をかけるのも難しい。適当に「おじさん」とか呼べば良いのかと思っていると、再従兄弟です、なんて紹介されたりする。じゃあ○○さんだな。ああ年下だと○○君か。あああああああああああーもう・・・写真付き名刺って便利なんですねー。いまではそれもネットの役目。
通夜で寝るときにはくものがないと言っていると(通夜が斎場だとも自分が泊まるとも聞いてねーっつんだよ)叔母が貸してくれたスウェットがヒョウ柄で、面白がって写真を撮るのでポーズなど決めたら、次の日親戚一同に得意気に見せて回っていた。見た人も微妙な笑い。そりゃそうだろ。俺もリアクションが微妙。追っかけ回して止めるぐらいすれば面白いけど、仏式で言う告別式の直前にそんなことしたら斎場の人からも怒られるわ。ちなみに叔父は、通夜の部屋に入ってくるなり俺を見て吹いた。まあ20年の不躾に、この日のためのネタだったと思えば悪くない。せっかくなので手元に欲しいな。あとでくれって言ってみよう。
祖母の話がちっとも出てこない。
まあ良いじゃないですか・・・。