どくしょかんそうぶん

  • どくしょかんそうぶん

    sawを観た

    勢いと迫力はありました。面白かったです。当然ながらネタバレです。ネタバレですよ!

    ネタバレですよ。

    面白かった。エクストリームな設定のまま走り抜たと思うけども、最後の場面で頭に?が浮かんだまま。ちょっとすっきりしない終わりになってしまった。

    「命を粗末にする」という行為に対する教訓というのがクッソ身勝手な動機らしいんだけど、あの”若いほう”は何の命を粗末にしたか?あれ?巻き込まれただけ?”若いほう”は、先生の写真を撮って、そのあとすぐに家で襲われた。襲ったのはゼップだとしても、写真を依頼したのは刑事だ。”若いほう”が駐車場に居たのは、たまたま。作中の”若いほう”の役回りは、誰でもできたんじゃないか?

    “若いほう”のテープの内容は、話している内容がどうでも良いもんな。誰の名前でも良い。じゃあ、テープが先にあったとすれば、”若いほう”はアダムと言う名前であることが条件だった?「先生」と繋がりがある必要はなかった。刑事の依頼によって、二人が”繋がって”いるように見えた。それが制作者のミスリーディングなのか。

    ゼップと刑事は、二人きりの場所でも他人の前でも撃ち合って殺し合うぐらいだから、繋がりは無い。刑事がゼップに依頼されて、意図してアダムを巻き込むために尾行や撮影を依頼したとは考えられない。じゃあ、アダムは不幸にも、偶然巻き込まれただけだったと考えても、筋は通るのではないか。どうだろう。ゼップがアダムを拉致した理由は…特になかった?

    すると、教訓とはこのこと自体なんじゃないか。呑気に生きていると、こんな理不尽に命を失うことがあるから、日々粗末にするんじゃないぞ(`・ω・´)という、犯人からというよりは、映画脚本からの教訓。なるほど納得。でも、こんな読書感想文をしたためている間じゃなくて、映画のエンディングロールの前に納得できるものだったら、より良かったのに、と思いました。

    でも、amazonプライムビデオであるからして、巻き戻して見れるし、こうしてごにょごにょ書いているうちに何か思い当たる。これも醍醐味ですね。難癖みたいなものまで思いついたりもしますが…。

  • どくしょかんそうぶん

    「サウスパーク無修正映画版(字幕版)」を観た

    何かあれば権利と神を主張して暴力で解決すればいい市民の国の作品だ。面構えが違う。でも子どものキャラクターに卑猥なセリフを言わせて、それがどうしたっての?ブラックユーモアに理解が無ければ怒って終わりだろうけど、仮にそういうもの受け入れる態度で臨んだとしても、食傷と言うかなんというか。雰囲気だけ物々しい座り込み抗議行動眺めたら、きっとこんな感じじゃねえか。なんたらを許すな!打倒なんたら!

    正直に言って、冒頭まもなくオマンコとか字幕に出てくると「これは酷い」と大笑いした。確かに吹き出してしまうんだが、しかしこんな感じで延々続くのでしまいには薄気味悪くなる。「何か風刺のつもりなんだろうけど…」と思いながら見ていた。しかしフセインのくだりで「あ、ただの悪ふざけか」という印象を抱いてしまって、あとはずっと冷めた感じで少しずつ飛ばしながら最後まで観たことにした。あーはいはいクリトリスがしゃべったねーすごいねー。しょーもな。

    どころどころで歌って踊るのも、意味が分からなくてちょっと困惑した。考えてみると、サウスパークというもの自体が、児童向け番組のパロディというか、そういう番組だという体のままで、悪ふざけをする作品なんじゃないか。だったらもろもろ納得できる点も多い。”健全な”番組でも、うたのおねえさんと一緒に、ABCの歌とか歌うんだろう。そこも真似て悪ふざけしましたと。じゃ、健全なほうの番組を子供の頃に観た人が、大人になって本作を観るとより一層ばかばかしくて面白いというつくりだろうか。

    無修正版があるということは、当然、世間にお披露目済みの修正版があるだろうと思った。本作の一番の見どころがこれら卑猥な暴言だというのなら、修正版の内容って一体…???ググった感じではそもそも存在しなかった。原題は「South Park: Bigger, Longer & Uncut」らしいので、いっとき流行った「なんとかthe movie」みたいなニュアンスと宣伝文句的なニュアンスで「無修正映画版」になったんだろう。

    元来のシリーズのファン向け作品なんだろう。ネットの評判を探ると、日本語吹き替え版は素人芸能人が吹き替えしてるので非難轟々。まあこれはいつものこと。打倒素人声優!

  • どくしょかんそうぶん

    「一発屋芸人列伝」を読んだ

    誰が言ったか「一発屋」

    すっかり定着した言葉だと思うし、結構古い言葉だとも思うがどうだろうか…。「D万円」とか「ザギン」とかそういう言葉と同じような経緯かな。特定の界隈の身内で通じる符牒が、世の中に広まったのかしらん。

    一発しか世間を揺るがさなかったが、少なくとも一発は揺るがしたと言える。あるときにはふっと名前を、顔を、ネタを思い出されることがある。そんな「一発」まで到達すること自体が、とてもとても難しい。本書に列挙された芸人も、記憶に残っている名前が目立つ。ハローケイスケ、天津・木村、ムーディ勝山の3名は知らなかった。知られてないなら、思い出されもせんやないっかーい(カチーン)

    名前に心当たりのない芸人の部分は読み飛ばしてしまったが、それ以外の一発屋芸人のエピソードには、ちょくちょくネットのどこかで読んだようなものもあった。きっとそれらのネットで見かけた文章なりなんなりの情報源に、本書も含まれていたことだろう。それでも飽きずに読むことができたのは、著者の筆力(ふでぢから)に依るものが大きいと思う。著者自身も一発屋の名跡であり、その大看板を背負いつつ、ちゃんと一発屋当人たちに取材した賜物でもあるだろう。コントや漫才を作る芸人というのは、どこか文筆やらトークやらに長けているイメージがあるよね。

    一見、安易で稚拙と思われがちな彼らの芸だが、全く脈絡もない二つの言葉を並べ、韻を踏み、かつ笑いも取れるこの”大喜利”の難易度は高い。何故なら少しでも「意味」が生じた瞬間、ただの駄洒落と堕すリスクを常に孕んでいるからだ。そもそも、意味を見出し思考の拠り所とするのが人間の本能。それを避けて通る彼らの押韻スタイルは、誰にでも真似できる代物ではない。

    本書「ジョイマン」の章より

    各章ともに実に読みやすい。一発に至るまでの経緯はどうか、一発が炸裂中の生活はどんなものか、その後はどうなったか。そしてどうやって現在に至るのか。そう、「で、今は何してますの?」で終わりにせずちゃんと面白そうなエピソードを紡いで人となりを掘り出していく様子は、まるでスーパースターへのインタビューだ。いやいや、一発だけではあったが、スーパースターにな(りかけ|った)人たちではあるのか。「ジョイマン」の章は白眉であると思う。自分は彼らジョイマンが人気だった当時というものを知らない。amazonでやってた「ドキュメンタル」において、ジョイマンの高木の写真が笑いを誘う仕掛けに使われてから存在を知った。誰やねんて。著者は一発屋にフォーカスした本書で彼らを「0.8発屋」と認めた。それを由としている。一発に至っていない触れやすさ。いじりやすさ?そうしてそこに居るだけでいいという境地。扱いが伝説の域じゃねえか。志ん生か?

    「近頃わ御夫人もナナナナーなんと申しましてな」

    ところで。本書の構成。当人に取材を申し込み、直接会ってインタビューと言う構成から想像するに。インタビューを断られた芸人もいたのではないか。一発屋と言われてたまるものか、と憤った人もいるんじゃないか。自分はまだ一発当ててませんから、と遠慮した人もいるんじゃないか。具体的な名前が想像できれば面白いと思ったが、出なかった。病気の子供はいないんだね論法でこれを由としたいが…本書の取材時期は、内容にぽつぽつ出てくる日付から拾うと2016年から2018年ごろのようだ。それから数年経過して2023年となった現在、新たに一発枠になってしまった芸人も確実にいるんじゃないかと思う。その芸人の名前をオカンが忘れてもうてー。

    大スターを夢見て芸人の道へ踏み入れた人たちには、一発屋というのはうれしい肩書ではないと思われる。二発目、未来がないと思われているということだ。でも、そんな人いましたねって、思い出に浸ってしみじみするのが妙に快い気分になる。ああ日本人的な情緒なんじゃないか。もののあはれ。

    知らない芸人読み飛ばした癖に何を言うか。


    正直に言えば、新たに一発屋枠になった芸人としてピコ太郎を思いついたんだけど、ピコ太郎のキャラが”芸人”と言われると違和感覚えるし、まだタレントとしてCMキャンペーンなどに起用されているみたいなので、「一発屋芸人」には当てはまらないのかなあと。底ぬけAIR-LINEのキャリアを含むのかとかそんな話もあるもんね。

  • どくしょかんそうぶん

    「世界史を大きく動かした植物」を読んだ

    人類万歳。

    この繁栄っぷりをここまで支えたのは、その根本に農耕と畜産であるに相違ない。めしのために常時移動をする必要がなくなった。資材を使って家や倉庫を作るようになり、村ができて共同作業ができて災害などへの耐性ができてなんやかや。文明の起こりから今日に至るまで、地球ある限り植物のお世話になりっぱなしであります。

    本書は人類と植物とのこれまでの関りをまとめたものである。植物の種類ごとに章立てられていて読みやすい。中高生とかに良さそう。お子様に是非。タイトルにあるように「世界史を動かす」ほどの植物となれば、やはり人間との関りは相当に深く、名の知られた種類ばかりである。本書に載っているのはすべて知っている植物だ。紹介されるエピソードにも、何となく耳にしたことのあるエピソードもありつつ、またマニアックで新たな発見もあり、読んでて面白い。日本人の食卓に玉ねぎが広まったきっかけとは?トウモロコシが宇宙原産と言われる所以とは?ふーむ。ええやん。

    個人的には図案が欲しかった。地図やグラフ、挿絵などがもうちょっとあればなあ。全編文章のみであるため、正直ちょっと味気ないが、内容は充実してるのでヨシ!

    この先の未来に…歴史を動かすほど話題になる植物はあるだろうか。地球上で新種が発見される可能性はまだあるかな?あるいは地球外で見つかった植物なんてことになるかもしれないが、”世界史を大きく動かす”となればちょっと珍妙である、ぐらいでは候補にも挙がらん。人間が抱える問題を大きく改善するようなもの。エスエフ的なジョークみたいなものしか思いつかない…けど、もし本当に見つかるとすれば。冒険物語の果てにどこかで見つかるようなものではなく、研究に人生を捧げた一人の執念がついに見つけ出すようなもの。

  • どくしょかんそうぶん

    「アフリカン カンフー・ナチス」を観た

    アフリカンカンフーナチス。アフリカンカンフーナチス。アフリカンカンフーナチス。

    ※本エントリーの最後に作品について情報の充実したリンクを貼っておきます。

    タイトルだけで「嘘だろ!?」ってなる作品。ここまで振り切るとすばらしい気もするが、何を目指して振り切ったのかと言われると全くわからない。2021年公開というのも驚きが増幅されてテンション振り切ってしまう。

    監督:セバスチャン・スタイン、ニンジャマン

    これは期待できる。あの「デビルマン」の伝説を超えてくるんじゃないか?ワクワクしながら再生ボタンをポチっとな。しかしその期待はまあまあ裏切られる。面白いとは思わないが…低予算B級作品な感じで、成立していた。ちゃんとエンディングまで観ることができる。「実はWW2を生き延びていたヒトラーと東条英機が結託し、魔術を使ってガーナで武闘派の拠点を作る」という舞台設定が成立していると言えるのか、という議論はおいておこう。

    CG処理がB級なのはいわゆる手作りなんだろうという納得感がある。演者も一部の主役級を除いては、なんかアクションがもっさりしていたりするものの、役者として練習はしたんだろうな、あるいはそれなりには役者としての経験があるんだろうなあと思わせてくれる。

    物語の筋書きはまんま「カラテキッド」なので割愛。強くなって悪者に反撃だ!以上!

    やはり日本人としては、カラテトーナメントで相撲の行司の呼び出しが行われるところに違和感を強く覚えるが、何よりも日本語字幕が基本的に関西弁というのも全く意味がわからない。東条英機役は作中では実に標準的な日本語を話しているのに。誰かいたずらで字幕データ納品したんじゃねえの?

    東条英機を演じている人物は日本人に見える。Amazonの情報によれば、日本人の名前でクレジットされている出演者がいるが、名前でググったリンク先の情報によると本作にしか出演歴がない。何者ですか。

    なお、作品に関するいろんな情報は下記リンク先に御座いますので、興味を持たれた方はどうぞどうぞ。こんなにAmazonのレビューの数が多く、評価も高いのなんでやねんと思っていたが…。

    https://tokushu.eiga-log.com/new/72726.html