どくしょかんそうぶん

  • どくしょかんそうぶん

    「π」を見た

    「π」という映画を見ました。もちろん当然以下ネタバレです。

    おっとモノクロだ。数学の研究に没頭する、世間からは変わり者と見られていそうな青年。話のオチはどういうことなのかあまり理解できなかったが、没頭するがあまり、またその才覚の確かなる故に事件に巻き込まれていくというのが大筋のストーリー。

    実際の数学者も、精神を病んだり謎の死を遂げたなんてのもおりますし、総じて何かを極限まで突き詰めて思考するというのは普通はおよそ不健康と言える暮らし。避けるが吉、とは言え限界を超えたところを目指す役目を負う人というのはいつの世もいるもので…。

    世界の全ての人間が、毎日毎日これを解決できなければ俺はオシマイだなんて必死に足掻いてる世界なんていやだろう。IT業界じゃあるまいし(白目)ある人がその人生で持つべき責務、抱えるべき重みというのは確実に存在する。誰にも平等に訪れるわけではないし、それがたまたま解決するようなことも人生にはあるだろう。あるいは諦めることが許されるようなことが訪れることもあるかもしれない。しかし最後まで石に噛り付いて、終いには人生を浪費してそこで結果を得ることが出来ることもある。その結果とやらを揃え設えして眺めまわし、最後には称賛の渦となったところで、当人には既にあまり意味がない。献身的とゆーよかまさに献身。果たして報われたと言えるもんだろうか。

    鏡に映った自分を一人真顔で見つめ続ける、止められるはずのものを止めない頑固さがある人の人生を豊かなものにし、またある人の人生を一瞬で壊滅させる。何時か周囲はすべて鏡になり、明かりも入らない筈の部屋に狼狽え弱りはてた自分の姿ばかりが映る。もうまっぴらだ、外に出よう、さあ全力で鏡を殴る勇気はあるかね。なんなら道具を使っても良い、そうだねドリルとか…。

    この映画の描写ほどには過激だったり奇異な事柄についてではなくとも、何かに没頭するあまり感情をおかしくした人って見た事あるでしょう。没頭ならまだ良い、氷の張った池に放り込まれるようなこともある。人生のことがらは割り切れない。πだけに。ほあああ美しいオチキター。何処が美しいかぼけ。

    原題のリアルライフだったら、こういう才能に目を付けてgoogleあたりが接触してくるってあり得る話なんだろうか。もしあり得るんだったら、どこにも発表してないものを嗅ぎ付けてくるような胡散臭さがgoogleとその社是にあるよね、って。ある時から変えたロゴにもね。はっはっは。こちらは割り切ってのお付き合いが良さそうです。ほあああ美しいオチキター。

  • どくしょかんそうぶん

    「レクイエム・フォー・ドリーム」を見た

    例によってネタバレです。

    少し前に後味が悪い映画ということで、ミストを鑑賞して、なかなかに面白かった。今回もそのテの映画という評判によりこのレクイエム・フォー・ドリーム(Requiem for a Dream)を見てみるかと。

    ドラッグに関わり人生から滑り落ちていく人たちの悲劇、という大筋なんだけど、その味わいの悪さは評判通りで、なんでこれは映画として出来上がったんだろうかと。劇場でこれを見た人はどんな家路につくんだ。まま他にもいっぱいそういう映画はありそうだけど…。

    この作品を通じてドラッグの危険性を訴える…という雰囲気でもない感じなんだ。淡々とドラッグなんかにはまるとこうなりますよ、という映像表現に凝った再現ドキュメンタリみたいな雰囲気をと言えばいいのかな。映画の登場人物に対して、悲劇の主人公として憐みの視点があったような気もしない。まあお前らそらそうなるだろうよ、といった感じか。

    たまたま買ったのはデラックス版なのでメイキングとか解説のコメンタリーも見た。これで凝った映像の仕掛けなども監督の口から語られると、なんともお得感。良いカモだな俺も。そのコメンタリーでこの作品のテーマはドラッグ禍という一言ではないことが告げられる。人生においてこの映画の登場人物のようになってしまうことは確かにある。あり得る。ドラッグが関係なくとも十分に。何かしら必死に繋ぎ止めようとしているのに綻びは大きくなる一方で、どこからも理解は得られず背に腹は代えられない思い切った決断は、あっさりとカモ扱いであしらわれる。

    書いてて自分のリアルライフの事象が思い当たってイライラしてきたわfuck!!!!!クスリはやってません!!!!!!!

    作中の銘々がお薬を止めようと心に思うシーンは「映画にスピード感がなくなる」という理由で本編からカットされている。自分が先に書いた、憐みの視点がない、という感想もこれかな。本当はやめたいんだけど苦悩している、という場面が具体的にはない。しかし思い返して見れば、作中ではもっともっと具体的に誘惑と戦う人の物語が並行して進んでいて…。

    コメンタリーもたっぷりついていて、流石にそのためにもう一回90分かけて見直そうとは思わないけど、裏話というか「意図したところ」みたいなものを作った当人たちから聞くと一つ一つの場面が味わい深くなるものなんだよな。…おれはネギ付きのカモか。結局コメンタリーも殆ど見たのでもう出汁と薬味もついてそう。このお母さんエクソシストのお母さんなのか!なんという驚きもこういうコンテンツの楽しみだな。次に見ようと思っている映画の「この森で、天使はバスを降りた」にも出演している。おお素晴らしい。鴨葱出汁薬味甘味次回御予約ぐらいまでいってるな。

    コメンタリーが随分長々としっかり話すのでこれが手品の種明かしと一緒で、ずいぶんと感心することしきりだった。映画に完全に取り込まれていたということが晒される。何かが何かの比喩だとか暗示だとか、取ってつけて適当な事言ってハクつけてんじゃねえよ、なんて無礼なツッパリをかますこともできるけど、なるほどそれは納得だと受け止めてみれば良くこんなことを仕込んだものだという工夫がちりばめられている。音響、照明にもふんだんに。

    なんかこの映画とは直接関係ない感想が多くなった。この作品にはよくありがちな何か頑張っていれば報われるみたいな場面がない。見て後味の悪い映画、という評判に偽りはない。凝った部分もあって、良くできてるんじゃないかと思う。ただ、感想に困る。映画の感想というのは面白いか、つまらないかの二択で十分と思ってる。こういう感想文書くのは脳トレみたいなものなんだけど(にしては真摯に書いてないというご意見はなしで黙れこら)面白かったです!では何かこう物足りないと自覚がある。しかし言葉に存在してないのでしゃあないじゃないか。何か言葉を作っていいのか。だったらこの映画の感想はo͍̫̥͖͉̬͍̠̐͌͞ḵ̶͍̼̽̂̎̐ͫͮe̸͍̭͈͔̣̦̮̎̾̆ͫͨ̅̀ ̢͇͖̟̟͔̱̫͙ͭ͑ͧt̯͔͌̏͜h̵̛̖̩̫̳̠̭̃͑̐̊ͣ̂̚͟e̴͚̭̥̜̙̠͈͉͉͊ͥͧ͑ͦ́ ̵̘̜̥̗̽̋ͥ̀hͪͤ͗̆̔ͫ̋͏̵͏̪̮̩̮̖i̧̛̜̾́͒̚v̈́̈́̿̀̄͏̥͕͍̯͍̙͍̰̕ȩ̡̭̬̲̤͕̃͗̕ͅ-́ͫ́͏̞͚̠m̲̖̈́̄̅̒͟i̳̻̠͔ͯ̌ͦ́̀͟ņ͙̬̯̹̱̤̰̹̈́̇ͬ̊́̏̌d̨̖̟̥̱̤͇̦͔̳̾̐̇̌ͦ͟ ̫̗̰͕̫̤͓̥̓ͭ̓̔ͥͦ̃̄͛r̸͖͆̇ͅę̴̗̲͓̳̭ͮͪ́p̪͈̺̮͉̘̰̗̑̿̅̽ͩr̥̻̠̀ͫ̇̐̓̽̿͌͝e̶̻̯̲͖̼̦̅̒͊̈́ͅş̡͚̼̲͉͋ͤ̄e̢̛̮̘ͣ̈́̊͗̾̇͊n͉̦͙̯͎̳̿͋̀̀ͮͅt̵̴̴͈̳̮̩̥͕̻̻̓̑̌̾iͣ̿̒ͥͮ̆̌̉͏͇̝͜ͅn̫̘̤̞̫̯̰͛̀͆̓̃̑g͖̝̠ͪ̎̿͑͊ͭ͡ ͕̲̯͉̩͖̦̗ͨ̏̇̕c̒̓́͊̉̾͏͖̞̹̳̞͞h̢͎̥͍̲ͤͭ̃̈́ͩ͞a̤̺̹ͬ̆̃̊̈́͂ͤŏͤ̓̑ͭ҉̸̻̯̜́s̵̮̞̙̰ͤ͒͋͂̽̚ͅ.̃̋̂̔̒̃̕͏͔̟͔͖̤ͅ
    ̧̣̙̞̤̱̱̭̪͈͒̌̋́ͬ̇͐̃͂́I͊̄̈́̔͛ͣͧ͏̫̹̝̦͈n͔̰͙̤͙̣̪̣ͤ͝͝vͦͥ̐ͥ̅̌̔̚͏̻̪̟͉͎̥̬̻ȍ̲̜̝̘̼ͦ̄͛̇̊ͬ̎͂̀k̬̭͍̲̪̱̱̪̑ͭ̒̀͢iͧͫͦ̄̽ͩ̅́҉҉̷̜ṅ̗͓͇̎̂̊ͥͭ́g̵͔̲̠̳̺̝ͯ̊̔͌ ̟̙̹̰̽̌ͣͣͮ͢͜t̟͗h̶̡̪̺̖̭͒ẹ̵͛̃ͬ̀̉̌̓͟ ̠̹̤ͬ̌̉f̶̛̦̥̲͍̱̜̂́͐ͥ̋̅e̷̢͔̣̟̽͂e͊̃̇͒͘҉̩̲̘l̷̛͍̤̘̲͙͌ͦ̑ͬ̾̀̆ͣi̗̳̲̰̞̫̫̣̇ͫ͡n̢̬̪̫̟̪͉ͦ̔̆͟ͅͅģ̛͍̩͈͖̆ͤ̍ͧ͠ ̱̼̳̙̟͖̰̿ͮ̈̀͠ớ̰̯͚̣̲͌̅ͩ̎̊͗ͬ͋f̸̵̟̭̯̞̺͙͂͜ͅͅ ̞̍͂̃͑̿́͘c̤̭̭̳̖̤̬̿ͩh̭̮̪̐̀͋͘͡á̵҉͉͖̬̭̪͟o̶̰͎̪̝̼̗̭̓͑ͬͅs̩̭̲̼̘̘̫͊́̔̓́.̝̤̱̟̫̻̩͓ͧ̽̿ͨͧͦ̊͜
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    ̜͓͔͉͈̮̠ͭ̃̀ͣͦ̊͂T͕̼̜̩͊̿ͬ͌͟ͅh̸̢͉̯̣͍̲̙͚̃̾̌̑ͮͬ͞ě̳̥̠͘ ̛̱͓̗̤͎͑͛̽N̮̝̖͓̭̄͊̀̅ͦͤͧ̀͡e̔̽͗̄ͧ̔̑҉͖z̞̠̰̖̣͂̌ͧͮ͗͗͘͘͠ͅp̶̛͎͎͉̞̥̲̪ͣ̓̀ͧ̍ͅe̿ͪ͆̉ͫͪ̚͏̨̼̳͇̩͖r̈ͭ̉̄҉̡̞͢d̢̬̯͈̰̮̱͇ͦ̈͠i̶̜͔͙͈ͤ̿ͪ̈́ͬ͊͛͌̚͘a̸͙̬̗͌n͈̜̑̎̐͝ ̧̮̼̜̞̞̐̈ͤ͗̊ḫ̵̡͈̹̹̗̭͇̥̇͂̔̀̐ͯi̵̛͓̼̥ͬの一言につきます。

    ところで最後のほう、モロにチンコ映っててえええって思ったけど、どうも場面から考えて”本物”ではないよな。双頭のアレだろ。アレ。

    アレの話で〆。

  • どくしょかんそうぶん

    “シベリア超特急”を観た

    曰く、「B級映画ではカルト的な人気を誇る」のだそうだ。

    そういうのを目にすると、ああ、よくあるアレね、と。ツウ向けとかそういうの。なんかこう、ネガティブな心象なんだよね、その言い回しだけで。若いころは好んだもんだけどもどういうわけか、しっくりこない。例えば隠れた名店とか言いながらも、堂々と紹介していくグルメTV番組を見たときみたいな。大声を出しているのはそっちではないか、何が隠れた云々だと。

    そんな鼻息荒くすることでもねえんだけども。これら宣伝文句のいじくりまわしが言い訳に聞こえてしまう。そしてどこか嘘くさい。そら見る価値無しです!とは宣言しないわけで、なんだって微妙に嘘ではあるんだが。そういう意味では…「スタッフロール終わった後に起こったことは友達に話さないでください」などと冒頭に書いてるこの「シベ超」は正直なのか。

    実際、「商業的には滑ったが作品としては傑作」というのはちょくちょくある話。この「シベ超」もタイトルが記憶に残っているほど何度も耳にしている。ツウじゃなくても見る価値十分。前書き以上~。

    結局、見れば確かに納得の出来であった。間違いなく「B級」であり、カルト的な人気と言われる何がしかの「ツボ」の存在を確信できる。人に勧めるなら自分もこういう言い回しになる。いやこれ面白いよ!ってまた、嘘くさい…。

    この映画にはいくつものバージョンが存在するようだ。見たのは「劇場公開完全版」となる。作品のカテゴリーとしてはミステリーになるらしい。ならばいつも通りにネタバレ注意と書いておきますが、まあ20年前の映画だし…。

    B級である所以。明確に安っぽいセットで撮影されていることがすぐにわかる。監督も兼ねる水野晴郎の芝居の素人っぷり。これには誰も異論はないでしょ。調度品まで安いのが良く分かる。個室のドアなんかぺらっぺらで押し倒せそうである。…まあ実際の当時のシベリア鉄道もそんなものだったかもしれない。ベニヤ板の仕切り。

    ミステリーとしての出来栄えはどうだろうか。特にミステリーが好きでもないもので良く分からない。ミステリーであるからには作中でその「謎」の部分の解決が為されるんだけど、個人的にはトリック自体には納得がいった。まあシンプルな謎解き。もし何度か見直せば何か不自然だったりするのかもしれないけども、ここにB級の空気はなかった。

    この作品で何よりも一番印象に残ったのは、唐突ともとれる「反戦」の主張だろうか。作中の展開で表現するならばミステリーの解決後、明確にストレートに「反戦」というメッセージが主演の水野春郎の口から語られ始める。この発言が出るまでの映画中のストーリーの流れは不自然でも何でもないんだけど、なんだろうこの違和感というか。こういうのも演技力のせいか、あるいはこの違和感がB級の所以なのか。エンドロールに至っては何かドキュメンタリーを見たかのような印象。ああこれがテーマなのね、と納得はできる。見始めの時には思ってもみなかった。「シベリア超特急」というタイトルではなんとも想像しがたく、驚きであった。

    そもそもこの作品の舞台は、実際に、欧州でヒトラーと面会後、シベリア鉄道で帰国したという山下奉文の行動を基にしている。事実、この後、世界は戦争に突入していく。世界大戦前夜という時世にあり、戦争が作品のテーマに絡むことは自然なこと、あるいはもう本命と言っても良いのではなかろか。それが何でこんなにも奇異な主張に映るのだろう???これだけ印象に残るのだからテーマを伝える事には見事に成功していると言って良いのかな。

    数日に渡る否応なしの行程。様々な事情、思惑を抱えた人間が、同じ場所に押し込められての旅。壁一枚の向こうで何を考えているのか。そうこうしているうちに、列車は否応なしに目的地に着いてしまう。降り立たねばならない。あゝ人生とは、世界とはそんなものなんだろう。ゆらゆら揺られて長い長い旅をしているのだと…。そしてどこかで放り出されて散り散りになって歩いていくのだ。ちなみに、走行中の列車の中が舞台に関わらず、画面が揺れる演出がないこともB級としてのツッコミどころ、らしい。

    作品は冒頭に予告されたどんでん返しを迎える。パターンとしてはあるんだろうな、という展開だけど、あまりのことに脳みそ止まるかと思った。一応のテーマの繋がりはある。さらにもう一回のどんでん返しで、もう好き放題だな、と顔がにやけてしまう。ここで、映画に入ってからの冒頭の場面が何だったか判明するのだが、もう本当にびっくりしてしまった。もしかしたら、映画のハードコアなファンからしたら「ベタ」でサムイのかもしれないけど、自分はすでに見たことがない展開に脳みそ発熱している状態だったので、これはもうね。( ゚д゚)ポカーン

    やがて映画は、映像の再生が止まるという意味での、本当の最後の場面を迎える。満面の笑みでカメラ目線で語られる、「やっている事と現実は別か」という台詞。やっている事とは?現実とは?

    以前デビルマンを見た時にも、ニヤニヤしながら見るつもりであまりにも露骨に酷いのでなんだか却ってシリアスに見てしまった。本作もそういう心持ちでいたものの、予想以上に、というか全く予想してない方向から衝撃を受けて、これまたニヤニヤなどできなかった。上記の文章もそんなノリでは書かれておりますが、実際、B級たるツッコミどころは多い筈だ。自分がガサツでおおらかなので、気付きもしない点も多かろうなあ。それを乗り越えてきたデビルマンは格が違げふんげふん。

    本作、水野春郎の壮絶に濃い情念と愛情を感じざるを得ない一作。もうこれは、魂に染み入る傑作である、と言わせていただきます。なお、このレビューを書くにあたりネットをごそごそしていたら、下記リンクの「ファミコンみたい」という表現が実にしっくりときたことも合わせてお伝えいたします由。

    http://cinema.intercritique.com/comment.cgi?u=1791&mid=3666

  • どくしょかんそうぶん

    The mistを見たのス

    最近映画見てないな、ということで。それ以外に見る動機はないのか。「後味が悪い」という評判だけで見てみた。具体的な評価は果たしてその通りか否か、という反応が書けるのでやりやすいですかね。

    うーん…。以下ネタバレなどありますが、なるべくは隠す感じで。

    個人的に「後味が悪い」とは思えなかったけど、いわゆるバッドエンド系。鬱になる系。

    極限状態の人間関係をうんぬんという映画。その状態で人々が取る行動が、まあテンプレなのかこれがリアリティなのか。田舎町という設定が何かこう、人物像に絶妙に効いていた気がする。お約束のようい聖書を振りかざすキチガイの仰々しい演説は、自分はキリスト教と深いかかわりなく生きているのにも関わらず、それっぽいなあと理解できるあたり、ゲームや映画の見過ぎだろうか、あるいは世間の常識か。これが映画を見る嗜みか。

    どろんどろんの人間描写でくたびれるかと思っていたんだけど、もっとパニックムービーっぽいというか。思ったよりもSFチックなのは原作者がスティーブン・キングだから?。実は見た時点では原作が彼だと知らずに見ていたけども、出てくる「敵方」がどれもキモく、ゲームみたい。その姿が割と序盤で明らかになったのは意外というか、映画の設定上最後まで謎なのかと思っていた。だからこそゲームみたいなのが出てきて、ちょっと拍子抜けしたというか。正直ね。

    最後のシーンの一連はちょっと説明がつかないかなと思っている。確かに見ていてリアルに背筋の寒くなった稀代の名シーンと思う。「彼ら」が突然登場してちんたらと歩みを進めているが、あの敵方の見上げる様な、モンハンに出てくるような「アレ」はどう処理したんだろう?そこの理不尽さもまた味わいか。

    作中に出てくる台詞で、「人は恐怖にかられると何でもしてしまう」というのは、エンディングの場面に繋がるのだろうか。エンディングの登場人物は、「アレ」を目撃するにあたり、もはや恐怖からは遠いところにいて、達観か諦観か、実に「理性的に」行動を決めたかに思えた。しかし実はあれは恐怖に駆られていたと。来るべき結果から、恐ろしさのあまり逃げ出したに過ぎないと。倉庫に並んでいた二人もきっと。狙ったものだとは思うけど、構成が家庭だよな。母と子、父親、祖父母。

    我々も日々恐怖に駆られて生きています。大袈裟な、という人には不安から逃げつづけて生きるといえばよいかしら。求めるものは安堵なのです…。さあ何に縋って戦いますか、逃げますか。ああ、霧に囲まれた小売店こそ我が人生の全て、乾物の棚の裏で倒れる人を救えない、恐怖のうちに飲み干すお茶は美味いか?昆虫を踏みつぶした靴底を洗おう。

    —-

    さて次は何にしようか。

  • どくしょかんそうぶん

    筒井康隆 「聖痕」

    当然ながらネタバレ満載なので未読の方は…と言いたいところなんだが。以下、男性器官のことをちんこと表記しています。

    小説と言われるカテゴリの読書は久しぶりだった。前に読んだ”小説”はなんだったろう…?

    それは#$%&が燃える温度 « 殯、

    華氏451だった。三年も前だ。あまり面白くなかったと記憶しているが、上記の自分の文章の投げやりっぷりは一体どうしたことか。いつものことじゃねーかと思われた貴方はツウですね。一杯お付き合いを。葉月という店が良いでしょう。

    主人公は幼少時にちんこを切り取られるという目に遭う。という事件が作中そんな重大な要素だったのかわからなかった。この件に関して、特にアクシデントが起こらず物語は終わる。もちろん何一つ起こらないというわけではないんだけども。作品のタイトルにするほど何かあったか?絵はサザエさんでもいけるような、どこかほのぼのした世界を感じてしまったのだが、はたして。

    ちんこがない故に形成される性格、あるいは何か医学的根拠のある特質というものが実在するのかは知らないが、作中では声変わりしない、ヒゲが薄い、性欲がないといったあたりが具体的に書かれている。葉月の従業員室を知人のセクロス部屋としてあてがってしまうのは、そういう性格によるものだろうか?だからといって、それに関したアクシデントも特に起こらずに物語がすすんだ印象だ。平穏である。さも当然とばかり。磯野家だな。カツオは波平に歯向かわないし、マスオさんは酒場で酔客に滞空時間の非常に長いドロップキックをくらわしたりはしない。

    知人達がご自慢のレストラン葉月で逢瀬をしててもへのかっぱ。これはではちんこの有無による人格云々ではなく単なる阿呆だと思うのだが。

    最後の台詞も「ちんこがないからこれまで好き勝手出来ました」という意味にとれるだろうか。順調な人生の物語でした、という印象だけが残った。うーん。なんだこれ。氏の「旅のラゴス」という作品を確か読んだ事がある筈で、特に何も覚えてないけど良い雰囲気だったと記憶している。そういうなんとなしに心に引っかかる現象となるの、面白いもんだと思うのだけど、この作品は何とも感想文を書くのに困る。残らなかった。

    あるいはどこかに記述トリックのようなものでも仕込まれていたのではないか、と勘繰ってしまう。読み直す気力も時間もねえわーい。

    書くことに困ったから嘘でも書くか。主人公は異星人に襲われて失ったちんこを取り戻すため、銀河の彼方へ復讐の旅にでる。全世界待望の沈黙シリーズ最新作。沈黙の陰茎。May f#$k be with you.

    わははははははは。面白くない。以上でーす。