どくしょかんそうぶん
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それは#$%&が燃える温度
収支、などというけど、平凡民、昨今の社会事情では貧民層に分類されるワテクシ、お給料しか稼ぎがございませんで、そら、計算も、引き算だけになるっつ塩梅で、どうもね、定期的に増額されるものの、計算上は減ることばっか考えてるってえ塩梅で、どうもね、穴の開いたバケツ、鼠の暮らす蔵って塩梅で、どうもね。しかしながらそのバケツ、どこに漏らすかをこの手で動かして選べるって塩梅で、どうもね、世界はそれを自由と呼ぶって塩梅で、どうもね。
その穴がちょろちょろだから、どこに撒こうか、なんて心配もしていられるつううもんで。この世界にはもっとでけえ穴を抱えながら右往左往する人がいて。会社経営なんかそうなのでしょうね。ずごごごごごごごごと水が入って、どばばばばばばばばばと水が流れ出ていく。もはや動かすこと叶わず、溺れる覚悟で潜って穴修理するなり、そんなもん脇目もふらずにもっと水を!!水を!!みずーーーーーーーってまあ。
これが落語なら穴の無いバケツに喜んでたらすっかり干上がった、というのがいかにもなオチ(サゲって言うんでしたっけ)なんだけどなー。怠けてねえで働けってな。ああちょっと書いてみたいな。だれか書く人いねえか。安敦誌の人とか一筆どうですか。
みんな水の漏れてるバケツを抱えて走っているとしたら、現代社会はビョーキだろうか。しかし世界は乾いている。漏れた水こそが、我々の生きる糧を育む。燦。水が漏れねば世界は燃え上がる。どばばばばばばと垂れ流しのたうち回って暮らすことこそ、是としなければならぬ。ビョーキなのはこの世界のほうなんだと認めることを、ある人は「神は死んだ」と表現しました。落語なら没だクソが。
遠く我々の祖先が陸に上がって以来。そういう機関でしかない我々。安いSF。士農工商犬エスエフ。筒井康隆。水筒。出納。ほら話がつながった。お前の札束が燃えたら、水をかけるの?もっと札束持ってくるの?
それはお金が燃える温度。
というわけで。華氏451を読んだ。自分は華氏911の方を先に知ったので、いつか読んでみるかなんて思っていたんだけどようやくここで。感想文。この本に限らず、事前にあらすじとかどういう作品か、とはそんな情報は充実しているもんだ。「昔のエスエフ」という視点が抜けぬままに読み終えた。焚書とか検閲とかそのテが好きそうな人が好みそうな紹介ばかりされているが、その部分がそんなにキモだったとも思わないというか。書籍の内容を有害として焼くというのが国家によりもたらされた世界とみるならそれはそれで良いし、作中に出てくる壁テレビの思惑というならそれでも良いし、まあ足しても良い。人間は自由を求めて戦うものだ!という文学の世界の鉄板ネタ、一昔前のIE6でも崩れないCSSみたいな感じ。どうでもいいね!
で。やはり昔のSFだなあと。当たり前だけど作中の「本がなくなってしまう!」みたいな危機感にリアリティない。今は「電子書籍の世の中が来るぜよ!」詐欺からちょっと歩み出た感じ。それでも紙という素材のメリットは一切失われていないのがすごいなと思う。燃やせば消えることが圧倒的な利便性なのだ。インターネットにより、各種『思惑』の保全はとても簡単になり、また一方で、廃棄は不可能になった。(ああ統制とは甘美。エアーズロックにノミを打ち込め)また、「テレビによる文化の破壊」は成功したかはわからないけど、ターンは終わっていて、(日本だけかもしれないけど)死にかけている。廃棄は有料になった。
インターネットが何もかもぶっ壊している。自由の筈のインターネットが、華氏451の世界になぞらえると、どうも本を焼く側にいるようじゃないかと思える。インターネットは、捨てるという自由を奪った!!無かったことにする、人類の知恵を。猿のメディア。いいねボタンを一億回おせば英雄!
Favorit 10000000+ それはブログが燃える温度。
空のバケツ被って窒息死ぬしかない。穴の開いてないバケツで。
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BASTARD!! 27巻 発売!
あまりに驚いてブログ書いた。バスタードの新刊が出るらしい。ほえー。
ここ数年、MMOの開発中止だったり、同人の宣伝に本体商品のページ割くなよwとか、まるで良い話題のない作品となってしまっていた。作者は結婚したらしいけど。ストーリーも破綻とまではいかないけど、なんかこう・・・ねえ・・・。この27巻も延期という扱いのまま過ぎること数年?ここにきてようやく発売の一報が!!気づかなかったわー。26巻以前は捨ててしまって話の繋がりが良く分からない。だから何となくの惰性で読むんだけど、ここまでくると看取りたい、みたいな感情がわいてきます。あー、これを愛着というのですか。
ダッドリー使うときも心はコンロン、そんなピザジェッパでありたいです。ヨウヘイスペシャルで10割!
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ミッション・インポッシブル2
年末らしく朝もはよからぐでーと映画をみた。
トム・クルーズの「ミッションインポッシブル2」で御座いました。リンクはamazonでござい。感想はというとー。以下ネタバレー。普通のアクション映画。最後には人と人の殴り合いになって、ジャッキー・チェンごっこ。あっちでどかーん!こっちでどかーん!隠密スパイ的行動がメインの映画も見てみたいなー。
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人生画力対決
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実写版 映画「デビルマン」は評判どおり・・・か?
緊急
amaoznプライムビデオでこの作品が見れるようになっています。(2018/3/16現在)amazonのプライム会員の人は無料で見れるという事です。絶対に見ましょう。スマホでもamazonプライムビデオの公式アプリ入れれば見れます。
追記:検索からいらっしゃる方が多いので、追記。結論から言うと、映画の内容は評判どおりで、その突き抜けた評判を体験するために是非とも見ることをおすすめします。プライスレスな価値がある。
世界でも有数の映画大国、日本。(←ひとむかし前のことかもしれないけど)その日本で圧倒的な評価を得る映画、「デビルマン」を見るとする。その評価はどのようなものか、知らない人のために書いておくと、著名な映画批評サイトではこのような圧倒的で揺るぎない評価を得ております。また、世界一有名なネットショップでもお買い上げ、あるいは映画館でこの映画をみたような方々に、圧倒的な、このような評価を得ております。リンクを踏まずにこの映画も知らずに続きを読む人の為に言うと、「クソだクソ!うんこ!!」という評価を得ております。圧倒的なまでに。
となれば当然、見たくもなる。いつか見たい見たいと思っておりましたが忘れていて、この年末に思い出したものですから、まあ、今年のネタとして消化しておく必要があると感じまして。DVDを手に入れてしまいました。見てしまいました。以下、簡単な感想などとりとめもない感じで。ちなみに、自分はデビルマンの原作漫画は読んでなくて、普段から映画もそんなに見る方ではない、かつてあったというデビルマンのテレビドラマは見たことが無い、アニメ版のデビルマンと、とんねるずのパロディは見たことがある。といったあたりを含めて読んでくださいませ。
以下ネタバレ的な可能性あり
映画を見始めてほどなく、主役の芝居がうんこであることはすぐにわかった。役者個人の演技力というものがこんなに大事だったとは、映画や芝居に詳しくない自分には新鮮な発見ですらあった。テレビドラマもほぼ見ないからなあ。この主役の演技力という点はあらゆる方面で酷評されている。自分が感じたひどさも決してそのバイアスなんかではないと思う。今までの人生で見た映画はわずか100本ほどではあるものの、こんな違和感を覚えたのは初めてだし、戸惑いもした。
ちらりと著名人が映るような演出をカメオ出演というらしい。この映画ではふんだんに出てきて、そこも批評の対象であった。意味もないのにあまりに多すぎるという文脈の批判が殆どで、この点にも完全に同意する。例えば、ボブサップが出演する場面。なんで英語ニュースなんだよ。ボブサップが英語を話すから?それ以外に理由は見当たらないが、無理やり大人の事情で出演させるなら良いアイデアだとは思う。準備すらいるまいw 小林幸子はなんだったんだ。きたろうは。konisikiは。このぐらいしか分かったのはいなかったけど、探せばもっといるのかもしれない。田んぼで捕まったの、鳥肌実じゃない?→調べたらそうだった。酷評されているほどには、自分は気にならなかった。こういうジョークだという理解。傑作である原作の雰囲気を損ねるのではないかという意見もあるだろうけど、その原作を読んでいないわけでして。ただ、プラスになっている点は微塵もないことは間違いない。
映像は結構頑張っていた気がしなくもない。夜空を飛び回って戦うところとかね。ところが他の方々の批評を見ると、「時代に十年ほど遅れている」といったような批判が浴びせされている。「初代プレステのゲームの方がまだマシ」とか。自分は新しいゲームに疎いのでその批評についてはピンとこない。小道具とかの安っぽさという点も批判するほどのもんでもないと思った。これについては、自分の中に「日本の映画だからこんなもんだろう」という思い込みがあるし、もっと酷い点がなんだそのえーと満載で。
シナリオも酷評されまくりである。原作読んでないから設定上のツッコミどころみたいなものは個人的にはない。学校からオープンカーで帰るのは吹いたが、原作もそうらしいからまあしょうがない。原作があるのにシナリオが酷いってなんだろう?と思ったが、自分の知っている「シナリオ」という言葉が、批評を良くやるような映画ファンがいう「シナリオ」とは違う意味なのだと思う。
そういうわけで、以下の点がシナリオの問題という範疇に入るのかわからないが、この映画は全体的に「あれ?なんでこの場面になってるんだ?」みたいな展開が多い。カメラワーク云々といった技法的な話はわからないけど、同時刻別場所の話なのか、同じ場面で時間が進んでいるのか、といったところが把握しにくいというか。この点に対するツッコミはこちらのサイトとかまとまってて面白い。CGじゃないならば、作中に出てくる場所に実際に移動して撮っている筈で、「なんでここで撮影してるんだ?そんな展開あったっけ?」みたいな疑問は現場でなかったのか。
そして、「棒読みの台詞」がもっともシンプルに突き抜けて酷く、酷評喰らっている点だと思われる。こんな適当な言い回しでいいの?って思った。感情を込めないという演技でもない、単純に下手なのだということが誰が見ても分かるレベルって尋常じゃない。「おれーでーもんになっちゃったー」は酷い。平仮名でこのニュアンスが伝わる日本語文化万歳。戦闘の場面でも気の抜けた声で「やっ」「ふっ」「ぐあ」とかやっている。どうせアフレコなんだからもっとなんとかならなかったのかこれ。
ああもう感想文もいいや・・・評判どおり、うんこでしたー!!!うんこうんこうんこうんこ
正直に言うと。原作も見てない、日本のテレビドラマも見てない自分には、ありとあらゆる酷評を受けている作品といえども、もっと素直に受け取れる何かがあるんじゃないか、なんてと思って見るつもりだった。もちろん「うはwwwほんとに酷いwww」というのも期待していたけど、後者の期待だけが叶えられた。
この作品の一番の謎は、実際の作成現場である。映画の撮影現場、大量の人がいるだろう。予算十億円の映画、それなりに腕利きのスタッフも、現場のプロもいるだろう。そもそも監督。嫁に脚本書かせた手前自暴自棄になったのか?なんでアレでOKになるんだ?現場の士気の低下っぽりが目に見えるようで怖い。さも当然のようにDVDの特典にはメイキング映像はついてない。出せる分けない。
やっぱり特筆すべきだと思うのでここで改めて一つのシーンについて書いておくことにする。作中、研究所の水田?で、稲刈りをしようとしたときに、デビルマンが腕の鱗?みたいなものを、隣の人に見咎められてしまったときの演技が凄まじい。天を仰いで「あああああー」・・・・はあ。叫ぶとか表情を作るとかもない。これが叫び声ならば何かあったかと思うのが人間の仕組みというやつだろうが、これは全く異質なものだ。これが下手な演技だったと理解するにすら少々時間を要する。気づいた後には大げさに言えば寒気を覚えた。酷い、という前評判前提で見ていたから、何か気になる場面があってもニヤニヤしていたんだけど、この場面は眉間にシワが寄った。
まとめ:一つ。やはり映画には俳優の演技力が必要。せめて主役級は俳優を出演させてください。自分は今まで、映画なんてせんべいでも齧りながら気楽に時間つぶしするようなもんだ、と、思っていたのだけど、そんな風に見ていても結局はそのすべてが作り出す作品世界にのめりこみ、心奪われていたのだと思い知った。そういうことがこのデビルマンを見ることで気付いた。・・・この・・・・悪魔めっ!!!ざわ・・・。
【追記】原作の漫画も読んでみたけど、残念ながらさほど面白くもなかった。まー古すぎんだよな、もう。