どくしょかんそうぶん

  • どくしょかんそうぶん

    「Cast Away」を観た

    ネタバレ。うぃるそーん。

    たまたま航空機事故で即死を免れ、孤島に辿り着いた人のお話。それだけなら映画以上に強烈なものが現実に幾らでもあるので、内容としてはハリウッド謹製ヒューマンドラマになっておりますね…。島での荒天や大荒れの海なんか如何にもCGです、という映像に脳内レビューで言葉を濁していると2000年の作品。ま、そんなものかな、なんて。えらそーに。映画の最後も主役の表情アップで〆。個人的には視線の先はwilsonだったと思いますわよ。

    この映画を見たことによって、何かの時に「うぃるそーん!」と呼びかけるというボキャブラリーが増えた。一般受けや王道とは習慣や風土ほどに実用的なのです。好きなものに拘りを持つなんてどうでも良いことなんだなと実感すること頻りな近年で御座います。ゆるくいきましょう。代わりに嫌いなものにはうるさいです。

    映画を楽しんだかどうかはお察しですねこのレビューでは。

  • どくしょかんそうぶん

    「隠し砦の三悪人」を観た

    今回もamazonプライム映画での視聴、…と最初に断っておくのは、どうもこの画質が実に素晴らしいという声がレビューで多く見受けられたので。確かにきれいだった。

    以下エントリ本編。ネタバレ。まだ作品を観た事が無い人はここで読むのを止めて作品を観ることをおすすめ。

    楽しい。すっげえ楽しい映画だった。どういう言葉で表現しようか思いつくまでずーっと考えていて、ようやく思いついた。痛快。おーこれだ。紛う事無き傑作。そうだよな、映画って娯楽なんだよなあ、一昔前はみんながこぞって楽しんだ娯楽なんだよなあ、と改めて思う…。今だって娯楽の大手には違いないが、こうしてインターネットの仕業で他にもいろいろ娯楽が分散されておるからね。

    黒澤明云々という点は特に思い入れがないけど、氏の作品でも特に人気が高いと評判。納得できるなー。映画の内容が、なんというか難しくない。分りやすい。そんな作品他にいくらでもあるだろって自分でも思うが、兎に角いろいろ分りやすい。なんだろうな、この簡明さは…ちょっと説明できなくて、不思議な感じすらある。

    観てる途中にも思ったけど、農民二人がなんか落語なんだよな。欲深くてあわてんぼう、早とちりに臆病者で身勝手。何かをしでかすものだから話はどんどん転がっていく。こいつらが何かすることで「そらそうなっちゃうでしょ」という事態に陥り、しかし場面が少し進むと観客が思った通りの展開にはならない。おーそうなりますか、と。「こりゃもうだめか、どうすんだろ」という状況が、特に何もせずに好転するが、それが言われてみればそうなるよね、という…特に説明もないのに納得できる。なんか見事なものだなあと思う。これが脚本の見事さということなのかなあ。

    具体的には以下のような流れが特に。人買いに売られた娘を買い戻す→逃避行に人が増えてどーすんだよ→馬売ってくれと頼まれてしまう→運ぶ足がなくなったじゃねーかよどーすんだよほら追手が来た→「良いか!お尋ね者は男三人に女が一人!馬を連れている!」

    火祭りのシーンの美しさも突出している。ここらはモノクロの効果もあるだろうか。多くの犠牲を払い、自らも危うい目に遭いながらここまで運んできたものが、祭りの供物として燃え盛る炎に放り込まれたというのに、姫は嬉々としている。啞という設定で人目をごまかしてきた姫は笑顔で祭りに参加して笑顔で掛け声まで出している。一方百姓はおどおどしている。

    戦国の世に生まれた姫君として、もはやこれまでと覚悟を決めた潔さか、あるいは16歳の男勝りの箱入り娘として、初めての(かはわからないけども)世俗の祭りの楽しさに心を委ねたか。あるいはまた身を隠すには絶好のシチュエーションが訪れた事だし…。後に敵方に捕らわれ、姫はそこでこの決死の逃避行、楽しかったと語る。この旅で人の美しさ、醜さを見たと。

    この名場面で、まさに心奪われている時に、祖父の訃報を受け取る。…リアル人生のイベントは時に出来過ぎですね…。amazonプライムのいわゆる「レンタル」は視聴時間の制限付きというシステム。東京に戻ってきてからまたレンタルしなおして続きを見てこれ書いております。

    この当時の俳優・女優さんとか流石に全くわからない。名前をググってみても、多くは故人となっている。三船敏郎もあまり知らないというぐらいに自分は疎い。雪姫役の女優さんがとても印象に残ったが、調べると黒澤明に抜擢された素人だという。ほえー。二年ほど活動し、自ら才能がないと引退。ネットを漁っていたら随分貴重っぽい動画を発見。

    以前、誰かに勧められて「羅生門」を見た時も、なんだかうまく言えないが確かに面白かった。どこがって言われても困る。傑作は感想文に困るんだろうか。旨い物なんかもそうだよな。少なくとも自分はそうだ。文句が出ないから大人しい。んで何度も同じ定食食いに来る、みたいな。

    「隠し砦の三悪人」は映画であるから、何度も見ることはないけども、思い出すだけで箸が進む。いやー堪能した。お気に入りの映画に並べさせていただきます。

  • どくしょかんそうぶん

    「気狂いピエロ」を観た

    なんか最近読書感想文ばかり続いてますね…。

    これ、公式な情報としてどこをあたればよいのか不詳だが、どの情報を参照しても「きちがいぴえろ」という読みになっている。変換するなら「きぐるい」とタイプすることになる。この作品に関しては「気違い」という書き方は誤りなんだろう。これもまた時代である…のかな。まあそんなことは兎も角。

    「気狂いピエロ」は1965年の作品。1966年、ハッピ着たビートルズが飛行機から降りてきた映像だって白黒だというのに、この作品は鮮やかなカラーが印象に残る。監督のゴダールというのはなんか名前を耳にしたことありますね。作品自体の感想はこう…なんだろうな。そんなに面白いとは思わなかったけど…なにかこう、退屈はしなかったというか。まあ言葉に困るよね。難解だったわけでもない印象なんだがな。

    この映画を見た後、なんとなく筋立て似てるんじゃないか、並べて見たらこっちは〇〇だから面白いなんて筆が進むんじゃないかと思って「俺たちに明日はない」も見てみた。そしたらピエロのほうは何で旅してるんだっけ?みたいなことになった。そのうちもっと他の映画と混ざりそうだ。今度の休日に同時再生してみようか。パルプフィクションに挿入しても違和感ないんじゃねえの。何で時計を持ってこなかったんだ!とかあのへんに。

    こう…世界観の設定みたいなもんが強くないというか…。時代は感じるが舞台は感じないんだよな。突飛な発想や世界観を画面で再現する技法に乏しい時代だったから、…?うーん。インターステラーなんか引き合いに出してもしょうがねえか。

    言葉を探すのに飽きたからこの辺で感想文は終わりにしますかー。下書きのまま三か月も放置してればこうなりますよねーーーー。

  • どくしょかんそうぶん

    「インターステラー」を観た

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  • どくしょかんそうぶん

    能町みね子 「オカマだけどOLやってます。完全版」

    能町さんを最初に知ったのは、多分タモリの隣に並んでいるのを見た時だった。流浪の番組だったかもしれない。

    ちょっと人気が出るサブカル畑の人はわりとあの番組出てくる印象なので、「どなたかご存知あげませんが人気なんですかねえ」なんて。彼女が変換済みの人物だと知ったのは数年後、つまり最近であります。それまでに何度も動画を目にする機会があったのに、そんな点には全く気付かなかった。特に気付く要素ないよな、普通にテレビに出演してたってよ。そもそも知ったきっかけというのは、オネエタレントと報道され、それに反駁したというニュースだった。確かに、その意味のオネエではないわな…。

    そもそも能町さん、むかしはブログを書いててそこから分泌文筆業界に入った人、とのことで、そのブログ本を買った次第。この本を読むと、なんというか、真剣に困っていた様子が感じ取れない。なんと軽々とポジティブな。なんならこの人また男性に戻ろうとするんじゃないか、なんて思えるほど。医学的な診断だって、アルトベンリ~で受けたように読めた。

    もちろん意図してそういうふうに書いてあるものだろうけども、故に楽しく拝読。

    性というのは少なくとも哺乳類として生まれるからにはどちらか決まって生を受ける。それは生物個体の役割として不可分な役割に直結している。繋がりである群れにおいて、人類に於いてはもっと巨大な社会としては誰か一人が変える事なんてそこまで大きな騒ぎにならん、というのは分るんだけど。つまるところ人との関りは個人と個人だ。性別を変えるなんてインパクトが、神の摂理に反する云々、斯く斯く然々。しかし考えてみれば、見た目で変化がなければこちらとしてはあまり問題にならないケースが多いんじゃないのか。身の回りの友人知人を思い浮かべながら考える。このブログを書いてる人が法律上は女性だって知ってもみんな困らないでしょ?

    嘘です。おっさんです。いまんところ無神経にこのような冗談を語れるほどに縁のない世界だ。いままで、自己紹介で「男性です」と性別を言ったことも、言われたこともない。いつかそう確認しないといけないような世の中になるだろうか。

    能町さんは男性としてデートやお布団inなんてことまで体験している。こういう人が転換の決心するのにはこういう体験あるんだろなあ。その時の様子というのが…えーと、買って読みましょう。読もう能町みね子。