どくしょかんそうぶん
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“ヒトラー ~最後の12日間~”を観た
彼について触れることのタブーとか言われても、ピンとこないけどね。
以下ネタバレ。
当時はまだ部屋にテレビがあり、しかしインターネットもあり。当時のテレホーダイでモデムをピーヒョロ言わせてインターネットしていた。そんなある日の、その日付の変わるような時刻に。東風荘で遊んでいたら、チャットがにわかに騒々しくなり、今すぐにテレビを付けろと大騒ぎになった。そこで自分は二機目の突入を目撃する。朝までニュース見て、そわそわしながら眠りについた。あのテロからもう15年が過ぎた。まだ15年というべきなんだろうか。15年前、世界中に生中継までされた事件の真相がいまだに朧げだ。一応は首謀者と目されている男を、軍事力の権化みたいなことを言って殺害したと。
ところで1945年からは70年が過ぎた。(※この映画の公開は2004年)
アドルフ・ヒトラーはおよそメディアと歴史教育が存在する処ならば知らない人もいないでしょう…。この作品は敗戦濃厚になってからの彼の最後の日々にフォーカスした物となっております…。実際にその場に居合わせた人物の証言などを基に作成されていて、内容としてはまあまあ史実に忠実なもんなんでしょ。と言っても映画なので細かいところはいろいろあるんだろう。例えばこう…作中で、秘書となった実在の人物がヒトラーに対し強烈に敬愛し信奉する姿が果たして映画の演出なのか、過去に実際そうだったのか。だってあまりにも芝居臭いというか…。いや芝居なんだけどなんかこう、うーん。
実際にヒトラーの周囲にいた人はああいう感じの人も多かったのかもしれない。近年よく目にする話だがヒトラー治下の政策面に於いては、評価しうる点が云々とか。すべておじゃんにするほどの決定をしたのには総じて間違いないが、熱狂的な人気により政治的に不当な手段もなく(個人的にはそういうイメージ)独裁体制を築いたとされるほどには支持が篤かった。これもまた史実だろう。
あー高校の時世界史の先生が言ってたな。「我が闘争」とか単に努力家なだけで半端に成績が良いような奴が読むと、何かに染まってしまうとか。努力家ではなかったのですぐに読めば良かったんだがまだその機会がない。さておき。
第一次世界大戦に於いて敗戦国となったドイツの、見返してやらんとか早く元の生活に戻りたいとか、そういう期待のもとに、いわば正当な英雄でもあったヒトラーの最後の姿、ヒトラー役の人の演技が実に見ごたえある。そら特定のシーンがネットで広くパロディされもする。凄いインパクトだ。情熱のままに第三帝国なんぞ作りつつあった英雄が、徐々に疲れ切った老人になっていく変化も見事なものだ。ゲッベルス役の人の顔もインパクトが凄い。
こうなるとそう、同じように15年前に、我々は屈しないだのなんだのと宣った当時の大統領も、その生涯が英雄としてこういう映画にね…。ま、ならんだろうなあ。もっともろもろ明らかになれば何かね。「ルース・チェンジ」が正解だったなんてこともあるのかもよ。あゝ真実はまだビルの瓦礫と”茂み”の中にありて候。
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“The Usual Suspects”を観た
噂に違わぬ傑作。
ネタバレ致命傷なのでお気を付け。しかし見終わってからならネタバレ情報が最高に楽しい作品でもある。
これは見事。最後まで見た後に脳内で巻き戻してみると、何かこう納得のいく場面が、場面が…出るか??みなさん出ますかね?自分はamazonプライムで見たので、一時停止でも巻き戻しでもなんぼでも出来るんだけど、こういうの劇場で見た人はどうなんだろう…。あ、それでDVD売れたりすんのか?
一つの疑問が。wikipediaなんかにもあらすじ書いてあるんだけど、五人が一堂に集められて、「面通し」させられる場面。これ自体が黒幕の仕業であった、と作中で推理されるんだけど、ここでの内容に疑問が。一同がおなじ檻に放り込まれて会話していると、その一人から「仕事がある」と持ち掛けられる。その仕事から、さらに次の仕事、さらに黒幕からの脅迫とつながるんだから、その仕事を持ちかけるのは黒幕の手のものでなくてはおかしいのではないかと思うんだが?仕事を持ちかけたのは確か…。ここも”回想”だったってこと?
この映画、ある人物が問い詰められて回想している内容にそった映像で殆どを作っているのに、その回想自体に嘘が含まれている、という凄い大技を仕掛けている。全部嘘じゃ話が成り立たない。成り立つのかもしれないけど、映画としてなしだろ。一本全部嘘の回想でしたって。夢オチかよ。そんな筈ないだろ!ってツッコミがあったとして「だって嘘の話が含まれる回想の映像化ですから」で終わってしまう。しかしそれでも、実はその嘘(≒XXXは誰かという真実)に観客が気付く可能性がごく僅かに仕込まれている。これはネットで情報を見て、その場面をもう一度見返した。うわわわわわ、ってなった。ところでこの感想文書こうとして調べたら、アガサ・クリスティーが似たような事してて、そりゃないだろ!って論争になったんだと。へー。そういえば東京大学物語という漫画があってですね、あ、いいですかそれについては。
こういうミステリーとか推理もの、見ながら覚えることが多くて好きじゃないんだけど、最後の謎が解けたシーンは流石にうひょーーー!ってテンションになった。特に直前の一連のシーン。尋問をした相手が解放される→尋問した刑事が同僚?の机を見て、「散らかっているな机片付けろよ」→同僚「離れて見るとわかるんだ」→尋問した刑事がなんとなにし壁の掲示物を離れたところから見る→何かに気付く。
いやー堪能したわ。堪能してググったりしているうちに、あることを思い出した。この映画みたいに、あっ!って思い出した。そのままの勢いに、年末だし集まろうぜなんて旧友に連絡をとって集うことになった。あっ!て思い出したというのは、この作品をお勧めされた時の事。最初にこの作品を耳にしたのは、その旧友のグループの人物で、もう19年前だ。まだ大学生。卒業後に交流はなかったのだけど、映画で上がったテンションのままに勢いだけで声をかけたら5人集まってくれた。もうみんな社会人だから、ちょっとリッチに感じのいい個室の小料理屋。言い出しておきながら自分の選んだ店ではなかった。さて、この映画が傑作であったという話をするタイミングを伺う。いくらなんでもそのために集いました、ではなんかこう…。しばし思い出話が続くなか、もののけ姫みんなで見に行ったね、なんて話になった。ああここだ。「この映画、実際に傑作だった!」と切り出してみた。まったく以てみんなにぽかーんとされてしまい、長々と説明する羽目になったんだ。するとどうしたもんか、実は一人を除いてみんなこの映画知っていた。そこで、また勢いのままに、作中のあの「面通し」の物まねをして、爆笑した。順番に「キーをよこせチンコ野郎」って。阿呆なノリって青春なんだよね。
そしてその一人から「仕事がある」と持ち掛けられた。
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“Million Dollar Baby”を観た。
いつものようにネタバレネタバレ。
はあーネタバレ。
主人公は私生活はいまいち恵まれないながら、ボクサーとしては成功を収めつつあった女性。しかし試合中の”アクシデント”で自発呼吸もままならず、半身不随になってしまう…。この状況に耐えかねた彼女はトレーナーに安楽死を依頼する…。感涙ものの展開なんだけど、全体としてそればっかり扱ってる映画でもないので本編ずうっと安楽死について考える様な作品ではない。
“アクシデント”を起こした相手については何も語られることはない。何とか協会が治療費を払うなんてセリフも出てきたけどここらはリアリティを持たせているんだろうか。このようなシチュエーションになればやはり金の問題が一番。特にアメリカではそうなんじゃないかという印象が強い。なればよ…「ミリオンダラーベイビー」という言葉の意味するところ、ただ物体として生きるのにそれだけの費用が掛かるようになった、呼吸すら一人でできないこの、”赤ちゃん”のことだったりするのかね。
モーガンフリーマンが演じる元ボクサーは、現役最後の試合もこのトレーナーと共に戦ったが、意見が折り合わず、またトレーナーも正規のマネージャーでもないからタオルも投げ入れられず(作中の説明のまま。セコンドがタオル投げればそれで良いと思ってたんだけど、違うの?)、結果として元ボクサーは片目を失明する。そして今、トレーナーはこの”ベイビー”に、自らタオルを投げ入れることになる。
尊厳死だとか安楽死だとか、そういうものに強いこだわりがある人には見終わった後に言いたくなることも出てくるだろうと思う。自分はそういう判断あっても良いよね、と思うので、まあ作中の人物の行動がそんな奇異なものにも映らず…なんというか…。あまり重々しいテーマと思えなかった。むしろ映画なら良くあるんじゃね?ぐらいの。
感想文書くにあたって調べると、明らかにアイリッシュ系という描写をされている主人公とトレーナーが尊厳死を選ぶあたりが議論を呼んだらしい。厳格なカトリックの国で、自殺ほう助なんてありえないんだそうだ。ご丁寧にもトレーナーは作中で教会に足繁く通っている。この辺は我々が見たって知らんがな(´・ω・`)となってしまう。自分もう40歳になる。リアルライフで親兄弟親戚などがこのような目に遭った時にどうするのか、というのを真剣に考えたことぐらいある。本人の意思を尊重しよう。日本人ならほぼ全員これだろ。…でも実際はどうなんだろう。なにより自分がこうなった時にね?
なお、そういう話は御免だという人でも、”アクシデント”のシーンで再生を止めればロッキーみたいな映画として楽しめます。
というこのエントリを下書きにして保存している間に、祖父が重度の脳梗塞で倒れてしまった。呼吸ぐらいはできるだろうけど、作中のベイビーと大差ない状態になるだろう。会話はもうできないのではないか…。ああリアルライフはハリウッドのスタジオでなんて作られてないのね
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“まあだだよ”を観た
なんだこれ。
以下ネタバレです。
黒澤明の映画と言えば…。羅生門は見たことがある筈だ。モノクロ映画なんてだけで物珍しく、まあまあ面白かったんじゃないすかーなんてね。こちらの作品は…うーん。どうなんだ。まあ面白くはなかった。先生との交流を描く、ということなんだけど、あんまり交流って感じには思えなかったんだよね。世話焼いた、みたいな。何をそんなに尊敬する先生なのかね、ということは一切映画で出てこないので、何をやっても唐突というか。あれが先生じゃなくて社長でも同じなんでは。なぜこの人たちはこの先生を慕っているのかわからんのだもの。もしかして介護がテーマなんじゃあるまいな。
というツッコミが出るほどに、関わり方自体にはブレがない。
歌を歌いだすというのはとても奇異な行動だ。時代が違うという事で納得するしかないかそこは。でもやはりそこが薄気味悪いんだ。やーホント披露宴も忘年会ももっと静かにできないものかといつも思う。最近ではどうせ”社交的”なイベント扱いなので知らない人もいるから、黙っているなんて気まずくて耐えられない、そりゃそおだ、だから黙ってても気まずくない関わりの人って貴重よ。
…時代が違うんだよ、時代が。先生。
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“Back to the future”を観た
あまりに名作過ぎて、所々が何かに引用されているのを目にするうちに大体内容を知っている、という作品。ちゃんと見るのは初めてだけど、とあるシーンに見覚えがあったので子供の頃テレビで見たのかもしれない。さて…。
いちおう以下ネタバレ…なんだけど伏せる意味あんのかね。
やはりいろいろ断片的な情報が多すぎた。なんかこれ知ってる、みたいなシーンや台詞ばかりで、正直初めてなのに新鮮な感じがなく、ちょっと飽きてしまった。プルトニウム盗んでシリア人がてきとーな車にのってコメディよろしく奪い返しにくる、とか今なら使えない描写なんだろうか、なんて。ワゴンのルーフから適当に身を乗り出してライフル撃ってくるってw
この映画に限ったことではないけども、知名度の高いものは、その作品にまつわるものが他の映画やゲームに出てきたりする。こういうのはwikipedia見ると詳しく書いてあんなーやっぱ。lone pineって町の名前はゲームで見た事あるし、
最後も感動のお別れをしたと思ったらすぐに未来から戻ってくる、なんてオチまで知ってるんだもの改めて見るまでもなかったんじゃないかこれ。そんなわけで特段面白いとも…つまらないとも…。主演をチャーリー・シーンだと思い込んでいたら違ったのが確認できたというところが収穫か…。
ところでこの作品、1955年と1985年をタイムスリップする物語で、作中にもその30年の変化が現れている。なんでも、この期間中にロゴの変わった企業と契約して旧ロゴを出したりしているらしい。凝ってる。30年もあればそらいろいろ変わるが、事実、この期間にアメリカでは黒人に選挙権が与えられるようになってる。…そんなリアリティを出してくる必要は何処にもない作品だし、アイデアがあったとしてもやっぱやめておこうなんて話になっているかもしれない。ネタにしても際どいぜ、なんてな。賢明な判断だろう。
しかしあるいはもっとリアルな話で、—-1985年の映画公開時には、黒人なんて映画であえて登場させるものでもない、なんてみんなが思っていたのかもしれないんだ。実際ハリウッドとはそういうところだろう。#OscarsSoWhiteってハッシュタグも話題になったようだ。
1985年からさらに30年とちょっとが過ぎた。未来はどう変わっていますか、ドク?我々にはもう、次の30年が見えないんだよ…。