ふでのゆくまま
-
読んでる漫画が出ると楽しい
最近読んでいる漫画が何個か近い時期に出る。まあそれがどうしたという話ではあり、そのどうでもよさがタイトルに出ている珠玉のエントリです。
西原の作品でもこれが一番笑えると思う。らしさも満載。
話もクライマックス、という感じのあるハチワンダイバーも最新刊。正直将棋に対する興味も薄れてはいるが、これは最後まで読みたい。
あとコンビニで売ってる半端なサイズの漫画、刃牙のピクル編が六月の終わりぐらいに新しいの出るらしい。ピクル編読んでなかったので楽しみ。
まあこんなところか。もやしもんとかいつの間にか読まなくなったなー。
あとアーバンギャルドというバンドの新作もそろそろ出るのでこれも買う。
-
ovationのギターが生産終了
そんなニュースを見かけたんだけど、輸入ディーラーのサイトにも告知があがっていた。
Kanda Shokai Corporation [ Ovation ]
ううん、これは残念。いわゆるエレアコでは最大手なので、今後どうなるだろうか。いまではプロの現場ではハウリング対策もきっちりしているのかもしれないけど、アマチュアのステージではどうなのかなあ。穴にふたをする、っていう対策が面白いギターだった。
過去形で語るほどすぐに世の中からなくなりはしないけどね。あと十年はまだ現役だろう。USAオベーションって書いてあるのが気になる。USA以外では生産続くの?聞いたことないけどなあ。celebrityブランドのことかいなあ?
-
おおまきばはみどり
ま、夏が好きだったのは夏休みがあったころまで。おっさんになると、糞暑いなか夕立と電車のダイヤを警戒する季節とすら言える。ここにきて節電云々がうるさくて、冷房の効きも控えめで一層暑苦しい…のだが、どういうわけで、冷房に弱くなった。確かに暑い。冷房が入ると確かに涼しくい。しかし快適さよりも寒くて適わんとなるケースが増えた。室温は下がってほしいが、冷房の風、送風されてくる風の温度が低いなと思う。最初は直撃される席だからかと思ったが、席が変わっても変化はなかった。
ま、これも毎年言ってるような気がする。歳くった、で片づけてしまう。それをは別に、今年はどういうわけか、外の景色が目に染みる。緑の美しさがどうにも際立って見える。特にネガティブな影響もないけど、何かあったのかと自分に問いかけてもみる。…格好つけたところで何もわからない。ただ、年を取って丸くなるという表現があるけど、まさにその通りになっているかと思う。
ま、兎に角緑が美しいわけで。この思いを胸に、一つ考えている。ここ数年…といってもまだ三年か。夏休みには、緑の押し売り状態の田舎道をヘロヘロになるまで歩いているのだけど、目的が帰省であるから、半分ぐらいはただの住宅地である。最寄り駅を降り、山道田んぼ道祖父の墓地への小道を通っているあたりは緑の業火と言わんばかりに力強い景色だが、家に近づくにつれて田舎街。かつての通学路だったりはするのだけども、もうイマイチ感傷もないんだよなあ。後半の単に疲れた感がちょっと勿体ない。
普段五日ほどの夏休みがもうちょっと伸ばせるかもしれないので、少し別の場所に行こうかなと考えている。人生の終わりに過ごしたいような場所がないかと。イメージだけは強烈に持っている未踏の景色がいくつかある。大人になってから塗り重ねてきた終いの住処のイメージが、この現実世界で感じる緑の色濃さにいっそう映える。まさに「もがり」である。ああ、ここかなあ、と思えるような場所がどこかに。面倒くさがりな自分なら、それが新宿西口の地下だろうと構わないと言うだろう。しかしどうせすることのない夏休み、観光名目で自分の眠るべき場所を探しに行く。気が向いたらそのまま眠ろうかしら。
大袈裟な。
ま、まずは夏休みが楽しみである、というところに安堵の庵としたい。
—-というようなことを、人込みでにぎわう公園のベンチで考えていた。其の侭で小一時間ほど昼寝して、帰る。だるい。
-
侵緑の季節
排水溝から一本の草が伸びていた。
のに気付いたのは去年の夏。やがて寒くなるにつれて茶褐色になり、細くなってある日ついに折れた。2014年2月の大雪の時にはすでに折れていたと思う。封鎖した施設の、道路に面した駐車場があり、そこを横切るように伸びる一本の排水溝、その真ん中ほどに伸びていた。日当たり良好、人の立ち入りはなく、勿論動物も立ち入らない。このままわっさ~~~~と増えたら面白いなどと見つけた当初は思っていたのだが、育ちこそすれ、増えずに折れた。排水溝のわずかな泥に根を張っているのだろうけど、見えないのでわからない。周囲に木立もないので、どこからかやってきた落ち葉が溜まって土になる、ようなこともないのかもしれない。
のがまた伸びているのに気付いたのは四月の末ぐらいだったろうか。すくすくと育っていた。「東京幻想」という、廃墟と化した東京のイラストレーションがネットでは人気である。東京に住む人にとって、ああいった姿と成り果てた東京というのは、想像に難くない。兎にも角にも、建造物の姿、位置関係が特定のエリアの顔ではあるから、変わり果ててなおそのフィギュアが残っていれば通いなれたホームからの眺めとすぐにわかる…。
人類文明が滅びないとしても、東京が遺棄されることはあるかもしれない。そうなったときには先に挙げたようなイラストのような景色が実際に展開されるだろう。…排水溝の一本の草に世界の未来が見て取れた、夏日の休日で御座いました。
-
蒼天を焼くこと能わず
鳴りやまないアラームはすでに30分を超えた。
時刻は24:00になろうかという所、連休中で不審火とか洒落にならない。外の様子を伺うに、特に煙や臭いもなく、通りの向かいのアパートから自分と同じように様子を伺う人の姿はあれど、火災の様子はない。そのうち止まるだろうと放っておいたが、どうにも止まない。まあそれもそれで面白いか、などと呑気な事を言っていたら、こうして30分が過ぎ、ドアの外に複数の人の気配があり、騒々しくなってきた。これではそ~~~っとドアを開けざるを得ない。
「あっ!?」
火災報知機に向かって何か作業をしていた人が驚いてこちらを見る。自分の部屋の蓮向かいの部屋、その入り口横の報知器が鳴っていたようだ。マジで。部屋の明かりは消していたし、この騒ぎで部屋に人がいるとは思わないだろう。警官もわらわら居て、こちらの姿を認めると近づいてきた。部屋に異常はないか、他の部屋の住人はいないか、などを聞かれた。他の部屋なんて知るかい。消防も到着して何やら大騒ぎになってきた。無線のやり取りを聞くに、報知器が鳴ってすぐに通報がいったのだが、通報者が住所を誤って伝えたため他の現場に行き、当然何事もないので引き上げたところに、「通報したのに何も来ない」と再度の通報があり、こちらにやってきたらしい。本気の火事ならだれか死んでないかそれ。
「ここに警察を呼ぶ」ボタンとか作ればいいのに。住所を口頭で伝える必要がある、というのは安定国家の社会インフラとして欠陥だろ。
この部屋に警官がやってくるのは四度目だが、毎回のように管理会社はどこ?といった質問をする。そんなもんググればわかると思うが、警察で調べることもできないというのは組織の機能としてしょぼすぎる。ただ、これは不審者をふるいにかける意味があるのかもしれない。部屋の中から出てきた自分が、この部屋の住人とは限らない。住人を殺害して一夜をやり過ごそうとしているのかもしれないし。非常ベルだって火災を目撃して鳴らしたとも限らんよ。管理会社を知らない、とでも言えば怪しいどころの話ではないだろう。
先ほどの作業員が(警察でも消防でも不動産と契約しているメンテ会社でもないようなのだが、こういう通報に対処する部門でもあるのだろうか)ペンチ貸してくれませんか、などと言ってきたので呆れつつ貸した。工具の準備もないとか大丈夫なのかこの人たち。ペンチを貸して作業員が姿をけし、しばらくすると警報が止まった。警察とのやり取りの間鳴りっぱなしであった。管理会社は連休中休みらしい。消防の作業員は各部屋のチェックをしたあとはぼんやりと佇んでいたが、取り敢えず誤作動のようだとわかると帰って行った。一人女性がいたのが印象深い。
気付くと誰もいなくなっていた。
休日、もはや夏空ともいえる空模様に、これ以上の平和と幸福もないよな、なんて思う。それだけで残りの人生を過ごせればいいのに、そうもいかないのが腹立たしい。うっかり裕福層にでもなったら、手に入れるべきものはそれだけ。奥ゆかしくもあり、くだらない妄言でもある。